1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

ショーケンは、青春の1コマ

 
歌手で俳優の、ショーケンこと萩原健一が3月26日亡くなった。享年68歳。
 
グループサウンズ(GS)全盛時代、私は、ザ・テンプターズのボーカルだったショーケンの大ファンだった。
当時、私は中学生。
GSでは、ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二が甘いマスクで圧倒的人気だったが、私は、人なつっこいがどこかクールさがあるショーケンの方が好きだった。
岐阜の田舎で暮らしていた純朴な(?)少女だったため、コンサートに行くとかファンクラブに入るとかなどは、およそ思いもつかなかったが、出演するテレビ番組を欠かさず観ることはもとより、レコードを買ったり、「平凡」や「明星」という当時の芸能月刊誌を毎月買って、写真のページを切り抜いて集めたりして夢中になった。
「お兄さんになって」とファンレターを書いたこともあった。
これほど芸能人に夢中になったことは、この中学生時代だけだった気がする。
 
でも、人気の頂点にいた当時の彼は、かわいい衣装を着せられ、気に入らない曲を歌わされるのが我慢できなかったらしい。
そしてグループサウンズの全盛が過ぎ、彼が再び俳優としてテレビなどに登場した頃は、私は大学生となり、テレビのない生活を送っていたので、ショーケンが出演していたというテレビドラマは全く観たことがない。
また、当然、私自身の彼に対する熱も冷めていたと思う。
 
昨年、NHKで放映された「不惑のスクラム」(高橋克典主演)は、なかなか胸を打つドラマだった。
彼は、ヤンチャーズという中高年のラグビー部の重要な役割を演じていた。
ガンで死んでいく役で、久しぶりに観たショーケンはずいぶん年をとったが、いい味を出していた。
 
ショーケンは、間違いなく私の青春の1コマを飾った歌手だった。
そして彼が出演したドラマや映画を観る機会があれば、私が見逃した彼を感じることができるのになあと思う。
 
 
 

 
3月24日の日曜日に、高知県四万十市で地域医療に携わる小笠原望(おがさわら のぞみ)医師の姿を追った映画「四万十~いのちの仕舞い~」が上映された会場で、「診療所の窓辺から」という本を買った(発行:ナカニシヤ出版)。
 
以前から読みたいと思い、新聞の広告記事を切り抜いて持っていた、その本である。
 

 
会場では、本の裏に、小笠原医師直筆の川柳がまあるい字で書かれて販売されていた。もちろんサインも。
本によって、何種類かの異なる川柳が書かれてあったので、私は「四万十の風と握手して生きる」という川柳を選んだ。
 

 
この本は、朝日新聞購読者向けの月刊誌「スタイルアサヒ」に小笠原医師が連載されたものを抜粋、加筆修正して再構成されたものとのこと。
 
病気、高齢、介護、在宅医療、看取り・・・どれも重い事柄だが、「ひとのいのちも自然のなかのもの」という小笠原医師の暖かく柔らかい一言一言とそれに呼応する患者さんとのやりとりが、何とも言えず穏やかなのである。
まるで、四万十川の流れのよう・・・
 
今度は、小笠原医師の話を直接聞いてみたいと思った。
 
 
 

ブラリ、吉田山

 
週末は寒かったが、3月24日(日曜)はそこそこの天気だったので、おそらく大学生の時以来となる吉田山をブラブラ歩いてみた。
 
吉田山は、京都大学の東側に位置し、標高は105M。
登り口はいくつもあるが、今出川通りの登り口から登った。
 
 

 
大学1回生の時の1年間、吉田山のふもとの神楽岡町に住んでいたので、毎朝、この登山口の前を通って大学に通っていた。
 
山頂までの道は、舗装され整備されている。
でも途中から、舗装なしの山道の方へ入り、その道から山頂に出た。
山頂には、あずまやがあり、二人の老人が、なにやら政治談義をされていた。
山頂は、木々に覆われ、展望はなし。
 
 
吉田山山頂

 
 
山頂から南方面に下りていく。木々があって、見晴らしはあまり良くない。
 

 
 
更に進むと、子ども達用の園庭があった。
昔、この奥の建物は、学童保育として利用されていた。
司法試験に合格した後、大学卒業までの数ヶ月、学童保育のアルバイトをした懐かしい場所。
当時は、こんな滑り台やブランコはなかったような記憶だが、自信はない。
 

 
結局、吉田山の西側に下りた。
京大正門前に近い登り口。ここが吉田神社の参道だと思う。
 

 
1時間ほどのウォーキングでした。
 
 

 
新聞に掲載された本の書評や広告で、「読みたい」と思ったものについては、切り抜いて、いつも仕事用のカバンに入れて持ち歩いている。
高知県四万十市で地域医療に携わる小笠原望医師の「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)という本もその1つであった。
 
2019年3月21日(祝)付け京都新聞朝刊の1面下に「診療所の窓辺から」の本の広告が載っており、その中に「本日開催!府民向け映画上映会13:30~16:00、入場無料 主催:京都府医師会」と書かれてあることに気が付いた。
まさか映画が観られるとは思ってもいなかった。
祝日でもあり、午後の予定は特になかったので、すぐに行くことに決めた。
 
午後1時少し前に会場に到着したが、既に、会場内は人で一杯で、後方の席しか空いてなかった。
知らなかったが、小笠原医師は、一昨年に、同じ京都府医師会の企画で京都で講演されているようだった。
今回は、ビデオメッセージでの参加。
 
映画「四万十~いのちの仕舞い~」は、溝渕雅幸監督が、地域で在宅医療にとりくむ小笠原医師を約1年間密着して完成させたドキュメンタリー映画である。
日本で最後の清流と呼ばれる四万十川の自然・四季を背景に、小笠原医師と患者さんとの診療の日々、そして、いのちの看取りが描かれる。
 
小笠原医師と会話を交わすと、病や死の不安から解き放たれるような気がしてくる。
つらく苦しいものを目にしているはずなのに、暖かく、ゆったりした空気が流れる。
それが、小笠原医師の「ひとのいのちも自然のなかのもの」という言葉に表れている。
こんな医師がいるんやなあ。
 
思いがけず、良い時間を過ごした。
もちろん会場で、「診療所の窓辺から」という本も購入した。
 
 
 
 

京都御所の梅

 
もう3月も中旬になってしまった。
今年は、まだ梅を見に行っていないことに気づき、まだ間に合うかなと思いつつ、3月9日(土)、晴天のもと、京都御所に行ってみた。
 
京都御所の南西側に梅園がある。
もう花をつけていない木がほとんどだったが、何本かには、まだ満開の梅が咲いていた。
 

 

 
梅園の北側には桃林がある。
梅と桜の間は、桃。でも、まだチラホラ。
 

 
おまけは、下御霊神社の紅梅。
3月10日(日)は同神社の梅和祭(うめなごみのまつり)。
雨の中をお茶会が催されていた。
 
そして見事な紅梅。
 

 
 
 
 
 

コンビニの24時間営業

 
弁護士になって以来、何件もの過労死事件に関わり、深夜労働が人間の生理にいかに反するかを痛感し、あらゆる機会にそのことを訴えてきた。
 
しかし、「男女平等」と引き換えに、女性までもが深夜労働の制限が大幅緩和され、ついには深夜労働禁止は例外的となってしまった。
かつて「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのCMが流行し、また、残業で夜遅く帰宅する労働者にとって、深夜営業のスーパーは「救い」となった。
午前7時から午後11時までの営業時間で始まったセブンイレブンは、いつのまにか24時間営業となった。
そして、あちこちにコンビニが乱立する状態に。
でも、長時間残業や深夜勤務で働く労働者の健康被害や過労死・過労自殺は跡を絶たない。
 
コンビニ問題で思い出すのは、亡き近藤忠孝弁護士のこと。
多数のコンビニ事件を扱われた近藤弁護士は、コンビニオーナーが過酷な労働で家庭崩壊の犠牲を受け、しかも自分の労働対価分が取得できないにもかかわらず本部に対し毎月高額なロイヤリティを払わなければならない実態をとらえ、これを「現代の奴隷契約」と言われた。
 
深夜営業が「便利」という裏には、そこに深夜働く労働者たちがいることも私たちは忘れてはならない。
 
働き方改革が叫ばれている今、それを「かけ声」だけに終わらせないよう、人間らしい働き方を求めたい。
 
 
 
 
 
 

停 電

 
昨日、午前11時55分頃から約40分間ほど、停電があった。
天気も良く、地震もなく、突然のことだった。
子どもの頃は、雷雨や台風の時には、よく停電したが、幸いにもここ数十年、停電したという記憶はない。
昨日付けの京都新聞夕刊によると、中京区の380戸が停電したようだ。
 
電気が突然切れた時、まず、何らかの原因でブレーカーが落ちた?と思ったが、事務所の外に出ると、マンションの管理人さんや近所の人たちが何が起こったかと確認のため外に出て来ていたので、どうやら停電らしいということになった。
 
停電すると、私たちの生活が、いかに電気に支配されているかを痛感する。
エアコンはもとより、パソコンそして電話までもが使えなくなる。
ちょうど昼時だったため、食事に出かけたが、事務所から少し離れた場所には何事もなく電気がきているようだった。
 
停電が解消されても、今度は、事務所のパソコンがサーバーにつながらないという事態が発生し、結局、業者が来て直してくれるまでは、仕事にならなかった。
 
インターネットで調べると、停電原因として、関西電力が「お客様の設備の不具合の影響」と書いていた。
何これ?
 
 
 
 

沖縄県民の怒りの声 43万4273票

 
2019年2月24日、沖縄県では、辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票が行われた。
歴史的な県民投票と言えよう。
結果は、「反対」が72.15%の43万4273票。昨年9月の沖縄知事選挙で玉城知事がとった39万6632票を大きく超える結果となった。
 
現在、国土面積の約0.6%しかない沖縄に、全国の米軍専用施設面積の約7割が集中し、沖縄県民は大きな基地負担を負っている。
あの美しい珊瑚礁の海の上を、米軍の戦闘機が耳をつんざくような轟音をたてて飛び交っている。
米軍のオスプレイやヘリの墜落事故、部品の落下事故、米兵による犯罪等も跡をたたない。
なぜ、沖縄県民だけが、かような負担と犠牲を背負わなくてはならないのか。
 
ニュースのインタビューに応じる沖縄の人達の一人一人の言葉には、それが「賛成」や「棄権」の人であっても、苦悩がにじみ出ている。
 
辺野古新基地建設問題は、沖縄県民だけの問題ではない。
誰もが、沖縄の代わりに自分が住む都道府県に新基地が建設されることなど絶対に受け入れないだろう。
また、そもそも始まりは、「世界一危険な普天間飛行場の除去」であった。
にもかかわらず、辺野古に基地が建設されない限り普天間飛行場は除去できないという理屈がまかりとおっている。
普天間飛行場の代替施設は、日本の中で押しつけ合うのではなく、アメリカのグアム島に作ったらよいのである。
 
安倍首相は、口では「沖縄県の民意に寄り添う」と言いながら、あくまで辺野古新基地建設は続行すると言う。
しかし、自国である沖縄県の県民の圧倒的多数が「辺野古に基地建設にNO!」という意思を表明しているのであるから、国の統治者としては、それを前提に、アメリカとあらためて海外への基地移転をねばり強く交渉するのが当然の姿勢ではないだろうか。
 
「辺野古」を含む沖縄の問題は、日本全体の問題でもあり、私たちも同じ国民として、次の選挙では、はっきりと自分の意思を示したい。
 
 
 
 
 

京都新聞で楠木新氏の連載始まる!

 
2019年2月18日付けの京都新聞朝刊から、楠木新(くすのき あらた)氏の「いい顔で 人生の後半戦を」というタイトルの連載が始まった。10回掲載予定とのこと。
 
楠木新氏(注、ペンネームです)のことは、以前にもこのブログで書いたことがあるが、私の大学時代のクラスメートである。
生命保険会社に勤務していた頃から、多数の著作を出版し、退職後は、ますます旺盛に執筆活動をされ、今、書店に行くと、ベストセラーとなった「定年後」など彼の著作が平積みされており、このような有名人と知り合いであるということは少し鼻が高い。
 
さて、2月18日付け記事は「①長い会社生活の終わり」という内容。
定年退職日に似合うのは、トロフィーや賞状ではなく、家族からの感謝状や花束。
でも定年後は、それまでの会社生活とは違ったものが求められる。自分自身の居場所は自分自身で見つける必要がある。
「定年前後に絡むアレコレを皆さんと一緒に考えていきたい」というテーマのようだ。
 
私たち弁護士には「定年」がない。
仕事に追われていると、あまり今後のことを考える余裕もないが、時折、ふと、このまま病気になって働けなくなるまで、この仕事を続けるのかなあ、自分自身としてそれでいいのかなあと考えてしまうこともある。
 
「定年」のない自営業の私たちにも考えさせてくれるような内容だといいなあ。
とりあえず連載を楽しみにしよう。
 
 
 
 

確定申告の医療費控除

 
今年も確定申告が2月18日から始まる。
弁護士は「自営業者」だから、毎年、確定申告をする。
 
医療費控除は、所得が200万円以上の人は、10万円を超えた分を控除できる(200万円未満の人は、所得の5%を超えた分)。
これまで医療費が「10万円」を超えることなどトンとなく、医療費控除とは無縁であった。
でも、昨年の骨折→入院→手術→通院などにより、今年は医療費控除が使えそう。
 
調べてみると、医療費控除については、2018年に改定があり、従来のように領収書を提出しなくとも、「医療費通知書」を添付するか、「医療費控除の明細書」に記載すればよいとのこと。
葉書で届く「医療費通知書」は無意識に捨ててしまっていたので、結局、領収書を観ながら「医療費控除の明細書」に書かなければならない。
明細書は、国税庁のホームページからも入手できるとのこと。
 
また「医療費控除」の「医療」の範囲は、「医療行為に通常かかる費用」で、病気やケガのために購入した市販の医薬品や通院・入院のための交通費は対象となるが、診断書の作成費用や予防接種の費用などは対象にはならないよう。
 
なお、確定申告書にはマイナンバーを記載しなくても受理される。
 
 
 
 
 

 
昨年、映画「日々是好日」を観たばかりだった頃に、また女優黒木華主演で「ビブリア古書堂の事件手帖」という映画が上映されることを知った。
どんな話なんかなあと思っていた時、家庭裁判所帰りに時々立ち寄る出町柳商店街の中の古本屋に「ビブリア古書堂の事件手帖1~5」が並んでいるのを見つけた。
シリーズが5まであるのか、こんなに話が長いと読めるかなあ・・・とその時は思った。
そこで、試しに「1」のみを買って読んでみることにした。発刊は2011年。
 
舞台は、神奈川県鎌倉市。
主人公は、小さな古書店の美人店主篠川栞子(しのかわ しおりこ)とそこでアルバイトとして働くことになった五浦大輔(ごうら だいすけ)。
栞子は、若いが、古書に対して豊富な知識を持ち、客が持ち込む古書にまつわる謎を解いていくというストーリー。
 
少し推理小説のようではあるが、「犯人探し」ではなく、古書をめぐって、それに関わる人達の思いや歴史を紐解いていく。
そして作中に出てくる古書は実在のものだ。
それぞれの古書そのものに関する解説もふんだんに盛り込まれており、末尾の参考文献を読むと、作者が1つのシリーズを書き上げるのに、いかに大量の本を読んで調査研究したのかがわかる。
 
「1」を読んだだけでどんどん内容に惹かれていき、「2」以降も次々と購入し、骨折して入院してる間にも2冊を読み終えた。
話の展開も、古書にまつわる謎だけでなく、栞子の家族関係や大輔との恋の行方などもあって、読むのが止まらなくなった。
ついに2018年に発刊された「8」も読了。
「8」でも完結していないので、まだ物語は続くようだ。楽しみ!
 
残念ながら映画は観そびれた。
映画はいつかテレビで放映されるのを待つとしよう。
 
 
 
 

ロウバイ

 
今年も、依頼者のSさんが、ご自宅の庭に咲いたと言って、ロウバイと水仙の花を事務所に届けてくださった。
早速、部屋に飾った。
 

 
ロウバイ(蝋梅)は、「ウィキペディア」によると、クスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する中国原産の落葉樹とのこと。
梅と同じように寒い時期に花が咲き、香りも強いが、バラ目バラ科に属しているとのことで、系統的には梅とは遠縁らしい。
蝋梅という名前は、半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようで、かつ、蝋月(旧暦12月)に咲くことにちなむという。
 
朝、最初に事務所の玄関を開けると、冷たい空気の中に強い香りが漂い、なんとも心地よい。
 
冬を感じる花に囲まれる日々である。

リハビリ

 
昨年12月5日に退院して、その約1週間後から左手・左腕のリハビリが始まった。
私が受診している病院では、午前中しかリハビリがないので、仕事の関係で、なかなか頻繁には通えない。
 
担当の作業療法士は、若い女性のU先生。
女優の生田智子似の美人。
 
初回のリハビリは、まだシーネで固定していた期間だったので(注、リハビリ中はシーネを外します)、とりあえず左手の5本の指を動かすことと左肘の関節を動かす訓練から始まった。
事故から約2週間、固定して動かしていないだけで、筋肉は固まり、なかなか思うように動かないし、動かすと、皮膚が突っ張り、腕に痛みが走る。
手首を前後に動かす訓練も痛みでほんの少ししか動かせない。
リハビリ室では、同じ時期に入院していた女性の方にもたまたま会い、互いに状況を交流し合った。
 
2回目のリハビリでは、手首を前後に動かす訓練を中心に行った。
最後は、U先生が腕や手首をマッサージをしてくれる。時々すごく痛いのだが、それでも人の手でマッサージをしてもらうと気持ちいい。
これは、AIでは置き換えられない技だと思う。
 
3回目は、リハビリ前の診察で、今後はシーネを外しても良いことになった。
主治医からは、「手首が固いなあ」と私の我流リハビリの弱点を鋭く指摘された上、「これからは、手首をひねる訓練もして」と指示された。
「でも、左手で重い物を持っちゃあダメだよ」とも。
リハビリでは、まず、温水と冷水とに交互に腕をつけて血行を良くすることから始まった。
そして手首の前後を動かす訓練と手首をひねる訓練。
隣の席では、私よりは年上のご婦人が、若い男性の理学療法士さんに手や指をマッサージしてもらい、「痛い!痛い!」などと叫んでいる。
それを横目に、心の中で「若い男性にマッサージしてもらうのもいいなあ」とつぶやいた。
 
4回目のリハビリでは、温冷水浴の後、手首を動かしたり、ひねったりする訓練。
この日は、U先生はお休みで、代理のM先生(女性)。
やはり最後にマッサージをしてもらい終了。
我流だと、どうしても手加減してしまうのだろう。先生のマッサージは時々痛みが伴うが、終わると少しは手が動くようになった気がする。
 
先は長そうだが、ボチボチ頑張るしかない。
 
 

明けましておめでとうございます

 
明けましておめでとうございます。
 
事務所の業務開始は、2019年1月7日(月)からですが、そろそろ頭も身体も仕事モードにせねばと、昨日から事務所に来て、色々整理をしています。
 
昨年の左腕の骨折については、多くの皆さんから心配や励ましの言葉を頂戴しました。どうも有り難うございます。
いただいた年賀状を読むと、何人かの方が手や足の骨折を経験されていることを知りました。本当に油断禁物です。
今年は、「暴走」せず、地にしっかり足をつけた生活をすることをあらためて決意しています。
 
腕の経過ですが、昨年末の診察でシーネ(固定)が取れました。
でも、手首が十分に動かず、ひねることもできませんし、重い物を持つこともできませんので、家事などにはまだ不自由をしています。
我流のリハビリではなかなか改善しないので、もう少し時間を見つけて、病院のリハビリに通おうと思っています。
 
今年もよろしくお願い申し上げます。
 
 
 

今年も有り難うございました。

 
暖かい冬だったが、昨日は夕方から雪が少し降り、寒い年末年始になりそうだ。
事務所は、昨日28日で業務終了となったが、今日も事務所に来て残務整理をしている。
 
左腕の怪我の方は、一昨日の診察で、固定していたシーネを取ることができ、医師からは、もっと頑張ってリハビリするよう指示された。
まだ左手の自由があまりきかないので、日常生活は不便なことが多い。
でも、怪我が右手でなかったことや重傷でなかったことなど、不幸中の幸いだったと思うことにしている。
事故後は、自転車に乗ることはやめ、運動不足にならぬよう遠くても歩くよう心がけている。
 
来年から、色々な意味で、もっと地に足をつけた生き方をしていこうと思う。
 
今年一年もお世話になり、有り難うございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

何十年ぶりの入院そして手術

 
11月24日(土)の午後、自転車でこけてしまった。
左前腕が動かない!(アチャー!)
もしかしたら折れたかも・・・嫌な予感。
夕方、救急外来に駆け込んだ。
救急医からは「骨折してます」「手術が必要となると思う」と告げられ、とりあえず外側から骨の位置を元に戻してもらい(整骨)、ギプスで固定してもらい帰宅した。
 
11月26日(月)に病院であらためて診察を受けた。
やはり「手術が必要」との診断。
その週の仕事の予定をキャンセルすることは困難と思われたので、翌週12月3日(月)に手術を受けることにした。
その週は、痛々しい(?)姿で裁判所に出かけたりしたが、腕は固定されていたので、不思議と痛みはあまり感じなかった。
左腕だったことが不幸中の幸いで、事務員さんにも助けてもらいつつ、仕事は右手だけでパソコンを打ち、家事もなんとか右手でこなした。
 
手術の説明なども受けねばならず、11月30日(金)に入院。
これまで家族が入院して付き添ったことは何度もあったが、自分自身は、中学2年の盲腸の時以来。
人生の束の間の休息と考え、パソコンは持参しなかった。
 
割り当てられた大部屋(4人部屋)には、他の入院患者はおらず、12月2日(日)の午後までは一人だった。
広い部屋に1人でいるのもかえって淋しいものだが、テレビもほとんど観ず、おかげで手術までに文庫本の小説2冊を読み終えた。
デイルームに行くと、他の入院患者の女性らがおしゃべりをされていて、酔っぱらって、階段から落ちた、窓から落ちたなどと聞いて、つくづく世の中には色んなことが起きるものだと思った。
 
食事は手術前日の2日まで、水分摂取も当日3日午前9時までだった。
午後2時半、手術室へ。
台に横になり、「心電図と脳波を測ります」と言われた後は記憶がない。
目を開けたら、手術は終わっており、部屋に戻っていた。午後6時前。
左腕は、麻酔が効いており、痛みもないが、全く動かず、感覚もない。
 
翌4日朝、左手の指の感覚はなんとなく戻ってきているようだが、肘周辺の筋肉の感覚が全くなく、自分の意志で前腕を動かすことができない。
このまま曲げ伸ばしが出来なくなってしまうかも・・・などと不安になる。
午後になって、やっと指も肘も感覚が戻って来た。
また、ベッドから起き上がって歩くこともできた。
夕方、主治医が来られ、5日朝の退院が許可された。
 
そして、12月5日退院となった。
午後からは事務所に出かけ仕事。
 
「あの時あそこに行かなければ」など後悔がよぎるが、そんなことを嘆いても時間は元には戻らない。
左手が動かないというだけで、日常生活がいかに不便か不自由かが実感できた。
周囲の人の助けや健康のありがたさを痛感した。
これも人生の勉強。
 
さあ、これからは、リハビリに励もう!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ツバキ文具店」(小川 糸著)を読んで

 
「日々是好日」を読むと抹茶が飲みたくなり、「ツバキ文具店」を読むと手紙が描きたくなる・・・本ってすごい!
季節の変化、鎌倉の人々とのふれあい、代書を依頼する客に寄り添おうとする主人公の思いが描かれ、時がゆっくり流れ、気持ちが穏やかになる。
 
主人公雨宮鳩子は、鎌倉で文具店を営みながら、代書屋も営んでいる。
祖母にあたる先代から引き継いだ家業である。
幼い頃から祖母に「書」を厳しく教えられ、そんな祖母に反発し、死に立ち会うことすら拒否したが、今は代書屋を引き継いでいる。
 
鳩子の代書は、客から依頼された中身によって、字体、筆記具、紙、封筒、切手までもを変えるというもの。
その変化が面白い。
 
最後は、祖母の思いと鳩子の思いが書によって交錯する。
 
この「ツバキ文具店」は、テレビドラマになったようだが、残念ながら私は観なかった。
先日亡くなった女優江波杏子さんが隣人のバーバラ婦人役だったようだが、適役だと思った。
 
 
 
 

まるかつ無料食堂(奈良県)

 
今朝のNHKの7時のニュースで報道された、奈良市にある、とんかつ屋さん「まるかつ」食堂。
子ども食堂ではない。
普通のとんかつ屋さん。
その普通のとんかつ屋さんが、今年5月から、お金のない人には、食事を無料で提供しているというから、やはり普通のとんかつ屋さんではないようだ。
 
店には、こんな張り紙が。
「もしどうしても、お腹がすいても、お家にお金がないときやお子さんにおいしいものをお腹いっぱい食べさせてあげたいのにご事情があってむずかしいときなどはコソッと店長に相談してください」
「そのときは、店長のおごりで、コソッと無料でお腹いっぱい食べてもらいます」
「世の中お互い様ですので、お代は出世払いでもいいですし、忘れてもらってもいいです。少しでも元気を出すきっかけになればうれしいです。」
 
店長は金子さん。こんな人が世の中にいるんだなあ・・・。本当に頭が下がる思い。
 
そして、この「まるかつ無料食堂」のことはSNSで広がり、金子店長を応援しようと、店には、(お金を払う)お客さんもたくさん訪れているらしい。
 
私も、金子さんを応援するために、「まるかつ」のとんかつを食べに行ってみたい。
 
 
 
 

 
本屋さんに行くのが好きだ。
若者の間では、最近、普通の本屋さんのことを「リアル書店」と呼ぶ。
ネットで本を注文する「ネット書店」との対比でこう言うらしい。
そしてアナログ派の私が訪れる本屋は専ら「リアル書店」。
時間がかかっても、本屋さんの中をブラブラめぐり、「面白そう」とたまたま手に取った本に思わぬ出会いがあったりして、楽しい。
 
先日、本屋さんで見つけたのが「国境なき助産師が行く」という本。
「国境なき医師団」なら知ってるけど・・・
 
「国境なき医師団」(MSF)は、1971年、フランス人の医師を中心につくられた国際的なNGOで、医療や人道援助を行っている。
1999年にはノーベル平和賞を受賞した。
一口に「国境なき医師団」と言っても、その中の職種は多岐にわたり、医療職では医師だけなく看護師、助産師、薬剤師、臨床検査技師も、非医療職では物流管理や建設などのロジスティシャンや、人事・財務などのアドミニストレーターなども含まれる。
本の著者小島さんは助産師でスタッフの一人。
小島さんは、1984年生まれの女性で、2014年から「国境なき医師団」に登録されている。
医療のない場所や危機のある場所にどこにでも駆け付け、緊急医療援助活動を行っており、そこに自ら参加するスタッフには本当に頭が下がる思いである。
 
でも、私たちが日頃のニュース報道で知る紛争地域の人々や難民の生活などは、ほんの一部であり、まして国境なき医師団がどのような活動をしているかなども全く知らない。
 
この「国境なき助産師が行く」という本を読めば、少しは紛争地域の現状やMSFの活動がわかるかもしれない、そんな思いで読んでみようと思った。
 
小島さんは、2014年3月から2017年9月までの間に、パキスタンの病院、イラクのシリア人難民キャンプ、レバノンの難民キャンプ、地中海難民ボート、南スーダンの国連保護区で働いた。
充実した設備もなく、言葉もわからない、文化も宗教も違う、教科書では見たことがないような症例がどんどん運ばれてくる・・・・
現地スタッフとの意思疎通に困難が伴うことはもとより、小島さんのように多くの海外から派遣されてくるスタッフ同士の意思疎通も大変。
とても想像できない世界だ。
 
中でも、アフリカ大陸から海を渡ってヨーロッパへ向かう難民の実態は壮絶である。
2016~17年だけで8000人近くの難民が、リビアからイタリアに向けて地中海を渡る途中に命を落としている。
リビアからイタリアのシチリア島へは大型船でも2日はかかり、粗末なゴムボートなどで渡れるはずもなく、それら難民を救助する地中海捜索救助船の中で、2016年11月から2017年2月まで、小島さんは働いた。
 
難民救助後は、救急処置はもとより、食事の用意からトイレ掃除まで、お産以外の業務にも従事する。
また、船ではたった一人の助産師として何人もの妊婦検診を行うが、妊婦の半数は売春やレイプからの妊娠だったという実態。
 
小島さんは、思う。
同じ地球で、同じ時を刻んでいるのに、たまたま生まれた国が違うだけなのに、どうして世界はこんなに違うんだろう。
日本という国に生まれ、自由に行動する権利が私にはありました。そして、世界を見ると、それは誰もが持っている権利ではないとわかりました。
 
折しも、シリアで拘束されたフリージャーナリストの安田純平さんが解放されて帰国し、またしても、ネット上では、自己責任論が炎上しているとのこと。
でも、日本では想像できないような、海外で今、起こっている事実を誰かが伝えてくれなければ、私たちはそんな実態を知ることすらできないと思う。
 
実態を知っても、何か大きな貢献ができるわけではないが、それでも私たちができることは、きっとある。
 
※この本の印税の一部は、地中海救助船で働く市民団体「SOSメディテラネ」にあてられるとのことです。
また、「小島毬奈」でネット検索すると、いくつかのサイトで、写真も含め、彼女が書いた海外の実態を読むこともできます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
前日(27日)、10月28日(日)の天気は快晴ということがわかったので、紅葉と展望を期待して、急遽、滋賀県にある蛇谷ケ峰(じゃたにがみね。902M)に登ることにした。
 
蛇谷ケ峰は、滋賀県の山で、比良連山の北端にある。
これまで武奈ヶ岳から蛇谷ケ峰まで縦走し、滋賀県朽木の「想い出の森」に下山するというコースを2度程歩いたことがあった。
今回は、朽木スキー場からの登山コースを登ることにした。
 
朽木スキー場に着くと、登山者らしい車が1台停まっているだけだった。
最初、登山口がどこかわからなかったが、先に来ていた登山者2人が山の方向へ入っていったので、そこが登山口だと気が付いた。
登山口は、ゲレンデに向かって下の右側にあり、「さわらび草原」という大きな木の看板が立っていた。
 
登山道は広いジグザグ道で、歩きやすかった。時折、木々の間から琵琶湖を望むこともできた。
木々は紅葉していたが、あまり鮮やかではなかった。
 
 

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先行する二人の登山者は老夫婦のようで、妻だけがリュックを背負い、夫はダブルストックを突きながら、ヨロヨロと登っていた。
二人を追い抜いた後に、後方から、夫が「ジグザグ道でつまらない」と言い、妻が「高齢者にはピッタリ」と言う会話が聞こえてきて、私も体力が落ちてきているため、内心「そうだ、そうだ、ラクチンで良い登山道や」とつぶやいた。
 
山頂は、広々としており、快晴の青空のもと、360度の展望を楽しむことができた。
 
 

 
以前、蛇谷ケ峰まで縦走してきた武奈ヶ岳。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
琵琶湖遠望
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山頂で昼食を作って食べて、1時間20分ほどのんびりしていた。
その間に、老夫婦も山頂に到着し、昼食を食べ、先に下山して行った。
 
上りは、朽木スキー場ゲレンデ下のさわらび登山口から出発したが、下りは、上ってきた登山道の途中の分岐からスキー場ゲレンデ上部につながる登山道を下りる予定にしていた。
 
山頂から少し下っていると、老夫婦の妻の方が一人で戻って来て「老人と会いませんでしたか?」と尋ねられた。
その地点までは1本道だったので、「誰にも会わなかった」と答えると、妻は、そのまま来た道を下りていった。
「おとうさんと、はぐれちゃったんかなあ」と少し心配になった。
 
分岐に着き、看板には、左方が上って来た道で「さわらび草原へ」、右方は「スキー場へ」と書かれていたので、右の登山道を進んだ。
 
ところが、「スキー場」への登山道を少し進むと、すぐに道が不鮮明となり、テープだけを頼りに、急な斜面を下りなければならず、「雨乞岳の二の舞や~」と不安になり、こちらのコースに来たことを後悔した。
それでも、テープを見つけながら注意深く下りていくと、そこに、なんと老夫婦の夫がうずくまっており、「2回転んだ」らしく、瞼や額から血を流していた。
ストックを持っていただけで、荷物は何も持っていなかった。
 
妻が先に行ってしまい、分岐の所で、上りはスキー場下部から上ってきたから看板の「スキー場」の方向へ下りたそうで、出会った時点までは、まだ上ってきた道を下りていると思っていたようだった。
すぐに妻に電話するように言うも、電話はコールだけでつながらなかった。
 
年齢を尋ねると、「82歳」と言う。登山も10年ぶりとのこと。
もとより放っておけるはずもなく、テープを頼りに一緒にゆっくりと下山することにした。
途中で妻にも電話連絡がついた。
 
何度も立ち止まったり、時々転倒しそうにもなり、ケガした箇所が「痛い」とは言っておられたが、なんとかスキー場の上部の登山口まで下りることができ、そこまで汗をビッショリかきながら迎えに来た妻と無事合流することができた。
 
このコースは、ほとんど登山者が利用しない登山道で、しかも帰宅後ネットを読むと、蛇谷方面に道迷いした人もいるようで、この男性を見つけたことは幸運だった。
 
高齢者の登山事故が増加しているが、実際に「助けた」という経験はこれまでになく、登山事故というのはこういうふうに起きるんだなと実感するとともに、役に立てて本当に良かったと思った。
 
 
 
 
 
 
 

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