1. 2023年3月

2023年3月アーカイブ

夫婦関係がうまくいかず別居した場合、配偶者が生活費(婚姻費用)を支払ってくれず、また援助してくれるような親族もいないような場合には、生活保護に頼らざるを得ません。

 

とりわけ女性の場合、同居中、専業主婦であったり、パート収入しかないような場合には、すぐに正社員の職場を見つけることは困難です。

 

そのような場合、「生活保護を受けていても、離婚の際に子どもの親権者になれますか?」という相談を受けることがあります。

 

大丈夫です。

 

親権は、子どもを一人前の社会人にするために監護・養育する親の責務というべきものですから、親権者をどちらにするかということは、何より子どもの利益、子どもの福祉を中心に決められるべきものです。

権の決定にあたっては、父母の心身状況、監護・養育の条件、子どもの年齢や意思、現在の監護の状況などを総合的に考慮して決められます。

父母の経済的事情も判断材料の1つではありますが、重視されるわけではありません。なぜなら、本来は、養育費をどのように負担し合うかの問題だからです。

 

きちんと生活保護を受けて、子どもを育てていくことの方が重要です。

 

 

(最新法令:労働)デジタル給与解禁

雇用主が労働者に支払う給与(賃金)は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならないと法律は定めています(労働基準法24条1項)。

これまで、その例外としては、労働者が個別に同意すれば、労働者が指定する本人名義の預貯金口座などへの振込の方法で支払うことが認められていました(労働基準法施行規則7条の2)。

 

これに加えて、昨年11月に省令が改正され、2023年4月からは、給与をスマートフォンの決済アプリなとで受け取れるデジタル払いも可能になります。

 

電子マネー等の取扱事業者の申請が4月1日以降始まり、厚生労働省が審査で認めた企業が対象となります。

審査には数ヶ月かかると言われています。

 

雇用主が、職場に導入する場合には、労働者の過半数代表者等と一定の事項について労使協定を締結する必要があります。

その上で、個別に労働者の同意を得る必要があります。強制はできません。

 

ただ、一番の問題は、電子マネー事業者が経営破綻した際の利用者の保護です。

銀行口座なら、銀行が破綻しても、預金保護制度によって元本1000万円が保護されます。

厚生労働省では、事業者に対しては破産等による債務の履行が困難になった際には速やかに保証するしくみを求めていますが、実際に破綻した場合にそれが機能するかは不透明です。

 

また、事業者への不正アクセスによる個人情報流出の問題もあります。

「行旅死亡人」(こうりょしぼうにん)という言葉をご存知だろうか?

 

私たち弁護士にとっても、なじみのない言葉だが、れっきとした法律用語である。

身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す。

 

私は弁護士になって間もない頃に、弁護士会の委員会活動の中で、何か「貧困問題」のようなテーマだっただろうか、調査をする中で、偶然、この用語に出会ったことがあった。

その時に「行旅死亡人」という言葉を初めて知り、それ以来、見たこともない言葉だったが、最近、新聞の書評で再び目にすることになった。

 

共同通信大阪社会部の1990年生まれの若い2人の記者が書いたノンフィクション「ある行旅死亡人の物語」。

まるでミステリー小説を読んでいるかのように、最初からどんどん引き込まれていった。

 

ネタ探しをしていた武田が「行旅死亡人データベース」にアクセスし、目に止まったのが、兵庫県尼崎市の安い賃貸アパートに居住していたある高齢女性が自室で孤独死したという記事。

3400万円を超える現金の所持金に加え、右手の指がすべて欠けていたことが武田の目を引いた。

40年も家賃月3万円のアパートに住んでいながら、住民票は抹消されている。

製缶工場で働いていた時に指詰めの事故に遭ったが、労災も自ら断り、できるだけ人との接触を避けるようにして生きてきたことがわかった。

 

なぜ?

 

武田と同僚の伊藤は、二人で、警察や探偵にも追えなかった彼女の人生の足跡を追っていく。

ネタバレになるので割愛するが、その調査の過程がとても興味をそそられる。

「死者について・・・知りたいと思う。”死”というゆるぎない事実の上に、かつてそこに確実に存在した生の輪郭を少しずつ拾い、結び、なぞること。それは、誰もが一度しかない人生の、そのかけがえのなさに触れることだ。」

そして「人間の足跡、生きた痕跡は、必ずどこかに残る。そう行旅死亡人でも、である」

 

小説ではないので、読者が(私が)知りたかった彼女の過去が全て明らかになったわけではないところに、はがゆさは残る。

しかし、たとえ行旅死亡人であっても、「かけがえのない人生」が確実にそこにあったことを感じられる読み物であった。

 

現行民法では、隣地の竹木の枝が境界を越えて伸びてきた場合、自分で切ってしまうことができず、所有者に切除させる必要がありました(民法233条1項)。

しかし、切除を求めても応じてくれない場合や所有者不明の場合などについての規定はありませんでした。訴訟を起こす方法もありますが、時間と労力がかかりすぎます。

 

そこで、この点につき、2023年4月1日施行の改正民法で、所有者に枝の切除を求めたにもかかわらず、相当期間内に切除しない時や所有者不明の時で、急迫の事情があるときには、隣地の枝を自分で切ることが認められました(民法233条3項)。

「離婚したいけれど、先に離婚を口に出した方が不利ですか?」という相談を時々受けることがあります。

 

そんなことはありません。

 

離婚できるか否かは、そもそも夫婦の間に離婚原因(民法770条)があるかどうかに関わりますし、慰謝料が取れるかどうかは離婚に至る主たる責任が相手にあるかどうかで決まりますので、どちらが先に「離婚」を切り出したかで有利不利ということはありません。

 

これに関係して、「先に家を出た方が不利ですか?」という相談を受けることもあります。

 

確かに夫婦には同居義務があります(民法752条)から、「ここがイヤ」「あそこがイヤ」という単純な理由で別居というのは、不利になることもあるかもしれません。

でも、いくら努力しても、夫婦関係が改善しない、あるいは気持ちが通じ合えないような場合には、同居を続けること自体で、自分が精神的に追い込まれていく結果にもなりかねません。

そんな時は、思い切って別居をしても不利になることはありません。

 

 

 

 

隣り合う土地を所有する者同士が、自分が所有する土地を利用しやすいように調整し合う関係のことを「相隣関係」と言います。

 

民法は「相隣関係」について定めていますが、2021年4月21日に成立した民法改正で、これまで規定がなかったライフラインに関する規定が新設されました(施行は2023年4月1日です)。

 

ライフライン設備というのは、電気・ガス・水道など継続的給付を受けるための設備のことです。生活に不可欠な設備ですが、これらの設備を使用するため、他人の土地や設備などを利用しなければならない場合もあります。

 

そこで、民法は、必要な範囲で他の土地にライフラインを設置する権利、及び、他人が所有するライフラインの設備等を使用する権利を新たに定めました(213条の2、213条の3)。

 

ライフライン設備の設置・使用の場所や方法は、他の土地または他人が所有する設備のために損害が最も少ないものを選ばなければなりません(213条の2の2項)。

そして、あらかじめ、その目的、場所や方法を他の土地所有者や他の土地の使用者に通知しなければなりません(213条の2の3項)。

必ず事前に通知しなければならず、事後的通知は認められません。他の土地の所有者が不明な場合には、公示による意思表示(民法98条)によることとなります。

また、通知から設備の設置・使用までは、相手方が準備をするための必要な合理的期間をおく必要もあります。

 

更に、設備を設置あるいは使用する場合には、償金(応分の負担)を支払わなければなりません(213条の2の5~7項)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民法は、隣り合う土地を所有する者同士が、土地を利用しやすいように調整するための規定を定めています。

これを「相隣関係規定」と言います。

2021年4月21日成立の改正民法において、この相隣関係の規定の改正もされました。施行は2023年4月1日からです。

 

現行民法によると、「土地の所有者は、境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修善するために必要な範囲内で、隣地の使用を請求できる」とされていました(209条1項)。

例えば、境界付近にある建物の外壁工事をするため、一時的に隣地に入らざるを得ないような場合です。

 

今回、民法209条が改正され、隣地を使用する範囲が拡大されました。

具体的には

・境界又はその付近における建物などの工作物を築造したり、収去したり、修善する場合

・土地の境界標を調査したり、境界に関する測量をする場合

・自分の土地に伸びてきた、隣地の枝を切る場合(民法233条3項)

 

土地の所有者は、要件を充している場合には、隣地の所有者の承諾がなくとも隣地を使用することができ、事前に連絡を受けた隣地の所有者は使用を拒むことができません。

 

また、不動産登記簿や住民票などの公的記録で確認しても、隣地の所有者の名前やその所在がわからないため事前の通知が困難な場合には、隣地の所有者が判明したときに通知することで足りることになりました(209条3項但し書)。

 

もちろん、使用の日時や場所・方法は、隣地の所有者のために損害が最も少ないものを選ばなければなりませんし、もし隣地所有者が損害を受けた場合にはその賠償を請求することができます(209条2・4項)。

 

遺産分割をしないまま、放置されている遺産はありませんか?

 

現行民法では、遺産分割については、被相続人の死亡後何年経過しても、分割方法や分割割合について自由に協議することができます。その意味で遺産分割に「時効」はありませんでした。

しかし、遺産が何年も放置されたまま相続人が死亡したりして相続が繰り返されると、遺産の管理や処分が困難となり、とりわけ不動産については「所有者不明土地」が生じる原因にもなっていました。

 

そこで2021年4月に成立した改正民法によって、2023年4月1日からは、相続開始時から10年経過後にする遺産分割は、原則として法定相続分(民法が定めた遺産の取り分)によることになりました(民法904条の3)。

 

注意しなければならないのは、施行日の2023年4月1日より前に被相続人が死亡した場合の遺産分割についても改正民法が適用されるということです。

但し、これには経過措置があります。相続開始から10年経過時、または改正民法施行時から5年経過時のいずれか遅い時までに遺産分割の請求を行った場合には、法定相続分以外の分割も可能となります。

従って、分割されないまま放置している遺産がある場合には、速やかに遺産分割の請求を行うことをお勧めします。

 

交通事故に遇って後遺障害が残った場合あるいは死亡したような場合、その程度に応じて「逸失利益(いっしつりえき)」の賠償を請求することができる場合があります。

 

「逸失利益」とは、被害者が、もし交通事故に遇わなければ、将来得られる可能性がある利益のことを言います。

「逸失利益」の計算は、現実に働いている人が事故に遇った場合には、被害者本人の事故前の収入が計算の基礎となります。

また子どもや専業主婦など働いていない人の場合には、賃金センサスという平均賃金が基礎となります。

今回は、聴覚障害のある児童についての逸失利益をどう算定するかが争われました。

 

2023年2月27日、大阪地裁は、交通事故で死亡した聴覚障害のある児童(女性、当時11歳)の逸失利益の算定について争われた裁判で、全労働者の平均賃金の85%と判断しました(原告は控訴)。

 

原告である両親は、全労働者の平均賃金から算定するように求め、被告側は聴覚障害者全体の平均賃金(健常者の約6割)をもとにすべきと主張しました。

 

判決は、「聴覚障害が労働能力を制限しうることは否定できない」と判示して、週30時間以上働く聴覚障害者の平均賃金が全労働者の約7割である状況を考慮し、更に、障害者の進学や就労が進んでいることなどで将来平均賃金の上昇が予測されるとして、全労働者の85%を算定基礎としました。

 

子どもらには無限の可能性があり、一律に決めるのは不可能と言ってよいでしょう。弁護士の中にも、聴覚障害や視覚障害などの障害を有しながら活躍している人もいます。

 

このような判決を目にすると、過去、男女の逸失利益の算定にも差別があったことを思い出します。

私が弁護士になった頃は、同じ事故で同じ年齢の男児と女児が死亡しても、女児は女性労働者の平均賃金で逸失利益が算定されていたため、賠償金額にすごく差が生じました。

 

それを変えたのは、2001年8月20日の東京高裁判決でした。

判決は、将来の就労可能性の幅に男女差はもはや存在しないに等しいと指摘し、年少者の備える属性のうち性別という属性のみ取り上げることが合理的な理由のない差別であると判示しました。

そして現在、女児についても全労働者の平均賃金をもとに算定されています。

 

厚生労働省の調査によると、2022年6月時点で民間企業で働く障害者は61万3958人で過去最高だったそうです。

障害者の雇用が広がっている状況を踏まえた判決が求められていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガトーショコラの山を見に行って来ました

 

これは、何山かわかりますか?

 

群馬県と長野県の県境にそびえる浅間山(2584m)です。

日本百名山の1つですが、今でも噴煙をあげる活発な活火山なので、お釜のある釜山には入山禁止となっています。

 

雪がない時に見ると、饅頭のような形に見えるのですが、冬は、最近、ガトーショコラの山と呼ばれているそうです。

ガトーショコラってご存知ですか?

3月初め、このガトーショコラの山を見るために、外輪山の黒斑山(くろふやま、2404m)と蛇骨岳(だこつだけ、2366m)まで登って来ました。

3月になって雪も少し溶け、多くの登山者が歩くので、登山道は割と踏み固められており、軽アイゼンで歩くことができました。

「槍が鞘」という地点に到達すると、突然、巨大な浅間山が姿を現すので、感動的です。

 

天気にも恵まれ、素晴らしい景観でした。

 

山の溝の中に残雪が残り白いスジとなっているのは生クリームをたらしたよう。

また、溝以外で雪が残っている所は、まるでパウダーシュガーを振りかけたよう。

本当にガトーショコラのように見えますよね。

雪が多い時には、もっとガトーショコラに似てますよ!

映画「生きる」を観て来ました。

2023年3月10日、京都シネマで映画「生きる」の上映が始まりました。

3月3日付けの当ブログで紹介した映画です。

映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~ | 京都法律事務所 (kyotolaw.jp)

 

3月10日は弁護団の1人である吉岡和弘弁護士が舞台挨拶に来られることを知り、同期の友人弁護士らと一緒に観に行きました。

 

 

文句なく素晴らしい映画でした。

 

津波や地震そのもののシーンはありません。

 

子どもたちの遺族である親たちは、裁判などしたくはありませんでした。

しかし、石巻市や教育委員会、校長らの答弁、あるいは第三者事故調査委員会の報告内容は、遺族が最も知りたかった「なぜ、子どもらは裏山に逃げなかったのか」「なぜ、子どもらは約50分も校庭で待たされたのか」そして「なぜ、子どもは津波で命を失わなければならなかったのか」という疑問にとうてい答えるものではありませんでした。

唯一の生存者の当時の教務主任も途中から口を閉ざしました。

地震発生後まもなくから始まった保護者説明会の様子が遺族の方によって撮影されており、リアルです。東北弁なので言葉が正確にはわかりにくいのですが、遺族の怒りは十分伝わってきました(「字幕つき」も上映されるそうです)。

 

結果的には最高裁で勝訴が確定しましたが、裁判も想像できないほどの覚悟と苦悩がありました。弁護士2人は、弁護士人生をかけて、遺族の思いを背負う覚悟で裁判に取り組みました。

金銭目的でないにもかかわらず、裁判をするには、子どもの命の値段を金額にして請求しなければならないつらさや葛藤が手に取るようにわかりました。

津波によって「証拠」はほんとど失われ、地元のことを一番よく知っている遺族も「子どもの代理人」となって証拠集めに奔走しました。それが遺族自身の「生きる」思いにつながっていったと言います。

 

映画の中では、裁判の審理や判決内容については、ほとんど触れられていませんが、少しだけ紹介します。

津波発生1年前の「平時」における「組織的過失」を認定した控訴審判決を言い渡した裁判官は「学校が子どもの命の最後の場所であってはならない」と述べたそうです。

また、映画にも登場されている東京大学大学院の米村教授は、「この判決がなかったならば、1万7000人余りの被害を出した東日本大震災は、日本社会に何も教訓を残さなかったことになってしまっただろう。この判決で日本社会が変われる重要な第一歩が築かれたと思います。それを二歩、三歩にするかは、これからの我々にかかっている」と語っておられました。

 

同じ弁護士として、二人の友人弁護士の活動には頭がさがりますし、誇りに思います。

 

是非、1人でも多くの皆さんに、この映画を観ていただきたいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、京都弁護士会主催で映画の試写会があった。

映画終了後、トークイベントがあり、その中で、司会者から映画の感想を聞かれた登壇者の1人が、会場に若者も多かったせいだったのだろうか、「エモい」という言葉を使って評された。

 

私は、「エモい」という言葉の意味を知らなかったので、その場は「何?それ」と思いながら聞き流した。

翌日パソコンで「エモい」という言葉の意味を調べてみた。

どうやら「エモい」という言葉は若い世代を中心に浸透している俗語で、単に嬉しい・悲しい・という気持ちだけではなく、感傷的・哀愁的・郷愁的などしみじみする状態を含み、形容しがたい様々な心情を表現する便利な言葉として使用されているらしい。

 

そんなことがあって、現在放映中のNHK朝ドラ「舞い上がれ」(第105話)の1場面を思い出した。

短歌の歌人である貴司君の古本屋「デラシネ」を久しぶりに訪ねてきた、中学生になった陽菜ちゃんがこう言う。

「言葉ってさ、こんなにいっぱい要らんくない?中学入って分かってんけど、みんなに合わせて『ヤバイと可愛いとキモい』だけ言うとったら、やっていけんねん」

 

それに対する貴司君の言葉が心に響いた。

「言葉がいっぱいあんのはな、自分の気持ちにぴったり来る言葉を見つけるためやで。

 

日本語という言葉には、それぞれ似ているようで、様々なニュアンスを帯びたものがたくさん溢れている。

その言葉の中から「自分の気持ちにぴったり来る言葉」を見つけ出して使って初めて、語り手の思いや感情、思考などが伝わると思う。

 

簡単ではないだろうが、そこに日本語表現の素晴らしさがあるような気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年3月11日、あの東日本大震災が発生した日、宮城県石巻市大川小学校の児童74名は、すぐ南側に誰もが走れば1分足らずで上れる裏山があったにもかかわらず、校庭で約51分待たされた挙げ句、70名の命が失われ、4名の児童が行方不明となった。

 

映画「生きる」は、その事件の裁判を闘った遺族たちのドキュメンタリー映画である。

 

私の司法研修所時代の同期(34期)の弁護士2名(吉岡和弘弁護士・齋藤雅弘弁護士)がこの大川小学校津波裁判を担当していたという関係で、この映画のことを知った。

 

大川小学校津波裁判では、仙台地裁は、2016年10月26日、津波が学校に到達する7分前に教師らに津波到来の予見可能性があったと認め、遺族勝訴の判決を言い渡した。その後、仙台高裁は、2019年4月26日、石巻市、市教委、校長など指揮命令に位置する者らを「組織」でくくり、地震や津波が発生する遅くとも1年前の時点で児童らの安全を確保するための職責を果たすべき義務を怠った責任を認める判決を言い渡し、2019年10月10日、最高裁も高裁判決を維持し、判決は原告遺族勝訴で確定した。

 

しかし、最高裁で勝訴しても、原告遺族たちは落ち込んだという。

1つは、遺族らが求めた「なぜ子どもらが亡くならなければならなかったのか?」が裁判で明らかにならなかったこと、そして2つめに、遺族の活動に対し、様々な場所や機会、媒体によって、心ない人々から罵声や誹謗中傷が浴びせられたからだ。

 

原告遺族らは、金銭賠償をしてほしいために国賠訴訟を起こしたわけではなく、裁判以外に方法がない状況に追い込まれ、提訴したのだ。

 

2023年2月26日、吉岡弁護士の紹介で、この映画を製作した寺田和弘監督と会う機会を得た。

監督は、裁判というものを知らない遺族らが、今日まで、どのように乗り越えて来たのか=親の闘いを描くことで子どもの姿を描くことにつながること、そして、今の日本の姿を描き、あの日何があったのかがわからない限り教訓にはならないと熱く語られた。

 

京都では、3月10日から30日まで、京都シネマで上映されます。

是非、多くの皆さんに観ていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

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