1. 2024年5月

2024年5月アーカイブ

ドラマでヒロイン寅子(ともこ)は、初の女性弁護士になった後、結婚し、妊娠しました。

モデルの三淵嘉子さんが出産したのは1943(昭和18)年のことでした。

 

妊娠中、依頼されていた講演会を前に過労で倒れてしまった寅子に対し、寅子を法律の世界へ誘った恩師である穂高教授は、当面は母としての務めを優先すべきで弁護士を辞めるよう助言しました。それに対し、寅子はここで止まっては後進の女性達の道が途絶えることになると反論しましたが、穂高は「世の中、そう簡単には変わらんよ」と言い放ちました。寅子は「私たちに世の中を変える力があると信じてくださったのではないですか」と詰め寄りました。

 

穂高教授のこのような発言は、寅子の身体を気遣ってのことだったかもしれませんが、穂高が女性の法律家に理解がある温厚で理性的な人柄であっただけに、視聴者としてはショックでした。

 

実は、法律家をめざす女性に対して「家庭に帰れ」とする「圧力」は、この後もずっと続いていました。

 

それが国会でも取り上げられて大きな社会問題となったのが、1976(昭和51)年の30期女性司法修習生に対する裁判官教官による差別発言でした。

私が修習生になる数年前の出来事でした。

 

研修所の事務局長(裁判官)や裁判教官らは、公式旅行の懇親会の2次会や交通機関の中、教官宅訪問などの場で、女性修習生に対し、次のような発言を行いました。

「男が生命をかけている司法界に女を入れることは許さない」

「女が裁判するのは適さない」

「2年たって修習を終えたら、判検事や弁護士になろうなんて思わないで、修習で得た能力を家庭に入ってくさらせて子どものために使えば、ここにいる男の人よりもっと優秀な子どもができるでしょう」

「日本民族の伝統を継承して行くことは大切なことだと思いませんか。女性には家庭に入って子どもを育てるという役割がある」

「教官はこういうことも教えてくれるからいいですね」などなど・・・

 

当時、日本弁護士連合会の小委員会は、「とくに裁判官の身分を有する教官らの個人的発想により偶然に同時期に一致してなされたものとは思われない。それは最高裁判所の監督下にある司法研修所の女性法曹を排除しようとする基本的な教育方針の一環として行われたものと考えざるを得ない」と結論づけました。

 

その後も、女性はなかなか裁判官や検察官に任官できない時代も続きました。

弁護士の世界でも、「女性を雇う事務所なんかない」などと言い放つような弁護士もおり、女性の就職は厳しいものがありました。

(実は、「はて?」過去形で書いていいのかな?と思っています)

 

三淵さんが裁判所を退官されたのは1979(昭和54)年。ですから、司法研修所での女性差別発言が問題となった頃は、まだ裁判官在職中でした。研修所での男性裁判官のこれらの発言をどのように感じておられたのでしょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

男女雇用機会均等法改正後、女性に対する「間接差別」を初めて認める画期的な判決が、2024年5月13日東京地裁で言い渡されました。

 

原告は、素材大手「AGC」の完全子会社に勤める一般職の女性で、同社では男性だけが大半を占める総合職だけに社宅制度を認めており、これが男女差別だとして提訴しました。

判決によると、同社の総合職はほぼ男性、一般職はほぼ女性が占め、家賃の8割を補助する社宅については転勤があることを理由に総合職に限定して適用。3000円などの住宅手当にとどまる一般職とは最大24倍もの差がありました。

 

判決は、社宅制度について、結婚に伴う引越や実家からの独立といった、転勤以外の自己都合でも認めている点などを踏まえ、「総合職に限定する合理的理由はない」と指摘。「事実上男性のみに適用される福利厚生を続け、女性に相当程度不利益を与えた」運用は均等法の趣旨に照らし間接差別に該当すると判断し、損害賠償金など計約380万円の支払を命じました。

 

男女差別について、「直接差別」は明かな性別を理由とした要件ですが、「間接差別」は一見性別とは関係がないと見えるものでも、実質的には一方の性に不利益を与える要件のことを言い、省令でその対象となる措置が定められています(均等法7条)。

 

社宅などの住宅の貸与については、上記の省令には挙げられていませんが、判決は「合理的な理由がなければ違法とされる場合は想定される」として判断の枠組みを広げました。

 

このような差別がまだ残っていたとは驚きですが、間接差別として違法となる範囲が広がった点でも女性差別是正にまた1歩道が開かれたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐渡、金北山(きんぽくさん)大縦走

今年5月のGWは、佐渡島の金北山(きんぽくざん、1172m)大縦走に挑んだ。

金北山は日本三百名山の1座で、数年前に、田中陽希さんの「日本三百名山一筆書き」をテレビで観て、日本海を遠望しながらの大縦走に感動し、是非私も歩いてみたいと思った。

 

2年前の2022年5月、山仲間と一緒に登ったものの、身体ごと飛ばされそうな風雨により途中で断念しエスケープ。今回は同じメンバーでの再チャレンジだった。

 

出発前、佐渡島が今年の能登半島地震の活断層の延長線上に位置すると言われ、少しドキドキしながらの旅だった。

 

大縦走は5月5日。天気は快晴。新潟県は30度を超える真夏日予報。

ドンデン山荘から舗装道路を歩いた後、いよいよ金北山縦走路に入る。

金北山大縦走の開始だ。

 

 

すぐに、カタクリやシラネアオイなどの花々と出会う。「花の百名山」だけあって、登山道脇にはたくさんの高山植物が咲き乱れている。

 

かたくり

 

シラネアオイ

 

シラネアオイの花は大きい

 

アオネバ十字路まで下り、そこから「マトネ」までは急坂を登る。マトネの眺望も良好。今日は日本海も見える。

 

マトネからは、縦走路のアップダウンが始まる。木々の間を歩く時は、時々、道の両脇にカタクリがたくさん咲いており、癒やしてくれる。

 

 

また、木々のない見晴らしの良い場所では、両側に日本海、そして正面には目指す金北山を望むことができる。まさに絶景!

 

 

しかし、とにかく暑い。風も吹かない。持って来た水もぬるいし、足りない。

昼食を食べるための日陰もあまりない。「天狗の休場」にも日陰はなかったが、風の通り道になっているようで、そこで昼食。でも、暑さのためか、珍しくあまり食欲がない。弁当を少し残してしまった。昼食後少し仮眠。

 

昼食後、先は、いよいよ急坂になる。仮眠したせいか、元気が回復し、快調に歩く。でも、暑い。

 

山頂に近づくにつれ、登山道のあちこちに残雪があったり、雪解け水が流れている。

そして、雪渓の壁をよじ登り、雪渓斜面をおそるおそる歩いた後、ようやく山頂に到着。

 

 

 

金北山山頂には神社があり、多くの登山者が休んでいた。山頂からの景色も、もちろん絶景。東北の山々も遠く霞んで見える。言うことなし。

 

実は、金北山は国の所有で、山頂には自衛隊のレーダーが設置されていたが、近くの山に移動された。神社の横には自衛隊の建物が残っている。

 

 

 

 

山頂で、十分、眺望を楽しんだ後、白雲台まで防衛省管理道路を下った。

 

やっと天気に恵まれ、快適な大縦走を果たすことができた。

 

佐渡島には害獣がいないため、高山植物の宝庫である。

佐渡島を訪れるのは今回で4度目になるので、もう来ないかなと思っていた。でも、タクシーの運転手さんの話によると、花の綺麗ないくつかの登山ルートもあるということで、また、訪れてみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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