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2025年9月アーカイブ

神尾真由子さん、ヴァイオリンコンサート

2025年9月23日(祝)、久しぶりに大阪フェスティバルホールに出掛けた。

 

若い頃は、熊川哲也のバレエや綾戸智絵のコンサートを観るため、足繁く通ったものだが、ここ数年はほとんど訪れたことがなかった。

 

思い立ったのは、2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールで優勝し一躍注目を集めた神尾真由子さんのヴァイオリンコンサートがあり、しかも、なんと、そのプログラムがメンデルスゾーンとチャイコフスキーの2大ヴァイオリン協奏曲という贅沢な選曲ということで(日本センチュリー交響楽団と共演)、即座に「聴いてみたい」と思った。

 

この2つのヴァイオリン協奏曲は、私が大好きな曲目で、CDでよく聴いている曲だから、尚更だ。

 

早速、クラシック好きの友人に連絡を取り、チケットを入手してもらうようお願いした。

 

神尾さんのヴァイオリンを聴くのは初めてだったが、その奏でる哀愁がなんとも言えず素晴らしく、また他方でスピード感もあって、本当に珠玉の2時間だった。

 

また、どこかで神尾さんの演奏を聴いてみたいと思った。

 

 

「日ソ戦争」(麻田雅文 著)を読んで

以前から、同じ事務所の吉田美喜夫弁護士から「面白い!」と薦められていた。

それが、麻田雅文・成蹊大学教授著の「日ソ戦争」(中公新書)。

 

えっ?日ソ戦争?日露戦争のこと?

恥ずかしながら、「日ソ戦争」と言われても、それがどんな戦争を指しているのか、ピンと来なかった。だから、この本も薦められてからすぐに読んだわけではなかった。

 

読もうと思ったきっかけは、当ブログでも紹介したが、「黒川の女たち」という映画を観たことがきっかけだった。

https://www.kyotolaw.jp/introduction/muramatsu/blogs/2025/08/7215.html

 

1945年8月終戦後、岐阜県黒川村の満蒙開拓団の未婚の女性たちは、侵攻してくるソ連軍に自分たちを守ってもらうため、「性接待」の役目を押しつけられた。

この時、なぜ、ソ連軍が満洲(中国東北部)に侵攻してきたのか?

 

日ソ戦争とは、1945年8月8日ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告し、日本はポツダム宣言を受諾し同月15日に米英に降伏を表明したものの、翌9日から同年9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で展開された、両軍あわせて200万人以上の兵力が動員された全面戦争だった。

 

毎年8月15日、新聞やテレビでは「終戦記念日」として報道がされる。

しかし、実は、「終戦」の1945年8月15日以降も日本とソ連は戦争を続け、シベリアに抑留された人達が完全に日本に帰国できたのは、なんと終戦から10年以上も経った1956年だったことに少なからず衝撃を受けた。

 

日ソ戦争については、史料の制約があって研究が遅れ、1991年のソ連崩壊以降、公文書などが順次公開されるようになったとのこと。

 

なぜ、ソ連は、第2次世界大戦の終盤に、日本へ宣戦布告したのか?

日本はなぜこの直前まで、ソ連に期待して外交を続けてきたのか?

終戦の1945年8月15日以降もなぜ日ソ両軍は戦い続けたのか?

 

本書は、それらのことがわかりやすくまとめられている。

そして、シベリア抑留・中国残留孤児・北方領土問題などは、日ソ戦争を起点とすることも知った。

当時のソ連は、スターリン治世下。

そして現在、ロシアは国際法違反のウクライナ侵攻を続けている。

私たち日本人も日ソ戦争の背景をもっと知る必要があるのではないだろうか。

 

学生時代の世界史では、およそ習わなかったであろう歴史を少し伺い知ることができた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(交通事故)ドライブレコーダーの音声も重要

2025年9月18日付け毎日新聞朝刊にドライブレコーダーに関する興味深い記事が掲載されていました。

 

ドライブレコーダーは、車の走行中の様子を記録するだけでなく、音声も記録されています。

しかし、6年前の2019年1月に千葉県内で起きた交通事故では、記録されていた映像の音声に捜査機関が気付かないまま、刑事裁判の判決が確定しました。

 

その事故で父親を亡くした女性は弁護士で、加害者運転手に民事の損害賠償を求めるため、事故に関する証拠の開示を検察庁に請求しました。

開示されたドライブレコーダーを再生すると、大音量のロック音楽が流れ、同乗者がいないにもかかわらず誰かと話す声が断続的に聞こえました。

しかし、捜査した千葉県警は、この音声を把握していなかったそうです。

警察は「今後、このようなことがないよう引き続き指導を徹底する」と謝罪したそうです。

もし音声も再生されていたら、もっと悪質な交通事故として、刑事判決の内容も異なっていたかもしれません。

 

捜査機関が使用したドライブレコーダーの再生ソフトでは、音声が再生できなかったようで、ソフトの違いで音声が流れない可能性はあるとのことです。

 

交通事故の場合、事故時の音声は事故原因の解明に重大な影響を与える可能性もあります。

決して映像だけで納得しないことが大切です。

2025ピースライブ

9月13日(土)午後、京都教育文化センターホールで開催された「ピースライブ」に行って来た。

中心となって活動されてきた笠木透さんや高石ともやさんは既に亡くなられてしまったが、「憲法9条を守るコンサート」として続けられ、今年でなんと19回目の開催という。

教育文化センターホールは、中高年で満員。

 

私自身は2回目の参加。

 

今回の出演者は、シンガーソングライターの川口真由美さん、バイオリンとギターのジュスカ・グランペール、お笑い芸人松本ヒロさん、うたごえグループの雑花塾。

 

私は、ジュスカ・グランペールのお二人の演奏も好きだが、久しぶりに松元ヒロさんのコントを生で聴きたくて、参加した。

 

政権批判コントのため「テレビからはお呼びがかからない」芸人松元ヒロさん。

もう70歳を過ぎておられるとのことだが、その毒舌は達者で、45分間大いに笑わせてくれた。

 

最後は、出演者と会場が一体となっての盛り上がり。

とても楽しいライブだった。

 

 

 

 

北アルプスの遭難事故、多発

ネットニュースを読んでいると、今年は北アルプスでの遭難が例年より多いような気がして、少し気になっていた。

 

実際、長野県警山岳安全対策課のまとめによると、今年(1~8月)の県内の山岳遭難者数は昨年同期比56人増の303人、山域別では北アルプスが全体の65%を占め、そのうち槍穂高連峰は29%の57人だった。

 

遭難原因についても、「足がつって歩けなくなった」「転倒して歩けなくなった」など、滑落のような事故と比べると軽度の事故の報道も目立ち、なんだか例年と違うような気がしていた。

そんな感じを裏付けるように、「信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ」によると、近年SNSやYOUTUBEを見て、「自己流」で登山する人が増え、安易に難度が高いコースに挑んだ結果、救助になるという例もあると言うことを知った。

 

そこで、環境省中部山岳国立公園管理事務所は、9月13日から、北アルプス上高地から入山し、槍穂高連峰などの高山帯を目指す人については、横尾にゲートを設け、登山者に装備や体調、マナーの確認を促す実証実験を始めるという。ゲートは初の試みで、期間は10月13日まで。

 

登山は死に至る危険性を常に伴っている。

登山する場合には、自分の体力はもとより、荷物の重さ、持参する水分の量、天候、時間などなど、あらゆる事柄に気を配ってほしい。

 

 

今夏、久しぶりの山小屋3泊の山旅をした。

 

2013年に日本百名山を完登し、コロナ明けの2023年からは、「北アルプスをつなぐ」を1つの登山目標とした。

「北アルプスをつなぐ」というのは北アルプスの山々を「線」で(実際に歩いて)つなぎ、いまだ歩いていない所を歩くこと。西穂から奥穂、槍から北穂など、超危険箇所は既に歩いていたので、余計に「つなぎ」たくなった。

いうことで、当時、まだ「つながって」いなかったところについて、2023年夏に栂海(つがみ)新道(朝日岳から親不知)を、2024年夏に針ノ木岳サーキット(針ノ木岳から種池山荘・爺ヶ岳)をつないだ。

そして今夏は、常念岳から槍ヶ岳までをつなぐ尾根でこれま歩いたことがなかった「東鎌尾根(ひがしかまおね)」を歩くことをメインの目標とした(常念岳も槍ヶ岳もどちらも前に登頂経験あり)。

 

行く前に、既に東鎌尾根を歩いたことがある山仲間に「今年は東鎌尾根に行く」と言うと、皆、なんとなく不安そうな顔をして、「あそこは緊張する」などと言って、誰からも「村松さんなら大丈夫」とは言ってもらえなかった。東鎌尾根は、「鎌尾根」と言われるだけあってヤセ尾根で、道の両側が切れ落ちていたり、何十段ものハシゴがいくつかあったりする厳しいルートである。

その上、今年の猛暑。近場の低山に登ってトレーニングする気力もなく、涼しい朝に鴨川辺りを歩いたり、冷房のきいたジムでベルトの上を歩いたり走ったりするのが精一杯だった。

そのため、「歩き続けられるだろうか」という大きな不安を抱えての山行きとなった。

 

1日目は、中房(なかふさ)温泉登山口から「燕山荘(えんざんそう)」まで合戦尾根を登る。標高差約1200m。

合戦尾根は、早月尾根、ブナ立て尾根と並ぶ北アルプス三大急登の1つである。

若い頃には3回登ったこともあり、勝手知ったる尾根と言えど、最初から急登の連続。コースタイムが4時間20分のところ、若い頃は、3時間台で登ったが、今回は、約5時間もかかった。

途中にある合戦小屋の名物のスイカは健在で、一切れの大きさは以前より小さくなっていたが、スイカを食べると生き返った気がした。

 

 

燕山荘着後、燕岳(つばくろだけ、2762.9m)まで往復する。

翌朝の燕岳。

 

 

2日目は、燕山荘から大天井岳(おてんしょうだけ、2923m)を経て、「ヒュッテ西岳」まで。歩行時間は約8時間半。

大天井岳山頂。槍ヶ岳があんな遠くに。明日は、あそこまで歩く!

 

 

3日目、いよいよ今日が東鎌尾根を歩くメインの日だ。ストックは使えないので出発時からリュックに収め、ヘルメットをかぶって出発する。水俣乗越までど~んと下り、そこから今度はヤセ尾根を登り返す。何十段もの鉄梯子を慎重に上ったり下りたりする。緊張の連続だ。

そして、なんとか今宵の山小屋「ヒュッテ大槍」に到着する。

小屋に不要な荷物を置いてリュックを軽くして、いよいよ東鎌尾根の最後のルートを槍ヶ岳(3180m)に向かう。ここからも気が抜けない危険なルートだ。

 

東鎌尾根から見る槍ヶ岳。ここから見る槍ヶ岳の山容が一番美しいとのこと。

 

 

槍ヶ岳の肩にある槍ヶ岳山荘に到着して一息ついた後、山頂を目指す。

槍ヶ岳には何回か登っているが、気は抜けない。ペンキ印に従って慎重に登っていく。

そして登頂!360度の展望。

今日までの3日間、長い道のりを経て山頂に至り、東鎌尾根を歩き通せた達成感で感慨もひとしおだ。

 

4日目早朝。小屋から、日の出と槍ヶ岳のモルゲンロートを見る。

 

 

4日目は、槍ヶ岳から上高地まで一気に下る。

とにかく、よく歩いた。こんなにも長い距離を歩けるって、人間の足ってなんと凄いものかと驚嘆する。

でも1週間経った今も、まだ足がなんとなく痛い。

 

さあ、次は、どこの山へ・・・?

 

 

 

 

 

 

 

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