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ブログ マチベンの日々

22年ぶり5度目の礼文島の旅

6月末から7月初めの4日間、22年ぶり5度目の礼文島の旅に行って来た。

 

礼文島は、日本最北端の島。別名「花の浮島」とも呼ばれ、北アルプスなど高山にしか咲かない高山植物をハイキング気分で見ることができる。

若い頃は、すっかり礼文にはまり、わずか数年間のうちに4回も訪れたが、2002年以降、訪れていなかった。礼文に行ったことがなかった夫が「行ってみたい」と言って計画表を作成してくれていたが、残念ながら行く前に亡くなってしまった。そんな礼文に、山仲間から誘いがあったので、久しぶりに行ってみることにした。

 

とにかく礼文島は遠い。4日間の行程のうち、1日目と4日目はほぼほぼ移動のみ。また、私はやはり雨女なんだろうか。今年は、7月1日まで礼文島の天候はとても不安定だった。快晴は帰る日の4日目だけだったが、それでも、その前2日間も雨がずっと降り続くというようなことはなかったので、なんとか久々の礼文を満喫することができた。

 

2日目、まず礼文林道を歩き、レブンウスユキソウを見に行く。

 

 

2日目、桃岩展望台コース(桃岩から島の南端の知床まで)を歩く。強風ではあるが、たくさんの高山植物が咲く中を歩く。

 

 

後方に見えるのが「桃岩」。角度によっては、本当に「桃」のように見える。

 

 

 

知床まで到着すると、次は、22年前にはなかった新たな観光地「北のカナリアパーク」へ。

これは吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」(2012年)のロケで使用された麗瑞小学校岬分校のセットが残され、そこが観光地となっている。

 

 

3日目は、気圧の谷が通過し、昼頃は雨風が強かった。

 

帰る日の4日目。晴れ予報だったので、宿泊したホテルの「早朝の桃岩展望台」へ行く企画に参加。天気が良いと、景色も素晴らしい。最高!

 

 

 

利尻山もくっきりと見える。

 

22年ぶりに訪れた礼文島。22年前と同じように、たくさんの花々が迎えてくれて、やはり礼文島は何度来ても好きな場所だ。

だた、心残りは、悪天候が続きウニ漁ができなかったとのことで、お目当てのウニ丼を食べることができなかったこと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝ドラ「虎に翼」で、型破りの強烈な個性で目を引くのは、俳優滝藤賢一さん演じる「多岐川幸四郎」裁判官。寅子の上司である。

この多岐川のモデルは、宇田川潤四郎裁判官(1907~1970)。

新憲法の下で最高裁の初代家庭局長になり、日本になかった家庭裁判所を創設した。

多岐川がドラマに初登場した時に滝での願掛けの場面があったが、宇田川さんが滝行をしていたのは実話らしい。

 

宇田川さんは、家庭裁判所の設立や子どもたちの支援、女性の地位向上に全力をかけ、「家庭裁判所の父」とも呼ばれている。

女性の地位が低いままでは安心できる健全な家庭は成り立たない、子どもと家庭の問題は地続きと考えていた。

1969年の朝日新聞のインタビューでも「女性の人格は無視され、男性の暴力のもとに泣いている女性が多い」「国民のすべてが暴力支配を徹底的に排除し、『法の支配』の実現を強調することは大きな義務である」と答えた。

 

宇田川さんは、京都にもなじみが深い。

京都少年審判所長をつとめ、宇治少年院の設立に尽力し(2008年閉鎖)、京都家庭裁判所の所長に就任したこともあった。

 

宇田川さんが亡くなって約55年の歳月が経過しようとしている現在においても、彼が求め描いた家庭裁判所の役割は微塵も変わっていない。

高齢化に伴う成年後見事件の増加、今年5月に民法改正で成立した共同親権に関する紛争の増加が見込まれるなど、今後ますます家裁が関わる事件が増え続けることは明らかである。

しかし、その家庭裁判所の裁判官・調査官・書記官などの人員体制は、国民のニーズにとうてい見合っていないのである。

 

改正民法は、2年以内には施行される。

それまでに、家裁の真の目的が達せられるよう、家裁の体制の充実を求める声をより広範囲にあげていかなければならない。

2024年7月3日放映の「虎に翼」では、昭和25年、刑法200条の尊属殺人罪について、最高裁が合憲判断を下したという場面がありました。

 

六法を読むと、刑法200条の尊属殺人罪の規定は、現在は「削除」されています。

 

刑法200条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者について、通常の殺人罪とは別に、尊属殺人罪を規定し、それが適用されると、法定刑は死刑または無期懲役に限られ、執行猶予は付けられませんでした。尊属殺人の規定は道徳の乱れの歯止めとして機能しているというわけです。なお、この多数意見に対し、朝ドラの「穂高教授」のモデルである「穂積重遠」裁判官は反対意見を書いています。

 

これは明らかに憲法14条が定める「法の下の平等」に反するとして争われたのでした。

 

そして、合憲判決が出てから23年が経った昭和48年4月4日、最高裁大法廷は、日本で初めて違憲審査権を発動し、刑法200条は違憲であるとの判断を下しました。

 

この殺人事件は、昭和43年10月、栃木県宇都宮市で起きました。長年にわたって近親相姦を強いられ子どもまで出産させられていた娘が実の父親を殺した事件でした。娘は「殺そうと思ってやった」と。

 

昭和44年5月29日の第一審判決は、尊属殺人罪について憲法違反であるとしましたが、同46年5月12日の控訴審判決は、一転、合憲であるとし、実刑判決を下しました。

 

しかし最高裁は、この事件を小法廷から大法廷に回し、とうとう違憲判決が下されました。被告人は懲役2年6月・執行猶予3年の刑となりました。

 

そこには、法律の内容がおかしい、不合理だと感じて闘った弁護士がいました。そして、それを正面から受け止めた裁判官がいました。

 

ちなみに、昨日(2024年7月3日)、最高裁大法廷は、旧優生保護法の下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、障害者らが国に損害賠償を求めた事件で、旧法を「立法時点で違憲だった」とし、憲法13条・14条に違反すると判断しました。

 

喜びにわく弁護団の中にも、また最高裁大法廷の判事の中にも、知り合いの顔がありました。こうやって歴史は、今も1歩1歩変わっていくと感じました。

 

 

 

別にキムタクファンでもなく、あまり面白くないなあ・・・と思いつつ、毎週観てしまったドラマ「Believe~君にかける橋~」。

キムタク演じる主人公狩山は、橋の設計士。建設中の橋が壊れるという事故が起き、その責任を取って有罪判決を受け、刑務所に入るが、脱走して、えん罪を晴らすというのがストーリー。

 

昨夜(6月20日)が最終回だったが、その最終場面に出てきたのが、「碓氷峠めがね橋」。

 

2022年11月8日付けの当ブログで「人間の証明の旅」について書いたが、その時に群馬県にある「碓氷峠めがね橋」も訪れた。

 

正式には、「碓氷峠第三橋梁」と言う。1892年に完成したレンガ造りの橋では日本最大。高さ31m。鉄道難所の碓氷峠に「アプト式」という方式で作られたとのこと。国の重要文化財にも指定されている。

横川から軽井沢まで碓氷線が通っていたが、今は、廃線となっている。

 

狩山が「やっぱり、いいなあ」「素晴らしい」とつぶやいたように、本当に素晴らしい橋だ。人間が造った構造物でも、素晴らしいものには感動を覚える。

 

 

橋の下をくぐると、横に、橋の上に上がることができる道がある。

上部は廃線跡で、ここは「アプトの道」と呼ばれ、横川から熊ノ平変電所までの約6.3キロの廃線跡を歩くことができるらしい。いつか歩いてみたいと思った。

 

橋の上部

 

 

 

ドラマは、この橋の上部で「きっと、あの橋から、あなたはまた出発できる」という亡き妻の声で終わった。

 

 

ちなみに、Tverで配信中。

 

 

岐阜弁の半数超 若者「知らんて」

先日、急用で郷里の岐阜市に帰ることになり、親戚の家で、たまたま、表題の新聞記事ニュースをコメントしている記事を見つけた(2024年6月8日付け岐阜新聞)。

 

それによると、元記事は5月6日付けで、岐阜放送の元アナウンサーが市内の高校3年生55人を対象に、岐阜弁を調査。50語のうち15語しか理解できていないことがわかり、岐阜弁の衰退が著明となったという内容だった。

 

まあ、それだけの人数の調査で「衰退が著明となった」と言えるか疑問だが、どんな方言が理解できなかったのだろうと興味がわいた。

それで元記事を更に読んだところ、次のような言葉があがっていた。

 

ごがわく、づつない、かざ、くろ、けなるい、ざいはらい、ひまごい、よーさ、やっとかめ

 

う~ん、上記の言葉のうち、若者ではない私だって、3つしか意味がわからへんなあ・・・

 

岐阜に住んでいた頃より、京都に住んでいる方が長くなった。久しぶりに岐阜の友人に会うと、「すっかり関西弁やね」と言われたりするが、実は、本来の京都弁や関西弁など話せるわけがなく、関西の人からは「変な関西弁」と言われたりする。なぜなら、単語のイントネーションだけは、生まれついたものが染みついているからだ。

他方、岐阜に住むいとこや友人らと会話をしていると、ああ~これが岐阜弁だったなあ、と変な感心をしている自分がいる。

 

上記のコメント記事には、「方言は相手のルーツを知る最短で最高のコミュニケーションである。なぜか温かみと親しみを与え安心感をもたらす方言は、故郷の代名詞でもあり、性別や垣根を越えてコミュニケーションができる」と書かれていた。

全く同感である。全国あちこちの山に登るが、山頂で、岐阜弁らしきイントネーションの声が聞こえてくると、つい「中部から来られたんですか?」と尋ねたくなってしまい、相手が中部の人だとなぜかすごく嬉しくなってしまうのである。

 

方言って、いいよね。

 

 

 

 

 

 

八幡平の「ドラゴンアイ=竜の目」に涙

ちょうど1年前の2023年6月11日、私は、秋田県と岩手県の県境に位置する八幡平(はちまんたい)にある「ドラゴンアイ」を訪れていた(2023年6月13日付け当ブログ)。

 

「ドラゴンアイ」というのは、八幡平の山頂付近にある鏡沼という小さな沼が、この時期だけ雪解けによって、まるで「竜の目」のように見える現象を言う。

地元では「蛇の目」と呼ばれていたが、台湾の観光客が2015年、ネットで「ドラゴンアイ」と発信したことをきっかけに、徐々に有名になっていったとのこと。

駐車場から20分程歩けば見ることができるので、観光客にはお手軽だ。

 


 

上の写真は、ポスターなどにも使用されている、ほぼ完璧な形。

昨年私が見た時は、雪の一部が破れて溶け始め、やや形が崩れていた。

それでもやはり神秘的な景観で、わざわざ見に行った甲斐はあったと思った。

昨年6月11日はちょうど日曜だったが、さほど観光客も多くなく、駐車場も混雑していなかった。

 

ところがである。

つい先日6月7日の毎日新聞夕刊で、「ドラゴンアイ」を見ようと観光客が押し寄せ、駐車場に入るまで3時間待たされた日もあったと報道されていた。

昨年行っておいて良かった・・・

 

こんなところまでオーバーツーリズムの波が・・・竜も涙しているのだろうか

あちこちの観光地が、京都市内と変わらなくなっている

 

 

私が書き始めた「NHK朝ドラ『虎に翼』をより楽しむために」も既にシリーズ5回目となった。

ネットで他の人のブログなどの検索をしていると、同じ弁護士、あるいは研究者の方などが「虎に翼」を解説されているのを見つけたりする。

それらを読ませてもらうと、私たち法曹の世界の出来事であっても、これまで知らなかった史実がたくさんあり、とても興味深い。

私が(その1)で書いた「権利の濫用」についても、その後、新たにわかったことがあるので、今回は再度、「権利の濫用」判決について紹介する。

 

法学部の学生ならたいてい勉強する著名な「権利の濫用」判決は、大審院昭和10年10月5日付けの「宇奈月温泉事件」判決である(内容については省略)。

だから、2024年4月17日付けの当ブログ(その1)で紹介した、明治34年に大審院が初めて「権利の濫用」を認めたという判決は、ブログを書くために調べていて初めて知った。そしてその時は、ドラマの中での判決は、架空のものだと思い込んでいた。

 

しかし、最近になって、それが、実在の判決だったことを知った。

 

大審院昭和6年7月24日の「物品引渡請求事件」判決である。

 

この事件は、ドラマの中で描かれたように、浮気をしたり暴力を振るったりする夫に対し別訴で離婚を求めていた妻が「衣類を返して欲しい」と訴えたもの。

大審院(今の最高裁判所にあたる)は、離婚成立までは夫に「管理権」があるとして返還を認めなかった原審(第2審)判決を破棄し、夫の財産管理権の濫用であるとして、妻への衣類の返還を命じたのであった。

 

ドラマは実在の事件を取り上げていたのだった。

この昭和6年判決が、4年後の「宇奈月温泉事件」判決につながっていったと思うと、実に興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週金曜日(6月7日)放映の「虎に翼」は、主人公寅子と再会した裁判官花岡が死んだという衝撃的な結末で終わりました。

花岡は、栄養失調で死亡(餓死)しました。

 

既にネット上で色々と紹介されていますが、実際、1947(昭和22)年に33歳という若さで餓死した裁判官がいました。

佐賀県出身の山口良忠(よしただ)判事でした(1913~1947年)。花岡も佐賀県が出身となっていましたので、山口判事がモデルでしょう。

山口判事は、戦後、東京地裁において、配給食料以外は違法とする食料管理法違反罪などの事件を担当していました。そんな中、山口判事は「経済犯を裁くのに闇はできない」と食事は闇米は食べず、配給だけで賄う生活だった。配給食料の大半も子どもらに与え、1947年8月に栄養失調で倒れた後、同年10月死亡しました。

 

花岡が桂場に向かって言ったセリフ、「人としての正しさと司法としての正しさがここまで乖離していくとは思いませんでした」が彼の裁判官としての信念を語っていたのでした。

山口判事も、「食管法は悪法だ」しかし「自分はどれほど苦しくともヤミの買い出しなんかは絶対にしない」と日記に書いていたそうです。

 

世の中には、国会議員がゴリ押しで成立させた「悪法」もたくさんあります。

そのような「悪法」について、私たち弁護士は、時には憲法違反を主張したり、法の趣旨や解釈などから適用場面を制限したりなどして闘ってきました。

 

働き始めたばかりの主人公寅子が今後このような法律をどのように扱っていくのか、楽しみです。

 

ちなみに、山口判事は、京都帝国大学法学部出身で、モデルの三淵嘉子さんとは大学も異なり、ドラマのような関係ではなかったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラマでヒロイン寅子(ともこ)は、初の女性弁護士になった後、結婚し、妊娠しました。

モデルの三淵嘉子さんが出産したのは1943(昭和18)年のことでした。

 

妊娠中、依頼されていた講演会を前に過労で倒れてしまった寅子に対し、寅子を法律の世界へ誘った恩師である穂高教授は、当面は母としての務めを優先すべきで弁護士を辞めるよう助言しました。それに対し、寅子はここで止まっては後進の女性達の道が途絶えることになると反論しましたが、穂高は「世の中、そう簡単には変わらんよ」と言い放ちました。寅子は「私たちに世の中を変える力があると信じてくださったのではないですか」と詰め寄りました。

 

穂高教授のこのような発言は、寅子の身体を気遣ってのことだったかもしれませんが、穂高が女性の法律家に理解がある温厚で理性的な人柄であっただけに、視聴者としてはショックでした。

 

実は、法律家をめざす女性に対して「家庭に帰れ」とする「圧力」は、この後もずっと続いていました。

 

それが国会でも取り上げられて大きな社会問題となったのが、1976(昭和51)年の30期女性司法修習生に対する裁判官教官による差別発言でした。

私が修習生になる数年前の出来事でした。

 

研修所の事務局長(裁判官)や裁判教官らは、公式旅行の懇親会の2次会や交通機関の中、教官宅訪問などの場で、女性修習生に対し、次のような発言を行いました。

「男が生命をかけている司法界に女を入れることは許さない」

「女が裁判するのは適さない」

「2年たって修習を終えたら、判検事や弁護士になろうなんて思わないで、修習で得た能力を家庭に入ってくさらせて子どものために使えば、ここにいる男の人よりもっと優秀な子どもができるでしょう」

「日本民族の伝統を継承して行くことは大切なことだと思いませんか。女性には家庭に入って子どもを育てるという役割がある」

「教官はこういうことも教えてくれるからいいですね」などなど・・・

 

当時、日本弁護士連合会の小委員会は、「とくに裁判官の身分を有する教官らの個人的発想により偶然に同時期に一致してなされたものとは思われない。それは最高裁判所の監督下にある司法研修所の女性法曹を排除しようとする基本的な教育方針の一環として行われたものと考えざるを得ない」と結論づけました。

 

その後も、女性はなかなか裁判官や検察官に任官できない時代も続きました。

弁護士の世界でも、「女性を雇う事務所なんかない」などと言い放つような弁護士もおり、女性の就職は厳しいものがありました。

(実は、「はて?」過去形で書いていいのかな?と思っています)

 

三淵さんが裁判所を退官されたのは1979(昭和54)年。ですから、司法研修所での女性差別発言が問題となった頃は、まだ裁判官在職中でした。研修所での男性裁判官のこれらの発言をどのように感じておられたのでしょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

佐渡、金北山(きんぽくさん)大縦走

今年5月のGWは、佐渡島の金北山(きんぽくざん、1172m)大縦走に挑んだ。

金北山は日本三百名山の1座で、数年前に、田中陽希さんの「日本三百名山一筆書き」をテレビで観て、日本海を遠望しながらの大縦走に感動し、是非私も歩いてみたいと思った。

 

2年前の2022年5月、山仲間と一緒に登ったものの、身体ごと飛ばされそうな風雨により途中で断念しエスケープ。今回は同じメンバーでの再チャレンジだった。

 

出発前、佐渡島が今年の能登半島地震の活断層の延長線上に位置すると言われ、少しドキドキしながらの旅だった。

 

大縦走は5月5日。天気は快晴。新潟県は30度を超える真夏日予報。

ドンデン山荘から舗装道路を歩いた後、いよいよ金北山縦走路に入る。

金北山大縦走の開始だ。

 

 

すぐに、カタクリやシラネアオイなどの花々と出会う。「花の百名山」だけあって、登山道脇にはたくさんの高山植物が咲き乱れている。

 

かたくり

 

シラネアオイ

 

シラネアオイの花は大きい

 

アオネバ十字路まで下り、そこから「マトネ」までは急坂を登る。マトネの眺望も良好。今日は日本海も見える。

 

マトネからは、縦走路のアップダウンが始まる。木々の間を歩く時は、時々、道の両脇にカタクリがたくさん咲いており、癒やしてくれる。

 

 

また、木々のない見晴らしの良い場所では、両側に日本海、そして正面には目指す金北山を望むことができる。まさに絶景!

 

 

しかし、とにかく暑い。風も吹かない。持って来た水もぬるいし、足りない。

昼食を食べるための日陰もあまりない。「天狗の休場」にも日陰はなかったが、風の通り道になっているようで、そこで昼食。でも、暑さのためか、珍しくあまり食欲がない。弁当を少し残してしまった。昼食後少し仮眠。

 

昼食後、先は、いよいよ急坂になる。仮眠したせいか、元気が回復し、快調に歩く。でも、暑い。

 

山頂に近づくにつれ、登山道のあちこちに残雪があったり、雪解け水が流れている。

そして、雪渓の壁をよじ登り、雪渓斜面をおそるおそる歩いた後、ようやく山頂に到着。

 

 

 

金北山山頂には神社があり、多くの登山者が休んでいた。山頂からの景色も、もちろん絶景。東北の山々も遠く霞んで見える。言うことなし。

 

実は、金北山は国の所有で、山頂には自衛隊のレーダーが設置されていたが、近くの山に移動された。神社の横には自衛隊の建物が残っている。

 

 

 

 

山頂で、十分、眺望を楽しんだ後、白雲台まで防衛省管理道路を下った。

 

やっと天気に恵まれ、快適な大縦走を果たすことができた。

 

佐渡島には害獣がいないため、高山植物の宝庫である。

佐渡島を訪れるのは今回で4度目になるので、もう来ないかなと思っていた。でも、タクシーの運転手さんの話によると、花の綺麗ないくつかの登山ルートもあるということで、また、訪れてみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、朝ドラ通のA弁護士から「ドラマ『虎と翼』に出てくる東京地裁は、どこかわかる?」と聞かれ、私もどこで撮影しているのかな?と気になっていたので、教えてもらった。

 

現在の名古屋市市政資料館とのこと。

 

そんな折り、ドラマの「東京地裁」のロケ地のことが2024年4月22日付け毎日新聞夕刊1面で大きく取り上げられていた。

記事によると、名古屋市市政資料館は、1922(昭和11)~79(昭和54)年までは名古屋高裁・地裁として実際に使われていた。

そして「虎と翼」のモデル三淵嘉子さんも女性初の裁判官として1952(昭和27)~56(昭和31)年まで当時の名古屋地裁で勤務していた。

 

ちなみに、ドラマの大学校舎は市役所本庁舎が活用されているとのこと。

 

名古屋市市政資料館には行ったことがない。公開されており入館料は無料とのこと。

名古屋に行く機会があれば、寄ってみるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年4月から始まったNHK朝ドラ「虎に翼」は、日本初の女性弁護士の一人である三淵嘉子さん(1914~1984年)をモデルにしている。

昨年秋の日本弁護士連合会の人権シンポジュウムでも紹介され、普段、朝ドラはあまり観ないという弁護士も、今回は観ている人が多いようだ。

私もビデオに録画したりして毎日観ている。そこで、弁護士という仕事に携わっている者として、ドラマをより楽しんでいただくため、ドラマの場面で気がついたことについてこのブログで少し補足していこうかなと思っている。

 

「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」のように、主人公の猪爪寅子(いのつめともこ)が頻繁に発する言葉は「はて?」。その言葉に象徴されるとおり、当時は女性の1番の幸せが結婚であり、女性が法的には「無能力者」として扱われていた時代であった。

 

ドラマ第2週の中で、大学女子部法科の学生となった寅子や同級生らが裁判を傍聴しに行った場面があった。

別訴で離婚裁判が係属中の妻が、夫に対し、母の形見の着物等の引渡を求めた裁判。当時の法律では妻の財産も夫が管理するとなっており、夫側は離婚がまだ成立していないのだから返還しないと主張した。

判決は、妻の勝訴。夫が妻の財産を管理することを規定しているのは、夫婦生活の平和の維持や妻の財産の保護が目的であると説明。その上で、夫婦が破綻している状況で、妻の形見の品や日常生活に必要な品の返還請求を夫が拒絶することは「権利の濫用」であると判断した。

 

この「権利の濫用」については、現在では、民法1条3項に「権利の濫用は、これを許さない」と定めがある。

 

実は、旧民法下、わが国では、既に明治34年に大審院(今の最高裁判所にあたる)が「権利の濫用」を認めた判決を下している。

事案は、家の長である「戸主」が家族に対し居所を指定し、家族がその命令に従わなければ離籍することができるという法律(旧民法749条)の下で、戸主が、子どもと一緒に都会に住む未亡人の嫁に対し、田舎の自分と一緒に住めと言う。嫁が従わないと離籍され、子の親権を失い、遺族扶助料ももらえなくなる。

これに対し、大審院は、戸主権の濫用であって離籍は効果を生じないと判示したのであった。

しかし、その後も同様の事例が多かったので、昭和16年に民法が改正され、戸主が離籍するのはあらかじめ裁判所の許可が必要とされたようである。

 

このように、法律というのは、現在もそうですが、単に書かれた言葉をそのままあてはめるのではなく、立法理由や法の趣旨あるいは時代の変化などによって解釈が変わることもあるのです。

 

 

新入社員の服装

2024年4月2日付け毎日新聞夕刊で、日立製作所が入社式でのドレスコード(服装規定)を自由にしたものの、大半の新入社員は、黒やグレー、紺色のスーツ姿だったという記事が掲載されていた。

 

新入社員が黒色や紺色のリクルートスーツを着用し始めたのは、いつ頃からなんだろう。

なぜ、皆、一様にリクルートスーツを着始めたんだろう。

法曹界でも、おそらく10年以上前から、司法修習生や新人弁護士は、皆、一様にリクルートスーツ姿だ。

私が司法修習生になった、もう40数年前の当時の女性修習生の集合写真を見ると、皆、カラフルな色のスーツやワンピースなどの装いで写っている。

だから、リクルートスーツは余計に違和感を覚える。司法研修所から服装について何か指示されているのだろうか。

 

個性や多様性が尊重される現代社会。

新入社員ももっと自由な服装でいいのではないかしらね。

司法修習生も、せめて法律事務所での弁護修習の時くらい、リクルートスーツでない服装で来ていいからね。

 

 

 

映画「ゴジラー1.0」を観て来ました

幼い頃に、怪獣映画を劇場に観に連れて行ってもらったことはあるが、「ゴジラ」映画については、これまで何作も作られているようだが、おそらくテレビでしか観たことがなかった。

 

今回の「ゴジラ-1.0」も、昨年11月から公開されていたようだが、およそ劇場に出向いて観るつもりはなかった。

しかし、アジアで初めてアカデミー賞の視覚効果賞を受賞し、その制作費がハリウッド映画の1/10~1/20だったことを知って、すぐに、絶対に、劇場の大画面で観ようと決めた。

 

全く予備知識なしで観た。

時代設定が敗戦直後の日本で、朝ドラ「らんまん」の夫婦役2人の俳優が登場したのも意外だったが、やはりゴジラ登場場面等の迫力には圧倒された。

 

あとでネットで映画評を読むと、「シン・ゴジラ」の方が良かったという意見もあったので、再度、テレビで「シン・ゴジラ」も観た。でも、ゴジラのリアルさは「-1.0」の方が格段に上だったし、「シン・ゴジラ」は政府側や自衛隊とゴジラとの闘いが中心だったのに比べ、「-1.0」は民間人が中心の人間ドラマになっていたことがより感動的だった。

 

いやあ、観に行って良かった!面白かった!

 

今朝の京都市内

もう3月下旬なのに、早朝、雪が降っていて、ビックリです。

 

 

 

 

 

 

書店が好き、紙の本が好き

また1つ書店がなくなる・・・2024年3月15日付け京都新聞朝刊には、1968年に創業し、ラクト開業に併せてオープンした「山科書店ラクト店」が3月31日で閉店するとの報道が掲載されていた。

 

2022年調査で、書店のない町村は、全国で47%、2023年1~10月は550店が閉店したという。

近年は、書店に足を運ばなくても、ネットで注文すればスピーディに本が届き、また電子書籍はスマホでも読むことができ、更には、朗読してくれるというオーディオブックもある。

書店が閉店に追い込まれるはずだが、なんとも寂しい。

 

それでも、私は書店が好きで、紙の本が好きである。

 

街を歩いて書店を見つけると、必ずと言っていいほど立ち寄る。

さまざまなジャンルの本があるので、興味があるものを見つければ立ち読みもできる。また、読むか読まないか迷うような本は目次や内容をペラペラ眺めないと判断できないこともある。書店で見つけて「面白そう」と思って購入することもある。

書店の中をグルグル回って過ごす時間は、私にとってはささやかな幸福な時間だ。

 

紙の本については、数ヶ月前に読んだ「世界でいちばん透きとおった物語」のように絶対に紙の本でなければ読めない、紙の本だから面白いものもある。

 

滋賀県在住の直木賞作家今村翔吾さんが全国各地の書店を応援行脚されている。

私も書店を応援していきたい。

 

 

 

 

 

 

レターパックの追跡シールを剥がし忘れた!

最近は、普通郵便の土曜配達がなくなり、普通郵便の到着に結構、時間がかかる。

それに引き換え、レターパックは、値段は高めだが、土曜日でも配達があり、番号によって到着の確認もでき、重要書類を送る場合には便利である。

 

先週、青のレターパックを郵便ポストに投函した際、追跡番号が書いてあるシールをはがすのを忘れてしまった。投函後すぐに気がつき、その郵便ポストのある特定郵便局に申し出たが、ポスト自体を管理していないので、直接、集配局である中京郵便局に連絡してということだった。

 

事務所に帰って、事務員さんたちにそのことを話すと、「追跡できないだけで、大丈夫ですよ」と言われた。

最初は「大丈夫よね」と思ったが、割と心配性の私は、次第に不安になってきた。

それで思い切って、中京郵便局に電話をしてみた。

 

担当の方が丁寧に応対してくれた。

担当者からは、差出人の名前、宛て先、投函ポストの場所、投函時間を尋ねられ、集荷が帰って来たら番号を調べて電話すると言われた。

約2時間後、担当者の方から電話があり、私がはがし忘れたシールの番号を教えてもらうことができた。

 

もしシールをはがし忘れた時には、参考にしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

NHKBS1ドラマ「舟を編む」が面白い

先日、同期の元裁判官や京都新聞社を退職した知人らと夕食を共にした時、現在、NHKBS1で放映中のドラマ「舟を編む」が「イイ!」という話題が出た。

 

辞書作りの話ということだったが、私は、全く知らなかったので、2月25日の第3話を観た。

いやあ~ホント、実に面白く、興味深い。

 

原作は、直木賞作家三浦しおんの小説で、2012年に本屋大賞に選ばれている。

また、翌2013年には松田龍平主演で映画化もされており、日本アカデミー賞6部門を受賞している。

更にアニメにもなっているという。

 

「辞書は言葉の大海を渡るための舟」

10年以上という途方もない年月と情熱をかけて「大渡海」という1冊の辞書を作る編集者の人間模様を描く。

 

実は、私は、先日、持っていた2000年代初めに出版された辞書「広辞苑」を捨てたばかりだった。最近はネットで簡単に用語の検索もできるので捨ててしまったのであるが、1冊の辞書を作るのに、どのような語釈にするのか、どのような新しい言葉を入れるのか等々、想像を絶するような考量や作業を経て編集・出版されていることをあらためて認識した。

 

皆さんは、「右」とは?「北」とは?、あるいは「恋愛」とは?って、わかりやすく説明できますか?

 

今回、初めてテレビドラマ化されたとのことで、あと7話(全10話)続く。

 

映画の方は、友人宅のテレビで見せてもらった。

原作の小説も読みたい。

 

そして何より新しい辞書を買ってみようと思った。

 

 

 

 

 

昨日2月9日が日本弁護士連合会の会長選挙だった。

そして今朝の朝刊各紙では、日弁連に初の女性会長が誕生したと一斉に報道された。

 

1949年設立以来、日弁連で初めて女性会長が誕生したことは、遅きに失した感もあるが、間違いなく長い歴史の中で特筆すべきことである。また、法曹三者(弁護士・検察官・裁判官)においても女性がトップに立つのは初めてである。

 

昨年11月16日、渕上さんが自身の政策を訴えに来京された折り、私も政策を聴く会に参加し、初めてお目にかかった。

その時は、勿論まだ能登半島地震は発生していなかったが、阪神大震災や東日本大震災などの大規模地震の際に弁護士を現地派遣し被災者に対する相談窓口を設置したりしたことなどの経験を語られた。その意味で、今後、弁護士が能登半島大地震に関わっていく先頭に立たれることだろうと思う。 

また、日弁連会長として掲げる目標の1つが選択的夫婦別姓制度だ。一部の保守国会議員の根強い反対によって制度がいつまでも変わらないが、是非とも実現したい。

 

折しも、2024年春から放映されるNHKの朝ドラ「虎に翼」は、日本初の女性弁護士で後に裁判官となった三淵嘉子さんがモデルである。

私たち女性弁護士が男女共同参画の大きな牽引役を果たすことができれば、と思う。

 

 

 

 

2023年3月3日と同月13日の2回、当ブログで映画「生きる」をご紹介しました

先日、この映画が第78回毎日映画コンクールでドキュメンタリー映画賞を受賞したという嬉しい知らせが、同期の友人で、この映画にも登場している仙台の吉岡弁護士からメールにより報告がありました。

 

映画「生きる」は、2011年3月11日東日本大震災が発生した日に、宮城県石巻市大川小学校の児童74名がすぐ側に裏山があったにもかかわらず校庭で約51分待たされた挙げ句、70名の命が失われ、4名の児童が行方不明となった事件の、裁判を闘った遺族らのドキュメンタリーです。なぜ、子どもたちは死ななければならなかったのか・・・親らと代理人弁護士2人の姿を追いました。

 

京都では、2023年3月上映されました。

 

毎日映画コンクールの選考委員からは、「記録に残された息遣いから感じられる親たちの悲痛な叫びと、なんとしても真実を明らかにするのだという執念が胸をつく。圧倒的不利と言われた裁判で画期的な勝利をつかんだ過程も貴重な記録だ。映画として、広く後世に伝え続けていくべき、意義のある作品だ」と受賞の講評がなされています。

 

再上映があれば、是非、ご覧ください。

 

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