1. 2022年5月

2022年5月アーカイブ

快晴の土曜日の5月28日。

京都弁護士会主催の春のレクリエーションで、雪彦山(兵庫県)に登って来ました。

コロナ禍で2020年・2021年は中止となったので、3年ぶりの春のレクでした。

 

参加は、弁護士5名(事務所からは金杉弁護士も参加)・事務員さん2名の計7名。

実は、雪彦山は、岩登りでも有名な山で、「危険なのでやめておく」と最初から申し込まなかった人や途中で申し込みを取りやめた人もいたようです。

 

雪彦山は、弥彦山(新潟県)・英彦山(福岡県)と共に、日本三彦三の1つです。

今は、大天井岳(おおてんじょうだけ)・三角点雪彦山(三辻山=みつつじやま)・鉾立山(ほこだてやま)の3つを総称して「雪彦山」と呼ぶそうです。

 

登山道は、最初から急登で始まります。

 

 

展望岩からは、最初に登る、岩肌を剥き出しにしてそびえる大天井岳が間近に見えました。

 

 

登山道には巨岩が迫り、鎖やロープが張ってある岩場が何カ所かありました。

 

 

太った人は通れない(?)セリ岩(巻き道がありますから大丈夫)。

 

 

変化に富んだ岩場登りを終えると、大天井岳(884m)に到着しました。

山頂からは素晴らしい展望が広がっていました。ここで昼食。

 

A弁護士が作ってきた看板。

 

 

大天井岳からは少しアップダウンを繰り返して、二等三角点のある三角点雪彦山(三辻山。915m)と鉾立山(950m)へ。

 

 

 

 

鉾立山からは、ひたすら下って、最後は、滝もある川沿いを下りました。

出発する時、A弁護士が「下山は川沿いだからヒルがいるかも」と言ったので、金杉弁護士が持参していたヒル除けスプレーをかけてもらいましたが、幸い、ヒルにお目にかかることはありませんでした。

 

天候にも恵まれ、変化に富んだ岩場登りもあり、とても楽しい山行きでした。

 

 

バラの庭

元京都弁護士会に所属されていた友人Sさんから「庭のバラが満開だから」とお誘いを受けたので、5月22日(日)、Y弁護士と一緒に初めてSさん宅を訪問した。

Sさんとは久しぶりの再会。

 

白い壁の邸宅にバラのアーチやアイアン製の飾りもあって、まるでイングリッシュガーデンのよう。

バラの種類も多く、またバラ以外にもたくさんの花々が咲いており、手入れの行き届いている本当に美しい庭だった。

 

 

 

 

 

 

バラを楽しんだ後は、3人でおしゃべり。久しぶりで話がはずむ。

でも、弁護士というより、オバサン会話。

楽しいひとときでした。

 

Sさん宅から帰り、午後4時に鴨川へ。

京都弁護士会の公害・環境問題委員会の皆さんと一緒にゴミ拾いに参加(私は2回目)。

今回は修習生も多数参加し、ゴミも一杯収拾した。

 

 

 

 

民事裁判などを全面IT化する内容の民事訴訟法改正が2022年5月18日成立しました。

 

今回の主な改正は、これまで紙の書面や対面でのやりとりで行われてきた民事裁判について、記録は原則電子データ化され、提訴から判決までの手続をオンライン上でできるようにするという内容です。

これは、訴訟の流れをオンラインやペーパーレスにして、裁判を効率化・迅速化し、利用しやすくすることが目的とされています。

 

オンラインでのやりとりは、弁護士らは義務化されます。

弁護士をつけない本人訴訟は、現在、民事裁判の約半数を占めますが、この場合には、従来どおりの紙での運用も認められます。

 

これまで法廷で行われてきた審理もウェブ会議で参加できるようになります。

また、双方当事者が同意をすれば、6ヶ月以内に審理を終え、その後1ヶ月で判決をだす制度もできます。

 

憲法が定める「裁判の公開」の原則については、法廷にモニター画面を置き、傍聴者が裁判の審理などを見られるようにする見通しと言われています。

 

性犯罪やDVを受けた被害者が提訴する場合には、安全確保のため、訴状に住所や氏名を記載しなくてもよいという秘匿制度も創設されました。

 

しかし、課題もあります。

 

IT化が進めば進むほど、情報漏えいなどセキュリティー上の脅威は深刻化します。

 

証人尋問や調停で、当事者や弁護士以外の人がカメラに映らない場所から助言や指示をする恐れも考えられます。

また調停や和解などは、調停委員や裁判官に対する信頼ができていく中で成立することも少なくありませんが、はたして、対面でなく、画面上で信頼関係を築くことができるかどうか懸念されるところです。

 

裁判官も果たしてモニターを通して適切に心証が取れるでしょうか。

 

更に、誰もがITに精通しているわけではなく、不慣れな高齢者などへの支援も不可欠です。

 

改正法は、2025年度までに順次施行されていく予定です。

 

 

 

 

 

 

米統治下発行「琉球切手」

米統治下の沖縄で発行された「琉球切手」を本土復帰から50年を機に知ってもらおうと、発行元の日本郵便沖縄支社(那覇市)は、今夏、自社で保管する246種類を初めて一般公開する(2022年5月13日付け読売新聞夕刊)。8月16~21日、県立博物館・美術館(那覇市)での企画展で公開される。

 

記事によると、当時の沖縄は、1946年7月に郵便法が制定され、戦前の日本切手の使用が禁止され、独自の切手が必要となった。

このため、沖縄民政府や、その後、発足した琉球政府の郵政庁などが1948年7月から1972年4月にかけて、248種類の琉球切手を発行した。

琉球切手は国内外の愛好家の人気が高く、復帰決定後はすぐに売り切れたという。

 

私は、この「琉球切手」を数枚持っている。

 

私が幼い頃は、まだ、切手収集を趣味とする人も少なくなく、おそらく私の父もその1人だった。私は父から切手帳をもらい、趣味というほどではなかったが、旅先などで気に入った切手があれば購入し、その切手帳に足していった。

その切手帳の中に、なぜか「琉球切手」が11枚だけ入っており、眺めて楽しむことはあっても、恥ずかしながら沖縄の歴史に思いを馳せることはなかった。

父にもどうやって入手したのか尋ねたことはなかった。

「琉球切手」から、あらためて沖縄の郵政史を知りたくなった。

 

 

更に、記事によると、琉球切手は現在も、切手愛好家の間で根強い人気を集めているとのこと。

琉球切手の図案には地元から多くの画家や写真家が携わっており、質が高く、郷土の懐かしさと異国情緒が混じり、独特の美しさがあるという。

 

なんか「お宝」を発見したようで、ちむどんどんする~

 

なお、1972年に発行された沖縄復帰記念の切手も持っている。

 

 

「ガンになった緩和ケア医」関本剛医師、死去

ちょうど1年前のこのブログ(2021年5月3日付け)で、「ガンになった緩和ケア医」関本剛医師のことを書いた。

その関本医師が2022年4月19日亡くなったことをヤフーニュースで知った。

 

昨年5月3日、憲法記念日記念行事として兵庫県弁護士会が関本医師の「ガンになった緩和ケア医が語る命、家族、仕事」という講演会をZOOMで開催した。

ZOOMが苦手な私だが、この時だけはZOOMで聴取できたことを有り難いと思った。

 

昨年5月3日のブログでも紹介したが、緩和ケアの第一人者である関本医師は、2019年10月、43歳の時に自身がステージ4の肺がんであるとの診断を受けた。

葛藤しつつも、命ある限り仕事と生きることを全力で全うしようと決め、その後、脳にも転移していることがわかったが、緩和ケアのクリニックでガン患者に寄り添う毎日を送った。

 

講演で関本医師は、末期がん宣告という葛藤を乗り越えて決意を新たにされた経緯や必ず訪れる死までの準備についてなど淡々と語られたが、2020年に同じく末期がんで家族を亡くした私は、涙なくして聴けなかった。

 

講演会から1年。あまり早すぎる死。奇跡が起こらなかったことが無念である。

関本医師の生き様は、きっと何らかの形で出版されるだろうと思う。

安らかに。

合掌。

 

 

 

 

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