プラスチックによる海洋汚染が深刻な問題となっている。
世界で危機感が強まり、今年6月のG7先進7カ国会議では議題の1つとして取り上げられた。
プラスチックは、熱が加えられたり、太陽の光があたったりすると、もろく砕けやすくなるが、分解されてなくなることは決してない。
小さなプラスチックは、魚・貝などの海洋生物が餌と間違えて食べてしまい、それら生物体の中でプラスチックの有害物質が溶けだし、その魚をまた私たち人間が食べる
今年6月、タイ南部の運河で死んだ鯨を解剖したら、胃から80枚以上のプラスチック袋が出てきたそうである。
実に、恐ろしい話だ。
先日、プラスチックを使用しない生活をしてみようという実験をした人が書いた文を読んだ。
でも、スーパーで売られている商品は、野菜に至るまで、ことごとくプラスチックによって包装され、その実験はアッという間に頓挫したそうである。
私たちの周りには、プラスチック製品があふれている。
せいぜい私たちが出来ることと言えば、できるだけプラスチック製品を買わないこと。
例えば、安易にペットボトルを買わない。レジ袋はもらわない。冷凍食品・レトルト食品は買わない。
でも、1人1人の努力では、もう追いつかないところまで来ている。
ところが、G7サミットでは、日本とアメリカは、使用するプラスチック製品の具体的な削減量を盛り込んだ「海洋プラスチック憲章」を承認しなかった。
企業がプラスチックを作らない、使わないことが必要。
「すかいらーく」や「スターバックス」などは、プラ製ストローをやめて紙製にすると発表した。
企業努力だけに任せるのではなく、国が規制する法律を早急に作ることが何よりも求められている。
自分のこととして、プラスチック汚染に関心を持って行きたい。
2018年8月アーカイブ
私にとっての今年の夏山登山のメインイベントは、8月10日~13日の後立山(うしろたてやま)縦走だった。
五竜岳(2814M)~鹿島槍ヶ岳(2889M)~爺ケ岳(2670M)を山小屋3泊の4日間で歩いた。
五竜岳と鹿島槍ヶ岳は、日本百名山で、このコースは、約20年前に歩いたことがあった。
その時は、山小屋2泊という記録が残っていたので、今回も2泊で行けるかなあと淡い期待を持って出かけた。
8月の第1週は台風13号が日本に接近し、長野県に直撃することがないことはわかっていたが、その影響が心配だった。
五竜岳には、白馬八方スキー場からゴンドラに乗って上がり、八方尾根を登り唐松岳を経るコースと、白馬五竜スキー場からテレキャビンに乗って上がり、遠見尾根を登るコースがある。
以前は八方尾根を登ったので、今回は初めて遠見(とおみ)尾根を登ることにした。
8月10日、天候は曇り。
テレキャビンと展望リフトに乗って遠見尾根の登山口へ。
ガスがかかって、展望はなし。
小遠見、中遠見、大遠見、西遠見を経て、灌木帯の登山道に出る。
やっと北アルプスに来たという景色だ。
山には雪渓が残り、ガスで五竜岳は隠れて見えないが、五竜岳の直下にある五竜山荘は、時折、見え隠れする。
五竜山荘の手前の白岳に続く登山道。
この日は、五竜山荘まで。
8月11日
朝から霧雨で、レインウエアを着て雨用装備で、五竜岳に向かう。
小屋を出れば、すぐに五竜岳の登りとなる。
山頂に到着しても、風雨の中、何も見えず、写真だけ撮ってすぐに鹿島槍ヶ岳に向かう。
五竜岳からキレット小屋までは、いくつか岩場・鎖場・ザレ場・ガレ場の難所があり、しかも登山道の石や岩が雨に濡れて滑りやすくなっているので、より一層慎重に歩く。気が抜けない。
霧雨は、降ったり止んだり・・・相変わらず展望なし。
だが、口の沢のコルという鞍部に近づいた頃、ようやく雨が上がり、太陽が照ってきた。
口の沢のコルで、ゆっくり昼食を食べながら、濡れたレインウエアやスパッツなどを干して乾かす。
記録によると、約20年前は、1日約9時間程かけて、五竜山荘からキレット小屋を経て、鹿島槍ヶ岳に登り、その先の冷池(つべたいけ)山荘まで歩いたが、今は、歩き始めると、そんな体力がないことを自覚。
この日は、キレット小屋泊まりにすることにしたので、口の沢のコルでゆっくりと時間をつぶした。
そして、まもなく、キレット小屋に着いた。
キレット小屋は、鹿島槍ヶ岳北峰から約420m切れ落ちた鞍部にある。
そして、小屋の目の前(写真向かって右側の崖)には、日本三大キレットの1つ「八峰キレット」がある。
キレットとは、「切戸」と書き、山と山とをつなぐ尾根が鋭く切りたっている場所を言う。
「大キレット」「不帰キレット」「八峰キレット」を日本三大キレットと呼ぶ。
これまで日本三大キレットはどれも歩いたことがあるが、私にとっては、だから「怖くない」とか「慣れる」ということはない。
八峰キレットを下りてきた登山客が「今まで一番怖かった」などと話しているのを小耳にはさむと、明日のキレットの上りになんとなく不安を感じてしまう。
小屋は、お盆前の土曜日の割には空いており、割り当てられたブースには登山客は2組だけで、ゆったり眠ることができた。
8月12日
雨は上がったが、相変わらずガスがかかり、展望はあまりない。
小屋を出て、すぐに八峰キレットにとりつく。
いくつかの鎖場や岩場を気を引き締めて登る。
キレットが終わっても、鹿島槍ヶ岳北峰への長い急坂はまだまだ続く。
鹿島槍ヶ岳北峰、そして吊尾根を経て、鹿島槍ヶ岳山頂へ。
雨は降っていないが、あいかわらずガスで展望なし。
ここも写真を撮って、早々に下山する。
鹿島槍ヶ岳を超えると、登山道は、なだらかになる。
冷池山荘に到着。
冷池山荘で昼食をとった後、爺ケ岳を経て、今日の宿泊場所の種池山荘へ。
8月13日朝、種池山荘から扇沢まで下山する。
台風の影響か、ずっとガスがかかりっぱなしで、北アルプスの雄大な景色を堪能することはできなかった。
約20年前は、若さのせいか、五竜岳から鹿島槍ヶ岳への行程がこれほど厳しいものとは思わなかった。正直、疲れた。
帰宅すると、数日は足がパンパンに腫れて、歩くと足に痛みが残った。
足の痛みだけが、「北アルプスを歩いた!」という実感を与えてくれた。
なお、私が八峰キレットを登った同じ8月12日に、鹿島槍ヶ岳から八峰キレットへの下山中の女性の滑落事故があり、数日後、死亡が確認された。
やはり山は怖いとあらためて思った。
2018年8月8日、テレビのテロップで、沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事の突然の訃報が報じられた。
5月に自身が膵臓癌であることを公表し、それでも知事としての公務を続け、7月には、辺野古埋め立て承認撤回を表明した。
テレビに映ったその時の姿は、それまでのように毅然とされてはいたものの、ひどく痩せて痛々しいものを感じた。
翁長氏は、自民党沖縄県連幹事長を務めるなど、もともとは保守であった。
ただ、幼少より、基地をめぐる県民の対立に疑問を持ち続けていたという。
自民党の那覇市議、沖縄県議を経て、2000年12月から2014年10月まで那覇市長を務める。
転機となったのは、旧日本軍による集団自決の強制を否定した教科書検定問題。2007年9月、保守も革新も一丸となった県民大会が開かれ、翁長氏は反対運動の先頭に立った。
そして、2014年11月、「辺野古基地ノー」の圧倒的な民意に寄り添う決断を下し、約10万票の大差で圧勝し、史上初の「オール沖縄」県政が成立した。
2014年12月10日知事就任式の時の言葉。
「戦後、自分が持ってきたわけでもない基地をはさんで保守だ、革新だと県民同士がいがみあってきた。基地問題を解決しないと、沖縄が21世紀に向かってしっかり羽ばたけない。これが私の思いだ」
それ以降は、安倍政権に一歩も引かず、あらゆる権限を行使して闘い続けてきた。
そして、それは自身が重篤な病にむしばまれても続けられた。
本当に命をかけて民意を貫いた政治家だった。
翁長氏のような人こそ、沖縄の歴史に残る本物の政治家だと思う。