1. 2016年11月

2016年11月アーカイブ

嵐山の絶景の寺、大悲閣「千光寺」

 
長年、京都に住んでいても、まだ訪れたことがない場所はたくさんある。
嵐山の「千光寺」もその1つ。
 
「千光寺」は、嵐山の山の中腹にある寺で、そこからの眺めが絶景であることをテレビで観て知った。
今、嵐山は、紅葉シーズンで、たくさんの観光客が押し寄せている。
そんな人混みの中に出かけるのにはやや躊躇を覚えたが、できれば紅葉の嵐山をそこから見たいという思いが強くなり、11月26日土曜の快晴の朝、嵐山に出かけた。
 
阪急嵐山線の電車は、想像どおり、ほぼ満員状態で、午前9時前に嵐山駅に着いた。
しかし、ほとんどの乗客は、渡月橋方面に向かい、保津川の右岸を歩く人はまばら。
舗装された川岸の道をどんどん遡っていく。
保津川には観光船やボートが浮かび、左岸は太陽の光を浴びて、紅葉の赤がまぶしい。
嵐山だと言うのに、人の喧噪がなく、ゆっくり景色を楽しむことができるのがいい。
 
1キロほど歩くと、あのリゾートホテル「星のや」があり、その右横から千光寺のつづら折りの石段が始まった。
そのつづら折りの石段をどんどん登っていく。
今朝は冷え込んでいたが、石段を登っていると、さすがに暑く、うっすらと汗ばんできた。
 
石段を登り詰めた所に、千光寺の門があった。
 

 
入山料は400円と書いてあったが、受付の人がいるわけでもなく、台の上にお金を入れるケースが置いてあるだけだった。
入山者は、まだ少ない。
 
千光寺は、角倉了以(すみのくらりょうい、1554-1614)が河川開発工事に協力した人々の菩提を弔うため、嵯峨中院にあった、千光寺の名跡を移して創建したものとのこと。
 
寺には、角倉了以の像もある。
 

 
そして、展望所からは、眼下の保津川や嵐山はもとより、比叡山や大文字山まで見渡せる、まさに絶景!
 

 
寺には、鐘突堂もあり、1人3回まで突けると書いてあったので、もちろん3回突いた。
 
午前11時半には帰宅。
穴場の絶景を堪能できた土曜の朝だった。
 

 
4回目の参加となったマクロビ料理教室「Angel Kitchen」。
大学時代の下宿の管理人さんの娘さんAちゃん(当時、小学生)が先生。
 
今回は、「秋の実りのごはんレッスン」。
秋らしいメニューが山盛り。
ご飯からスープ、スイーツまでフルメニューだが、砂糖や肉、乳製品は使わず、最近流行のグルテンフリーの食材も取り入れ、しかも秋色満載。
 
参加者は5名。もう皆すっかり、お馴染みさんになった。
 
メニューは
・秋の実りごはん
・柿としめじの白和え
・白菜のクリーム煮
・玄米ビーフンの春巻き
・かぼちゃのそぼろあんかけ
・焼き&揚げかりんとう
 
たくさんのメニューだったが、Aちゃん先生が既に具材を切って準備されていたので、時間短縮できた。
 
 

 

 
以下は、簡単なコメント。
 
・秋の実りごはん
玄米の炊き込みごはんを圧力鍋で作る。
私も、以前、玄米を圧力鍋で炊いてみたことがあるが、芯が残ってしまった。
もちろん圧力鍋の素材によっても異なるが、再度、炊き方を習う。
具材の里芋がホクホク。
 
・柿としめじの白合え
砂糖は使わず、白味噌で味付け。
あとは柿の甘さで十分。
 
・白菜のクリーム煮
水を使わず蒸し煮にした、豆乳スープ。
帰宅して、早速、夕食に作ってみた。
 
・玄米ビーフンの春巻き
玄米ビーフンなるものを初めて知る。
玄米が苦手な人でも食べやすい。
春巻き作りは初体験。
揚げるというより、焼き揚げという感じで、油も少な目でヘルシー。
 
・かぼちゃのそぼろあんかけ
かぼちゃの味付けにも砂糖なし。でも、甘~い!
そぼろも、ひき肉は使わず、ベジミートという大豆たんぱく質を使用。
 
・焼き&揚げかりんとう
オーブンで焼いた物と油で揚げた物の2種類。
最後にメープルシロップで甘味付け。
おいしくて、食後、皆の手が止まらず、お持ち帰りは、少しになってしまった(笑)。
 
 
外は、気温がずいぶん下がり冬のような気候だったが、料理は秋色満載だった。
 
 
 
 
 
 
 

森みはる 布絵画展

 
知り合いの布絵作家、森みはるさんの布絵画展が、11月22日から27日まで、御幸町夷川下るに出来た、蔵のギャラリー御所南「TOMORROW」で開催されている。
事務所から近いので立ち寄り、久しぶりに、みはるさんと話をした。
 
みはるさんの布絵には、約10年前に出会った。
大正や明治の着物地をはじめとする様々な布を用い、1つの絵として完成させる。
みはるさんは、絵画も描かれるので、その下絵となるデッサンも素敵だ。
そのデッサンの上に、布の色、模様、風合いなどを組み合わせて、作品を作り上げていく。
水彩画や油絵にない、独特の世界がある。
 
もともと絵画を見ることは好きだが、それを買おうと思ったことはなかった。
そんな私が、以前、みはるさんの布絵画展に行き、どうしても欲しくなって買ったのが、次の2つの作品。
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
事務所の壁に飾っている。
 
 
今回も素敵な作品がたくさんあった。
「あじさい」という淡い雰囲気の作品がとても気に入ったが、非売品とのこと。
 
少しほっこりした時間を過ごすことができるので、お近くの方は、是非、立ち寄ってみてください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

忍び寄る「経済的徴兵制」

 
2016年11月20日、とうとう、自衛隊は、PKO(国連平和維持活動)として新たに「駆け付け警護」の任務を付与されて、青森から南スーダンへ出発した。
南スーダンの状況について、安倍さんは「衝突はあったが、戦闘行為ではない」という趣旨の答弁をしたが、現実には、内戦が再燃し、紛争継続地には派遣しないとする「PKO参加5原則」が完全に崩れているということは、多くの人はうすうすでも感じている。
派遣される自衛隊員本人や家族の気持ちは、いかばかりであろうか。とうてい推し量ることはできない。
私たちにできることは、このような憲法違反の決定に強く抗議することだけしかない。
 
安保法成立以後、自衛官希望者は、激減しているという。
先日のテレビ番組の中でも、ある高校教師が、今年の自衛官希望者はゼロと語っていた。
 
将来、韓国などのように日本も徴兵制が施行されるのではないかという親の不安や野党の追及に対し、安倍さんら自民党閣僚は、徴兵制など決して導入しないと言う。
しかし、考えられるのは、「経済的徴兵制」だ。
 
「経済的徴兵制」というのは、貧困や格差など厳しい現実にさらされた若者が、事実上、軍隊に入る道を選ばざるを得ない状況をいう。
実際、アメリカでは、兵役は志願制だが、学費の「肩代わり」や医療保険加入といった条件に引かれて入隊する若者が少なくない。
 
日本でも、奨学金を借りて大学を卒業できたものの、就職先が決まらなかったり、非正規の仕事しかない若者には、奨学金返済が大きくのしかかる。
 
防衛省も、米軍の制度を参考に、自衛隊入隊を前提にした奨学金などが目玉の新たな募集制度を検討しているという(2016年7月2日付け赤旗)。
 
ジャーナリストの堤未果さんは、医療や教育、雇用など最低限の生活を保障する制度が貧弱になった社会には、経済的徴兵制が入り込む余地があると指摘する。
「『当たり前の生活が奪われれば、目の前のパンに手を出すよ』という、取材で会った米兵の言葉が忘れられない。戦争は日常で始まる。経済的徴兵制を機能させない社会づくりが必要です」
(2016年4月29日付け京都新聞朝刊)
 
思い切って社会のしくみを根本から変えていかないと、この国の若者が戦地に行かされるのは、そんなに遠い将来ではないような気がしてならない。
 
 
 

岐阜県関市の旅(その2)~モネの池~

 
今回、関への旅を計画した主な目的は、関にある「モネの池」を是非見てみたかったからだ。
 
通常「モネの池」というと、フランスの印象派の画家クロード・モネの「睡蓮」などの作品に描かれている池のことを指しているが、その「モネの池」にそっくりの池が関市にあるということで、今、話題になっている。
中学の同窓会の時にも、関市在住の同窓生から「観光客が一杯で、土日は駐車できないよ」と脅された。
 
関市中心街を離れ、板取川沿いをどんどん上流へさかのぼって行く。周囲は渓谷で、走る車もまばら。
一体どこにそんな観光客が押し寄せるような場所があるんだろう・・・
 
しかし、突如、目の前に、たくさんの駐車車両と人が現れた。
ここに間違いない!
 
「モネの池」は、根道神社という神社にある、名もない池のことだ。
鳥居があるから、やっと神社であることがわかる。
 

なんとか第2駐車場に車を止め、人だかりの方へ歩いて行くと、小さな池が現れた。
これだ!
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
あまりの人の多さと、快晴のもとで周囲の木々が池面に映り、幻想的な雰囲気には欠ける。
実際に目で見るよりも、カメラで撮影した方が、池が美しく見えるのはなぜ?
 
今夜は、ここから更に奥に行った所にある神明温泉の秘湯の宿に泊まる。
明日朝、帰る時、もう1度、「モネの池」に寄ってみよう。
 
翌朝。昨日とはうってかわって、正午頃からは雨予報。空全体に雲がかかっている。
午前9時頃、根道神社に着く。
それでも、もう何台か車が停まり、池の周囲に人もいる。
でも、その数は、昨日に比べ、格段に少ない。
 
そして、池には、なんということか、昨日とは全く違う、とても幻想的な雰囲気が漂っていた。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
感動! 来て良かった!
 

岐阜県関市の旅(その1)~ウナギと五郎丸~

 
岐阜市で開かれた中学の同窓会から日帰りで帰京した翌日、前から岐阜県の関市への旅を計画していたので、再び岐阜へ出かけた。
 
関市に着き、まずは昼食。お目当ては鰻。
私の実家は、岐阜市の東のはずれにあって岐阜市と関市との境に近かったが、車がなかったこともあり、子どもの頃は家族で関市を訪れた記憶はない。
関市が刃物の町として有名であることは知っていたが、鰻屋でも有名であることなど、全く知らなかった。
関市の鰻が有名で美味しいと知って、数年前に訪れた時は、店の前に長蛇の列が出来ており、1時間程待たされた。
 
今回は、前とは違う店に行くことに決めていたが、日曜のちょうど昼頃でもあり、行列を覚悟で訪れた。
しかし、その店は、規模が大きく、席数もたくさんあって、既に多くの客が入っていたが、それほど待たされることなく、食べることができた。
 
 

 
 
炭火で香ばしく焼き上げられ、皮はパリパリ、中はふっくら。とても美味しかった。
 
おなかもふくれたので、次は、関善光寺へ。
この寺にある大日如来が、ラグビーの五郎丸のポーズとそっくりということで、一躍、有名になった。
せっかく関まで来たんだから、ミーハーの私はそれも見たい。
善光寺へは、七五三用の着物を着た子どもたちも、親に伴われ、来ていた。
 
 
これこれ!
 

 
 
このような手の組み方をしている仏像は、日本にここしかないとのこと。
面白い。
 
そして、次は、モネの池へ向かった。
 
(続く)
 
 
 
 

中学時代の同窓会 in 岐阜

 
先々週11月5日の司法研修所の同期会に続き、先週11月12日、中学の学年同窓会が地元の岐阜市内で開かれた。
 
毎週連続になるので、どうしようかなあとギリギリまで迷っていたが、仲が良かった友人や恩師とも連絡を取り合い、皆、参加するということだったので、私も日帰りで参加することにした。
 
私の出身中学は、岐阜市内の中心地から離れ、むしろ関市に近い所にあった。
有名人で言うと、マラソンの高橋尚子や俳優の綾野剛の出身地でもある地域の子どもたちが通っていた。
1学年4クラスしかなく、150名前後の生徒数だったと思う。
 
当日は、同窓会開始前に、仲が良かった3人で女子会をしようということになり、京都駅午前7時45分発の新快速電車に乗った。
岐阜駅には、午前9時36分に到着予定だったが、大垣駅手前で、愛知県で人身事故が発生したというアナウンスが入り、大垣駅の直前で電車は停止したたまま、なかなか出発しない。
結局、ダイヤは乱れ、大垣駅からは臨時電車が出て、岐阜駅に着いたのは、午前10時20分頃。
こういう時、携帯電話は役に立つ。
友だちとはリアルタイムで連絡を取り合った。
 
やっと岐阜に着いた後は、喫茶店に入り、オバサン3人で女子会。
コーヒーを注文すると、店員さんから「モーニングもつけましょうか?」と尋ねられた。
「さすが、岐阜だね!」と言って、同窓会が始まればすぐに食事になることはわかっていたが、「同じ値段なら、頼みます」と言って、モーニング付きコーヒーとなった。
3人は、おそらく15ー6年ぶりの再会だったが、そんな空白など何ら感じず、近況を報告し合う。
 
話に花が咲き、アッという間に、同窓会開始時間となったので、会場のホテルへ。
 
参加者は、約50名。
最初は顔と名前が一致しなくても、「誰?」って尋ねて名前がわかると、不思議に中学生当時の顔と重なってくるから不思議。
 
恩師は4名中、2名が亡くなり、お元気な2名が参加してくださった。
私の中3の時の担任のY先生も参加され、その変わらない風貌には驚き。
若さの秘訣は?という質問が殺到していた。
 
思い出話というよりは、近況の話で盛り上がった。
中には、自分のつらかった人生をこっそり打ち明けてくれた友人もいて、皆、色んな人生の波を乗り越えて、ここにいるんだなと実感した。
 
参加して良かった・・・
 

司法研修所の同期会  in 名古屋

 
11月4日、司法研修所34期の同期会が名古屋で開催され、全国から、約240名が集まった。
当時は、約500名余り修習生がいたので、約半数が集まったことになる。
 
私たちの時代は、司法試験に合格した翌年4月から2年間司法研修所に入り、その2年間の最初と最後の各4ヶ月を東京で勉強し、それ以外は、全国各地に配属され、裁判所・検察庁・弁護士会で実務修習を行っていた。
研修所を卒業すると、裁判官・検察官・弁護士などそれぞれの道に進み、同期会は、各期毎に10年目、20年目と開催され、その後は5年おきに開かれている。
今回、私たちは35年目。
 
司法試験に合格した時の年齢が様々なので、もちろん現在の年齢も異なるが、若くして司法試験に合格した人でも、35年目というと、公務員や会社員であれば、定年年齢に達している。
しかし、集まった面々は、引退ムードなど全くなく、様々な分野で活動し、困難な事件に取り組み、更には若い法律家の育成にも力を注いでいた。
 
客観的には、髪の色も量も、顔のしわも、からだつきも、35年前と異なっているにもかかわらず、「変わらないねえ」と互いに言い合うのは、どこの同窓会も同じ。
また、裁判官・検察官・弁護士などの立場を離れて、屈託なく話ができるのは、こんな場所だけだろう。
数年前にガンの手術を経て、「皆に顔を見せに来た」と遠方から参加してくれた友人もいた。
 
とても刺激的な1日だった。
40周年も、是非、多くの仲間が元気で集えることを心から願っている。
 

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