1. 2017年7月

2017年7月アーカイブ

今夏、最初の山は、北海道の縦走登山

 
7月の連休、今年最初の夏山登山に出かけた。
行き先は北海道の大雪山系。赤岳から緑岳への縦走登山。
 
梅雨も明けないまま、日本各地でゲリラ豪雨があったり、北海道帯広では連日37度の猛暑日が続いたりと、天候や気象はとても不安定。
初日は、札幌から旭川までJRで行き、旭川駅前から層雲峡まで向かう予定だった。
ところが、旭川付近が大雨のため、JRは運休に。
急遽、高速バスで旭川に向かうことになった。
 
2日目、この日がメインの縦走日。曇ってはいたが、雨はまだ降っていない。
朝6時に層雲峡発のバスで銀泉台まで。
バスの終点から林道を15分ほど歩くと赤岳登山口がある。
天気は曇りだが、まだ雨は降っていない。
 

 
少しの間、急坂を登って行くと、目の前が開け、そこに雪渓が横たわっていた。
第1花園と呼ばれる場所だが、花は咲いておらず、一面の雪渓。
 

 
第2花園も雪渓
 

 
ここ数日の北海道の猛暑で、雪渓もずいぶん緩み、アイゼンがなくても、ストックを使って慎重に歩を進めれば、なんとかトラバースすることができた。
 
雪渓の超えると、コマクサ平へ。
 

 
コマクサは、花の形が馬(駒)に似ていることから名付けられた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
コマクサ以外にも色んな花が咲いている。
 
チングルマ

 
コマクサ平から赤岳までは、第3雪渓と第4雪渓という2つの大きな雪渓の急斜面を上り、赤岳に到着。
第4雪渓直前から小雨が降りだしたため、赤岳(2078M)の山頂の写真は撮取り忘れてしまった。
 
そこから、ほぼ平行移動で、小泉岳へ。
 

小泉岳は、どこが山頂かわからない平坦な山。
標識だけが手がかり。
 
雨が強くなってきたため、白雲岳避難小屋で雨やどりしながら昼食をとることにして、ちょっと寄り道をする。
ここの小屋は、以前、旭岳からトムラウシ山まで縦走した時に、宿泊した小屋だ。
 
昼食後は、緑岳への登山ルートに戻る。
緑岳山頂。
 

 
緑岳からは、雨もようやくやんだが、ガスがかかり、ほとんど周囲の山々や景色を見ることはできなかった。
岩場を下り、その後は背丈より高いブッシュの中の登山道を進み、雪渓をいくつも超えて、ようやく目的の大雪高原山荘に到着した。
 
あいにくの天候ではあったが、北海道の縦走登山は、広大な大自然の中を歩くことができ、十分楽しむことができた。
 

映画「スノーデン」

 
映画「スノーデン」。
劇場での公開は終了していたが、京都映画センターにより、7月13日にだけ同志社大学寒梅館で上映されたので、夜の部を観に行って来た。
 
7月4日のブログで書いたように、「スノーデン 日本への警告」を読んだばかりだったので、コンピューターには全く疎い私にも少しは理解でき、また、スノーデンの恋人との生活も描かれ、娯楽作品としても、とても面白かった。
 
実話にもとづいているのだから、結果はわかっているのに、とにかく最初から最後までハラハラドキドキ。
息を詰めて見入った。
 
SNSから入手した世界中の情報の中から相手の弱みを見つけだし、それを操作して有利に展開させていく手法や、敵の位置情報を知りピンポイントで爆撃する手法など、リアルなだけに恐ろしかった。
 
映画は事実にもとづくフィクションで、スノーデンの経歴や監視実態やそれを暴露する動機、リークの方法などがよく描かれていた。
映画ではルービックキューブが使われていたが、実際には、スノーデン氏は、大量のデータをどのような方法で持ち出したのだろうか。
実際は、香港からロシアまで、どうやって亡命したのだろうか。
興味はつきない。
 
9月23日には、香港でスノーデン氏が暴露した現場にいたローラ・ポイトラス氏が監督したドキュメンタリー映画「シチズンフォー~スノーデンの暴露」が上映されるらしい。
是非、こちらも観てみたい。
 
 
 

「差し支えです」

 
(女性弁護士の法律コラム NO.238)
 
裁判所で争われている事件で、次回の期日を決める時、裁判官から「●月●日はどうですか?」と聞かれ、その日に他の予定が入っている場合には、私たちは「差し支えです」とか「大阪で別件の裁判が入っており差し支えです」などと言う。
 
その「差し支え」という言葉が、2017年7月3日付け京都新聞朝刊の「デスク日誌」によると、新聞記者にとっては「法廷で飛び交う慣れない言葉」だと知って意外に思った。
 
記者は、「その日は既に予定があります」とは言わず、「差し支えです」と言うのが、日本語としておかしいと書いていた。
でも、もう何十年も「差し支えです」に慣れきっている私には、なんで日本語としておかしいかよくわからない。
「差し支えがあれば、言ってくださいね」
「差し支えがあるので、行かれません」
って、使うよね。
「差し支え」はあるのか、ないのかであって、「差し支えです」と言うのがおかしいんやろか。
 
私たち法曹が書面に書く言葉で、「にわかに措信しがたい」(=とうてい信じられない)という言葉があるが、このような使い方は、一般市民の人にはわかりにくだろう。
また、面会交流のことを「メンコウ」と略して言ってた若い家裁の裁判官がいたなあ。これは、アカンやろ。
 
でも、「差し支えです」は、何がおかしいかわからん。
今度、日本語教師をしている友だちに尋ねてみよう。
 
 

 
例えば、あなたは、5年前の今日7月4日に、自分がどこにいて何をしていたかを覚えているだろうか?そんな人は、ほとんどいないと思う。
だが、政府のデータには、それらがはっきり記録されているとしたら・・・
 
携帯電話やインターネットなどSNSによって、私たちの日常生活は、10年前には考えられないほど便利になった。
しかし、携帯電話は、自分がいつどこにいるかの位置情報を作り出し、誰と通話し、誰とメールしたかは、永遠に消えない記録として残る。
またパソコンやスマホの検索ボックスに入力した単語の検索記録も永遠に残る。
私たちが何に興味関心を持ち、どの政党を支持しているか、どの宗教を信じているかなどは、すべて把握されている。
 
私たちは、今、こんな社会に生きている。
 
「スノーデン 日本への警告」(エドワード・スノーデンほか著)(集英社新書)を読んだ。
 
エドワード・スノーデン氏は、アメリカのCIA(アメリカ中央情報局)やNSA(国家安全保障局)に所属して「スパイ」活動に従事していたが、2013年6月、アメリカ政府による情報の無差別監視をリークし、ロシアに亡命した。
当時、ドイツのメルケル首相の携帯電話まで狙われていたとあって世界は騒然となった。
この本は、昨年6月に東京大学で行われたシンポジュウムにロシアから映像で参加したスノーデン氏の話をまとめたもので、内容は衝撃的である。
 
アメリカ政府は、グーグル、フェイスブック、ヤフーといったインターネットサービスや通信事業者の協力を得て、電話、メール、位置情報、検索履歴などすべての情報通信にアクセスしてきたという。
治安や犯罪に無関係のすべての国内外の市民が対象とされ、その日常が、大量かつ無差別に傍受されている(それを「メタデータ」という)。
 
では、日本はどうか?
日本では強力な監視技術が秘密裏に日常的に用いられている。
警察が組織ぐるみで隠蔽してGPS捜査を行っていたことがその一例だ。
スノーデン氏は語る。
ハワイでNSAの仕事をしていた時、特定の調査対象の通信をすべて把握することができるツール(Xキースコア)を用いていたが、NSAが保管する通信の中には、日本のアドレスのものも多数あった。日米政府が情報交換していたことは十分にありうる。
 
次に、「テロの脅威」があるのだから、国民が監視されてもやむを得ないのでないか、という議論がある。
正に、先日成立した共謀罪法案について、政府は「テロ防止のため」と声高に叫んでいたし、テロ防止のためなら監視されてもやむを得ないという新聞投稿も目にした。
スノーデン氏は、日本においてテロの脅威が本当にあるのか?と疑問を呈する。
日本においては、テロは日常の脅威として存在していない。
実際の脅威の程度がどれくらいかを検証する必要があるとした上で、日本では、テロリストに殺される確率よりも風呂場で滑って死ぬ確率(厚生労働省人口動態統計)の方がはるかに高いと断言する。
 
また、普通の人々は、危険な活動に関与していないから監視されても問題ないのか?
アメリカのある官僚は「隠すことがなければ恐れる必要はありません」と述べて監視を正当化するという。
しかし、スノーデン氏は、プライバシーとは、悪いことを隠すということではないと断じる。
プライバシーとは自分が自分であるために必要な権利である。
思索する時、文章を書く時、物語を想像する時に、他人の判断や偏見から自らを守る権利である。
自分とは誰で、どのような人間になりたいのか、このことを誰に伝えるかを決めることができる権利である。
 
更に、スノーデン氏は、2013年に行ったリークが投げかけたテーマは、「監視」だけでなく、問われているのは民主主義の問題だとする。
リークは、そもそも民主主義社会で生きる市民が、十分な情報に基づいて意思決定を行えるようにすることが目的であった。
例えば、加計学園問題で、前川元文部科学省事務次官が「文書があった」と発言しようとした際、なぜか巨大メディアである読売新聞は一面トップで、彼の「出会い系バー」の記事を掲載した。
前川氏のその情報は、どこから出たのか。
そして、現職文科省職員までもが「文書はあった」と言うまでは、菅官房長官は、文書を「怪文書」と決めつけ、また前川氏の人格を否定し、そのような人物の発言などは信用できないとした。
公平公正であるべき政治が、総理のお友達を有利に扱うべくゆがめられているにもかかわらず、私たち国民は監視社会の情報操作によって、正当な判断ができなくされているのである。
 
では、このような監視社会に対し、私たちはどうしたら良いのか。
スノーデン氏は、メディアも市民も、政府への監視を強める必要を強調する。
結局、過剰な秘密主義を民主的にコントロールできるのは、主権者である国民なのだ。
 
警察によって秘密裏に行われていたGPS捜査を社会にあぶり出した訴訟のように、権力による違法な情報収集を追求する取り組みが重要であることを再認識した。
 

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