1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

奨学金の返済

 
Yahooニュースで、奨学金の返済についての記事を読んだ。
確か、例えば、大学在学時に400万円の奨学金を借り、それを卒業後の10月から毎月利息込みで1万6000円ずつ返済する場合、その返済は40代まで続くというような書き出しの記事だった。
そして、奨学金が返済できず、自己破産する人も多数いるとのこと。
本人は自己破産で支払を免れても、連帯保証人(たいていは親や親族)の責任は免れない。
連帯保証人まで連鎖破産する場合も・・・
 
20代で結婚する場合、その時点で既に数百万円の借金を背負って結婚することになる。
これでは、若い人がなかなか結婚に踏み出せない事情もわかる。
少子化もまたしかり。
 
先日、知人の娘さんが今年大学を卒業し就職も決まったと聞いたので、久しぶりに会って話をした。
やはり高額な奨学金を返済しなければいけないと言っていた。
本来、社会人となるという夢と希望に満ちあふれているはずなのに、就職後の厳しい生活の不安の方が大きい。
 
私たちが大学生の頃には、考えようもなかった現実である。
 
教育は未来への投資。
今の日本の税金の使い方は絶対に間違っている!
 
 
 

全国的に大寒波襲来

 
全国的に大寒波が襲来している。
東京などの大都会は、雪の予報があらかじめ出ていても、人も多く、電車などの交通機関のダイヤが過密なため、大混乱となるんだろうな。
 
今日の京都は、最低気温がマイナス3.6度という寒さ。
寒さが身体にしみ込んでくるという感じ。
夜中から明け方にかけて雪は降ったようだが、うっすらとしか積もっていない。
事務所の周りは、こんな感じ。
 

 

 
ただ、日陰の道路は、歩く時、滑る滑る・・・細心の注意が必要です。
 
 
 
 
 

本白根山(もとしらねさん)の噴火

 
2014年9月の御嶽山の大噴火以来のショッキングなニュースだった。
2018年1月23日午前9時59分、本白根山(もとしらねさん、2171m)の鏡池付近で噴火が起こり、草津国際スキー場にいた自衛隊員が死亡し、多数のスキーヤーやボーダーが被災した。
ここは、「草津、良いとこ、1度はおいで~」の草津温泉がある土地である。
 
噴火当時の映像を観る限り、まるで御嶽山の大噴火の時の映像と同じような恐怖が襲ってくる。
 
御嶽山の時は、9月の紅葉真っ盛りの登山シーズンであったことや関西から近い山であったこともあり、私が登山をすることを知っている友人や依頼者の方から「心配した」というメールなどをいただいた。
さすがに、今回は、そのようなメールは一切なかったが、実は、本白根山も草津国際スキー場も以前、訪れたことがあった。
 
本白根山の横にある草津白根山が日本百名山の1つとなっているため、2008年8月にその両方の山に登った。
草津白根山は、車で火口湖である湯釜まで行くことができるので、冬期以外は観光客で一杯で、「登山」というイメージはない。
だから、草津白根山に寄ったついでに、本白根山の方に登った。
でも、本白根山も、草津白根山の火口湖の駐車場から登る限り、ハイキングのような気楽さで登ることができた。
 
また、草津国際スキー場は、2015年2月に1度だけ行ったことがあった。
麓から本白根山に続く、割と細長いスキー場で、一番トップから沢沿いのロングコースをハイスピードで滑り下りるのはとても快適だった。雪質もパウダーに近く軽かった。
 
そういう意味で、今回の被災は、決して他人事とは思えない。
 
 
 
 
 
 

「日本史の内幕」(磯田道史 著)を読んで

 
日本の歴史物に興味があるか?と問われたら、「とても好き」というわけではない。
NHKの大河ドラマも、子どもの頃はよく観ていたが、今は全く観ない。
でも、過去の時代の人々の暮らしや文化が今の時代にどのようにつながっているのかなどにはとても興味がある。
 
磯田道史先生の「日本史の内幕」(中公新書)を読んだ。
磯田先生は、最近、テレビによく登場する歴史学者で、映画化された「武士の家計簿」の元になった著作を書いた人である。また、私はまだ観ていないが、フィギュアスケート選手の羽生クンが殿様役で出演した映画「殿、利息でござる!」の元になった「無私の日本人」を書いたのも磯田先生だ。
 
本書の「まえがき」では、「この本は、古文書という入り口から、公式の日本史の楽屋に入り、その内幕をみることで、真の歴史像に迫ろうとする本である」という書き出しから始まり、「歴史教科書は、政府や学者さんの願望にすぎない。・・・彼らが信じていて欲しい歴史像が書いてあるだけである」となかなか大胆な記述が続き、「コピペとフィクションの歴史叙述が巷にあふれている」と苦言を呈する。本書は、「これと一線を画し、古文書を通して、日本史を現場から内側からみる内幕に案内したい」と結ばれている。
 
もう、この「まえがき」を読むだけで興味がそそられる。
 
本文は、7章から構成されているが、各章の中の1つ1つの「話」はおおよそ3~4ページで完結されており、研究のためではなく、「読み物」として読んでいる者にとっては、短くて読みやすい。
 
明治天皇の皇后が京都から「新首都」東京への移住はどのようになされたか
豊臣秀吉と本願寺との関係
若き徳川家康はどんな顔だったのか
家康は正室築山殿と離婚したか
秀吉は秀頼の実の父親か
江戸時代に「毒味役」の武士は本当にいたのか
 
などなど、古文書からの日本史の謎解きが展開される。
 
ところで、本書を読んで初めて知ったことだが、磯田先生は、現在、京都市西京区にある国際日本文化研究センターの准教授をされており、京都に住んでおられるようだ。
寺町二条の書店にも立ち寄ると書かれてあったので、偶然、どこかで姿を見かけるかもしれないなあ・・・
 
 
 

カズオ・イシグロ

 
日系イギリス人であるカズオ・イシグロ氏が昨年、ノーベル文学賞を受賞した。
彼がノーベル賞を受賞したという報道に接するまで、恥ずかしながら、彼の作品を読んだことがなかったことはもとより、名前さえ聞いたことがない、全く知らない作家だった。
 
ニュースで受賞を知っても、すぐに読んでみようとは思わなかった。
外国人作家が書いた小説は、なんとなく読みにくいという感覚が私の中にあったからだ。
 
しかし、高校時代の同級生のメーリングリストで、Fさんが「二年前の春から夏にかけて集中的に読み感銘を受けた」「フィクションらしいフィクションを圧倒的なリアリティで紡ぎ出すという力量は僕が今まで読んだ作家の中でも有数のもの」「彼の作品には、思想性、主義主張が巧妙に排除あるいは隠蔽されているという特徴がある」と書いていたので、これはもう読まなくてはと思い、書店に行った。
 
受賞当初は、書店に本がなく、店員に尋ねると「増刷中なので、しばらく待って」という回答だった。
そして、しばらくすると、やっと書店にイシグロ氏の作品のコーナーが設けられた。
 
最初に読んだのが「日の名残り」。
人生の黄昏どきを迎えた老執事が、旅路で回想する古き良き時代のイギリス。
旅の場面と、長年仕えた先代の主人への敬慕、執事としての品格、女中頭への想いなどの回想が交錯する。
 
旅の場面と回想とが入り交じって、私にはわかりにくく、最初はなかなか読み進むことができなかったが、最後まで読み終えると、執事のあるべき姿を求め続けた男のせつない思いが感じられた。
久しぶりに、深い作品を読んだという実感があった。
 
BSで放映された「カズオ・イシグロの世界」で、イシグロ氏は、この作品について、「自分が最もホコリを持っていたものや業績は実は恥ずべきことだった」ことに気づいた個人を描き、過去に向き合うべきか忘れるべきかを問いかける作品だと語っていた。
 
「日の名残り」を結構エネルギーを使って読み終えたが、そうすると、また別の作品を読みたくなった。
そこで、次に読んだのが「私を離さないで」。
全く知らなかったが、この作品は、昨年、テレビで日本版としてドラマ化されていた。
この作品も、介護人女性の回想で物語は展開する。
ある施設で共に暮らし学ぶ子どもたち。その施設の子どもたちに求められる「提供」とは・・・
人間とは、愛とは・・・その根元を問うテーマで衝撃的だった。
 
なお、「日の名残り」と「私を離さないで」は、共に映画化されている。
 
2017年12月7日、スウェーデン・アカデミーで受賞記念講演したイシグロ氏は、現代の世界で極右思想や人種差別などの偏狭な思想が蔓延していると厳しく指弾するとともに、自らは文学の力で人類の幸福に貢献するという強い意欲を示した。
 
そして、私は、3作品目として「浮世の画家」を選び、今また読み始めている。
 
 
 

山利商店の白味噌で京風雑煮

 
雑煮は、全国各地で色々な種類がある。
私の出身の岐阜の雑煮は、小松菜や大根などを入れたすまし汁で、餅は焼かない。
京都に来て、初めて白味噌の雑煮を食べた。これもまた、美味しい。
だから、私は、気分次第でどちらのバージョンも作る。
 
友人Tさんが「美味しい!」絶賛するのが、山利(やまり)商店の白味噌。
 

 
京都でも知る人ぞ知るという白味噌らしく、有名料亭などに使用されているとのこと。
無添加・無着色で、国産米・国産大豆・塩だけで作られている。
店自体は東山区にあって少し遠いが、錦市場の中の八百屋さん「四寅」で扱っていることを知り、新年になって買いに行った。
開封すると2週間しかもたないと聞いていたので、店の人に尋ねると、冷凍しておけば発酵が止まるから大丈夫と言われた。
 
早速、白味噌雑煮を作ってみた。
金時人参と大根と小松菜を入れてみた。
出汁だけで、砂糖やみりんを全く入れなくても、甘くて濃厚で美味しい。
 

(餅が隠れて見えな~い!)
 
しばらく、この白味噌にはまりそう・・・
 

 
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 

 
年賀状に「ブログ、読んでます」と書いていただいた方もあり、嬉しい反面、最近、少々、サボリ気味なので、恐縮しております。
今年は心を入れ替えて(!?)、頑張ってブログを書いていこうと思っています。
 
事務所は、明日1月9日から業務開始です。
でも、私自身は、正月気分は1月4日までで、5日から事務所に来て仕事を始め、7日は依頼者の方と打ち合わせもしました。
 
ところで、1月7日、久しぶりに七草がゆを作りました。
 

 
七草がゆというのは、春の初めに生える若菜を食べることで、1年の邪気を払う行事。
正月のごちそうで疲れた胃腸を休ませ、いつもの食事に戻る区切りとしても優しい一品です。
昨年12月に宿泊した宿で出された玄米薬膳粥がとても美味しかったので、今回は玄米粥にした上、七草以外に、クコの実と松の実も入れてみました。
これがとても美味しく出来て気に入ったので、これからも時々、作ってみようと思っています。
 
いただいた年賀状の中には、身体の不調について書かれていたものもありました。
私も今年1年、今まで以上に健康に気を遣って過ごしたいと思います。
 
 
 

米ヘリ部品落下、保育園に中傷殺到

 
「自作自演だろう」・・・なんで、こんな中傷が・・・
 
2017年12月13日、普天間飛行場に隣接する市立普天間第二小学校の運動場へ米軍普天間飛行場所属のヘリコプターの重さ7.7キロの窓が落下するという事故があった。
その数日前の同月7日には、やはり同飛行場から約300メートルの場所にある緑ケ丘保育園の屋根に大型ヘリの部品が落下した。
 
ところがである。
保育園の落下事故の方は、米軍は、大型ヘリCH53Eの部品だと認めた一方、「飛行する機体から落下した可能性は低い」と発表した。
すると、それ以降、連日、「自分たちでやったんだろう」「教育者として恥ずかしくないのか」というなじるような中傷メールや電話が保育園に殺到するようになったという(2017年12月16日付け朝日新聞朝刊)。
 
部品が見つかった屋根にはへこんだ痕跡があり、宜野湾署も確認している。
また、職員や園児も「ドーン」という衝撃音を聞いている。
その1週間後には、また小学校の運動場にヘリの窓が落下し、児童が負傷した。
 
メールするのは、沖縄の実態を知らない内地(本土)の人たち。
同じ本土の人間として恥ずかしい限りだ。
中傷メールなど流す前に、実際に沖縄に足を踏み入れて、現実を見ろ!と言いたい。
 
翁長沖縄県知事は、「日本政府には当事者能力がない」と批判した。
宇宙空間を飛ぶ北朝鮮ミサイルには敏感に反応する日本政府が、米軍による沖縄の空からの現実の落下については、全く弱腰だ。
 
これが沖縄の現実だ。
 
 
 
 
 
 

講演「代理人弁護士から見た家事調停」

 
2017年12月8日、京都調停協会連合会主催の研修会に、講師として参加した。
講演タイトルは「代理人弁護士から見た家事調停」。
対象は、京都府下の民事・家事を担当する調停委員の皆さん。
 
午前10時半、京都地裁前から、京都市内の調停委員の皆さんと共に大型バスに乗り、会場である京都府北部の福知山市内のホテルに向かった。
もしかしたら福知山は雪かも?という天気予報だった。
 
第1部は、H弁護士による「民法(債権法)改正について」と題した講演。
そして第2部が、私の講演。
 
今まで色々なテーマで講演をしてきたが、調停委員さんに対する講演は初めてだったので、どのような話をしようか、ずいぶん頭を悩ませた。
これまで家事調停とりわけ離婚調停は何件も担当してきたので、その中で調停の進め方がうまいなあと感じる人と、調停の進め方に抗議をしたくなるような人などがおられ、そんな経験を織り交ぜて、率直に話すことにした。
 
また、調停委員は、当事者に代理人弁護士がつくと「やりにくい」と感じると聞いたこともあるが、調停はそれぞれの立場から意思疎通を行って進めていくことができることも強調した。
 
自分自身が代理人として、これまでの経験ややり方を振り返って整理することもでき、勉強になった。
 
夜、福知山を出る頃には、みぞれ交じりの雪となっていた。
 
 
 
 
 
 
 

元号をなぜ使う?

 
天皇の退位と平成の終わりが2019年4月30日と正式に決まった。
新しい天皇が即位して改められるのが元号である。
カレンダー業界などからは「早く発表して」という声が多数寄せられているらしい。
 
2017年12月8日付け京都新聞夕刊に「元号なぜ使う?」という記事が掲載されていた。
 
「元号法」という法律がある。
「1 元号は、政令で定める」
「2 元号は、皇位の継承があった場合に限り定める」
という2カ条しかない法律だ。
戦後、天皇主権から国民主権へ変わり、天皇は象徴となった。
しかし、元号は法的根拠のないまま慣習として使われ続けたが、保守系国会議員らが法制化を主張し、1979年に元号法が制定された。
現在では、世界で日本だけが使っているとされる。
 
私は、基本的には、西暦を使っている。
日常生活はもとより、裁判所などに提出する書面にも西暦を使用する。
ただ、裁判所は元号を使い、また元号の方が年月を理解しやすい場合もあるので、準備書面を書く時には、西暦と元号を併記するようにしている。
裁判所は元号にこだわるので、例えば、裁判所で和解や調停が成立した時、支払期限が2019年4月30日以降であっても、あるいは10年先であっても、裁判所は「平成」でカウントして「平成●年●月末日限り支払う」などと書いて調書を作成する。
こんな時は、西暦の方がわかりやすいのに・・・と思ってしまう。
 
また、昭和●年は、今から何年前か?という問いには、1度西暦になおして考えないと、すぐには答えられない。
 
国民主権の世の中だし、様々な利便性を考えれば、世界共通の西暦で統一していいんじゃないかと思う。
 

奈良散策 そしてツバキとサザンカとの違い

 
12月3日は、久しぶりの快晴の日曜となったので、奈良に散策に出かけた。
 
近鉄奈良線で終点の奈良駅まで。
まず、吉城園(よしきえん)という東大寺近くにある庭園に向かう。
 
東大寺の近くには、奈良の裁判所があり、その前を通過。
これまで何回か奈良の裁判所には来たことがあるが、裁判所の庁舎が建て替えられてからは来ていない。
綺麗な庁舎になっていた。
 
吉城園は、興福寺の子院である摩尼珠院があったところらしい。
現在は、奈良県が管理しているようで、入場料も250円と安い。
観光客もほとんどおらず静かに歩くことができた。
庭の紅葉はすっかり散っていたが、その枯れ葉が、庭全体に落ちていて、美しい。
 

 
 

 
庭には、ツバキ(椿)とサザンカ(山茶花)が咲いていた。
 

 
 

 
最初は、どちらもツバキと思ったが、受付の女性に尋ねると、白はサザンカだと教えられた。
よく似ている!
帰宅後、ツバキとサザンカの違いを調べてみた。
 
違いの第1は、花の散り方。
ツバキは花ごと落ちるが、サザンカは花びらがバラバラに落ちる。
 
違いの第2は、葉。
ツバキの葉はギザギザがないが、サザンカはギザギザが目立つ。
 
面白い。
 
吉城園を出て、東大寺に入ると、たくさんの観光客。
それも日本人より外国人の方が多い可と思うほど、各国の言葉が飛び交っている。
 
若草山を望む。
 

 
 
更に、東大寺から新薬師寺まで歩き、初冬の奈良を満喫した。
結構歩いてクタクタになった。
 
 
 
 
 
 
 
 

今年最大の満月~スーパームーン~

 
昨夜、いや、正確に言うと、今日12月4日午前0時47分、月は、今年最大の満月だった。
要するに、地球と月との距離が最も接近したということである。
 
そのことを知って、昨夜、午後11時半頃に外に出て天空をあおいでみると、月は、ちょうど頭上に。
大きさが最大ということは実感できなかったが、雲1つない夜空に、本当にピカピカとまぶしいくらい輝いていた。
 
 
 
 
 

富士山を望む秋の登山(その2)~竜ヶ岳~

 
篠井山(しのいさん)に登った翌日の11月5日は、本栖湖畔から竜ヶ岳(りゅうがたけ、1099M)に登った。
本栖湖は、富士五湖の1つで、千円札の裏に描かれているのが、本栖湖から見た富士山だ。
昨日泊まった本栖湖畔のホテルの人からは、今年は周辺の紅葉がすぐに枯れてしまって、全然ダメと聞いた。
 
この日も快晴の良い天気。
登山口
 

 
最初は、登山道をジグザグと登っていく。
道は広くはっきりしている。
しばらく登ると、やがて視界が広がり、富士山が望めるようになる。
 
そこからは富士山を背に、尾根をまたひたすら登っていく。
本栖湖はもとより、青木ヶ原樹林帯などが展望できる登りであったが、山頂に近づくにつれ、背丈ほどもある笹の中の道となった。
そして急登を上りきると、頂上へ。
 
頂上は、だだっ広く、大勢の登山者が富士山を眺めつつ、昼食をとっていた。
 

 
 

 
中には、インスタグラムにでも載せるのだろうか、5-6人の若者らがカラフルな傘をさしながら、色んなポーズを取って、撮影していた。
内心では「私もしたい!」と思ったが、一人だと恥ずかしくて、お茶目なポーズが取れない。
ふざける時は、大人数がいい。
 
ずいぶん長い時間山頂で富士山を堪能し、下山した。
 
やはり富士山を眺めることができる登山は、一段と楽しい。
 
 
 
 
 
 
 

富士山を望む秋の登山(その1)~篠井山~

 
やっと晴れた!
10月は、2週連続の週末台風到来だったが、11月の最初の連休は、ようやく晴天に恵まれたので、富士山を間近で眺め、紅葉を楽しもうと、計画どおり山梨県に向かった。
 
11月4日は、山梨県南部にある篠井山(しのいさん。1394M)に登る。
奥山温泉という日帰り入浴施設の近くにある山だ。
 
登山口。
木彫りのクマが出迎えてくれる。
でも、クマが出没するようで、登山道には、クマよけ鈴を持って来ていない登山者のために、何カ所かに鐘が釣ってあった。
 

 
また篠井山は、5月から10月にかけては大量にヒルが発生するようだ。
だから、登山が楽しめる時期が限定されている(ヒルの危険をかえりみなければ、限定されないが・・・)。
 
少し林道を歩き、登山道へ入ると、まもなく滝が見えてくる。明源の滝。
 

 
沢沿いの登山道を上り、その後は、樹林帯の中をひたすらジグザグと登っていく。
展望はなく、紅葉もイマイチ。既に枯れ落ちている。
 

 
約2時間で、篠井山山頂に到着。
 

 
 
山頂は狭いが、目の前に富士山が!
ただ、雪がない!
富士山の初冠雪はあったが、溶けてしまい、雪なしの富士山だった。
 

 
 
山頂で昼ご飯。
今日は、「山めし」としては、回鍋肉(ホイコーロー)に初挑戦。
「山めし」本に紹介してあったレシピで、豚肉の代わり、車麩を使用。ヘルシー。
でも、やっぱり豚肉の方がおいしいよなあ・・・
 

 
 
 
下山は、同じ道を下りました。
 
 
 

「新聞記者」 望月衣塑子著

 
望月衣塑子(いそこ)さん。東京新聞の新聞記者。
つい、この間まで全く名前も聞いたことがない人だったが、森友・加計学園問題などで菅義偉内閣官房長官へ鋭く執拗に質問する姿に、一躍、時の人となった。
 
その望月さんの著書「新聞記者」(角川新書)を読んだ。
 
望月さんが新聞記者をめざした原点は、中学3年の時に母親から「これ読んでみたら」と渡された1冊の本。フォトジャーナリスト吉田ルイ子さんの「南ア・アパルトヘイト共和国」。
遠く離れた異国の地で、黒人が白人と当たり前のように分離され、一人の人間として扱われていないという状況・・・「自分の身の回りだけでなく、世界で何が起きているか常に関心を向けなさい」という母の思いだと感じた。
 
就職試験では、大手新聞社に軒並み落とされ、内定を得たのが東京新聞だった。
東京新聞というのは、正確には、中日新聞社東京本社が発行する関東地方及び東京都のブロック紙だが、もちろん全国的なニュースも紙面に掲載する。
 
いま現在にもつながる「森友問題」が初めて表面化したのは、2017年2月9日付け朝日新聞朝刊のスクープ「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表 近隣の1割か」だった。
 
取材舞台が大阪だったため、当初は、東京新聞のスタンスは消極的だったが、望月さんが編集局長に進言し、森友問題を追うチームに入ることになった。
そして、またもや朝日新聞の5月17日のスクープで「加計問題」が状況を一変させた。
 
そんな中で、私が報道で感じた違和感を望月さんも同様に感じていたことがわかった。
いや、「報道」の分野に身を置く望月さんは、私たち以上に違和感を感じたに違いない。
その1つは、NHKが「加計問題」と同時期に、真子さま「ご婚約の見通し」をスクープ報道したことだ。
「婚約」ならともかく、「婚約の見通し」って何?と、その時、私は率直に違和感を感じたが、望月さんも「まるで芸能人のようにスクープとして報じるだけの価値があるだろうか」と書いている。
もう1つの違和感は、5月22日付けの読売新聞「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中 平日夜」の記事。
望月さんが「目を疑った」のは、確たる証拠も何も記されていなかったこと。
二度も望月さんの転職を誘ってくれた、あの読売新聞が・・・・
ただ、前川前文科省事務次官の記者会見にのぞんだ望月さんも、前川さんの出会い系バーへ行ったのは「貧困の実態を探るためだった」という言葉に、それは「さすがに無理がある」「本当に信頼に足る人なのだろうか」と感じた。
そこで、望月さんは前川さんにインタビュー取材をする。
前川さんは、出会い系バーで女性から聞いた高校教育の実態、読売新聞掲載の直前に文科省の後輩から「和泉(内閣総理大臣)補佐官が『会いたい』と言えば、応じるつもりはあるか」というメールが入ったこと、教育基本法を全面的に改正し道徳教育や愛国心が明文化され教育の方針を転換した安倍政権に違和感や疑問を禁じ得なかったこと、などを語った。
 
そして、望月さんは「もっと前川さんの思いに応えたい」と考えるようになった。
 
加計問題の背後では官邸の人間が暗躍しているのは、明らか。
毎日マスコミに対応するのは、菅長官しかいない。
しかし、菅長官の定例会見は、おなじみの「ご指摘にはあたりません」「問題ないと思われます」といった木で鼻をくくったような答弁。記者たちは質問を重ねない。
望月さんは思った「これはもう、自分が出席したほうがいいんじゃないか」と。
 
そこから、望月さんの定例会見での快進撃が始まった。
 
望月さんの「やらなくては」という思いが強まる一方、今後、望月さんを会見から「排除」する動きも強まる可能性もある。
望月さんの質問に対し、あの表情を変えることなく淡々と話す菅長官がマレに感情的になる場面もあるが、官邸の壁は厚い。
しかし、望月さんが嫌がられながらも頑張って食い下がって質問をしてくれることにより、私たち国民は、今、政治の場で何が起こり起ころうとしているかが、わかってくる。
望月さんが「私は特別なことはしていない」と語るとおり、それが報道の役割だと思う。
しかし、それができていないのが報道現場の現状で、だからこそ、当たり前のことをしている望月さんがテレビなどで取り上げられたりする。
 
森友・加計問題は、未だ疑惑が山積している。
 
望月さんが、本書の末尾で引用しているのは、ガンジーの言葉だ。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
 
望月さん、頑張れ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

雨の中の、秋の上高地散策

 
毎週週末になると、台風が来る。
10月最後の週末も日本列島の南側を台風22号が縦断した。
 
週末、秋の上高地散策と登山を予定していたが、登山はあきらめ、雨の中の散策となった。
 
上高地は、北アルプス登山の拠点でもあり、もう何度となく訪れているが、紅葉の時期に来たのは、2度目である。
10月末の週末と言えば、紅葉の上高地を期待して、本来なら多数の観光客も含め大にぎわいというところであるが、台風のため、それほど多くの人はいなかった。
 
上高地に着いた頃は、雨もまだ小雨だった。
 
河童橋から見た穂高岳
ガスはかかっていたものの、これもまた幻想的だ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
河童橋から見た焼岳

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明神岳
 

 
当初の計画では徳沢まで歩くつもりだったが、雨だったので、明神池までを往復した。
上高地の紅葉は、もうほとんど終わったような感じで、鮮やかな赤や黄色に染まった木々はほとんど見ることができなかった。
 
明神池の手前にある嘉門次小屋でイワナを食べる。
ここのイワナは頭からしっぽまで骨も含めてすべて食べられるほど軟らかい。
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おいしい!
イワナを堪能し、明神池から河童橋まで戻る頃には、雨も本格的に降りだした。
 
そして翌朝の高山は、みぞれまじりの雪となっていた。この辺りは、もう冬に入りつつある・・・

台風のため、同窓会参加を断念

 
10月22日(日)は、正午から、郷里の岐阜市で同窓会が予定されていた。
高校1年の時のクラス会。
 
高校の学年全体の同窓会は、これまで何度も開かれているが、1年生の時のクラス会は初めて。
当時、担任だったT先生が85歳になられ、そのT先生も出席されるとのことで、とても楽しみにしていた。
 
22日が思いがけず選挙の投票日となったため、久しぶりに期日前投票もすませた。
ところが、台風がやってきた!それも超大型!
近畿地方は、22日(日)の夕方から本格的に影響が出始めるとの予報。
23日(月)は東海地方に上陸とも。
 
行くことは出来ても、翌朝、帰って来られないかも・・・
ずいぶん迷ったが、22日の朝になって、既に京都府全域に大雨警報が出ており、参加を断念することにした。
 
同窓会開始直前に、参加した友人が電話をくれ、T先生とも少し話をすることができた。
 
23日は、近畿圏でもJRがあちこちで運休し、高速道路も通行止めだったりして、交通網は大混乱だった。
 
台風がもう1日、前か後にズレていればなあ・・・・
同窓会にも参加できたし、そうそう、選挙の結果も、もう少し違っていたんじゃないかなあ。
 
 
 
 
 

 
今週の日曜、久しぶりに期日前投票に行ってきた。
 
今回ほど腹立たしい解散・総選挙はない。
森友・加計疑惑隠しが明らかな衆議院解散であったにもかかわらず、民進党の代表前原は、党を事実上解体して、希望の党に託した。
しかし、希望の党は、どうみても、第2自民でしかない。
安倍首相の演説には、森友や加計についての説明はなく、また最大の争点である憲法改正にもあまり触れられていないと言う。
ネットでは、投票日の翌日には、加計学園の獣医学部が認可されるというニュースも流れている。
いったい、この国は、どうなっていくのか・・・
 
高校時代の同級生がメーリングリストで書いていた、ドイツの牧師で神学者のマルティン
ニーメラーの言葉が現実のようで怖い。
 
「ナチが共産主義を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。
そうして自分はまさに教会の人間であった。
そこで自分は何事かした。しかし、そのときにはすでに手遅れであった」
(未来社 旧版p475)
 
安倍政治はもうイヤ!、憲法改正に反対、原発を再稼働させない、消費税を10%にあげない・・・そういう思いがあるなら、是非、投票に行って1票を投じてほしい。
投票しないことは、結局、安倍政治を支えていることになってしまうのだから。
 
 
 

~梅雨空に「九条守れ」の女性デモ~

 
~梅雨空に「九条守れ」の女性デモ~
 
これは、さいたま市に住むある女性が、2014年6月、東京銀座で集団的自衛権の行使容認に反対するデモを見て詠み、所属サークルで秀作に選ばれた俳句である。
秀作は、毎月、さいたま市大宮区にある三橋公民館が発行する公民館だよりに掲載されていた。
ところが、公民館は「世論を二分するテーマのため掲載できない」と掲載を拒否。
その後、その理由として「(公民館が)公平中立の立場であるべき観点から好ましくない」と説明した。
 
女性は、2015年、憲法で保障された表現の自由に反し、掲載を期待する権利を侵害されたなどとして、さいたま市に対し、句の掲載と慰謝料200万円の支払を求めて提訴した。
 
そして、2017年10月13日、さいたま地裁は、公民館側が「思想や信条を理由として不公正な扱いをした」などとして、市に5万円の賠償を命じた(2017年10月14日付け朝日新聞朝刊)。
 
判決は、掲載する俳句には句会や作者の名前が併記されることから「公民館が俳句と同じ立場にあるとは考えがたい」として「公民館の中立性や公平性を害するとは言えない」と判断し、不掲載には正当な理由がないとした。
但し、表現の自由の侵害という主張は退け、掲載への期待を「法的保護に値する人格的利益」と位置づけ、これを侵害したと結論づけた。
また判決は、公民館職員らが「『憲法アレルギー』のような状態に陥っていたのではないかと推認される」とも指摘した。
 
原告女性に損害賠償が認められて当然だと思う。
確かに、憲法9条をめぐっては様々な議論がなされ、とりわけ政府与党は、9条の内容を改変しようとしている。
しかし、憲法に9条が定められ、憲法は国の最高法規であり(98条)、天皇から大臣、国会議員、公務員に至るまで、この憲法を尊重し擁護する義務がある(99条)のだから、俳句の中で、「9条守れ」と詠み、それを公民館がたよりに掲載しても、何ら公平中立に反するわけがないのである。
それを排除するなど、もってのほかだ。
 
言論や表現の自由が制限される息苦しい世の中は、正に、戦争前夜に近づいているような気がしてならない。
 
 
 
 

人生フルーツ

 
ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」を観た。
東海テレビが制作し、これまで数々の賞を受賞した作品である。
いつも優れた作品を上映している京都シネマの最大の大ヒット作らしい(現在も再上映中)。
 
私は、そのような経緯も、ストーリーさえも、全く知らずに観た。
そして、ほのぼのとしているが、自立した生き方をされている老夫婦の素晴らしい日常の姿に深い感銘を受けた。
 
映画は、90歳の建築家津端修一(つばたしゅういち)さんと妻で87歳の英子(ひでこ)さんの夫婦の日常を2年間追った。
二人は、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに二人だけで暮らしている。
修一さんは、高蔵寺ニュータウンの基本設計をした人で、日本住宅公団のメンバーとして、戦後日本の団地やニュータウンを作り続けていたという経歴を持つ。
 
二人が暮らす家は、約50年前に、修一さんが尊敬するアントニン・レーモンドの自邸をマネて建てたもので、300坪の土地の上に、30畳1間の平屋の丸太作り。
枯れ葉をまいて土を耕した庭で、雑木林を育て、70種の野菜と50種の果物を無農薬で作る。
英子さんは、収穫した野菜や果物を使って、丁寧に手料理を作る。なんでも作る。
土鍋で炊いたご飯、梅干し漬け、コロッケ、ジャム、プリンなどなど、豊かな食卓が展開する。
修一さんは、洗濯をする、土を作る、畑仕事の道具や家の屋根を修理する、木を切る、障子を貼り替える・・・
二人は誰の手も借りず、それぞれが自分の好きなことをして毎日を過ごす。
おもてなしの心を大切にしながら・・・
 
修一さんは、若い頃は、日本住宅公団の花形の設計士だったが、自然と共生しない、効率優先の建築に失望し、転職し、80年代後半に念願たった自分らしい暮らしを実現する。
 
ガス湯沸かし器も電子レンジもない。コンビニにも行かない。
便利すぎる今の世の中から離れて、誰にもたよらず、信念を持って、穏やかに暮らしている。
 
私にとっては、手が届きようもない、理想的な暮らしです。
 
 
 
 
 
 

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