1. 2013年2月

2013年2月アーカイブ

「ユニチカ宇治工場CS2患者を守る会」懇親会

 
ユニチカ宇治工場で働く労働者が二硫化炭素中毒に罹患したことの企業責任を求める訴訟に1987年3月から1997年5月まで携わった。
「ユニチカ宇治工場CS2中毒患者を守る会」に患者やその家族、ユニチカや地域で働く労働者、医師、弁護士などが結集し、更に、同じくCS2中毒被害を受けた熊本や韓国の労働者とも連絡を取りながら、闘いを進めた。
約10年という長い年月を要した裁判だったが、最終的に、会社は、裁判所の和解勧告に応じ、相当金額の和解金が支払われるなど勝利的和解が実現した。
とても思い出深い裁判の1つである。
 
あれからもう15年以上が経過した。
 
私たち弁護団もそうだが、当時、若かったメンバーは皆、平等に(?)高齢化し、重篤な障害を抱えながら毎回裁判に出廷された原告の皆さんや家族、「守る会」で支援してきた労働者の方々の中には亡くなられた方も少なくない。
 
2月24日、宇治の「花やしき」で何年かぶりに懇親会が開かれた。
亡くなられた原告家族の皆さんも交え、思い出話に花が咲いた。
 
その中で、ある原告家族の1人が「裁判が終わった後、おとうさん(=原告)を10年介護したけれど、裁判をたたかった結果、十分な介護をしてあげれたので、本当に良かった思います」と語った。
まじめに働いてきたことによってCS2中毒になり障害を抱えた夫、その夫を支えて10年以上も共に裁判をし、更に裁判後も亡くなるまで介護を続けた家族の苦労は並大抵ではなかっただろう。
それは金にはかえられないはず。
でも、訴訟によって会社に一矢報いたことが、原告や家族らのその後の人生を悔いなきものにしたんだなあと、家族の方の言葉をあらためてかみしめた。
 
 

夫婦別姓 反対派が上回る??

 
(女性弁護士の法律コラムNO.131)
 
2013年2月17日京都新聞朝刊の見出しは「夫婦別姓 反対派が上回る」。
 
1996年、法政審議会が夫婦別姓制度を導入した民法改正要綱案をまとめてからもう17年になろうとしている。
2011年には、法改正を待てないと女性が提訴している。
なのに「反対派が上回る」ってホント?って思った。
 
内閣府が発表した「家族の法政に関する世論調査」によると、選択的夫婦別姓制度導入のための民法改正の可否について、「必要ない」とする反対派が2006年の前回調査と比べ、1.4ポイント増の36.4%で、「改めても構わない」の賛成派35.5%をわずかに上回った。
だから新聞の見出しは「反対派が上回る」
 
でも、よく読んでみると、60代以上は反対派が多数を占めたが、男女ともに50代までは賛成派が多数を占めている。
特に結婚でこの問題に直面する20代、30代の女性はそれぞれ53.3%、48.1%が賛成、若い世代では、反対派との差が広がっている。
 
また、家族の一体感に関する質問では、「名字が違っても家族の一体感には影響がない」との回答は59.8%で前回比3.8ポイント増。逆に「名字が違うと家族の一体感が弱まる」は36.1%で3.7ポイント減。
多様な家族のあり方を認める意識は着実に広がっていることがわかる。
 
夫婦が同姓にするか別姓にするかは、個人の自由であり、また「同姓」という形だけで家族の一体感が守られると考えている自民党議員の発想はとうてい理解できない。
 
民法改正を1日も早く実現したいが、今の政権ではまだまだ先かなあ・・・・

 
今朝、事務所に来たら、漫画の絵が描かれた可愛らしい封筒が届いていた。
封筒には差出人名が書いてなかったので、「誰からだろう?」と思いながら開封すると、宮城県気仙沼市に住む小学校6年生のMちゃんからだった。
 
MちゃんのママのYさんとは、3.11の震災後に立ち上げられた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動を通じて知り合い、直接お目にかかったことはないが、震災からまもなく2年が経過しょうとしている今でも交流が続いている。
YさんにMちゃんという小学生の娘さんがいることを知り、Mちゃんにクリスマスカードや年賀状を送ったりしてきた。
 
そんなMちゃんがくれた手紙は、クラスのグループ新聞で、新聞のテーマは、便利グッズ「おくるみちゃん」を使っての余熱調理について。
 
4月から被災地も含め、全国で電気代が上がると言われている。
とりわけ被災地に住む人たちには大きな打撃となるに違いない。
小学生たちのような子どもまでが真剣に「省エネ」や「環境問題」について考えようとしていることを、政府や電力会社はもっともっと知るべきだ。
 

 
わが事務所は、堺町(さかいまち)通りに面している。
堺町通りは、京都御所の堺町御門からまっすぐ南に延びる通りである。
京都地方裁判所に近く、静かな街並みではあるが、結構、有名な場所も少なくない。
 
事務所を出て堺町通りを南行すると、最初の十字路が夷川(えびすがわ)通りである。
夷川通りのうち、寺町(てらまち)通りから烏丸(からすま)通りまでの間は、昔は家具屋さんが何軒も軒を連ね、家具の街としてにぎわっていた。おそらく京都の娘さんたちは皆、ここの家具屋で婚礼家具を買って持って行ったのだろうと思う。
でも、近年、夷川通りの家具屋がいくつも店をたたみ、跡地にはマンションが建ったりして、次第に街の様相も変わっていった。
 
堺町通夷川角に「宮崎本店」という家具屋さんがある。
白いタイルの外壁に、曲面ガラスのモダンな外観。ガラス越しに中を覗くと、高級そうな桐のタンスなどの家具や工芸品がたくさん飾られてあった。
 

 
2013年1月30日京都新聞夕刊によると、京都大学時計台の設計者として知られる武田吾一が監修し、弟子の宇都宮誠太郎設計で1936(昭和11)年に完成した建物とのこと。
しかし、耐震補強にかなりの費用が必要で、店を残すためやむなくこの建物を解体し、1階に店舗が入る5階建てのマンションが建つらしい。
 
風情ある「街の顔」がまた1つ消えていく。これも時代の流れか。
解体される4月まで、しっかり目に焼き付けておきたい。

断固ガラケー派

 
ブログを更新しないまま、気が付けば2月も半ばになろうとしている。
別に風邪などで体調を崩していたわけではないので、ご心配なく。
今のところ、幸い風邪やインフルエンザにはかからず、今日に至っている。
 
実は12月から始まっていたのだが、1月以降、大きな労働事件の最終の書面書き、労災事件の証人尋問が次々入り、しかもその間に家事事件の審判の書面書きや尋問もあり、当然それらのための打ち合わせや弁護団会議もあって、なかなか落ち着いてブログを書くことができなかった。
今日も祝日ではあるが、仕事で事務所に出て来たので、やっとブログを書き始めている。
 
ところで、世の中、アッと言う間にスマホブームとなった。
スマホの普及率は、約4人に1人ということのようだが、2012年は2011年と比べると倍増したとのこと。電車やバスの中でもスマホを触っている人の方が多いような気がする。これからも急速な勢いで伸びていくだろう。
 
旧来の携帯電話のことを「ガラケー」と呼ぶことを最近知った。
これは「ガラパゴス携帯電話」という言葉の略で、大陸と自由に行き来できない未開の島々であるガラパゴス諸島を、世界に通用しない日本の旧来型携帯電話になぞらえて言ったものらしい。
 
アナログ人間の私は、もちろんこのガラケーを死守している。
何せ2002年まで、自宅での固定電話はダイヤル式の黒電話を使っていた私だから・・・
スマホは、どこでもインターネットを見ることができるという点は確かに便利だと思うが、頻繁に充電しなければならない、料金が高い、電話機能が使いにくいなどなどの評判を耳にすると、「やっぱり、電話はガラケーね」と思ってしまう。
 
「ガラケーの機種が販売されなくなるまで、ガラケーを使うぞ!」となんとなく力んでみたくなる今の私・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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