「美魔女」ならぬ「美文字」・・・
中塚翠涛さんが書いた「美文字のすすめ」(セブン$アイ出版)を読んだ。
私の字・・・・丁寧に書けば読みやすい字だとは思うが、とうてい「整った字」とは言い難い。
まして、筆ペンなどで芳名帳に名前を書く時なんかは恥ずかしくて緊張しまくりである。
これまで習字は習ったことがない。
中学2年の時、生徒会の書記をしていた。当時はまだガリ版印刷で、マス目の中に鉄筆でまんまるい字を一生懸命書いた。だからなのか、今でも、私の字の形は丸くて子どもっぽい。
美文字は私の憧れである。
中塚さんは言う。
「その人らしさと、その人の想いがにじみ出て、相手に伝わる”その人だけの文字”こそ、『美文字』と呼べるのではないでしょうか。」
でも、読む相手のことなどお構いなしに、個性だけにまかせた独りよがりの字はダメ。
自分の個性を大切にしつつ、読む相手を思いやり、読みやすいように線や形、バランスを意識して丁寧に書くことは、とても重要だと強調されている。
また、中塚さんは言う。
自分の字は一生変わらないと思うのは大きな勘違い。
ちょっと字を意識するだけで(本には8つのエッセンスが紹介されている)、字は変わる。
これが本当であれば、嬉しいなあ・・・
大人になると、他人に自分の字を見られる機会は極端に少なくなる。
仕事でも文書の作成はたいていがパソコンだ。
以前、若い夫婦の離婚事件を扱った時、「夫の筆跡がわからない」と言われ愕然としたことがあった。でも、よくよく考えれば、最近の若者の通信手段はメール中心。年賀状などの宛て名も本文もほとんどがパソコンで作成される。筆跡がわからなくて当然かも。
歴史に登場する人物たちが書いた書簡が見つかって話題になったり、研究対象となったりするが、これからはどうなるんだろう。
パソコンで作成された文書なんて誰が書いたかわからないもんなあ。
私はと言うと、私信はできる限り自筆で書くようにしている。
手紙をいただいた時も、同じ内容であっても、パソコンで作成されたものよりも、自筆の方がずっと気持ちが伝わってくるような気がする。
中塚さんの言うとおり、文字には不思議な力がある。
これからは、もっと心込めて字を書こうと思った。
「美魔女」にはなれそうにないが、「美文字」なら・・・・・・
2013年4月アーカイブ
(女性弁護士の法律コラム NO.135)
離婚による母子家庭が増える中、父親から養育費を受けているのは約20%と低迷している(2013年4月23日付け京都新聞)。
厚生労働省の調査によると、母子世帯は、1983年に約71万世帯だったのが、2011年には約123万世帯まで増加した。平均年収はわずか291万円。
一方、離婚母子家庭で養育費を受けている割合は1983年の11.3%から1998年は20.8%まで増えたが、その後は横ばいで2011年は19.7%だった。
これまで、何件も離婚事件に関わり、未成年の子どもがいる場合で生活保護を受給していなければ、たいていのケースで養育費の取り決めも合意の中に盛り込んできた。
しかし、離婚後、「養育費が支払われていません」という相談は案外少ない。
相談が少ないからと言って、どのケースも合意どおり払われているとは、思っていない。
別れた元夫とはもう関わりたくないとか、父親がサラリーマンではないため強制執行したくても差し押さえるものがないとあきらめているケースもたくさんあるだろう。
仮に差し押さえる財産がなくても、養育費を家裁の調停などで取り決めた場合には、家裁が履行勧告や履行命令を出してくれるので、最低、そのような手続きは取ってみてはどうかと考える。
京都にこんなステキなイラストレーターの女性がいたんだ!
ナカムユキさん。
4月6日朝、なにげなくテレビをつけていたら、朝日放送の「life~夢のカタチ~」という番組でナカムラさんのことが取り上げられていた。
彼女が描くイラストは私が好きなタイプの絵だった。パリの街を描いたイラストなんて最高。
早速、ホームページを検索してみると、4月6日から毎週土曜の午後、彼女のアトリエショップ「TRICO+」(トリュコプリス)がオープンしていることを知った。
行ってみたい!
4月13日土曜日、さわやかな快晴の日になったので、ランニングを兼ねて、ナカムラさんの店に行ってみることにした。
店の場所は「哲学の道」に面しているらしい。
「哲学の道」というと、銀閣寺から南へ下がっていく道が有名だが、実は、今出川通りから北方にも「哲学の道」はある。
大学生時代は京大農学部の近くに下宿していたので、時々散歩したりしたこともあった。
「懐かしい~」と思いながら走って行くと、ナカムラさんの店はすぐに見つかった。
靴を脱いで中に入る。カフェスペースとなっていて座席は6席くらい。
静かな雰囲気。
あっ、ナカムラさんだ!
ナカムラさんは、仕事関係らしき方と話をされていた。
この店では、ナカムラさんの本やポストカードも販売されており、何枚かのポストカードのうち気に入った2枚を購入した。
また、時々、立ち寄ってみよう。
2013年4月13日付け朝日新聞別刷beで、今年4月から、医療機関の規模によって医療費の基本料金に差がつけられることを初めて知った。
数年前、大学時代の友人が勤務する大阪の大規模な民間病院で診てもらうことになった時のこと。
電話で、その友人の医師は「うちの病院は、紹介状がないと、初診料とは別に8400円かかるから、紹介状を持って来てもらった方がいいよ」とアドバイスしてくれた。
初診料は、病気やケガで初めて医療機関を受診したときにかかる基本料金で、診療所でも病院でも一律に2700円。
では、なぜ、紹介状がないと、そんなに高いの?
この8400円というのは、「特定医療費」と言って、平成4年度の医療法改正によって設けられた制度である。
初期の診療は地域や医院・診療所で受診し、高度・専門医療は大きな病院で行うことにより、限られた医療資源の有効活用、大きな病院の混雑緩和など、医療の合理化を図ることを目的としているとのこと。
しかし、このような制度をつくっても、国が描く医療体制に近づかないため、今年4月から、初診料、外来診療料を変更して大病院の利用に一定のハードルを設けることになったようだ。
具体的には、大病院に紹介状を持たずに初めて受診した患者は、初診料2700円のうち健康保険が適用されるのは2000円までで、700円は全額自己負担になる。
例えば、3割負担の場合なら、通常なら810円でよい窓口負担が1300円になる。
また、大病院での治療が終わって近隣の診療所などを紹介したのに、個人の都合で大病院に通ってくる患者は、外来診療料700円のうち健康保険がきくのは520円まで、残りの180円は全額自己負担になるので、通常210円でよい窓口負担は340円に増える。
近所には、京大病院、府立医大、第2日赤があるが、近くに大病院があるからと言って、安易にかけこむことはできないなあ。
(女性弁護士の法律コラム NO.135)
Mさん(女性)が私の法律相談に初めて訪れたのが1989年。
Mさんは難病を抱えていたが、まもなく自宅を出て京都地裁近くにアパートを借りて一人暮らしを始めた。当時55歳。車椅子生活だった。
子どもたちにピアノを教えたりされており、とても品のある、しかし芯の強い女性だった。
依頼を受けた事件は1991年に終わり、その後数回お目にかかったことはあったが、あとは年賀状を交換するだけだった。
昨年、私が現在の事務所に移ったという通知を出すと、Mさんから「先生に連絡を差し上げようと思っていたんですよ」と久しぶりに電話がかかった。
ヘルパーさんによる事故でケガをされたとのことで、その事件の依頼を受け、再びMさんとのつきあいが始まった。
Mさんは、78歳になっていたが、あいかわらず一人で車椅子生活をされていた。
もともと下半身には力が入らないのだが、事故後病院で懸命にリハビリをされ、事故前と同じとまではいかないまでも、一人で生活ができるまでになっていた。
Mさんの部屋には、車椅子に乗っても生活ができるよう、様々な工夫がなされていた。
また人間というものは、自分一人でやらないといけないと思って行動すると、ここまでできるんだということをMさんから教えられた。
Mさんの生き方は、私が年老いた時の目標のように思えた。
事件は昨年8月に終わった。
ところが、11月になって「今、病院に入院している」とMさんから電話が入り、実は9月に玄関でころんで骨折したとのことだった。
その後、回復はされたものの、いつまでも病院にいるわけにもいかず、また万一再び同じようなことが起こったらという不安もあって、今年3月、京都市内の北の方にあるケア付きの高齢者住宅に移る決心をされた。
今日は、借りていたアパートの明渡のために来るという連絡をもらったので、アパートまで会いに行った。
既に新しい住宅に1ヶ月ほど生活され、「やはり今、移って良かった」と言われたので、少しホッとした。
別れる時、タクシーに乗って手を振ってくれるMさんを見て、なんだか涙が出てきた。
Mさんなら、新しい環境でも頑張って生活していかれることと思う。
周囲にケアをしてくれる人もいるので安心だ。
また元気な顔を見に、お邪魔しようと思う。
五木寛之は、直木賞受賞作家であり、かつ随筆家、作詞家、作曲家としてあまりにも有名だが、実は、私は、彼の小説やエッセイはほとんど読んだことがない。
この「養生の実技」は、2004年に初版が発行されている。
彼は、1932年生まれだから、今年で81歳。72歳の時に書かれたエッセイである。
話は飛ぶが、最近「ノーシャンプー」(この話はまたいつかブログに書きますね)に関心を持っているのだが、実は、五木氏は「ノーシャンプー」どころか、髪はほとんど洗わないということを知った。
そして、「養生の実技」にはそういうことも書いてあることがわかり、読んでみた。
五木氏は言う「治療より養生」
「人間は生まれた日からこわれていく。老いるとは、そういうことだ。」
「そこを苦心して、少しでも良いコンディションをたもち、故障をおこさないように工夫するのが、養生ということ」
医者嫌い、病院嫌いだから、自分で養生する。
それも、気持ちよく、楽しめる方法で・・・・
五木氏の根底には、仏教観が流れていると思うが、無宗教の私にもなんとなく納得できる内容だった。
巻末に「私自身の体験と偏見による養生の実技100」が紹介されており、結構面白い。
長野県中野市は、キノコの生産量が日本一で、もちろんエノキダケの生産量も日本一。
その中野市などでブームとなっているのが「エノキ氷」。
テレビでも「ためしてガッテン」や「はなまるマーケット」ですでに取り上げられ紹介されている。
作り方は、エノキダケを鍋でトロトロになるまで煮て、それをさまして製氷皿に入れ、冷凍室で固めて氷状にする(いくつかのホームページで紹介されている)。
でも、作るのは面倒くさいので、3月に志賀高原へスキーに行った帰途、「中野市のスーパーマーケットならエノキ氷は絶対に売っている」という確信のもと、イオンを訪れ、予想どおりゲットすることができた。
説明書によると、みそ汁や鍋物、カレーライスなどに2~3個入れて使うとのこと。
早速、みそ汁に入れてみた。
所詮はエノキダケなので極端に味が変わるわけではないが、少しとろみがかり、やや濃厚な味になった。
♪空を超えて、ラララ星のかなた
行くぞアトム ジェットの限り
心優し、ラララ科学の子
10万馬力だ 鉄腕アトム♪
アニメ「鉄腕アトム」のテーマソングは今でもスラスラ歌える。
1963(昭和38)年1月1日が第1回の放映ということで、私が小学生の頃「鉄腕アトム」は国民的アイドルだった。現代の「ドラえもん」に匹敵する存在だった。
その鉄腕アトムが原発PRに利用されていた!?という記事が、2013年4月5日付け京都新聞夕刊に大きく報道されていた。
1977(昭和52)年、鉄腕アトムが原子力発電所をPRする冊子「アトムジャングル」が発行され、更に、翌年、続編「よみがえるジャングルの歌声」も作られた。
物語は、寒さで凍える動物を救おうと、アトムが動物と力を合わせてジャングルに原発を造る。続編は、やがてきた地震と津波に原発はびくともせず「安全でした」といって終わる。
しかし、原作者の手塚治虫氏は「描いた覚えもない。許可した覚えもない」と冊子の関与を否定し、「僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください」とインタビューで語った。
手塚氏が亡くなる8ヶ月前のことだった。
恥ずかしながら、鉄腕アトムが原発PRに利用されていたということは全く知らなかった。
しかし、福島原発事故後、インターネットで「鉄腕アトム」に対する批判的な書き込みがなされても、そのたびにファンが反論して「疑惑」を打ち消してくれているらしい。
「幸福のためにあるあるはずの科学技術が、人のエゴや欲でゆがめられてしまう。アトムはいつもそのはざまで悩んでいるのです」
そして漫画家萩尾望都氏は、「鉄腕アトム」が原発と関連づけて語られることにやるせなさを感じ、「アトム最終話」のあらすじを考えた。
原発の直後、アトム、妹ウラン、弟コバルトが一緒に放射性物質の除染のために福島に向かう。3人は発電所内で除染を終えた後、壊れて動かなくなる・・・・
あ~、想像しただけで涙が出てくるストーリーだ。
これなら、きっと手塚氏も認めてくれることと思う。
(女性弁護士の法律コラム NO.134)
元依頼者Hさんの紹介で「89歳の叔母が遺言の相談をしたいと言っています。タクシーでなら事務所へ行けると思いますが、できれば自宅まで来てほしいのですが」との依頼があり、昨日、その89歳の女性Kさん宅へ行ってきました。
Kさんは今も一人暮らしで、時々、姪が様子を見に行かれているとのことでした。
89歳の女性ってどんな方だろう?、遺言を書く場合の能力とかは大丈夫だろうか?など少し心配しながら、前もって親族の方からKさんの情報を伺って訪問しました。
でも、実際にお目にかかると、「89歳?」と思うほど元気でしっかりされており、親族の方から伺っていた昔の話題などスラスラと話されました。
「89歳って、何年生まれですか?」と尋ねると、「大正13年」との答えが返って来て、そうか、私の亡くなった父親と同じ年なんだと、なにか感慨深いものがありました。
話の内容からは遺言を書かれた方が良いと思われましたが、誰にどうしたいのか迷っておられるようなので、「遺言を作ろうと思われた時にはまた来ますから」と言って帰りました。
親類の娘が4月から高校3年生になった。薬大の受験を目指しているらしい。
その親が言うには、公立大学に合格できればともかく、私立だと、卒業するまでの6年間に学費だけで約1200万円かかるとのこと。
その私立大学のホームページを見ると、本当に約1200万円かかるようだ。
もし、私立に入学することになれば、奨学金を借りるしかないと親は語った。
今朝のNHKニュースは、奨学金問題を取り上げていた。
4月1日の衆議院予算委員会でも、共産党が政府に対し、奨学金の非情な取り立てが若者と親を苦しめている実態を告発していた。
日本には、貸与の奨学金しかなく、しかも有利子奨学金が増えて有利子貸与人員は7割にもなっている。
若者の就職が厳しい社会状況のもと、社会人1年目から奨学金返済という多額の借金を抱え、不安定な就労しかできなければ、あげくのはてには、若くして自己破産という結果にもなりかねない。
そんなんで日本の明るい未来はあるんだろうか。
政府は、昨年9月11日、国際人権規約にある中等教育、高等教育の漸進的無償化条項の留保を撤回し、現政権の文部科学大臣もそれを遵守すると答弁した。
子どもらには誰でも平等に教育の機会を与えたい。
※参考
・国際人権A規約(b)
種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能である、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること
・A規約(c)
高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等な機会が与えられるものとすること