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2025年6月アーカイブ

2025年6月12日付け京都新聞夕刊一面の「現代のことば」に、京都出身の脚本家桑原亮子さんがコラムを書かれていた。

桑原さんと言えば、以前NHKで放映されたドラマ「心の傷を癒すということ」や朝ドラ「舞いあがれ!」の脚本家である。

 

その桑原さん、「いつかこの人のドラマを書きたい」と心に秘めていた人が「やなせたかし」だったそう。

だから、朝ドラのモデルがやなせ夫妻(脚本は中園ミホさん)と知った桑原さんの「片想い中の先輩にいつ告白しようかそわそわドキドキしていたら、突然その先輩から結婚式の招待状が届いたくらいのショック」との表現は、さすが脚本家である、そのショックの度合いが手に取るようによくわかった。

 

さて、桑原さんがなぜ「やなせたかし」に恋い焦がれたのかというと、難聴を抱えて悩んでいた大学生の頃にやなせが編集した雑誌「詩とメルヘン」と出会い、自分の心が少しずつ元気になっていったという。

「詩とメルヘン」は、やなせたかしの生涯を語るに欠かせない雑誌であり、1973(昭和48)年4月に創刊された。もちろん前回のブログで紹介した本「やなせたかしの生涯」の中にも登場する。

「詩とメルヘン」は、読者が投稿した詩や童話と、プロの作家による作品を分け隔てなく載せ、実力あるイラストレーターが絵をつけるという珍しい本。発刊から30年も続いたという。

 

その「詩とメルヘン」に、桑原さんが子どもの頃のささやかな思い出を書いた詩を投稿すると、雑誌に掲載され、やなせのコメントもあったという。

「詩を通じて、心からの会話ができたような気がした」と桑原さん。

 

思えば、桑原さんが書いたドラマ「心の傷をやすということ」や「舞いあがれ!」にも、人と人とが心から通じ合えるような自然で素晴らしい言葉がたくさんちりばめられていた。

 

そんな桑原さんの原点が、「やなせたかし」だった。

「詩とメルヘン」という雑誌、どこか図書館かで探して読んでみたいと思った。

 

 

 

 

現在放映中のNHK朝ドラ「あんぱん」は、やなせたかしの妻暢(のぶ)が主人公。

ドラマの中では、たかしとのぶは、幼なじみという設定だが、実際は、たかしが戦後就職した高知新聞社の同僚として知りあって結婚した。

 

朝ドラを観ていることもあって、これまで全く知らなかった「やなせたかし」という人物のことを知りたいと思い、「やなせたかしの生涯」(梯久美子著)という文庫本を読んだ。

この本は、ノンフィクションで事実にもとづいて書かれている。

これを読んで、彼が生涯にわたって、「アンパンマン」などの作品に貫いた思いやその背景を少し理解することができたような気がする。

 

やなせたかし(本名:柳瀬嵩)は、1919年、高知県出身。漫画家、脚本家、美術監督、詩人。2013年94歳で永眠。

国民的キャラクターである「アンパンマン」の作者で、「手のひらを太陽に」の作詞家でもある。

 

実は、私は、これまで「アンパンマン」のテレビを観たことがないし、そのストーリも全く知らなかった。アンパンマンが自分の顔を食べさせておなかがすいた人を救うという特異なキャラクターであることを、朝ドラ関連の記事を読む中で知った(ちなみに、朝ドラはまだ、アンパンマン誕生まで至っていない)。

絵本「あんぱんまん」が刊行されたのが1973(昭和48)年。

アニメ放送第1回が1988(昭和63)年、もう私はすっかり大人になっており、子ども向けアニメには興味関心がなかったのだろう。観たことがなくてしかり、である。

 

今週の朝ドラは、たかしにも赤紙が来て召集され、軍隊や戦争場面が描かれる。実際に、やなせたかし自身も5年間戦争に行き、戦争の壮絶さ・残酷さそして悲惨さを身をもって体験した。その戦争体験がそれ以降のやなせたかしを作り上げる。

 

「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」「もし、ひっくり返らない正義があるとすれば、それは、おなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」

やなせたかしは、5年間戦争に行き、終戦直後に悩み抜いて出した自分なりの答えを、アンパンマンに託した。

また、おながすいた人に食べさせて顔がなくなってしまったアンパンマンがエネルギーを失速するところには、「正義を行い、人を助けようとしたら、自分も傷つくことお覚悟しなければならない」という考えがある。弱いヒーローが勇気を出した時、本当のヒーローになれるという考えがある。

 

ますます、これからの朝ドラが楽しみである。

ふるさと岐阜に帰省してきました

叔母の一周忌の法要があったので、久しぶりに岐阜に帰省した。

 

駅前では、たまたま日本共産党の街頭演説会が開かれており、国会議員の山添拓さんが演説されていた。山添さんは、京都出身で、今は東京の弁護士だ。

 

 

山添さんは岐阜初来訪とのこと。京都と違い聴衆が少なかったので、私もしばらく聴衆の1人となった。

 

岐阜駅2階には、鵜飼の大きな広告が飾られていた。鵜匠さんの写真入りだったので、小学校の同級生の山下哲司さんの写真がないかなあと探したら、あった!

おそらく、これ!(手前)

 

それにしても、岐阜市中心街は、もはや私が10代まで暮らしていた頃の活気は感じられない。私が大学生の頃に出来た高島屋が昨年7月に閉店となり、日本でデパートのない4県の1つとなった。

美川憲一が歌った「柳ヶ瀬ブルース」で一世を風靡した柳ヶ瀬も、先日、さびれいく柳ヶ瀬としてドキュメンタリー番組が放映されていた。

かと言って、岐阜駅周辺には高層マンションがいくつか建ってはいるが、こちらも決してにぎやかな街となっているわけではない。

買い物も不便そうで、大型スーパーはほとんど郊外にあり、車がないとなかなか行かれない。

 

ふるさと岐阜を思うと、なんだか寂しい限りである。

金華山と岐阜城そして長良川の景観が変わっていないのが、唯一私のふるさと岐阜の思い出のよりどころである。

客からの迷惑行為など(カスタマーハラスメント)から働く人を守る対策を企業に義務づける改正法が、2025年6月4日国会で成立しました。

「労働施策総合推進法」の改正です。

 

改正法におけるカスタマーハラスメントの定義は、「顧客、取引先、施設利用者、その他の関係者」が「社会通念上の許容範囲を超えた言動」で、「労働者の就業環境が害されること」です。

 

企業に義務化される対策の具体的な内容については、今後、厚生労働省が指針として示すことになっています。

改正法は、公布から1年半以内に施行されることになっています。

 

また、男女雇用機会均等法も改正され、就職活動中の学生など仕事を探す求職者へのセクハラ防止に向けた対策を企業に義務づけます。

こちらも厚生労働省が今後指針を示す予定となっています。

 

 

 

2024年7月10日付けブログで「22年ぶり5度目の礼文島の旅」のことを書いたが、今年6月初め、6度目の礼文島の旅に出掛けた。

 

昨年の礼文の旅は天候が悪く、同行した山仲間の中には初めて訪れた人もいて、なんとなく欲求不満がたまっていたことから、今回同じメンバーでリベンジの旅となった。

どうせ行くなら、礼文島の準絶滅危惧種であるレブンアツモリソウが見頃の時期が良いということで、日が決まった。

昨年は天候が悪い日が続いていたため、なかなかウニ漁が出来ないとのことで、私も礼文に来て初めてウニを口にできなかったので、そのリベンジもあった。

 

レブンアツモリソウは、20数年前に2度、見たことがあった。

1度目はホテルの中庭の花壇で、2度目はレブンアツモリソウ群生地にわずか数輪が残っていた花を。

レブンアツモリソウ(ラン科)は開花時期が5月中旬から6月上旬頃までで、礼文島で高山植物が咲き乱れる時期からは少し早く咲く。だから、2度見たと言っても、本来の開花時期からは少し遅い時期で、たまたま出会うことができたという感じだった。

 

今回は、従来のレブンアツモリソウ群生地とは全く別の場所に、新たな群生地が今年からオープンしたというサプライズがあった。

4-5年前に海岸の砂浜に残土を捨てたところ、そこからレブンアツモリソウの芽が出て開花し、今年開園に至ったらしい。

まだあまり知られていないのか、観光客もまばらで、近くでゆっくり見ることができた。

クリーム色や白色の3~4㎝位のピンポン玉のような花は、本当に可愛かった。

 

 

 

ただ、翌日のNHKのニュースでは報道されていたので、放映後は混雑したかも。

 

さてさて、ウニ丼もスコトン岬と稚内で、2度、食にありつくことができ、こちらの方も大満足でした。

 

 

 

 

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