1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

白山白川郷ホワイトロード

 
7月1日(日)は、岐阜県と石川県をつなぐドライブロード「白山白川郷ホワイトロード」(旧 白山スーパー林道)へ行った。
目的は、このロードの最高地点(1450m)の三方岩駐車場から、三方岩岳(1736m)に登るためだ。
 
先週早くも関東地方は梅雨明けしたので、東海北陸地方も梅雨明けするかと思っていたら、6月29日に岐阜県下呂市では大雨による土砂崩れがあってJR高山線が運休となるなど各地で被害が発生し、6月30日(土)も天気は悪かった。
その意味で、7月1日は、束の間の晴れ間だったかもしれない。
 
ロードの最高地点の三方岩駐車場と、そこから見る三方岩岳。
 

 
駐車場には、まだ雪が残っていた。
 

 
 
三方岩岳は、駐車場からだと、往復約1時間半から2時間のコースで、登山道も整備されており、初心者コースの山だ。
でも、標高は1000mを越えており、展望も良い。
 
登山道には、高山植物が咲いていた。
 
ゴゼンタチバナ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニッコウキスゲ

 
約40分で山頂に到着。
山頂は、広々として、360度の展望だったが、風が強く吹いて、ジッと立っていられないほどだった。
 

 

 
 
山頂から白山を望む。今日は、白山の山開きの日だ。でも、まだ、たくさん雪が残っている。
 

 
下山して駐車場に戻った後は、滝を見るため、車で石川県側へ。
 
ふくべ大滝。
道路沿いにあって、国見岳の断崖から86m直下する豪壮な大滝。
水しぶきが道路までかかってくる。
 

 
姥ヶ滝
この滝に行くには、川沿いの遊歩道を約15~20分かけて歩いて行かなければならない。
落差76mの滝で、山の中腹から崖壁を数百条の細かい流れがすべるように落ちる。
この様子がまるで老婆が白髪を振り乱したように見えることから名前が付いたとされる。
いやいや、とても美しい滝。日本の滝百選の1つとのこと。
 

 
白山白川郷ホワイトロードを満喫した1日だった。

夫源病

 
「夫源病」という病気をご存知だろうか。
この病名は、医学的な病名ではなく、文字どおり、「夫」が原因となった病気のこと。
夫の何気ない言葉や態度あるいは夫の存在そのものが強いストレスとなって、自律神経やホルモンのバランスを崩し、妻の心身に、めまい、動悸、頭痛、不眠などの症状が現れることを言う。
京都市左京区出身の医師石蔵文信さんが、2001年から大阪市の更年期外来において夫婦を診察する中で気づき命名したもの。
 
その石蔵さんの講演会が、このほど、京都府医師婦人会の企画で行われ、その講演内容が2018年6月25日付け京都新聞朝刊に掲載されていたので、興味深く読んだ。
 
「65歳以上の男女を愛媛県の医師が調査した結果、夫のいる女性の死亡率はいない人の2.02倍、逆に男性は、妻がいる人はいない人の0.46倍だった」
 
この数字は、妻にとって、老後を夫と暮らすとたばこより死亡リスクが高いとのこと。
・・・・夫を亡くした妻が直後は落ち込んでいても、しばらくすると、夫がいた頃より元気で活動的になるということはよく聞く話だ。
 
ある雑誌の調査では71%が「夫に愛情がない」と答え、離婚しないのは経済的な理由とのこと。
・・・・私の相談者の中には、夫が浮気している証拠をバッチリ持っていても、「夫が生活費をくれる間は黙っている」と言う女性もいる。
 
石蔵さんは、男性は定年後に時間ができると愛情を深めようと、旅行に連れて行ったりしようとするが、これは逆効果で、妻は友だちや娘と行きたいのだから、行かせてあげなさいと、言う。
・・・・そのとおり!もっとも!
 
「定年後の夫が負担で、妻に頭痛が始まり、血圧が上昇、動悸もひどい。こんな症状を『妻の亭主在宅症候群』と紹介した」
 
夫と一緒にいると身体がもたない面もあると診てわかる。
旅行で1週間くらい夫と離れたら体調が改善することが多く、「プチ別居」を勧めているとのこと。
 
更に、石蔵さんは、最大の問題は、男性が妻を対等な個人として見ているかどうかだと言う。
「米国の大学の調査では、『怒りを我慢する、けんかの少ない夫婦』は、『我慢せず怒り、けんかの多い夫婦』の2倍も死亡率が高かった」
夫源病は夫に従う「良妻賢母型」が危ない。けんかはいとわわず、やってください。
 
結びは、「『夫婦はかみ合わない』、この前提でやっていくことが大事ではないか。」
 
・・・・夫婦の「性格の不一致」は当たり前。
それをしっかり認識した上で、二人で生きるか、一人で生きるかの選択ですね。
 
 

近畿の地震~一夜明けて~

 
昨日、同僚弁護士は、大阪地裁での裁判が入っていたようですが、裁判所から連絡が入って期日は変更となりました。
私たちの近隣では、目に見えた被害がなかったので、JRや私鉄がストップし、交通網が乱れているせい・・・くらいしか考えていませんでした。
 
ところが、夜、帰宅して、ニュースを見て驚きました。
大阪はすごい状態になっていました。
死亡者やけが人も出て、建物が壊れる、家の中は家具が倒れ物が落ちてメチャクチャ、停電、断水、歩いて自宅や会社に向かう人の長い列・・・
特に、高槻や茨木がひどいようでした。
 
すぐに高槻に住む友人に電話をしました。
阪神大震災を経験している彼女は「たいしたことない」と言っていましたが、良かったら京都に来てと伝えました(京都も安全かどうかわかりませんが・・・)。
 
電車は動くようになりましたが、今日も、京都でも余震を少し感じます。
 
早く落ち着いてほしいと願います。
 
 
 
 
 
 
 
 

6.18 近畿地方で地震

 
今朝午前8時頃、近畿地方で地震がありました。
かなりの揺れを感じました。
大阪府北部が震源で、最大震度6弱とのこと。
京都市中京区は震度5弱だったそうです。
 
何人かの方々から、「大丈夫でしたか?」とメールをいただきましたが、自宅も事務所も棚から本が落ちることもなく、大丈夫でした。
ご心配、有り難うございました。
 
でも、京都府南部に住む依頼者の方からは、棚から本が落ち、食器や置物も落ちて、テレビが飛び出しそうになったというメールをいただきました。
ガスもまだ使用禁止とのことでした。
京都府内では、南の方がひどそうです。
大阪府内では17万戸が停電し、また、電車がストップするなど交通網は乱れています。
 
このような地震は、神戸の震災以来ではないでしょうか。
最近、千葉や群馬にあいついで地震が発生し、関東のことが心配になっていましたが、地震はいつどこで起きても不思議ではないことを改めて痛感しました。
 
 
 

「わらじ医者」早川一光さん死去

 
本日2018年6月5日付け京都新聞朝刊1面に、戦後まもなくから京都の地域医療に尽力し「わらじ医者」と親しまれた早川一光(はやかわ・かずてる)さんが、6月2日に亡くなられたという報が掲載されていた。
94歳。
 
生前の早川先生とは直接面識はなかったが、半世紀にわたって堀川病院において地域医療に携わり、また1987年から約30年にもわたりKBS京都のラジオ番組のパーソナリティも務められた医師として、京都では有名な人であった。
 
闘病生活に入られてからは、京都新聞の「こんなはずじゃなかった」という連載の中で、今度は「患者」の立場から医療制度への問題提起や「老い」との向き合い方を、時には笑いを交えて語っておられ、いつも愛読していた(2017年3月10日の当ブログ)。
 
京都新聞の記事によると、早川さんは、5月31日の連載の最終回を見届け、その2日後にモットーである「畳の上で大往生」を全うされたとのこと。
 
最終回のタイトルは、「生きている限り虹を追いかけたい」。
 
「患者さんの臓器だけ診るのではなく、環境、暮らしのなかから診るという医療。物事を総合的に捉える必要性を、僕はどうしても言うていきたい。」
「自分たちのための教育、医療、福祉を、どうすれば自分たちでつくり手に入れられるか。これって難しいなあ。」
「ちょうど虹みたいなもんや。虹に向かって走ると、忽然と姿を消す。でもな、この見えにくくなったものを追いかけたいと思っている。」
「それでも、少しでも近づきたくて。」
「これが、今の僕です。」
 
ずっと目標を持って進んでいく・・・それが「生きる」っていうこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

奥琵琶湖へのミニ旅行

 
週末、マアマアの天気だったので、奥琵琶湖方面へ足を伸ばした。
 
●びわ湖バレイ
 
ロープウエイに乗って、打見山(1100m)へ。
ここのロープウエイは日本最速の速さだそうで、観光シーズンは秒速7m、冬期は秒速12mとのことで、数分で山上に到着した。
びわ湖バレイは、近年、びわ湖テラスが設置されたり、空中散歩・ジップラインなどアドベンチャー体験ができることもあって、人気が高まっている。
 
打見山から蓬莱山(1174m)までは、スキー用のリフトに乗って行くこともできるが、もちろん歩く。
蓬莱山山頂にも木製のテラスが設置されており、そこから琵琶湖を眺めることができる。
この日は薄曇りで、景色はイマイチだったが、それほど暑くもなく、山上には心地よい風が吹いていた。
 
人混みを避けて、琵琶湖には面していない反対側の山頂で、昼食用の焼きそばを作って食べる。
午後1時過ぎに下山したが、まだまだ観光客がたくさん入って来ていた。
 
●高島市マキノのメタセコイア並木。
 
マキノには、とても美しいメタセコイアの並木がある。
この並木道は、赤坂山などに登る時に通る道だが、いつもは車でアッという間に通り過ぎ、ゆっくり歩いたことがなかった。
 
並木は全長2.5キロ。
ここをゆっくりと歩く。
 

 
このメタセコイアは、秋は紅く、冬は雪で白く染まる。
また、秋も冬も来てみたい。
 
●琵琶湖の天然うなぎ
 
うなぎ屋は数々あれど、天然うなぎが食べられる店は、ほとんどない。
長浜市の「住茂登」(すみもと)では、琵琶湖の天然うなぎが食べられる。
それも5月頃から8月頃限定。
食べに行ってみた。
店は、黒壁スクエアの近くにあった。
 

 

 
 
これが、天然うなぎ。
 

 
かなり肉厚のため、蒲焼きには向かず、白焼きにしたものを、わさびじょうゆや塩で食べる。
味は、あっさり。
私は、やはり蒲焼きの方がいいなあ。
 

5月15日、葵祭の日の「羅紗庵」

 
5月13日付けブログの続き。
 
5月15日、葵祭。行列は午前10時半頃から、堺町御門から出発の予定。
朝から快晴で、暑い。
よくよく考えたら、この日午前中、私は、裁判も含め仕事が入っており、祭りを鑑賞する時間はない。
それでも、京都地裁での午前10時の裁判を終えた後、丸太町通りから事務所に戻ることとし、堺町丸太町角にある「羅紗庵」の前を通った。
 
瀬戸内寂聴さんの姿がないかと「羅紗庵」の2階を見上げると、普段は雨戸で閉ざされている2階の窓がガラス窓になっている。
やっぱり、新聞に書かれていたように、今年も見に来られているんだ。
 
ただそれだけを確認して、行列開始を待つ間もなく、事務所に帰った。
 
 
 

瀬戸内寂聴さんの「羅紗庵」は、ご近所さん

 
うちの事務所は、「堺町通竹屋町下る」にある。
南北に通る「堺町通」と東西に通る「竹屋町通」の交差点から「下った(さがった)」=南行した所にある。
 
瀬戸内寂聴さんは、「堺町通丸太町角」に町屋「羅紗庵」を所有されている。
 

 

 
「丸太町通」は「竹屋町通」の一筋北側にある東西に通る幹線道路で、京都御苑の南側に接しており、「羅紗庵」は御所の堺町御門の真ん前に位置している。
だから、うちの事務所と「羅更庵」とはご近所なのである。
 
「堺町通丸太町角」の町屋が瀬戸内さんの所有であることは、誰かから聞いて、以前から知っていたが、ここに人が出入りしたり、明かりが点っていることを見たことがないので、利用されていないんじゃないかと思っていた。
 
その瀬戸内さんが、2018年5月13日付け京都新聞朝刊に「葵祭とわが誕生日」と題して寄稿されていた。
瀬戸内さんの誕生日は、葵祭の日の5月15日である。
そして、この投稿を読んで、瀬戸内さんが、毎年5月15日には「羅紗庵」に来て、御所の堺町御門から出てくる葵祭の行列を見物されていることを知った。
 
瀬戸内さんは、この町屋のことを
「私が徹底的に手を入れて建て直した町屋で、電球の笠まで、大正時代のものに付け替えた。遺言で私にくださった、チベット学者の佐藤長先生にちなんで『羅紗庵』と表札をかけている。その2階から見物すると、馬に乗った人と鼻をつきあわす近さに行列が迫る。その行列も毎年、これが最後かな、と眺めている私である」
と記されている。
 
京都御所の近所にいながら、ここ数年、葵祭をわざわざ見に行ったことはない。
でも、今年は、瀬戸内さんを見に、行ってみようかな・・・
 
 
 
 
 
 
 

母の思い出~十二単(アジュガ)の花~

 

 
毎年、4月の今頃の時期になると、当事務所がある堺町通りに面する近所のマンションの花壇に、鮮やかで可憐な花「十二単」(アジュガ)が咲く。
紫色がとてもまぶしい。
 
毎年、この花を見るたびに、亡き母のことを思い出す。
 
母は、2000年4月に、突然、ガンであることが判明した。
入院して手術を受けることになった母は、ある日、私に「もう、そろそろ、庭に十二単が咲き始めていると思うよ」と言った。
母が入院する前は、年度がわりの4月という時期に帰省したことなどなく、従って、実家の庭に「十二単」という花が咲いているところは見たことがなかった。
 
夜、病院から実家に帰り、翌朝、雨戸を開けると、庭の通路脇一面に鮮やかな紫色が広がっている光景を目にし、思わず息をのんだ。
すごい!
まるで紫の絨毯を敷いたような、美しさだった。
きっと母が自慢の花だったんだろう。
「ものすっごく、綺麗やった」と病床の母に報告すると、母はとても嬉しそうだった。
 
母は2ヶ月後の6月末に亡くなった。
実家は無人となり、庭は私が時々帰省して草取りをするくらいであったが、それから数年間は、毎年4月に実家に帰省すると、この十二単が鮮やかな紫色の花を見せてくれた。
 
母が亡くなってもう18年が経とうとしている。
でも、春に「十二単」の花を見かけるたびに、亡くなる直前の母の姿を思い出してしまう。
 
 
 

女人禁制の山

 
京都府舞鶴市での相撲巡業で、土俵上で市長が倒れ、医療従事者の女性が土俵に駆け上がって救命措置を取ったことで、「女人禁制」が話題になっている。
 
登山をするので、「女人禁制」という言葉を聞いて、すぐに思い浮かぶのは、やはり「山」である。
 
女人禁制の地とは、令状・寺社・西条などへの女性の立ち入りを禁止した場所のことを指すが、ほとんどの寺社や仏閣に関しての女人禁制の地は、明治5年3月27日の太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により解除が行われたそうだ。
 
例えば、富士山は、江戸末期までは2合目までしか女性が登ることができなかったらしい。
立山、白山、比叡山、高野山なども、1872(明治5)年まで女人禁制の山となっていた。
女人禁制が解除されたからこそ、私もあちこちの山の登山を楽しみ、日本百名山も完登できた。
 
しかし、今も、女人禁制となっている山がある。
それは、奈良県の「大峯山」(おおみねさん)だ。
「大峰山」は吉野から熊野に至る山塊の総称だが、その中の「山丈ケ岳」(さんじょうがたけ)は女人禁制となっており、登山道には立派な「女人結界門」が存在する。
過去には、性差別を訴える女性らが結界門を越えて登山を強行するという事件も起こったそうだ。
 
当事務所のホームページの「法律コラム:その他」で村井弁護士が「失踪宣告」というタイトルで事件報告を書いている(2014年12月24日掲載)。
村井弁護士が扱った、山に登ったまま帰って来ない男性の失踪宣告事件(危難失踪)の正にその山が「山丈ケ岳」であった。
原審の京都家裁が、「山丈ケ岳」などで遭難するはずがないとして危難失踪を認めなかったため、大阪高裁に抗告した。
そこで、証拠として提出すべく調査のため、山丈ヶ岳に実際に登り、写真も撮りたいが、女性の私を補助者として同行できない・・・どうするか?
「男性の格好をして登るか?」など本気か冗談かわからないような会話が交わされたりしたが、結局、その事件は、現場の写真を提出するまでもなく、大阪高裁で、危難失踪の認定が下され、「強行」することもなく、一件落着となった。
 
女人禁制には、色々な背景があると思われるが、今の時代、登山に女人禁制は撤廃してもらいたいものだ。
 
 
 

知人のお宅訪問

 
3月、2人の知人のお宅を訪問した。
仕事ではない。
知人が住む部屋を見せてもらうために訪問した。
 
1人は、同じマンションに住む知人。
年末年始約2ヶ月にかけてリフォーム工事され、間取りが同じなので、どのようにリフォームされたのかなあと思っていた。
たまたま話す機会があり、「良かったら、見に来てください」と言っていただいたので、あつかましく訪問させてもらった。
主要柱を残して全面的にリフォームされたそうで、玄関もお風呂もトイレもすべて広くなり、キッチンは対面式となり、リビングはモノトーンでかつ間接照明で落ち着いて・・・・
とてもシックなデザインで、まるでホテルの1室のような素敵な部屋だった。
 
もう1人は、別のマンションに住む知人。
近々全面リフォーム工事をすると聞いたので、「完成したら見せてくださいね」と言ったら、「リフォーム前と比べられるよう、現状も見に来てください」と言われたので、こちらも、あつかましく訪問。
マンションの最上階で、リビングの天井は高く、今でも素敵な部屋だ。
今は、壁紙などもすごくお洒落なものがたくさん販売されており、選ぶのに迷ってしまうとのこと。
設計図も見せてもらったが、あまりイメージできないので、リフォーム後が楽しみ。
 
さて、我が家に戻ると・・・
テーブルの上には、読みかけの本や雑誌、新聞、書類などが積み重なり、「生活感」まるだしで雑然としている。
部屋の仕様は、決して使いやすいわけではないのでリフォームには憧れるが、外に出ていることが多く、また「綺麗に維持すること」が苦手な私には、結局、リフォームなどには無縁なのかもしれない。
 
 
 
 
 

2018年 京都の桜

 
今年は全国的に桜の開花が早い。
京都市内は、もう、どこも満開あるいは散り始めている。
今年は、なぜか、ゆっくり花見をする時間がなく、3月31日(土曜日)に少し時間を見つけて、写真を撮りに出かけた。
 
御所の桜
 

 

 

 

 
京都地裁の桜
 

 
疎水の桜
 

 
鴨川の桜
 

 
 
 
 

今年初のWALK&RUN、そして初登山

 
急な寒さに見舞われた先週始めとは打って変わり、3月24・25日の土日は両日とも快晴で、京都市内のあちこちで桜が開花し始めた。
 
3月24日は、午前中、御所の内周約4㎞をWALK&RUN。
初RUNなので、はじめから余り無理をしないよう、少し歩いて少し走るを繰り返した。
まだ空気はひんやりとしていたが、走るにつれ、汗ばんできた。
御所の梅は満開を過ぎ、今は、しだれ桜が満開。
 
翌25日(日)は、午前中、大文字登山。
今年の初登山。
銀閣寺側の登山口に向かう坂の途中で、トレランの練習で下ってきたF弁護士とすれ違う。
年齢あまり変わらないのに、元気やなあ・・・
 
登山口。
 

 
登山口からゆっくり登っていく。
今日は、頂上までは行かず、「大」の字まで。
 

 
昨日ほどの青空はなく、空には霞がかかっている。
「大」の字から見る市内の景色もボンヤリ。
お湯を沸かしてスープを飲んだ後、鹿ヶ谷へ下山。
 
疎水の桜もまだ1~2分程度しか咲いていなかった。
 
これからしばらくは、歩くのに快適な季節になる。
ボチボチ、頑張ろ。

作家内田康夫さん、死去

 
作家の内田康夫さん(83歳)が2018年3月13日に死去されたことを知った。
内田康夫さんと言えば、テレビドラマ化されている名探偵浅見光彦シリーズで知られる作家であある。
 
そして、以前にも(2013年1月10日付け)ブログで書いたことがあるが、何を隠そう、私はアサミスト(「浅見光彦」ファン)である。
 
以前、同じ事務所に所属していたOg弁護士も大の内田ファンで、新刊が出るとすぐに購入していたので、私は彼から借りてすべての作品を読んだ。
テレビドラマは、謎解きあるいは犯人探しとなってしまっていて深みが感じられないが、原作の方は、内田氏の幅広い知見により、毎回、様々なテーマが深く掘り下げられ、社会問題にも鋭く切り込まれている。
だから、断然、原作の方が面白い。
 
全国各地が舞台になり、1999年の沖縄県を舞台とした作品「ユタが愛した探偵」で、47都道府県すべてを網羅したとのこと。
私自身、小説を読んで行ってみたいと思い、富山県のおわら風の盆、広島県鞆の浦、島根県津和野など多くの場所を実際に訪れた。
 
もう内田さんの小説が読めないと思うと残念でならない。
心よりご冥福を祈る。
 

映画「この世界の片隅に」を観て

 
2016年11月に公開されて、ロングランヒットを続けるアニメ映画「この世界の片隅に」。
前々からずっと観たいと思っていて、最近になってやっと観る機会を得た。それも無料で。
 
主な舞台は、広島・呉。
主人公「すずさん」の戦前(太平洋戦争)から戦争が終わるまでの暮らしを描く。
 
戦時中、18歳で広島から呉に嫁いだ、すずさん。
道ばたの草を摘んでおかずとしたり、米を嵩ましして炊いたり、そして町の風景・・・・
あらゆる生活を、当時の人々の記憶から再現しているという。
どこか抜けていてホワッとした人柄のすずさんが、戦時中にあっても、暮らしを明るくしてくれる。
「すずさん」の声を演じる女優のんがイイ。
 
映画後半、爆弾によって姪が死亡し自分も片手を失う、激しい空襲、そして広島への原爆投下等が、前半の明るさから一転して、すずさんの悲しみを広げていく。
 
観終わっても、また、もう1度観てみたい、そんな思いになる良い作品であった。
 

手のひらに憲法プロジェクト

 
先日の京都新聞でも紹介されていたが、京都で、「手のひらに憲法プロジェクト」という取り組みが始まった。
これは、冊子「ポケット憲法」を多くの人々に広げていこうという取り組みである。
岡田知弘京都大学経済学部教授が呼びかけ人代表となり、京都弁護士会の尾藤廣喜弁護士や中村和雄弁護士も呼びかけ人となっている。
 
岡田教授が、雑誌「ねっとわーく京都」4月号に、その思いを語っておられた。
 
1928年に河上肇事件が起こった時、京都大学経済学部では、既に始まっていた思想弾圧を止められなかったという歴史の反省にたち、
「戦争という経験、戦争は必ず戦闘開始前に地方自治や学問の自由、報道の自由を奪っていく、こういった動きに対して、私たちは事前に警鐘を鳴らす責任があるのではないかと思います。そうした思いで今回『手のひらに憲法プロジェクト』を始めようと考えました」
 
童謡『手のひらに太陽を』(やなせたかし作詞)の「歌詞にはそれぞれが違っていてもみんな生きている、その権利があるし、泣いたり笑ったりしているー太陽のもとでそういったことができるのは、やはり平和な状態でしかできないことです」
 
「一人ひとりの子どもたちからお父さん、お母さん、お年寄りまで自分の問題として憲法の内容を知り、考え、自分のものにしていくことが必要ではないか、手のひらに、太陽と一緒に憲法をかざす人たちを広げていきたいという思いを込めて、こういう名称にしてみました」
 
「どのような立場でも、まずは憲法を手にとって、読んで内容を知ってもらうこと、そして主権者である私たち一人ひとりが考えて議論する運動を広げていくことが大切ではないか、その一助になることを目的にしてこの取り組みを考えました」
 
昨年の憲法記念日には、安倍首相が2020年までに改正憲法を施行すると明言するにいたった。
憲法を変えるという動きが加速する中、今一度、私たちが本当に憲法の内容を知り暮らしにあてはめていく必要があるし、このプロジェクトのように、そんな取り組みが色々な形で全国で起こってくるのがイイ。
 
なお、このプロジェクトが発行する「ポケット憲法」の内容は、日本国憲法と大日本帝国憲法、そして「あたらしい憲法のはなし」。
「あたらしい憲法のはなし」というのは、日本国憲法制定直後に国が文部省著作というかたちで、わかりやすく憲法の解説をしたものである。
普及は、1冊100円程度の支援カンパで、ホームページのみで受け付けをする。
 
(手のひらに憲法プロジェクトお問い合わせ先)
電話075-211-1161
URL   http://pocketkenpo.com/
メール   info@pocketkenpo.com
 
 
 
 
 

 
ソチと平昌の2度の冬季オリンピックのフィギュアスケートで金メダルを取るという快挙を成し遂げた羽生結弦選手。
その羽生クンが殿様役で映画初出演したのが2016年5月に公開された「殿、利息でござる!」。
 
歴史学者磯田道史先生原作の映画「武士の家計簿」を観たという人が、磯田先生に「私の故郷・吉岡宿にも、涙なくして語れない立派な人たちがいたので、本を書いてください」と連絡があった。
それで、磯田先生は、「國恩記」という資料を読んで感動し、「穀田十三郎」という著作にまとめ、それを原作として映画化されたのが「殿、利息でござる!」である。
 
2018年1月17日付けのブログで書いたように、磯田先生の「日本史の内幕」を読み、磯田先生の「無私の日本人」という文庫本の中にこの「穀田十三郎」という著作があることを知り、無性に読みたくなり読んでみた。
と同時に、たまたま映画「殿、利息でござる!」の方も観ることができた。
 
ストーリーは・・・
250年前の江戸時代、仙台藩の宿場町・吉岡宿(現在の宮城県黒川郡大和町)。
宿場には、年貢だけではすまず、「伝馬役」という負担があり、藩が公用で街道を往来するといって人馬を強制的に徴発していく。
飢饉のたびに、住人が町を逃げ出していく。
「このままでは吉岡は亡ぶ」そう考えた十三郎が、智恵者の菅原屋篤平治から町を救う計画を聞く。
それは、金がない仙台藩に大金を貸し付けることによって、年々、利息をもらい、住人に配るという逆転の発想だった。
そして、ついに、数人の仲間たちが私財を投げ打ち、1000両(約3億円)もの金を藩に貸し付け、町を救うことができた・・・
 
町の住人が藩に金を貸し付けるなどという大それたことが簡単に進んだわけではなく、その実現には何年もかかったが、ただただ吉岡の繁栄を願う「無私」の心が政治を動かした。
 
貧しい東北の地で、このような実話が存在したことは、本当に感動的である。
いや、貧しい東北の地であったからこそ、個人が私利私欲に走らず、成し遂げることができたのかもしれない。
 
なお、羽生クンは、仙台藩の殿様として、映画終盤に登場。
殿様自ら功労者の一人である住人の酒屋を訪れ、酒の名前の命名して与えるという役どころ。
映画の出演オファーに、最初はスケート選手だからということで断ったそうだが、原作の「無私の日本人」を読んで感動し、出演することになったとのこと。
 
 
 
 
 
 

福地温泉の「青だる」

 
岐阜県の奥飛騨温泉郷の1つに「福地温泉」がある。
福地温泉は、有名な平湯温泉のすぐ近くにあるが、宿は数軒で、平湯温泉よりも静かでひなびた感じが好きだ。
昨年の秋、上高地を訪れた帰りに初めて立ち寄り、すっかり気に入ってしまった。
 
そして冬季には、「青だる」と呼ばれる氷柱が見られることを知り、先日、再び、福地温泉を訪れた。
 

 
「青だる」とは、岩から滴り落ちる水が凍りついて、青い氷の帯のように見える現象のことを言う。
実際には、温泉の近くにある福知山(1671M)の山奥でしか見られない自然の産物を、福地温泉では沢の水を温泉街の木々に噴霧し、人工的に「青だる」を再現している。
道路脇に作られているので、誰でも、見ることができる。
 

 
人工的に作られたものとは言え、とても幻想的で、見事な景色だった。
夜はライトアップされているが、さすがに零度以下の気温で、宿から歩くと距離もあったので、見に行くことはあきらめた。
 
次は、春か秋に、福知山に登りに行こうと思う。
 
 
 

バカげた、カジノの「依存症対策」政府原案

 
2016年12月にカジノ法が政府与党や日本維新の会などの賛成によって成立しました。
ただ、カジノ法は、あくまで「統合型リゾート(IR)を作るための整備を進めましょう」という基本となる法律であって、実際にカジノをオープンするには、それを具体化する実施法案という法律を成立させる必要があります。
 
2016年12月15日付けブログでも書きましたが、このカジノ法には、ギャンブル依存症への懸念が非常に強くあります。
そこで、政府は、2018年2月15日、日本人や日本在住の外国人の入場を「7日間に3回」かつ「28日間で10回」までに制限するなどの内容を盛り込んだ原案を、自民、公明両党に示しました(2018年2月16日付け毎日新聞)。
 
週3日、月10日であれば、依存症になる心配はないと本気で思っているのでしょうか?
バカバカしくてお話になりません。
 
今日(2月19日)、たまたま読んだ中日新聞の1面「中日春秋」には、古い小噺にからめてこのカジノ依存症規制の政府原案のことが書かれていました。
ネットで調べたところ、「禁酒期間」という小噺だそうです。
面白いので新聞に書かれていたその小噺を引用します。
「願いごとがあって、願をかけて3年間酒を断つことにした。しかし、やっぱりつらい。それで、その期間を6年間に延ばして、夜だけは飲んでもかまわないことにした。夜だけにしてみたが、やっぱりつらい。そこで断酒の期間を12年間にしてもらって、毎日朝晩飲んでいる」
 
本当に身勝手な「禁酒」方法です。
「週3日」なら「ギャンブル依存症ではない」という政府原案も、これと全く同じではないでしょうか。
でも、とうてい笑い話ではすまされません。
 
 
 
 
 
 

バルミューダのトーストを食べてみました

 
メディアで盛んに宣伝されている、バルミューダの高級トースター。
たかがトースターなのに、値段が2万円以上。
 
「感動するほど美味しくトーストが焼ける」という、うたい文句が私の頭から離れない。
ほんとかなあ・・・
テレビの「カンブリア宮殿」でも放映され、もちろん絶賛されていた。
喫茶店のモーニングに利用している所もあるとか。
朝食が食パン派の私としては、一体どんな味なのか、無性に食べてみたくて仕方がなかった。
でも、大型電気店に行っても、試食させてくれる場には、なかなか出会えない。
 
そんな折り、なんと、宿泊したホテルの朝食バイキングに、このバルミューダトースターが置いてあった!
 

 
パンの焼き方も書かれてあった。
まず、トースターの扉を開けて、パンを置く。
次に、上部のトレイに専用のコップで5ccの水を入れる。
左のダイヤルでパンの種類を選ぶ。
右のダイヤルで時間を設定する(食パンなら2.5分から3.5分)。
 
この方法、「水を入れる」ところが、美味しさの秘密だそう。
 
出来上がりがこれ!
 

 
見た目は普通。
一口、食べてみる。宣伝のとおり、「外はカリッ、中はモッチリ」。
確かに、とても美味しい。
特に、外側の「カリッ」の部分が薄いのがイイ。
 
帰宅して、バルミューダの味を覚えているうちにと、以前、テレビで放映していた「食パンの美味しい焼き方」の1つである「魚焼きグリルで焼く」という方法で焼いてみた。
魚焼きグリルでも、受け皿に水を入れるので、原理は同じだろうと想像する。
我が家のグリルは、火加減を自動調節してくれる機能がないので、何分間グリルするかが難しい。
少し目を離すと、焦げてしまうので、慎重に・・・・
 
まあまあ成功かな(写真はなし)。
味はと言うと、確かに、魚焼きグリルでも、外はカリッ、中はモッチリ。
ただ、「外のカリッ」部分がバルミューダと比べると厚い。
今度は、もう少し、グリルする時間を短くしてみようかな。
 
結論は、確かに、バルミューダは、手軽に美味しいパンが食べられる優れ物だが、やはり2万円を超す金を投資するには高すぎるということで自分の中で得心した。
 
 

月別アーカイブ

弁護士紹介TOP