昨日、「今、最もチケットが手に入りにくい落語家」立川談春の独演会に行って来た。
お金を払って落語を観たのは初めてだった。
以前、テレビ「ソロモン流」で立川談春のことを取り上げていたので、1度、行ってみたいと思っていた(ミーハーです)。
たまたま京都の府民ホールアルティで独演会があることを知り、チケット発売からはずいぶん日が経っていたが、なんとか2階席の最後列が空いていた。
午後2時から午後4時半まで、談春1人で「かぼちゃ屋」「死に神」「明烏」の3席。
落語はほとんど聞いたことがないので、申し訳ないが、その善し悪しはコメントできない。
でも、実に面白かった。
ただ、もっと狭い会場の方が、落語家の細かい表情やしぐさ、息づかいが客にも伝わって、もっといいだろうとは思った。
2012年10月アーカイブ
(女性弁護士の法律コラム NO.124)
遠隔操作されたパソコンからネット上に犯罪予告された事件で、4人もの無実の人が誤認逮捕された。
そして逮捕された4人のうち、2人は逮捕直後は否定していたにもかかわらず、警察や検察の取り調べに容疑を認めていた。
「就職試験に落ちたので、むしゃくしゃしていた。不採用の知らせを受けた当日にやった」
「楽しそうな小学生を見て、自分にはない生き生きさがあり、困らせてやろうと思った」
警察や検察から、ありもしない「動機」を、いかにも「ありそうに」言わされているのである。
彼らは「犯行を認めれば罪が軽くなる」と言われたと証言している。
世間の人は、よく「やってないのに自白するはずがない」と言う。
でも、「やってないのに自白をしてしまう」のが警察や検察での取り調べの現実である。
取り調べの全面可視化は絶対に必要である。
偶然だった。
こんな所に、切り絵の美術館があるのか・・・
毛無山に登った後に宿泊した山梨県下部温泉のホテルに置いてあった「富士川・切り絵の森美術館」のチラシを何気なく手に取って、驚いた。
その美術館には、フランス在住の切り絵作家蒼山日菜さんの作品が常設展示されていると書かれてあるではないか(当ブログの2012年7月15日・2011年6月28日参照)。
チラシによると、「富士川・切り絵の森美術館」は日本を代表する切り絵作家の作品や世界の切り絵作家による作品を一堂に展示する、全国でも珍しい「切り絵」専門の美術館とのこと。
翌朝、早速、美術館を訪れた。
客は私たちだけだったせいか、係りのおじさんが、色々説明してくれた。
絵に色を置いていく方法や、カッターで切るよりハサミの方が細い線が出ることなど、初めて知ることばかりで興味深かった。
筑紫哲也氏の二女筑紫ゆうなさんの作品は、ともてお洒落でモダン。
光の切り絵作家酒井淳美さんの作品は、1枚の絵なのだが、明るい時と暗い中で光をあてた時とで、全く別の作品が浮かび上がるという、まるで手品のような手法。
でも、圧巻は、やはり蒼山さんだった。
その作品は、本当にレースのように繊細で美しく、しかも柔らかい。
いつまでも見ていたい気分だった。
10月20日から12月10日まで、京都の高台寺では、蒼山さんの個展が開催されている。
京都で再び蒼山さんの作品と出会えるのは嬉しい限りである。
所属している法律家団体の全国総会が、10月21-22日、静岡県で開催されたため、帰途、山梨県にまわり、山梨百名山の1つ毛無山(けなしやま。1946M)に登ってきた。
今回は、京都の山仲間だけでなく、神奈川のN弁護士も一緒に。
毛無山は、山梨県側には、JR身延線沿線の下部温泉の近くに登山口がある。
最初、林道から登山口の看板を見落としたため、登山口を探すのに30分ほどロスした。
登山口からはひたすら樹林帯の中のジグザグ道を登っていく。
戦国時代、この毛無山の中腹には湯之奥金山があり、当時、山中には、3000軒もの集落が存在し、ゴールドラッシュの熱気に包まれていたらしい。
登山道の途中に「大名屋敷跡」「女郎屋敷跡」という看板が設置されており、こんな険しい山中に人が住んでいたのかと驚くばかりだった。
ずっとうっそうとした木々の間を登っていくと、突然、目の前が開け、巨大な富士山が姿を現した。地蔵峠である。思わず「うわー!」と叫ぶ。
空気が澄んでいるのか、かすみや雲もかからず、くっきりと素晴らしい富士山が目の前にあった。
しばし撮影タイム。
その後はまたひたすら急登を登る。
約2時間半かけてやっと山頂に到着。そして山頂でも富士山をひたすら撮りまくる。
快晴だが、さすがに秋の山なので、ジッとしていると寒い。
下山は、走るように下った。
宿泊は、もちろん武田信玄の隠し湯と言われた下部温泉で、ゆっくり身体を休めた。
元依頼者Iさんから、「1度、行ってみたいね」と話していたスイーツの店へ「土曜に行ってみませんか?」というお誘いがあった。
その時は、土曜日も処理しなければならない仕事があったので、1度はお断りしたが、金曜の夜と土曜の朝に頑張って仕事をしたので、今日午後から一緒に行ってみることになった。
ところがである。
土日月しか開店していないその店は、本日、臨時休業!
「ショック~」と言いながら、Iさんお薦めの松ヶ崎にある和風喫茶へ連れて行ってもらった。
「ちゃ.ごころ小花.」という名前の店。
名前の「OHANA」とはハワイ語で「家族」を意味するとのこと。有機・無農薬・無添加というこだわりもあって、からだに優しい美味しさをめざしている。
店内には花がたくさん飾ってあって、しつらいは女性好みの可愛らしい店。
メニューもイラストの入った手書きで、こちらも可愛い。
「OHANAパフェ」(630円)を食べた。
久しぶりのパフェだったが、抹茶もたくさん入っていて、今日のような少し汗ばむ秋晴れの気候にはピッタリだった。
パフェを食した後は、カロリー消費のため、ちゃんと御所1周(4キロ)をジョギングしました。
10月の声を聞くと、街の書店やデパートなどには、2013年度の新しい手帳が並ぶ。
今年も、もうあと2ヶ月しかないんや・・・・・
弁護士にとっては、日々のスケジュール管理をする手帳は必須アイテム。
どんな手帳を使うかは人それぞれで、最近の若い弁護士は、スマートホンなどの電子機器でスケジュール管理をしている人も多い。
今日、来年の手帳を買って来た。
アナログ人間の私は、来年度ももちろん手書きの手帳である。
私は1998年まではA5版の能率手帳を使っていた。
でも、少し重いし、女性用のハンドバッグに入らないので、1999年からしばらくは高橋書店のB6版の手帳を使った。
当時、能率手帳にはB6版がなかったのだが、「B6版の能率手帳があったらいいのに」とアンケートに書いたら、それが本当に実現してしまった。
だから、2006年からB6版の能率手帳を使ってきた。
今年も書店でたくさんの手帳を見比べていたら、能率手帳の「ベルノ」という新商品が発売されていた。
日々のスケジュール欄が縦で、右ページに適度なメモ欄がついている。もちろんB6。
来年は、これを使ってみることにした。
新しい手帳に文字を書き込んでいくことは、何かとてもワクワクした思いがする。
オーバーな表現をすると、自分の歴史を刻んでいくような・・・・
これは、電子機器では味わえない感覚だろうな。
手書き手帳は、やめられない。
(女性弁護士の法律コラム NO.123)
30代前半の女性から離婚の法律相談を受けた。
彼女の母親は、私と同じ位の年齢のようだが、夫婦関係の悩みを相談できるような関係ではないと語った。
相談できる友人もいないとのこと。
離婚する道を選んだ方が良いか、これから何をしていったら良いかなど、一人で悩んでいるという。
彼女から「先生、次からは相談時間を延長してもらって、人生相談してもいいですか?」と尋ねられた。
う~ん・・・・
私自身は、カウンセラーの資格があるわけでもないので、彼女の人生の悩みに対し適切な対応をする自信はない。だから、法律に関わること以外の意見を求められり相談を受けたりした場合には、結局、「弁護士」としてでなく、一人の「人間」として、自分の経験や価値観・人生観から考えを述べるだけになる。
「それでもいいなら、時間は取るけど」と答えた。
離婚するかどうか、離婚後どのように生きていくのか等は、自分の人生なのだから、自身で決断しなければならないことである。
私たち弁護士は、少しだけ法的な力をお貸しするだけで、その人の人生まで責任を負うことはできない。
だから、友人に対してであれば「こうしたら、いいんじゃない?」「こう、すべきと思う」と言えることでも、相談者や依頼者の人生相談に対しては安易にそういう言い方はできないのである。
なんという女性差別なんだろう。
福島原発事故で避難指示を受けた被災者への精神的賠償をめぐり、避難生活中に結婚した複数の女性への支給を「結婚で生活基盤が整った」として東電が打ち切ったことがわかった(2012年10月17日毎日新聞)。
「結婚した複数の女性」とあるから、これが例外的な扱いではなく、東電の方針であることは明らか。
女性の母親は「賠償が欲しければ、女は結婚するなということですか」と憤る。
結婚によって長期的避難生活の精神的苦痛がなくなるはずがないし、それが女性に対してだけ、というのが、いかにも東電の前近代的体質を物語っている。
即刻、撤回されるべき!
数年前にテレビで、船窪小屋(2012年8月21・23日付けブログ参照)とともに「天空の宿」として紹介された「蓮華温泉」。
新潟県糸魚川市の標高1475Mにある山小屋である。
その蓮華温泉に、紅葉の山歩きを楽しむため10月6日、出かけた。
蓮華温泉までは、3月から10月まで車で行くことができる。
ここには、1991年8月にも1度訪れたことがあった。
まだ登山を始めたばかりの頃で、白馬岳から朝日岳へと縦走し、朝日小屋で泊まった後、朝日岳から五輪尾根を下った後、また蓮華温泉まで登り返し、ヘトヘトになってたどりついた。
山小屋とは言っても、造りのしっかりした、ちょっとした温泉宿であある。
「蓮華温泉」は、なんと言っても、山の中で入れる野天風呂が有名である。
露天ではなく、野天。文字どおり山の中にある。
現在、4カ所に野天風呂があるが、「薬師の湯」と「仙気の湯」の眺望が抜群である。
登山で疲れ、汗にまみれた身体を癒すには絶好。
でも1991年に来た時は、水着を持っていなかったので、野天風呂には入れず、泣く泣く内湯で汗を流した。
10月6日は、あいにく雲がかかったりの天候ではあったが、紅葉で染まりつつある朝日岳の山容がなんとか見え隠れする。
今日はもちろん水着持参。部屋で水着に着替えて、上から服を着て、小屋から山道を登ること、10分ほど。
「仙気の湯」には先客の若いカップルがいたので、もっとも標高の高い所にある「薬師の湯」まで登る。
水を足しているわけでもなく、ちょうどいい湯加減である。
これぞ、まさしく極楽、極楽。
と思っていたら、あとから先ほどの若いカップルが「薬師の湯」へやってきたので、お邪魔虫にならぬよう早々に退散。
あ~あ、弱気な私・・・
(女性弁護士の法律コラム NO122)
9月28ー29日の両日、京都で過労死弁護団全国連絡会の総会が開催されたので、当事務所からは、日野田弁護士と二人で参加しました。
私は全国総会には初めての参加でしたが、28日は、25都道府県から弁護士120名と遺族ら約10人が出席したとのことで、新聞報道によると、これは過去最多の出席者だったそうです。
過労死防止基本法制定を求める運動の状況報告から始まって、各地から、精神障害による過労自殺や脳・心臓疾患による過労死の労災認定例・裁判例などの報告があり、活発な討議がされました。
残業時間を把握するのにどのような工夫をしているのか、裁判官を説得するにはどのようなことを強調したら良いのか、厚生労働省の労災認定基準をどのように理解し利用すべきか、など生の報告がとても勉強になりました。
私は、弁護士になった当初、過労死がまだ「急性死」と呼ばれてきた時代から、過労死問題に関わってきました。
被災者が死亡されてから10年近くたって裁判でようやく労災あるいは公務災害認定を勝ち取った事件もありましたが、いまだに過労死のない社会は実現していません。
現在、中学校教諭の脳出血(生存)が公務災害であるとの認定を求める裁判(最高裁係属中)と企業で働いていた労働者の過労による精神障害について企業に対し損害賠償責任を求める裁判(2件。京都地裁係属中)に関わっています。
全国の弁護士がそれぞれ情報や経験、ノウハウを交流し、1つでも多くの労災認定や裁判での勝利を勝ち取っていくことが過労死を根絶する1歩であることを改めて痛感しました。