今朝は雪が降り続いています。
道路や屋根にも雪が積もっています。
昼頃までという予報です。
今朝は雪が降り続いています。
道路や屋根にも雪が積もっています。
昼頃までという予報です。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
1月4日、今年の初登山は大文字山。
前日までは登るつもりは全くなかったのだが、朝、京田辺のカフェ「kincoーya」の店主きんこさんのブログを読むと、なんと、4日、東京の二女家族と一緒に大文字山に登ると書かれていた。
昨年は、きんこさんと何度か大文字山に登る約束をしたが、なぜか、その日に限って、雨が降ることが多く、実現しなかった。
「じゃあ、私も登りに行こう」と決めた。
しかし、4日の朝も時折小雨がパラついたりしており、また、きんこさんの連絡先は知らないので何時に登るのかわからない。
どこかで出会えれば、ラッキー!
午前9時50分頃に銀閣寺登山口から登山開始。
寒い!寒い!鼻水が出まくり。
大の字に到着。きんこさんの姿はない。
空は曇り、遠くの山々にはガスがかかっているが、京都市内の展望はある。
15分程待ったが、来る気配がなかったので、とりあえず山頂まで往復することにした。
山頂から再び大の字まで戻り、少し待つも姿は見えず、あきらめて下山することに。
いつもなら鹿ヶ谷方面に下山するのだが、万一会えるかもと銀閣寺登山口に向かって下山。
時間はもう昼近くとなり、登って来る人もまばら。
もう少しで銀閣寺登山口という場所で、「あっ!あれは、きんこさんや!」
運命のご対面。
大の字まで登るというきんこさんそして二女家族と一緒に、私も再度、大の字まで登る。
下山は、法然院登山口へ。この登山道は初めての道。
下山後、一緒にランチを食べる。
駐車場横の「おめん」は有名な店で、行列が出来ていた。
寒かったし、お腹もすいていたので、行列に並ぶことはやめて、やはり駐車場横の「銀福」という店で「にしん丼」を食べる。お初。
「にしん蕎麦」は京都で有名だが、「にしん丼」って?
ちょっと味つけが濃いなあ・・・
新年早々、きんこさんにも偶然会えて、今年はツイテるかも!!
※きんこさんも1月5日付け「きんこのブログ」で大文字山登山のことを書かれています。
4回目のDIY教室では、チラシ・スタンドを作りました。
小さな作品なので、簡単かなと思っていたら、逆に作業が細かくて難しかったです。
斜めになった部分は、初めてノコギリで切り落としました(キンチョー!)。
板が薄く、ビスを打つ時にまっすぐ打たないと木が割れたりするので、またまた緊張しました。
表側からではわかりませんが、裏から見ると、やや失敗しました。
それで、来月、再度、同じ作品に取り組むことにしました。
何事も勉強です。
事務所の受付の、事務所ニュース入れに使ってもらっています。
今、京都市内は、どこも紅葉が見頃となり、コロナの緊急事態宣言が解除されたこともあって、どこの観光地もたくさんの観光客でにぎわっている。
他方、北アルプスなどの2000~3000m級の山々の紅葉の最盛期は9月末から10月初め頃である。
今年は、夏山に行けなかった分、いくつかの秋山を思う存分楽しむことができた。
その1つが涸沢カールの紅葉。
涸沢カールは、北アルプスの北穂高岳や奥穂高岳など3000m級の山々に囲まれた、氷河によって削られた円形の地形で、とりわけ紅葉は日本一と言われている。標高は約2300m。
上高地から約6時間ほどで行くことができ、上高地から横尾まではほぼ並行歩き、横尾から涸沢までの登山道もよく整備されている。
前に秋の涸沢カールを訪れたのは、もう約20年ほど前。
久しぶりに涸沢の紅葉を見てみたかったことと、2021年5月26日付けブログに書いたが、北穂高岳登山中に行方不明になり危難失踪宣告が認められたSさんの骨が発見されたということもあり、その追悼の意味も込めて、再び行ってみたいと思った。
10月10日は徳沢ロッジ泊、翌11日はSさんも宿泊された涸沢ヒュッテ泊。
紅葉はやや見頃が過ぎているかなと思われたが、それでも快晴の空の下、ナナカマドやダケカンバの黄色や赤色が美しい。
下の写真は、Sさんが向かった北穂高岳の登山道。
このどこかでSさんは眠っている。合掌。
12日午前の下山は予報どおり雨に降られたが、紅葉の涸沢を満喫できた。
帰宅してしばらくして、新聞で、10月初めに涸沢カールに行ったという70歳の女性の投稿記事を読んだ。
彼女は、涸沢カールで連泊し、1日目は北穂高岳を、2日目は奥穂高岳は、それぞれ日帰りで登ったと書いていた。
う~ん、すごい体力!私もまだまだ負けていられない。
2021年11月11日、瀬戸内寂聴さん死亡(9日逝去)の報が流れ、少なからぬ人が衝撃を受けたと思う。ネットニュースで体調不良は伝えられていたものの、何事もなかったかのように快復されて、来年5月には満100歳の誕生日を迎えられるものと思っていた。
このブログでも、過去3回、瀬戸内さんのことを書いており、私にもそれなりの思いがある(検索欄に「瀬戸内寂聴」と入力してください)。
ご存知のとおり、瀬戸内さんは、京都の嵯峨野に住んでおられた。
残念ながら法話を聞いたことはなかったが、「憲法のつどい」などの講演会で話を聴く機会はあった。
東北大震災の被災地訪問・原発反対・安保法制反対・平和を守る取り組みなど、80代90代の高齢になっても、ハンガーストライキや国会前の座り込みに参加されるなど、常に自らを闘いの場に置き積極的に発言されてきた。
信念を貫いた、本当に頭が下がる生き方だった。
瀬戸内さんが原発反対の集会で語った「すぐに政府が変わるとは思わない。それでも集まらなければいけない」という言葉があらためて心にしみる。
ところで、以前に所属していた事務所(京都リバティス法律事務所)があった同じ堺町通りに、瀬戸内さんの別宅「羅紗庵」がある。
丸太町通りをはさんで、ちょうど京都御所の堺町御門の真向かいだ。
瀬戸内さんは、毎年、葵祭の日には必ずここに来て、家の中から祭りを見物すると、以前、京都新聞に書いておられた。
この「羅沙庵」の裏には、時々ランチを食べに行く店「奏」(かなで)がある。
今日は、瀬戸内さんを偲ぶという気持ちで、「羅紗庵」の前を通って「奏」に行った。
ランチを食べながら、若い女性店主と話していると、なんと店主は「羅紗庵」の内部を見せてもらったことがあると言っていた。
庵の中は、かなり手のこんだ造りとなっているらしい。
左が「羅紗庵」の南側、右が「奏」。
主を失い、この「羅紗庵」もどうなるのだろう・・・
最近の若者は麻雀などしないのでは?と思っていたら、東大卒業・元弁護士の新進作家新川帆立さん(女性)はプロ雀士というから驚きである。
私たちが大学生の頃の男子学生の遊びは専ら麻雀だった気がする。
他方、私も含めて女子学生は麻雀はしなかった。
でも、私の両親は私が小学生の頃、時々、近所の知人と麻雀をしたりしており、家にも麻雀パイがあった。正月などは家族麻雀をしたこともあり、私も並べ方はおおよそ知っているので、司法修習時代には同期の麻雀初心者の修習生らと一緒に遊んだこともあった。
話は変わるが(ここからがメイン)、麻雀が中国伝来の遊びであることは公知の事実である。
でも。その中国人が「麻雀」がわからない、ということを今朝のHNKテレビの中国語講座で初めて知った。
実は、中国では、麻雀という単語を使わないのだ。
テレビでは、中国人が日本で「麻雀」の看板を見て、なぜ日本人は雀を売っているのだろうと思ったところ、実は「麻雀」屋だったというストーリー。
中国語では、麻雀は「麻将」と言う。
麻雀はアメリカ人バブコックが海外に広めたとのことで、当時は、中国でも「麻雀」「麻将」などいくつかの言葉が使用されており、バブコックが「麻雀」という言葉を使ったため、日本では「麻雀」となった。
日本では、脳の老化防止として、カルチャーにおいて「健康麻雀」教室が開かれ、熟年の女性受講者も多く人気のよう。
私の元依頼者女性は70代で「健康麻雀」教室の講師をしていると言っていた。
最近の若者はスマホゲームにはまっているようだが、古くからある麻雀というゲームは、あらためて考えると、よくねられた、すぐれたゲームだと思った。
今月もDIY教室に参加。
今回は事務所で使うファイルケース制作を希望。
1ヶ月に1回の参加なので、手順をすぐに忘れてしまう。
そのため、前回先生から教わった手順をメモに残していた。
それでも細かいことは、やはり忘れてしまっている(汗)。
今回、特に気を遣ったのは、電動ドリルによるビスの打ち方。
よく空回りして大きな音を立てていたので、ゆっくり押し込むように打つことを心がけた。
完成したら、好きな色で色つけをする。
今回は、ハチミツ色。なかなかこの色いいね!
先週、岩手県の盛岡家裁に行って来ました。
現在、係属中の事件について、裁判官との面談があったからです。
裁判所からは「代理人弁護士は遠方だから電話会議でもいいですよ」と言われましたが、やはり直接出向くことにしました。
京都を午前9時頃発の新幹線に乗り、午後1時半前には盛岡駅に着きました。
東北も近くなりました。飛行機が嫌いなので、私にとっては有り難いことです。
盛岡家裁は、盛岡駅から車で10分位の場所にありました。
盛岡地裁などと同じ建物でした。
裁判所の前庭には、天然記念物の「石割桜」がありました。珍しい物を見ることができました。
担当裁判官との面談は1時間半にも及びました。
裁判官が何に着目されているか理解でき、やはり盛岡まで来て良かったと思いました。
盛岡も結構まだ暑かったです。
2回目のDIY教室に参加した。
前回の初挑戦から1ヶ月が経っているので、もうほとんど忘れている😢。
今回は2回目なので、作品は自分で好きに選ぶことができる。
作品が紹介されているリーフには、星の数によって作品制作の難度が示されてあった。
私は、前回帰る時に、2回目の作品として、「★1つ」のスパイスラックを選んだのだが、その時、先生が「これ、★1つかなあ・・・?でも、なんとかするわ」と仰った。
今回参加して、先生が「★1つかなあ・・・?」と言われた意味がわかった。
ラックの棚と背の部分ががやや斜めになっているので、ビスを打つ場所の印つけ(すみつけ)が難しいのである。
でも、先生が印をつける箇所の図面を別に準備してくださっていたので、なんとか、それを見ながら、印をつけた。
次に、棚と背の部分の板を側面の板にビスで留める作業も結構難しかった。
斜めに取り付けるので、両方の取り付ける板をしっかり手で固定していないと、本来の位置からズレてしまうのである。
ズレたら、ビスを抜いて、やり直し。失敗が経験である。
なんとか時間内に完成。割と素敵なスパイスラックが出来上がった。
2021年9月28日まで、大丸京都店で開催されている「日本の切り絵 7人のミューズ展」へ行って来た。
私がいかに切り絵好きかは、このブログの右側の検索欄に「切り絵」と入力して、過去のブログを読んでいただければわかると思う。
今回の「ミューズ展」にも出品されている「レース切り絵」作家の蒼山日菜さんのことをテレビ番組で知ったのがもう10年以上前。
これまでの「切り絵」の概念が良い意味で大きく崩れた出会いだった。
その後、当時、京都で活躍されていた切り絵作家の佐川綾乃さんの教室に何度か参加して、実際に切り絵を教えてもらい作成したほど、一時期は切り絵にはまっていた。
また、山梨県「富士川・切り絵の森美術館」で蒼山さんを始め、何人かの切り絵作家の作品に触れ、「切り絵」にも手法が様々存在することも知った。
そして今回の「7人のミューズ展」も圧巻だった。
7人の女性作家が皆、それぞれの個性的な作風と手法で、「なぜ、人間にこんなことができるのだろう」と思わず、その「技」に見入ってしまうほど、どの作品も素晴らしいものばかりだった。
美術館かと思わせるくらい作品数もたくさんあって、あらためて切り絵の世界に魅了された。
9月も後半になると、高い山では紅葉が美しい季節となり、天候が良いと、大勢の登山客が訪れる。
2014年9月27日の御嶽山の噴火はそんな季節に起こったが、昨日(2021年9月20日)も北アルプス槍ヶ岳の北鎌尾根で地震による落石で登山者が身動きがとれなくなったという報道があった。
噴火も地震も、いつどこで起こるかわからないので、登山中ということも十分あり得るのである。
槍ヶ岳のニュースを見た依頼者の方から「先生が登っていないか心配になった」とのメールをいただいた。
報道された槍ヶ岳の北鎌尾根は、登山地図上には登山道が書かれていない上級者コースなので、私が行けるような場所ではない。
でも、最近、長野と岐阜県境では地震がたびたび起こっており、北鎌尾根以外でも落石が発生する(発生している)可能性は高い。
実は、私も登山中に地震にあったことがある。
2007年7月16日、日本百名山の1つ越後駒ヶ岳(新潟県)を登っていた。
午前10時13分、頂上に足を1歩かけた途端、地面が大きく揺れた。
後で、これが新潟地震であることがわかった。
山頂には1人だけ登山者がいて「今、地震でしたよね」と声をかけた。
その後は、揺れることはなかったが、ラジオなど持参しておらず、当時はスマホを持っている人もいなかったので、地震の規模はわからなかった。
ただ、下山の時、登山道の崩落が心配されたが、幸い、登山道に影響はなかった。
その後、街中に戻り、マグニチュード6.8の大地震であったことを知った。越後駒ヶ岳のある魚沼市もマグニチュード5であった。
新潟空港に向かうため高速道路に入ったが、パトカーが時速60㎞で先導しゆっくりしか走行できず、しかも途中で高速道路から下りて一般道を走行せざるを得なくなり、予約の飛行機に乗れるかどうかヒヤヒヤしたが、なんとか間に合った。
登山中もこのような危険が起こるということを肝に銘じなければいけない。
9月15日に放映されたNHK「ためしてガッテン」は、「ブドウ3大ミステリー 知ればおいしさ別次元」というテーマで、ブドウのあれこれ。
ブドウの粒を大きくする方法や種なしブドウを作る方法など、今まで全く知らなかったことばかりで、ブドウ農家さんの日々の努力・苦労が感じられた。
そして、目からウロコは、こうやったらブドウがもっと甘く食べられる・・・
1つは、皮のむき方。
粒にある穴とは反対の方向から、薄皮を残すようにむく。この残した薄皮により甘くなる成分があるとのこと。
2つ目は、実は、種なしブドウよりも種ありブドウの方が甘いということ。
枝から養分が種にいくので、より甘くなるとのこと。番組では、栃木県の生産地近くに住む住民らはこぞって種なしぶどうを購入していた。しかも、「種なし」ブドウの方が人気があるため、「種あり」ブドウの方は市価が3割程「種なし」より安いとのこと。
安くてしかも甘いんだから、これはイイ!
番組終了後、もう午後8時15分を回っていたが、「種あり」ブドウを買いに、すぐにスーパーフレスコに行ってみた。
ところが、なんと「種あり」ブドウがない!
売り切れたわけではなく、そもそも売っていないのである。
それでも、せっかく外に出たのだからと、次は「八百一」へ。
「八百一」では、1種類だけ「種あり」ブドウを売っていたので、購入。
同じ品種同士じゃないと、甘さの比較はできないので、真偽のほどは不明。
でも、とりあえず「種あり」ブドウを見直した次第である。
色んなことをやってみたい、いや、少しだけかじってみたい、というのが私の性格かもしれない。
「作る」ということについては、「料理」は好きなものの、なぜか、亡母が得意としていた「洋裁」については、やってみようという意欲も、ましてや才能もなく、いつも友達まかせ。
でもDIYは、ずっと前から1度やってみたいと思っていた。
そこで、思い切って、先日、カルチャー教室に参加してみた。
色んな作品のキットがあり、1回目は飾り棚2個を制作する。ドキドキ。
キットなので組み立てれば良いだけなのだが、完成した時の前後・左右の印付けから始まり、設計図を見ながら釘を入れる位置を鉛筆でつける、ニカワを塗る、電動ドライバーを使って穴をあけて釘を入れて組み立てていく、そして最後は色を塗る。
すべてが初めての体験だった。
これが完成品。事務所の資料コーナーに置かせてもらい、グリーンなどを飾りました。
なかなか面白かった。もう少し続けてみようと思う。
なんだか「屋根の上のバイオリン弾き」のようなタイトルだが、京都を舞台とした、ほんのり心温まる、そして最後は涙する小説。
第一回京都文学賞優秀賞を受賞した作品とのこと。
2001年、兄に命じられて、京都で一人で暮らす89歳のおばあちゃん「ゑい」に会いに行った失業中の孫の哲郞34歳。デジタル化の中で、東京での現像の仕事を半年前にリストラされていた。
玄関先で、屋根の上から哲郎にバケツの水を浴びせかけたのがおばあちゃん。それが27年ぶりの再会だった。
その夜、おばあちゃんは倒れて入院することに。
物語は、1930年代の「ゑい」と2001年の「哲郎」の姿が交錯しながら描かれる。
親が亡くなり、天涯孤独の身となって一人で丹波から京へやって来た19歳の「ゑい」。
三条室町の呉服屋に奉公することになり、その呉服屋を飛び出しサイレント映画の活動弁士となったもののトーキー映画の時代となって切り捨てられた長男良一と関わり、やがて結婚する二人。
八百屋を始めた二人だったが、映画への思いがあきらめきれない良一は太秦撮影所に入り浸る。
1941年戦争が始まり、そんな良一にも赤紙が。最後の晩に、良一がゑいに託したのは1巻きのフィルム。それは良一が最後に撮った映画だった。そして良一は戦死。
2001年、おばあちゃんも退院し、哲郎はたまたま冷蔵庫の中から、おじいちゃんのフィルムを見つける。そして哲郎は、フィルムの修復の仕事をしている源田の助けを借りて、おじいちゃんのフィルムの修復に成功する。
その映画に撮されていたものは・・・・
最後は、涙、涙。
機械の発達に翻弄され自暴自棄になりながらも、再生していく、おじいちゃんの良一と孫の哲郎。
おじいちゃんの心を奪った映画が「恋がたき」だったが、人生の最後にやっと愛おしく思うようになったゑい。
文明の流れには抗しきれないが、それでも変わらずに残る古き良きものと新たな再生をほのぼのと感じさせる作品であった。
自分の周囲に、10~20代の若い人がいないので、最近の若者の「生態」は全く知らない私である。
2021年7月26日夕刊1面の「現代のことば」欄に、狂言師茂山千之丞さんが「娯楽の速度」というタイトルで、最近の若者の行動パターンを紹介していた。
それを読むと、私にとっては、目が点になるようなことばかりが書かれてあり、驚きの連続であった。
まず、「若年層のテレビ離れ」。
これは、あちこちで言われていることなのであるが、「20代以下のひとり暮らしの若者で家にテレビがないと言う人は確実に増えてきている」「10代以下の子供達も今はテレビより携帯やタブレットばかり見ている気がする」。
帰宅すると、ほぼテレビ漬けの私には信じられないことだ。
テレビは大画面化し、映像も鮮明で美しくなっているに、なぜ、あの小さな画面の携帯なんだろうか・・・
もっと驚いたのは、「動画の視聴方法の大きな変化」。
「若い世代では映画やドラマを1.5倍速や2倍速で視聴するのが当たり前になって来ている」。
「作品の良さをじっくり味わって楽しむことより、なるべく短い時間で多くの情報を手に入れることが良いとされてきている」。
更に節約したい人は「まとめ動画」で済ませることも。
映画やドラマは、途中のちょっとしたセリフや所作が、後々の伏線になっていたりするのに、倍速で観たらあかんやろ~と突っ込みたくなる。
茂山さんは、「今後とも世界的に娯楽の更なる高速化は止まらないだろう」と書かれていた。
他方、自分はと言えば、年を重ねるにつれ、スローな思考・行動になっているような気がするし、それを心がけている自分もいる。
スピーディーな思考・行動は、しようとすると、どこか「忘れ」や「欠落」「失敗」が生じる可能性が高い。
もはや「最近の若者」とは生態自体が違うのだろうな。
8月5日まで京都シネマで上映されている「83歳のやさしいスパイ」。
夕刊各紙に映画の紹介がされており、すぐに「観たい!」と思った。
スパイ映画ではあるが、アクションや悪者はない。
舞台は南米チリ。83歳のセルヒオという名前のおじいちゃんが主人公。
新聞広告を見て応募し、見事スパイとして採用された。
しかもフィクションではなく、ドキュメンタリー。
ある老人ホームに虐待がないかどうかを潜入捜査する役割のスパイ。
ホームの許可を得て、セルヒオがスパイであることを明かさず3ヶ月撮影したとのこと。
そんな設定が面白い。
セルヒオが相談相手となる美しいおばあちゃん。1年以上家族の面会もなく「孤独」を訴える姿は他人事とは思えない。
私の元依頼者の何人かは老人ホームに入所されていたことがあり、遺言作成などのために面会に訪れたことが何回かあった。
深くその気持ちを聞いたことはなかったが、家族は事情があって離れており、おそらく寂しさを感じられていたのではないだろうかと思った。
ほのぼのとした映画であるが、老人の悲哀も感じさせるものであった。
セルヒオは、間違いなく、世界一やさしいスパイである。
コロナ禍、その前は家族の看病などで、1年半以上、映画や劇や公演を観ていなかった。
もとより文化芸術に関わる職業の人達は、観客を伴う企画の開催自体が止められていたので、経済的な苦労等は、想像を超えるものがある。
7月12日以降、東京は非常事態宣言下であり、既に第5波が始まっていることは間違いないだろう。
他方、京都は7月11日でまんえん防止法の発令が解除され、現時点では、日々のコロナ感染者数も50人を割っている。
そんな中、この1週間の間に、久し振りに、劇と公演を観る機会を得た。
1つは、南座での松竹新喜劇。NHKの朝ドラ「おちょやん」で子役を演じた毎田暖乃(まいだのの)ちゃんが特別出演するということで、新聞各紙が取り上げていた。
1部は「一休さん」(新作)、2部は「愛の子守歌」。
1部は、藤山寛美の孫藤山扇治郎と渋谷天外が中心の舞台で、藤山直美のような大スターはいなかったが、扇治郎の頑張りと暖乃ちゃんの可愛らしさと芸達者さが印象的だった。
2つめは、7月16日、金一志(きむいるち)韓国伝統芸術院定期公演。
本来は3月に公演予定だったのが、3回の延期を経て、やっとの開演となったとのことだった。
金さんは京都在住で、何度も公演を開催されているが、私が観たのは今回が初めてだった。
想像していたよりは静かな舞踊で、日本の白拍子の舞を想像させた。
久し振りに文化芸術に触れ、やはり人間にとって生活に潤いをもたらすもので、なくてはならないものだと感じた。
「五輪中止 それしか道はない」
2021年6月6日付け朝日新聞朝刊の読者欄に作家赤川次郎さんが、一般読者として、上記のタイトルの文章を投稿した。
この出来事が2021年7月15日付け毎日新聞夕刊「特集ワイド」で大きく報じられ、私は、この毎日新聞記事を読んで、赤川さんの読者欄への投稿を知った。
朝日新聞の読者欄は500字という字数制限があるようで、「何度も文章を削り、短くするのが大変でした。自分の小説でも、ここまでしませんよ」と赤川さんは語る。
なぜ読者欄だったのか。
「特別な立場ではなく、一市民としての意見を載せたかった」
なぜ「五輪中止」を投稿したのか。
赤川さんは戦後生まれだが、戦争による貧しさを味わい、あの時なぜ戦争に反対しなかったのだろうと素朴な疑問を持った。
現在の五輪開催判断はとにかくやり遂げるという精神論で、科学的な根拠が感じられないだけに神頼みに近い、と赤川さんは語る。
敗戦の後悔を五輪に当てはめ、同じことは繰り返すまいと考えた、と。
沈黙してはいけない。
それで赤川さんは500字の投稿を書いた。
「(中止によって)賠償金を払わねばならないのなら払えばいい。経済は取り戻せても、人の命は取り戻せないのだ」。
京都でも、15歳の男子高校生が五輪中止を求め、一人でサイレントスタンディングをしている。
他方、メディアは、もう、オリンピックありきで、観客を何人入れるかに話題は移り、メダルの数予想まで行っている番組もある。
しかし、国によってコロナ感染状況やその対策が異なる中で、選手をとりまく環境も平常とは大きく異なっているはず。国の経済格差がコロナ対策格差を生んでいることは、既に明らか。それは選手にとってフェアなのだろうか、そんな状況でメダルを取って本当に喜べるのだろうか。
そして、何より、人の命は何ものにも変えがたい。
安倍前首相は、五輪反対を言う人を「反日的」と語った。
戦時中に戦争反対を言う人を「アカ」と言ったのと同じだ。
沈黙してはいけない。
一人ひとりのやり方で「五輪中止を」訴えよう。
今、世の中では「マリトッツオ」がブームらしい。
つい先日まで、私も全く知らない物だったが、「マリトッツオ」とは、ブリオッシュ生地に生クリームをたっぷりはさんだスイーツである。
イタリア・ローマでは朝食にも食べられるらしい(知らんけど)。
先日、友人宅に遊びに行った時、たまたま「マリトッツオ」の話題となり、「じゃあ、作ってみよう」ということになった。
要するに、パン(今回はコッペパンを購入)に生クリームをはさむだけ。
ネットで、生クリームと砂糖の分量を調べ、生クリームは動物性と植物性を半分ずつ混ぜる方が美味しいと書かれてあったので、豆乳生クリームも購入した。
最も時間がかかるのは、生クリームを泡立てる作業。角が立つくらいまで。
それもブレンダーがあれば、簡単。
あとはパンに出来上がった生クリームをたっぷりはさみ、冷蔵庫で30分ほど寝かせれば、出来上がり。
完成!!
美味しい!悪魔のスイーツやね。
作るの簡単やし、手作りの方が断然安い。
しばらくはまりそう・・・
コロナワクチン接種が始まり、地域や会場によってはワクチンが余っているため、政府は企業にもワクチン接種を行うようにした。
そして、その対象は、企業内で働く人、出入りする関係者、それら家族になっているという。
他方、医療従事者は最も早くワクチン接種を行うことが出来たが、対象者は病院で働く職員と出入りする関係者に限られ、家族は入っていなかったとのこと。
家族は、政府が決めた接種の順番を待っているのである。
テレビや新聞では、医療従事者の子どもが保育園に行かれなかったり、医療従事者自身が家族に感染させないためにホテル住まいをしたりなど、頑張っている医療従事者の過酷な実態が報道されている。
なぜ、企業の場合は家族も可能で、医療従事者は家族が除外されるのだろう。
優先されるのは、企業よりも、医療従事者の家族ではないだろうか。
医療と関係のない家族が医療従事者の家族より早く接種でき、そのような企業のために、病院が集団接種に医療従事者を派遣する。
そんな不条理が起こっている。
そんな国のやり方に怒ったある病院では、病院として職域接種を申請することとしたところ、県からは国に聞いてくれと言われ、国に申請書を出すと、家族接種が認められ、3000人の家族の接種ができるようになったとのこと。
これで、医療従事者自身のモチベーションも上がるのではないだろうか。
政府も、次は、医療従事者の家族が優先的に接種する方針を早急に出すべきだろう。