1. 天気予報は、国家秘密だった
ブログ マチベンの日々

天気予報は、国家秘密だった

天気予報が国家秘密だった!?

 

台風などの時だけでなく、日々、何気なく、確認する天気予報。

私たちにとっては、とても身近で、なくてはならない情報である。

そんな天気予報について、弁護士になってまもない頃の国家秘密法制定反対運動の中で、太平洋戦争中「軍事機密」とされ、報道が禁止されていたことを知った。

 

1941年12月8日の真珠湾攻撃を境に、気象情報は軍事機密とされた。

軍の管制から復活したのは、80年前の1945年8月22日。

太平洋戦争中の3年8ヶ月の間、国民向けの天気予報はテレビやラジオから消え、気象台の職員は、戦争の作戦を練る上での情報を軍に提供するため、観測を続けた。敵国に漏れないよう暗号化して軍などとやりとりされた。

台風の情報さえ提供できず、1942年8月西日本を襲った周防灘台風では死者・行方不明者が1000人以上になった。

人命や安全は二の次だった。

 

「天気予報」は、まさしく平和のシンボルである。

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