1. 村松いづみ
ブログ マチベンの日々

不便で仕方がない「元号」

2025年12月11日付け毎日新聞夕刊の「れきし箱」というコラムに、「歴史を分断する元号」という記事が掲載されていた。

 

私は生まれてから、「元号」としては、昭和・平成・令和の3つの時代を生きてきた。

 

子どもの頃、西暦換算するには、昭和の場合は、例えば、昭和50年の「50」に「25」を足して19「75」年と簡単に行うことができた。

しかし、それ以降の平成と令和は、もう簡単に西暦換算ができなくなってしまった。

 

一番困るのは、裁判の書面を書く時である。

裁判所は、今でもすべての書類について「元号」を使用している。

1979(昭和54)年に元号法が制定されたため、行政や政治は元号を優先してきたからだ。

 

弁護士が裁判所に提出する書面は「元号でなければならない」という決まりはないが、私は、裁判官がわかりやすいようと配慮して、西暦と元号とを併記するようにしている。

例えば、離婚事件などは、夫婦の長い歴史を書面に書かなくてはならない場合も少なくなく、平成や令和だけだと、それが今から何年前の出来事なのかがすぐにピンと来ない弊害がある。

従って、とりわけ書面を書く時には、手帳の付録に付いている換算表が必須である。

 

上記の新聞コラムは、かような不便だけではなく、「元号が歴史的理解の妨げになっていないかと危惧する」としている。

「我々は過去の事件が何年前、何十年前のことかと把握し、連続する時間軸の中に置き、その時の自分や他の物事と関連づけて事件を実感し、理解し、評価する。これが歴史的考察というものだ。しかし、元号使用に伴う年代計算の複雑さは、この事件の流れを分断する」と。

 

もうそろそろ元号使用をやめてもいいんじゃないですか?

 

 

 

 

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