1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

日曜日の朝

 
昨日の大雨が嘘のように晴れ上がった日曜日(11月8日)。
 
朝、烏丸高辻にある因幡薬師までウォーキング。
毎月⒏日、ここで手作り市が開かれている。
 

 
お目当ては、かすみ亭の甘酒「京淡雪」。
 

 
京都市役所前の地下街ゼスト御池の手作り市に出店されていて知ったのだが、コロナ以降、ゼスト御池には出店の機会がない。
友人から、因幡薬師の手作り市でも買えると聞き、⒏日が日曜日なので、やっと行くことができた。
かすみ亭の甘酒を牛乳に入れて飲むのがマイブーム。
3本をゲット。
 
帰り道に、京都市男女共同参画センターの「ウイングス京都」の建物に立ち寄る。
 
ウイングス京都では、女性に対するあらゆる暴力をなくすことを伝え、そのためにできることを考える機会として、11月をパープルリボン月間としてイベントを行っている。
 

 
 
 
 
 

裏大文字山登山

 
京都に来て、もう何十年にもなり、大文字山(左京区)にも何十回と登っているにもかかわらず、「裏大文字山」という密かな場所があることを知らなかった。
 
最初に聞いたのは、まだ登山を始めたばかりのジム仲間のMさんから。
Mさんは、銀閣寺辺りに住んでいるので、最近では、友達と何度も大文字山に登っているとのこと。
そのMさんが、大文字山には「裏大文字」と呼ばれている場所があり、そこには滝があって、春は花、秋は紅葉がとても綺麗だと教えてくれた。
ネットには何人かの人がアップしているが、地図には登山道は載っておらず、迷いやすいらしく、知る人ぞ知るという所のようだった。
GPSを持つ山仲間のA弁護士にいつか連れて行ってもらうしかないなと思っていた。
 
そんな折り、幼なじみで登山未経験ののshocoさんが、愛宕山に登りたいと言い、その訓練として大文字山に登るため、9月に京都にやって来た。
それで、一緒に大文字山に登り、京都市内が一望できる火床で休憩していると、嵐山から週1回は大文字山に登りに来るという高齢のオッちゃんが話しかけてきた。
オッちゃんは、裏大文字のことを話し始め、春にはコブシや藤がそれは見事に咲くことなどを教えてくれた。でも、先日も山頂から裏大文字に下山しようとした女性が道迷いをして、2時間かけて助けに行ったなどとも語った。
 
私の「裏大文字に行きたい!」という思いは俄然強くなった。
そこで、Mさんに「裏大文字」を知っている人に連れて行ってくれるようお願いした。
 
10月のある日、Mさんと案内人のCさんの3人で、「裏大文字」から山頂まで登り、南禅寺に下山することになった。
Cさんは40代で、この季節に半袖で歩いてきた、たくましい女性。
 
さあ、出発!
 
いつもの銀閣寺登山口を通り過ぎ、突き当たりを少し右に行くと、そこにも登山道があった。
その後は、Cさんの後をひたすら付いて登るだけ。
確かに、山の雰囲気は、表側とは全く異なり、小川が流れ、紅葉の木々もたくさんあって、とても静かな雰囲気。
水が豊富で、途中に滝もあった。
 

 

ただ、所々、道がいくつもに分かれており、これは「道迷い」するわと納得した。
 
 
約2時間15分くらいで山頂(465m)に到着。
 

 
山頂からは東山トレイル道を歩き、途中から南禅寺方面に下山した。
 

 

 
 
裏大文字は確かに「穴場」。
でも、あと2-3回は行かないと、道が覚えられないなあ・・・
 
 
 
 
 
 
 

池善化粧品店、2020年12月末で閉店へ

 
四条河原町の南西角。
京都高島屋の巨大なビルが建っているが、そのビルに食い込むように3階建てのビルが建っている。
そこの1画は「くぼ地」と呼ばれているらしい。
(下の写真の正面の木の左側部分)
 

 
「池善化粧品店」・和菓子店「尾州屋老舗」(2020年3月廃業)・毛糸店「新雪」(現在、休業中)の看板を掲げる3店が営業していた。
 
そのうちの1店舗「池善化粧品店」が店主高齢のため、今年12月末で閉店となるという記事が2020年10月27日付け京都新聞朝刊に載っていた。
 
京都新聞は、2018年9月4日と5日の2日間にわたり、上「京都高島屋隣の謎」・下「『池善』の歩み」と題して、この四条河原町角の小さなビルのことを特集で紹介したことがあり、私は、いつかブログに書こうと思い、この記事を切り抜いて保管していた。
 
「池善化粧品店」店主井上清次さんの話によると、戦前の1930(昭和5)年に先代が店を開けた。それまでの河原町通りの拡幅で80坪の土地が20坪になってしまったので、化粧品なら小さな場所でもできるやろと建てたそう。
 
その後、店舗を拡大していった高島屋にとっては、のどから手が出るほど欲しかった場所だろう。
しかし、不動産業者から何度も買収を持ちかけられても、「目の前に何億積まれようと、お金じゃない」。立ち退きは考えたことがないという。
四条河原町界隈には、先々代の池善金物屋やその二男の洋食器の店があったが、それも今はない。
「池善」の屋号を掲げる店は、池善化粧品店だけになった。井上さんは「だからこそ、先代が継いだ土地での商売を守りたい」と。
 
以上が、2018年の京都新聞の特集記事の中からの抜粋。
 
その「池善」の歴史が、店主の高齢化により2020年12月末で終わろうとしている。
井上さんにとっては、なんとも無念であろう。
新しいテナントが入るらしいが、井上さんの思いが受け継いでいかれるといいなあと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
短歌や俳句などの「歌」には、これまで全くと言っていいほど関心がなかった。
 
毎朝6時25分からEテレのTV体操をしているので、それが放映される前、確か日曜だったかに、短歌や俳句の番組をやっており、新聞を読みながら、なんとはなしに観ているだけ。
出演者や先生の作品に、思わず「すごい!」、どこからこんな言葉が浮かび上がるのだろうと関心しつつ、自分とは無縁の世界であった。
 
そんな私が、「歌に私は泣くだらう」という文庫本(新潮社)を買って読んだ。
著者は、永田和宏さんという京大理学部出身の細胞生物学者で、コラーゲンの生合成に関わるhsp47というタンパク質を見つけて世界的に注目された方なのだが、本を読むまでは、私は全く知らなかった。
 
本を買おうと思ったきっかけは、高校の同級生のメーリングリストの中で、同級生らが短歌を話題にしており、ある男性が、
「『歌に私は泣くだらう』という本が圧巻で、出張の新幹線で読みながら、人目を気にしながらも号泣してしまいました」
と書いていたからだった。
そこまでの本っていったい・・・?と思い、購入した。
歌人であった妻河野裕子さんが2000年9月に乳がんの診断を受け、2010年8月に64歳で逝去されるまでの、夫婦の壮絶な生活がお二人の「歌」と共に書かれ、読みながら、私も号泣した。
その本を読んで、永田さんと河野さんは、京都に住んでおられ、様々な短歌の賞を何度も受賞をされたご夫婦であること、娘さんや息子さんも歌人である歌人一家であることなどを知った。
 
ネタバレになるので、本の内容はここには紹介しないが、偶然にも、11月3日に円山公園で開催される憲法集会のメインの講師が永田和宏さんであることを知った。
講演テーマは「新型コロナが問う日本と世界」。
永田さんは、最近の、日本学術会議の任命拒否問題についてもかなり怒っておられるようで、そのことにも触れられるとのこと。
「細胞生物学者」などと聞くと、世間離れした堅物の男性をイメージするかもしれないが、本の中の永田さんはとても人間らしい方であり、11月3日の講演は楽しみである。
 
 

座りすぎで、がん死亡リスク

 
座りすぎは、がんになりやすい!?
2020年10月8日付け京都新聞朝刊の記事である。
 
厚生労働省が進めるプロジェクト「がん対策推進企業アクション」のアドバイザリーボード(助言機関)の議長でもある東京大学病院放射線科准教授の中川恵一さんは、新型コロナへの十分な注意以上にがん対策をおろそかにしないことが非常に大事と語る。
 
コロナ禍では、がん対策上、
①在宅勤務の増加による生活習慣の悪化
②がんの早期発見の遅れ
③がん治療の影響
の3つの問題があるという。
 
①について、実は最も重要なことは座り過ぎだという。
座り過ぎはがんになりやすいことが分かってきたとのことで、座り過ぎの健康リスクを帳消しにするには1日1時間以上の運動が必要とのこと。
 
米テキサス大MDアンダーソンがんセンターが8000人を対象に実施した研究では、座っている時間の長さで3群に分けて5年間追跡、がん死亡リスクを比較した。
最も長い群はみじかい最も短い群に比べ、がんの死亡リスクが8割も高かったという。
 
これは、喫煙によるリスクを上回るほど高いとのこと。
 
お薦めは、「30分に1回は立って動くこと」らしい。
 
なんとなく本当かな?って思ってしまうが、「30分に1回は立って動く」ことは簡単なことなので、とりあえずやってみよう。
 
 
 
 

北嵯峨の彼岸花

 
真っ赤な彼岸花は、とても綺麗だが、子どもの頃は、彼岸花と言うと、「家に持って帰ると火事になる」と言われていたことを思い出す。
炎のように真っ赤なことを表していたのか、あるいは、摘んで帰るふとどき者を避けるためだったかは、今から思うと謎である。
 
新聞に、奈良県の葛城古道の彼岸花の写真が掲載されていた。
真っ赤な彼岸花があぜ道に沿って綺麗に列をなし、田んぼの黄色とのコントラストがそれは見事な写真だった。
 
そこで、京都にそのような場所はないかと探したところ、北嵯峨にそのような風景が広がっていることを知った。
北嵯峨は、大覚寺や大沢池がある辺りだ。
 
裁判所前のバス停から市バス93番で行かれるので、行ってみた。
 
JR嵯峨嵐山駅前下車。
大覚寺や大沢池の東側が目的の場所のよう。
住宅街をどんどん北に歩いて行く。
そのうち田畑が広がり始め、北嵯峨高校辺りからは、彼岸花の赤が所々見えるようになった。
 
そこには、これまで京都市内では見たことがないような風景が広がっていた。
 

 
稲刈りも終わり、彼岸花も少し枯れ始めており、新聞の写真のような鮮やかさではなかったが・・・
 
でも、こんなに見事に咲いている彼岸花もあった。
 

 
田んぼにはサギもたくさんいて、本当にここが京都市内かしら?と思うような景色だった。
 

 
のどかな景色を味わった後は、隣の大沢池を1周した。
ちょうど中秋の名月の頃なので、夜のお月見観賞用の座席などが設置され、池には船も浮かんでいた。
 

 
 
 
 

オッサン達の再会をプロデュース!?

 
オッサンAは、高校と大学の同級生。但し、学部は理学部。
高校の時は、お互い知らなかったが、大学に来てから知り合い話をするようになった。
大学卒業後も、高校の同窓会でたまに会ったりしていた。ちなみにAも京都在住。
 
オッサンIも大学の同級生で、理学部。
理学部から別の大学の医学部へ行き、今は、大阪で医者をしている。
Iとは、年賀状を交換するだけで、約40年位会ったことがなかった。
 
今年2月、身内の病気のことで、どうしても相談したいことがあり、オッサンIと会うことになった。
特に約40年の空白を感じることはなく、自然に再会を果たした。
Iと話をする中で、実は、学生時代、IとAは二人とも数学を専攻し、とても仲が良かったことを初めて知った。しかし、卒業以来、会っていないし、連絡もしていないとのことだった。
私は、Aの携帯電話番号を知っていたので、教えた。
 
その後、しばらくして、オッサンIから「Aと電話で話したが、あまり会話にならなかった。やっぱりオッサンはダメや~」とのメールが入った。
私たちオバさん同士なら、いくら何年も会っていなくても、すぐに打ち解けておしゃべりするのに、なんてことだろう!とあきれた。
 
それから、また、しばらくして、またオッサンIから「Aと京都で会うことになった。コミュニケーションが取れないかもしれないから、同席して」とメールが入った。
「喜んで」と返信し、候補日を複数伝え、その時は、私は連絡を待つだけだと思っていた。
 
その後、Iから日の連絡が来たが、日と曜日が違っていたため、Iからは、再度Aに確認するとメールが来たきり、いつまで待ってもメールが来ない。
しびれを切らして、Iに連絡すると、「Aから返事がない」と。
この時点で、もう2人には任せておけないと思い、私からAにメールを入れた。
Aからは、すぐに返信があり、「知らないメルアドからのメールだったから、返事しなかった」とのこと。
そのメルアドは、Iの自宅と職場やん!
それからは、私が二人と連絡を取り合って、日も時間も店も料理も決め、当日を迎えた。
Iいわく「オレ達二人だったら、無期延期になっていたと思う」。
 
9月27日(日)正午。
私とIとは時間どおり店に到着。しかし、Aは来ない。嫌な予感・・・
電話を入れると、腰痛が痛くて、1時間位遅れるとのこと。(電話くらい、せえよ!)
午後1時、やっと、オッサン二人は再会を果たした。
 
それからは、「何がコミュニケーションが取れない」だよ!
二人で、数学の○○の定理とか統計の話から始まり、天皇史、キリスト、ローマ史などなど、私がついていけない話題を、面白がってずっと話していた。
ランチの店を出て、喫茶店に移っても、延々としゃべっていた。
割と静かな喫茶店で、オッサン2人が大きな声で小難しい話をしているんやから、きっと周囲は迷惑だっただろうと思う。
約40年ぶりでも、これだけ話が合うんやから、仲が良かったはずだ。
でも、これだけ、会話に参加できないことって、私にとっては珍しいことで、なんか理系の人は興味関心の世界が違うのかって思ってしまった。
 
でもまあ、再会が実現して、良かったよ。ホント。
 
 
 

ZoomでZumba

 
Zumba(ズンバ)とは、スポーツジムなどで行われているダンス系エクササイズ。
何曲かの曲に合わせて、サルサやヒップホップなどのステップも取り入れ、インストラクターが曲毎に振り付けて踊る。
 
私もスポーツジムへ時々行くが、Zumbaレッスンは、1~2回ほど受けたことがあるだけ。
 
つい最近、私のいとこの娘Rちゃんが、そのZumbaのインストラクターになったことを知った。
そしてコロナ禍のもとで、今は、Zoomで教えているという。
 
「1回受けてみて」と言う、いとこの勧めもあって、昨夜初めて、ZoomでRちゃんのレッスンを受けた。
60名余りが受講。
久し振りに見るRちゃんは、とても明るく、はじけていた。これが若さや!
 
合い間に水分補給の時間は少し与えられるが、ほぼ約50分間踊りどおし。
今年は登山へもあまり行っていない運動不足の身体には、とてもハードだった。
クーラーの中で踊ったが、久し振りに汗をかいた。
 
でも、踊りは好きだが、やはり、Zoomは好きになれないなあ・・・苦手
 
 
 
 
 
 
 

 
2020年9月5日午後、京都市ごみ減量推進会議主催の講座で、「佰食屋」(ひゃくしょくや)のオーナー中村朱美さんの講演会「食べ物を捨てたくない~常識にとらわれない『佰食屋』が目指すもの」があったので、参加した。
 

 
実は、この企画は、コロナ禍のために、1度延期になったものだった。
 
佰食屋のオーナー中村さんは、数々のテレビにも出演している、京都では有名な女性起業家である。
2015年「第4回京都女性起業家賞 最優秀賞」
2019年日経ウーマンの「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019 最優秀賞」など受賞多数。
ランチのみ100食限定で、完売次第営業終了という飲食店の常識を覆す経営手法で、飲食店でのワークライフバランスとフードロスゼロを目指し、実践している。
 
中村さんの話は、はぎれもテンポも良く、ぐいぐい引き込まれた。
 

 
飲食店で、食品ロスが生じる原因を3点にわたって説明。
1、メニュー構成が多い
2、来客数が読めない
3、めんどくさがりすぎ
 
また、「究極の社員教育」として、徹底した役割分担と責任の明確化をあげた。
 
コロナ禍のもとで、4店舗のうち繁華街にあった2店舗閉店を余儀なくされたが、それを教訓にして、今後へのやる気は満々。
更に、新たな防災ビジネスも考えていると語る。
 
家族や人に対する優しさを経営の中でも実践しようとするバイタリティに感銘を受けた。
 
 
 
 
 

久し振りに、本(ノンフィクション)を読んで感動して泣いた。「エンド・オブ・ライフ

著者の佐々涼子さんは、2012年「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」で第10回ノンフィクション賞を受賞した。当時、この作品も読んでみたいと思っていたが、いまだ、読めずにいる。

「エンド・オブ・ライフ」は、思いがけず、京都が舞台だった。
訪問看護を行う渡辺西賀茂診療所で働く40代の男性看護師が、2018年⒏月、末期のすい臓癌の宣告を受けた。
彼は、自身の「命の閉じ方」を看護の教科書として使おうと思いつき、旧知のライターである著者佐々さんに執筆を依頼する。
この作品に盛られた内容は、知識の「教科書」ではなく、死にゆく人間とその家族の姿や思いがまるで映像のように語られた、生きた「教科書」だと思った。
それと共に、人との出会いがいかに貴重なものか・・・
「人は生きていたように死んでいく」
本の中で何度か語られるこの言葉のように、「命の閉じ方」も出会いもまた、自分がこれまで生きてきた人生が反映するのだろうか。

自分、家族、そして愛する人の死を考える時、是非読んでみてほしい1冊である。

今朝も鴨川へ

 
夕べも深夜まで暑かった。
朝、午前4時に目が覚めてしまったので、夜が明ける午前5時まで待って、鴨川へ。
さすがに早朝は涼しくて気持ちがいい。
 
いつもの朝の風景。
 

 
だいたい同じ場所にカモが泳いでいる。

 
川の中に大きな飛び石がある。
今朝は対岸まで往復して渡ってみた。
結構、石と石の間が広い。
この石と石の幅をいつまでまたぎながら渡れることやら・・・なんてことが頭をよぎった。
頑張ろ!

 

中山道加納宿

 
今夏のお盆、久しぶりに、ふるさとの岐阜の親戚の家に行った。
在来線を乗り継ぎながら、京都から岐阜まで行くのだが、今年は、コロナのせいか、お盆の時期でも電車内は混んでおらず、ゆっくり座って乗ることができた。
 
親戚の家というのは、亡母の実家なのだが、中山道(なかせんどう)に面している。
幼い頃から、この通りが中山道だと教えられていたが、何か、それらしき町並みが残っていたわけでもなかったので、「ふ~ん」という感じでしかなかった。
 
親戚の家に泊めてもらった早朝、皆が起き出す前に、幼い頃に歩いた近隣を散歩してみようと出掛けた。
 
この通りが、現在の中山道。
 

 
少し歩いて行くと、なにやら碑が立っている。「中山道加納宿脇本陣跡」
こんな碑、昔から建ってたかなあ?気がつかなかった。
 

 
「皇女和宮御仮泊所跡」。皇女和宮が京都から江戸に嫁ぐ時に、宿泊したのだろうか。
こんなんも知らなかった・・・
 

 
皇女和宮の歌。
「遠ざかる 都をしれば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」
 

 
「明治天皇御小休所跡」
 

 
「加納宿まちづくり交流センター」が建設中でした。
完成したら、来てみたい。
 

 
通りとしては、中山道より1本北側の通りに位置するが、お祭りの時とかに祖父に連れて来てもらった加納天満宮にも寄った。
 

 
碑は建っていても、町並みが保存されていないのが、残念な気がした。

今夏一番の暑さになる日の朝

 
天気予報によると、京都市内は、今日(8月20日)、今夏1番の暑さになるとのこと。
昨日も、京都市内の気温は38~39度に達し、深夜になっても暑さは引かず、寝苦しい夜だった。
 
今日の朝は、午前5時前に目が覚めた。深夜と違って、空気がひんやりとしており、気持ちがいい。
鴨川まで散歩することにした。
 
午前5時過ぎの鴨川。
 

 
鴨川に着くと、しばらく土手に座り、心地よい風を感じたり、川の流れに見入ったりしていた。
カモがたくさん、水遊びをしていた。
 

 

 
気持ちのいい朝だった。

「スピード感をもって」って、おかしくない?

 
2020年8月12日、広島地裁が下した「黒い雨」訴訟判決に対し控訴するという記者会見の中で、加藤厚生労働大臣は、援護対象区域について「地域拡大を視野に含めて、検証したい」との発言について「スピード感をもって」と述べた。
 
今回だけではない。
最近の大臣や官僚の政府答弁を聞いていると、この「スピード感をもって」という言葉がやたら出てくる。
この言葉を聞くたびに、私は大きな違和感を感じる。
なぜなら、「スピード感」はあくまで「感覚」「感じ」であるから、人それぞれにその感覚は異なり、すごく曖昧あるいはゴマカシの表現に聞こえてならない。
 
政府答弁は政策などの検討や実施なんだから、むしろ、それは「早急に」「速やかに」と言うべきではないかと思う。
 
 

メモリースポーツという世界

 
「あの、あれ、あれ」なんて、私の周囲ではよく飛び交う言葉。でも他人事ではない。
人の名前が出てこない、固有名詞が出てこない。
若い頃は、固定電話の6~7桁の番号ならいくつも覚えられたのに、今は、なぜか携帯電話の11桁の番号(あるいは最初の090を除いた8桁すら)が覚えられない。
年のせい?
いや、元々関心がない、覚えることが多くなった・・・と言って、モノ忘れする自分を正当化している。
 
昨夜放映されたNHKの「限界突破!全力記憶~華麗なるメモリースポーツの世界~」は、ちょっと衝撃的だった。
200桁の数字を5分で覚える。80人の名前を3分で覚える・・・
そんなメモリースポーツという世界大会まであるという。
 
なぜ、そんなことができるのか?
それは、その人が天才というわけではなく、トレーニング(場所法とかイメージ法とか、あるらしい)によるものとのこと。
もちろん、どこまで伸びるのかは、努力と素質によるものであることは、どのスポーツも同じだろうが。
 
若くなくてもできるのか?
テレビでは、外国語の単語を覚えたいということがきっかけで、メモリースポーツにはまった69歳の男性が登場した。
彼は、コンビニで30個の品を購入するというオーダーを与えられ、数分でそれを覚え、順番どおりすべて購入していった。
すご~い!
脳には可塑性があることがわかってきており、年をとってもできるんだ。
 
スマホやパソコンが何でも教えてくれるから、頑張って覚えなくても生活はできる。
でも、人間には、こんなにすごい秘めた能力があるんやから、使わないと損!
トレーニングして、ちょっとだけでも記憶力がアップすればいいなあ。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
現在、NHK(金曜日午後10時)でドラマ放映中の「ディア・ペイシェント」。
医師で作家の南杏子さんの第2弾の小説のドラマ化である。
かなり「恐くて」面白いので、毎週欠かさず観ている。
 
南さんのデビュー作「サイレント・ブレス」は、大学病院から終末期の患者の訪問医療を扱う診療所へ「左遷」された主人公の女性医師が、死にゆく患者と関わりどう向き合うかを描いた作品で、終末期医療における医師と患者あるいは家族との関係について考えさせられた。
 
今回の「ディア・ペイシェント」は、ドラマ第3話放映までは、まだ原作は読んでいなかった。
民間病院の新人女性医師真野千晶(貫地谷しほり)が、モンスター・ペイシェント(クレーマー患者)もからんで、思い悩みながらも頑張る姿が描かれている。
どのモンスター・ペイシェントも恐いが、毎回登場する俳優田中哲司が扮する「座間敦司」は恐すぎて、観ていられない。
 
最後まで読んでみて、ネタバレになるので、これ以上内容については触れないが、モンスターペイシェントと対応しながら医師と患者との関係、民間病院の経営問題、そして主人公の医師としての成長を描いた、深く面白い作品だと思った。
 
ドラマの方の今後の展開も楽しみ。
 
 

熊本県・五木村「山うにとうふ」

 
元フラメンコ仲間との持ち寄りランチ会を、ほぼ月1回開いている。
 
7月のランチ会で、Tさんが提供してくれたのが「山うにとうふ」。
これは、熊本県五木村(いつきむら)の発酵食品で、五木屋本舗が商品開発して1996年に売り出したとのこと。
 
7月の豪雨で、五木村も各所で被害に遭ったが、五木本舗は、操業・営業を再開している。
Tさんが「山うにとうふ」と購入したのも、被災地支援の一環でもあった。
 
「山うにとうふ」は、地元の昔ながらの豆腐を、甘みが強い独自のもろみそに漬け込んで約半年間、発酵・熟成させて作る。
ベースとなっているのは800年前から地元で受け継がれてきたとされる「豆腐の味噌漬」。源氏との戦いに敗れてこの地に住み着いた平家の落人が、貧しい暮らしの中で考え出したと伝わる(2020年7月24日付け京都新聞朝刊)。
 
味は、豆腐と言うより、濃厚なチーズのよう。
酒のアテにはピッタリだろうが、酒を飲まない私でも、熱々の白ご飯にのせて食べると、それはそれは美味。
 
1度、ご賞味ください。
 
 
 
 

一年ぶりの「kinco-ya」さん

今日も、京田辺市の女性法律相談の担当日だったので、京田辺市まで出掛けた。

昨年7月に依頼者Mさんが連れて行ってくれたカフェ「kinco-ya」(きんこや)さんに、1年ぶりにまたMさんと行くことにした。
きんこさんは、元中学校の先生で、退職後、このカフェを始めた。御年70代?
1年前は、法律相談が終了してからだったので、夕方の訪問だったが、今日は、ランチを目的に午前中から訪問した。
午前11時入店。

店主のきんこさんが「きんこのブログ」を毎日書いているので、1年ぶりに訪問しても、なんだか久しぶりのような気がしない。

いつも、きんこさんのブログに登場する、美人のお友達が先客として来ておられたので、ご挨拶。
生の姿もやはり美人。あのように年齢を重ねたいと思うような方。

ランチは、生姜焼きをいただいた。

ボリュームあって、ご飯はおかわり自由。
Mさんは、人気NO1のハンバーグ。

がっつり食べたのに、二人とも、食後のデザートとして、更に、手作りケーキを注文(写真は撮り忘れました)。

今日は平日のせいか、ランチの時間もあまり混雑はなく、おしゃべりに花が咲く。
そして、後ろ髪をひかれながらも、私は法律相談へ。お仕事、お仕事。

「kinko-ya」さんから歩いて20分位の所に「甘南備山」(かんなびやま)という標高200m位の山があるので、もう少し気候が良くなったら、是非、登りに行こうと思う。

また、カフェにも寄らせてもらいますぅ~

レジ袋有料化と「プラスチック・フリー生活」

 
2020年7月1日から全国でレジ袋の有料化の義務付けが始まった。
 
しかし、国内で廃棄されるプラごみの中でレジ袋が占める割合が2%程度にすぎないことや、「バイオプラスチック」の袋など有料化を免れる「抜け道」があり、海外のように、レジ袋自体の使用禁止をしないところに、日本の環境問題に対する取り組みの遅れが指摘されても仕方がない。
 
少し前に、「プラスチック・フリー生活」(シャンタル・プラモンドン、ジェイ・シンハ著、服部雄一郞訳)という本を読んだ。
 
この本を読んで、あらためて、私たちの日常には、プラスチックがあふれていること思い知らされた。「こんなものまで?」と思うような物もある。
例えば、牛乳パック、紅茶のティーバッグ、フリース、タイツ、靴下、缶詰の内側のコーティング、歯科治療の詰め物などなど、プラスチック以外の物を見つける方が難しいくらい。
 
そして、世界中で途方もない量のプラスチックが、エベレストの高みから深海の果てに至るまで堆積する。
空気中にも広がっていることはもとより、鳥や魚がエサと間違えて食べてしまうことにより、毒素はいずれ人間の口にもたどり着くのである。
恐ろしい話である。
 
では、私たちはどうすれば良いのか?
 
「プラスチック・ゼロ」にするのは難しいかもしれないが、身の回りのプラスチックを意識し、その依存度を減らしていくことである。
この本には、その方策が、詳しく説明されている。
 
気が遠くなるようなことではあるが、一人一人が意識を持って実践していき、世界を変化させようとする様々な運動につながっていくことが大切なことだと思う。
 
 
 
 

ランチ会と誕生パーティー

 
休日に、たまに、元フラメンコ仲間と開くランチ会。
それぞれが手作りの料理を持ち寄って、ランチをしながら、おしゃべり。
 
2020年6月28日(日)のメニュー。
 

 
なかなか豪華でしょ!?
皆、料理がうまいわ。味も美味しい!料理が残ったら、お土産付きとなる。
 
この日は、6月が誕生日のNさんと7月が誕生日のKさんの合同誕生パーティーも兼ねた。
 
Tさんの妹がパティシエなので、バースデーケーキは妹さんの手作りのチーズケーキ。
 

 
NさんとKさんの年齢を足すと100歳を超えてしまうので、ローソクは年の数ではなく、「HAPPY BIRTHDAY」の文字ローソクで。
 
Tさんの美声で、バースデーソング。
 
なんと、夕方まで、おしゃべり。
楽しいひとときでした。

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