今日4月2日は、京都もあちこちで、桜が満開に近くなり、お花見びよりである。
京都の桜の名所と言われる場所には、ほとんど行ったことがあるので、午前中、「穴場」を求めて出かけた。
行った「穴場」は、東山にある若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)の裏山。
若王子神社は、南禅寺の北側にある。
平安神宮や南禅寺界隈は、すごい人、人、人。
桜もほぼ満開で綺麗。
若王子神社に着くと、「桜花苑」と書かれた立て札があった。
ここだ!
立て札に従って坂道(山道?)を登っていく。
神社には人がたくさんいたが、ここを登って行く人はいない。
少し登って行くと、目の前がパーッと開け、濃いピンクの桜がたくさん現れた。
これは、あの陽光桜だ。
3月29日のブログでも書いたように、陽光桜は早咲きのため、既に散り始めており、地面がピンクに染まっていた。
でも、見事な眺め。
ここまで登って来る人は、まばら。
なんで知ったのか、中国の若い女の子2人が何枚も自撮りしていた。
来年は、もっと早く来るぞ!
ブログ マチベンの日々
高倉通と間之町通の間の御池通り北側歩道に、2本だけ、早咲きの桜が咲いている。
3月中旬にはもう咲いていただろうか。
枝は空に向かうようにまっすぐに上方に向かって伸び、花はとても濃いピンク。
これは、何という桜なんだろう・・・
御池通りを通るたびにそう思った。
安保法が施行された今日3月29日、偶然、その桜が「陽光桜」という名前で、しかも、平和の象徴であることを知った。
陽光桜は、愛媛県出身の故高岡正明さんという方が開発された品種。
高岡さんは、戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師をされ、日本は絶対に負けないと信じ、教え子を戦場に送り出した。
しかし、教え子が次々と戦死し、終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」との自責の念に苦しみ続けた。
そして、「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と生涯を賭けて桜の新品種開発に着手。
高岡さんは、亜熱帯から極寒のシベリアまで各地で命を落とした教え子のため、どんな気候でも咲く桜を創ろうと、私財を投げ打って、不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出したのであった。
そして、「陽光桜」が完成すると、なんと伸べ5万本にも及ぶ陽光桜を各地で無償で提供した。
世界を平和にするため、外国人にも見てもらおうと、派手な色彩とした。
この実話は、昨年、映画にもなり、各地で上映されたとのこと。
桜となった高岡さんの平和への思いは、まさに陽光のように世界を照らしている。
先人の思いを胸に、安保法を廃案にさせるまで頑張ろう。
2016年3月14日の京都新聞朝刊で、上田正昭京大名誉教授の死去を知った。
3月13日に亡くなられ、88歳とのこと。
私は上田先生と個人的には面識はないが、私が京都大学1回生だった頃、1年間、上田先生の講義を受講したので、よく覚えている。
私が入学した当時、京都大学では、1-2回生は、教養部で一般教養を学んだ。
それまで受験勉強しかして来なかった女子学生にとって、大学における様々な分野の専門的な講義はとても刺激的で、必須科目の語学以外に、文化人類学、自然人類学、心理学、教育学など、合格した法学部系以外の講義もたくさん受講した。
その中に上田先生の講義もあった。
確か「古代史」という講義名で、内容は「卑弥呼」が中心だったと記憶している。
当時、邪馬台国が、近畿にあったのか九州にあったのかという論争もあり、上田先生の講義は私にとってはとても興味深く、真面目に(?)受講したと確信している。
私が大学を卒業した後も、京都新聞などに執筆されている上田先生の記事を頻繁に目にし、たった1年だけ受講した学生にすぎなかった私だが、お元気でご活躍なんだなあと嬉しく思っていた。
京都新聞には、上田先生の原点は、学徒動員に駆り出された「戦争」と、高校教師時代に目の当たりにした部落差別や在日韓国人・朝鮮人「差別」だったと書かれてあった。
もう1度、上田先生の本を読んでみたいと思った。
現在84歳の依頼者Mさんは、夫を2014年になくし、京都市南区の自宅で一人暮らしをされている。
事務所で打ち合わせをする時は、バスに乗り、歩行補助車を押して来所されるが、若い頃はキャリアウーマンだったようで、物事の理解も早く、素敵な人柄だ。
かねてから1度お宅にお邪魔したいと思っていたので、先週、打ち合わせがてら自宅を訪問した。
Mさんは、話好きで、子どもはいないが、姪の子どもの写真や動画をスマホで嬉しそうに見せてくれた。
また、近所の美容室の方がとても親切で、何軒かのスーパーの安売り広告品を買って届けてくれたりもするとのこと。
向かいのオウチの方は、「たくさん作ったから」と意って、いつもオカズを作って持って来てくれるそう。
Mさんは一人暮らしでも、昔ながらの地域の住民によるコミュニティがあるんだと知って安心した。
さすが、南区やなあ。
マンションが多い地域では、こんなことなかなかできないよなあ。
でも、きっと、Mさんの人柄の賜物でもあるんだろうと思った。
あの東北大震災から今日で丸5年が経過しようとしている。
テレビや新聞などで特集が組まれているが、5年経った今も多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされているなど、その「復興」の現状にとても厳しいものを感じる。
このブログで何度か書いたことがある、宮城県気仙沼市のYさん。
東北震災支援プロジェクトを通じて知り合い、今でも交流が続いている。
そのYさんから、今週、突然、ワカメとメカブが届いた。
「春を告げる生ワカメ」
そっか、ワカメって春が旬なんだ。
年中スーパーに置いてあるから知らなかった・・・
早速、食べている。
納豆とメカブのネバネバ料理。これにとろろ芋も加える。
きゅうりとワカメと「ほぼカニ」の酢の物
Yさんは、昨年、震災時の住所から移転され、仮設住宅におられた両親と同居された。
Yさんの現住所をグーグルマップで調べても、地名はあるが、番地の記載はなく、新しく開発された地域なのだろうか。
私なんか自分ができる、ほんの小さなことしかしていないのに、まだまだ大変な生活の中でのYさんの心使いがとても嬉しい。
震災当時、小学生だった娘さんも、この4月から高校生になる。
東北の復興は、東京オリンピックに人手を取られ、ますます遅れるとの報道もある。
はがゆさと怒りすら感じる5年目の3月11日である。
既婚であっても配偶者に先立たれることがあり、子どもがいても同居どころか近くに居住していないこともあり、現代の日本社会は、いやおうもなく、おひとりさま人口が増えるしくみとなっている。
み~んなおひとりさま時代が到来しているのである。
この「おひとりさまの最期」という本は、社会学者である上野千鶴子さんが出版した「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」に続くおひとりさまシリーズの第3弾。
私が2012年に知り合った柴田由美子さんという女性は、末期ガンのため、2013年1月に亡くなられたが、生前、柴田さんから、上野千鶴子さんとは友人だと聞いていたので、もしかしたら、友人らによるチームケアの中で亡くなった柴田さんのことも、この本の中に書かれてあるかもしれないという思いもあった(注、書かれてありました)。
また、以前このブログでも書いたことがあるが、一昨年、私の友人Mさんがやはりガンで亡くなったが、その時、短期間ではあったが、一人暮らしのMさんのため、私も含めた友人らが交替でMさんの日常のお世話をしたという経験を持った。
ただ、もっと私たちにできることはなかっただろうか、地域や行政などの手続きで利用できることはなかったのだろうか、という思いがずっと残っている。
この本には、上野さんが在宅ケアに従事されている医師などに同行し、そのシステムや当事者の思いなどが紹介されている。
また、友人などの「チーム」によるケアの実践例も。
つまり、上野さんの「在宅ひとり死」の研究レポートとなっている。
印象に残ったのは、次の文章。
「患者」という呼び方そのものが、医療者目線です。
ひとは患者である前に、まずひとりの生活者です。
家では誰もが生活者に戻ります。
・・・在宅では、医療職の想定を超えた「奇跡」がいくつも起きているようです。
だが、在宅介護そして在宅死には、いくつかの条件がととのわないと実現しない。
条件の最大公約数は、
①本人の強い意思
②介護力のある同居家族の存在
③利用可能な地域医療・看護・介護資源
④あとちょっとのおカネ
なかなか難しいが、上記の条件から、家族を引き算することはできるかもしれないし、それを実践している地域や人々が存在することもまだ現実だ。
自分で自分の死に方をコントロールするのは、とても難しいが、高齢化社会に徐々に足を踏み入れつつある自分自身の問題として、これからも考え続けていこうと思った。
2016年3月5日付け京都新聞で、一条戻り橋のたもとの河津桜が満開という記事を読んだので、今週の日曜、早速、行ってみた。
河津桜は、伊豆の河津町に咲く超早咲きの桜として有名だが、それを京都市内で見ることができるとは知らなかった。
一条戻り橋というのは、堀川一条にかかっている橋で、現在の橋は、1995年に架け替えられたそうで、普通のコンクリートの橋である。
名前の由来は、918年に漢学者の三善清行が死に、紀州熊野で修行していた息子が父の死に間に合わず、一条戻り橋で葬列に出会った。
息子が祈ると、父親は一時よみがえり、父子の対面を果たしたという。
なんか、京都によくありそうな逸話やね。
ここの河津桜は、1本だけ。もう満開だ。
この日、京都市内の気温は、20度にものぼる暖かさで、何人もの人が写真を撮ったりしていた。
河津桜は、花がやや大きく、色も濃いピンクなのが特徴だ。
1度、河津町に行って、たくさんの河津桜を見たいものだ。
京都は、また今週末から寒くなる予報。
でも、春は、確実にもうそこまで近づいている。
今週の日曜日(2月28日)の昼頃、不慮の事故により転倒し、左足の膝を強く打った。
瞬間、膝をひねったという感じもあった。
直後すぐには起きあがれなかったが、しばらくして、なんとか立ち上がることができた。
歩いて左足に重心を置くと左膝がガクンとひねってしまいそうで、おそるおそるしか歩けなかったが、足や膝そのものの痛みは感じなかった。
運良く骨折はしておらず膝の捻挫だろうと考えたが、腱が切れていないかが最も心配だった。
すぐにインターネットで調べると、応急処置として、次のようなRICE(ライス)の法則というものがあることがわかった。
「R」=REST(安静)
「I」=ICE(冷やす)
「C」=COMPRESSION(圧迫)
「E」=ELEVATION(患部を上げる)
それで、すぐに湿布をして横になった。
ジッとしていれば痛みは感じなかったが、夜中になると、支えがないと立ち上がれないようになり、壁などに寄りかかりながらトイレに行くという状態になった。
翌朝(月曜日)、左膝付近が腫れ、膝下の外側付近の皮膚の色が赤くなっていた。
あいかわらず、何かによりかからないと、歩くことができない。
気分的にも疲れ、仕事を休み、ずっと横になっていた。
足とは関係ないはずなのに、食欲もない。
明日は家裁での裁判の予定が入っている。
実家から持って来ていた亡母の杖があるので、それを使うしかないかなあなどと考えりたりした。
火曜、京都はうっすら雪化粧の朝となった。
左足は引きずるものの、ゆっくりとおそるおそる杖なしで歩くことができた。
身体というものは、良くできているもんだと感心した。
水曜・木曜になると、左足を引きずる程度も軽くなった。
そうなると、週末にはジムに行って、筋トレをしたくなった。
整形外科医をされている依頼者の方に事情を話し、「もうそろそろ運動しても良いでしょうか?」と尋ねたところ、「2週間は安静にしていた方が治りが早いから我慢してください」といさめられた。
ハイ・・・
足の重要さを痛感した1週間だった。
もう少し日にちが経過したら、頑張ってトレーニングしようと決意している。
昨年3月に、朝日放送の「LIFE~夢のカタチ~」で放映された、京都在住の切り絵作家、佐川綾野さん。
それ以降、京都・大阪はもとより、東京や愛知でも、切り絵教室を開催され、大人気。
佐川さんのことは、このブログでも何回か書いたが、私自身、昨年3回、佐川さんの切り絵教室に通わせてもらった。
その佐川さんの切り絵展が、現在、京都文化博物館の1階にある「楽紙館」という紙屋さんの店舗の中で開催されており、先週、行って来た。
私が訪れた日、佐川さん本人はおられなかったが、店舗内のコーナーに、佐川さんの作品が何点も飾られ、絵葉書やアクセサリーも販売されていた。
あいにく撮影が禁止されていたので、その様子を写真で紹介することができないのが残念。
いつか、もう少し規模の大きな個展を開いてほしいなあと思った。
切り絵展は、3月6日まで。
お近くの方は、是非、足を運んでみてください。
ハンカチは、日々の生活の必需品だが、ここ数年は、アイロンをかけるのが面倒なので、専らタオルハンカチを愛用している。
私は、ブランド物には全く興味関心がないので、専ら、デパートのハンカチ売り場で1枚500円くらいのタオルハンカチを購入して使用している。
先日、知人から、フェイラー(FEILER)というブランドのタオルハンカチをいただいた。
フェイラーは、ドイツに本社がある世界的に非常に人気が高いタオルメーカーで、ドイツのババリア地方の伝統工芸の織物に工夫を重ね、シュニール織りを生み出したそうだ。
柔らかい感触と非常に優れた吸水性を持つとのこと。
一応、表裏の区別はあるが、表と裏とであまり違いがない。
別の友人は、フェイラー製品は本当に感動するほど手触りや吸水性が良いが、1枚2000円前後もするので、絶対に自分では買わないと言っていた。
小さなハンカチだが、確かに、本当に手触りも良く、感動ものだ。
他の人のブログでは、とても気に入って10年以上同じ物を使い続けているというのがあった。
おそらく織りもしっかりしているのだろう。
大切に使わせてもらおうと思う。
私のお気に入りのブログの1つ、ミニマリストの筆子さんのブログ「筆子ジャーナル」。
私が砂糖の害に改めて関心を持ったのは、この筆子さんのブログに、何度か書かれていたからだ。
そして、偶然にも、2月23日付けの筆子さんのブログは「いきなり砂糖をやめる勇気がない人へ。少しずつ砂糖なしの世界へ向かう5つ(実は6つ)の方法」。
その内容を簡単に紹介する(関心がある方は、直接、筆子さんのブログを読んでください)。
1、自炊する。
調味料の種類や量をコントロールできる。
2、食品表示やラベルの原材料のラベルを読むクセをつける。
3、砂糖が添加されている食べ物をなるべく食べない。
要するに、加工食品を食べない。
4、自然に近い甘味成分を使う。
たとえば、はちみつやメープルスロップ。
5、冷たくて甘い飲み物を飲まない。
温度が低いと甘みはあまり感じられないので、冷やして飲むコーラや果汁飲料には砂
糖がたくさん入っている。
6、加工度の高い食品は避ける
冷凍食品、スナック菓子、調理缶詰、レトルト食品、ドレッシングなど。
持ちをよくするために砂糖がはいっていることが多い。
これだったら、実践できそう・・・
以前から、白い食材には、害があると聞いていた。
白い食材とは、精製された砂糖・塩・米・小麦である。
インターネットで検索すると、それらの害の根拠を書いた記事はたくさん掲載されている。
しかし、害があると言われても、どれも日常的に使用する食材なので、実際にこれを完全に断つことはなかなか難しい。
先週、イギリスの団体「アクション・オン・シュガー」が、スターバックスやケンタッキーなど大手コーヒーチェーンが販売するホットドリンクに含まれる砂糖の量を調べたところ、98%に身体に危険なレベルの量の砂糖が含まれていたとする調査結果を発表した。
日本はどうなんだろう?
スタバへ行くことはあっても、たいてい飲むのはコーヒーで、私はコーヒーに砂糖を入れないので大丈夫。
砂糖は、日本料理には頻繁に使用されるし、市販の調味料のラベル表示をよくよく読むと調味料の中にもたくさん使用されている。
また、例えば、ジャムを自分で作ってみると、ジャムにはいかにたくさんの砂糖が使用されているかがわかる。
止められないのは、砂糖の甘さが「麻薬」のように、人の脳に浸透しているせいだろうか。
いただき物のケーキや、コース料理の最後に出されるデザートは、喜んで食べている。
でも、せめて、自分では、甘いお菓子やケーキは買わないようにしよう。
こんな中途半端なことでは、あまり意味ないかな?
NHKBSプレミアムで2016年1月10日から始まったドラマ「鴨川食堂」が面白い(毎週日曜午後10時~。連続8話)。
「思い出の食、捜します」
その一行の広告を頼りに、客は、看板も暖簾もない「鴨川食堂」にたどりつく。
そのたどりつくことができた客だけのために、その望む食を、娘「こいし」と元刑事の父「流」が調査し、その客の人生が凝縮された「思い出の食」を提供する。
舞台は京都。これもいい。
鴨川食堂は、東本願寺の近く。
「こいし」役の忽那汐里(くつな しおり)は、このドラマで初めて知った女優さん。
「流」役の萩原健一は、久しぶりのテレビドラマの登場。珍しく物腰柔らかく押さえた演技が光る。
私は、料理は得意ではないが、作ることが好きで、食べることは何よりも楽しい。
以前から、食べることは人の人生と密接にからんでいる気がしてならない。
映画「かもめ食堂」「山のトムさん」、ドラマ「ランチのアッコちゃん」など、食と人生とをからめた作品は好きだ。
そして、今回の「鴨川食堂」は、思い出の食を探し出して、もう1度、人生を振り返り味わうところが素晴らしい。
1話完結で、観終わるとホッコリする。
平和で穏やかな生活だからこそ、食べることを味わえるんよだね。
昨日、89歳の女性からの法律相談を受けた。
とても89歳とは思えないほど、受け答えもしっかりされていた。
歩行はやや不自由だが、目や耳は全く異常ないとのこと。
昨年、夫を亡くし、現在は一人でわずかな年金で暮らしているという。
しかし、子どもや孫は、生活費の援助もしてくれないと嘆く。
私の母が生きていたら、このくらいの年になるんだろうな、と思った。
今日、書類を渡す用があり、彼女の自宅は自転車で行ける距離だったので、自宅を訪問した。
もし自宅を処分するとしたらトラック15台分位の荷物があると語っていたので、「ゴミ屋敷」か?と思いながら訪ねたが、部屋の中はとても整理され、綺麗な家だった。
彼女は、なぜ、子どもや孫たちとうまくいかないのか、その一部を語ってくれた。
テレビで観るような「孤独な老人」に自分がなるとは思わなかったとまた嘆いた。
往診に来てくれる医者やヘルパーさんらに支えられているようだったが、日本の高齢化社会の現実を目のあたりにしたような気がした。
昨年、友人から、安納芋の焼き芋がとても美味しいのだが、近所のスーパーには安納芋が売っていないと聞いた。
その後、たまたまデパ地下に行った際、安納芋など3種の芋の販売の催事が行われていたので、思わず立ち止まって味見をさせてもらった。
焼き芋は、もう数十年食べていなかった。
おいしい!甘い!
数ヶ月常温で保存できるということだったので、買うことにした。
販売していたオジサンは、安納芋より「紅はるか」という品種の方がもっと甘いよと教えてくれたので、紅はるかを数本購入した。
ネットで調べると、「紅はるか」は2007年に開発された新しい品種で、甘さも「はるかに」甘いことから、名付けられたと書かれてあった。
焼き芋の作り方は簡単。
洗って両端を切り落とし、そのままオーブントースターで焼くだけ。
皮をむくと、黄金色に輝き、ねっとりしていて、しかも、とても甘い。
完全に、はまった!
カロリーが気になるところだが、ケーキやチョコレートと比べれば、断然、焼き芋の方が低い。
今度、見つけたら、友人にも届けよう。
昨年12月、電動コーヒーミルを買いました。
私の朝食は、ほとんど毎朝、トーストとコーヒーです。
コーヒー豆は、20代の頃は、手動のミルでガリガリと挽いていました。
ガリガリと挽いている時の良い香りがたまりませんでしたが、時間をかけて挽くのがいつしか面倒になり、ここ数十年間、ペーパー用に挽いてもらった豆を買って来て飲んでいました。
でも、また、あのコーヒー豆の香りが恋しくなり、ミルを購入しました。
電動ミルだと、1杯分なら10秒で挽くことができます。
チョー簡単です。
ほんのひとときの時間ですが、毎朝、挽きたての香りに包まれながら、コーヒーを飲んでいます。
事務所は、昨日で終了し、今日は、比較的のんびりと過ごしています。
やっと、冬らしい寒さとなりました。
朝は、久しぶりにクラシック音楽を聴きながら、残っている年賀状書きをしました。
それから、錦市場にでかけました。午前中でも、すごくたくさんの人でした。なかなか前に進みません。午後はもっと混むとか・・・・
昼食は、友だちからお餅をいただいたので、雑煮を作りました。
私は岐阜出身なので、餅は焼かず、すまし汁です。
新年は、白味噌の雑煮も作ろうと思い、昨日、白味噌も買って来ました。
この1年は、親しくしていた人を何人か亡くし、淋しい思いをしています。
また、年を重ねるにつれ、人恋しくなるのでしょうか、依頼を受けていた事件が終わっても、気にかかる元依頼者の方が何人かおり、時々、メールや手紙で近況を交換し合っています。
絶対に平和は守らなければいけないと強く感じた1年でもありました。それは、来年以降も続くでしょう。
人の命、人との絆を大切にする社会をめざし、自分にできることをやっていきたいと思っています。
今年1年、有り難うございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さん(現在は京都産業大学教授)。
その益川さんが、2015年12月8日と9日の2回に分けて、京都新聞の「戦後70年 わたしの軌跡」というシリーズに「科学者は社会活動して一人前」(8日)と「まず人間として人類を愛すべき」(9日)というタイトルで登場された。
益川さんが学者の道を歩み始めた時から変わらない信念。
「科学技術の成果は人類に役立つこともあれば、害悪もある。だから科学者は研究だけに没頭せず、専門的な知識を持った者として社会に説明する責任がある」
そして学生の頃から「二足のわらじをはけないでようでは、一人前じゃねえ」として学級研究と社会活動とを両立させた。
1973年の京都大学助手時代、後のノーベル賞受賞につながる論文を発表した頃も、京大理学部職員組合の書記長として学内を飛び回った。
また、2008年12月、ストックホルムでのノーベル賞受賞記念講演では、自らの戦争体験を語った。
ダイナマイトを発明したアルフレド・ノーベルは、正に、科学が戦争の技術として利用されることもあると、そのパラドックスに苦しんだ科学者であり、ノーベル賞の講演こそ、戦争の話をするのにふさわしいと考えたからだ。
そして、現在は、「9条科学者の会」でも活動を展開。
恩師坂田昌一さんから贈られた「科学者は科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛さなければならない」という書に時折目を向け、自らの原点を見つめなおしている。
折しも、米軍が2000年以降、少なくとも日本国内の26の大学や機関の研究者に2億円を超える研究資金を提供していたことがわかった。
在日米軍司令部は、「提供は、主に陸軍や空軍など米軍の各組織の科学的な優先順位に基づいている」とコメントしている(2015年12月7日付け東京新聞)。
日本の科学者の叡智が軍事技術に利用されているのでは?
益川さんの信念の重みを感じている。