1. 重要なお知らせ

重要なお知らせ

ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領死去

ホセ・ムヒカ南米ウルグアイ元大統領が、2025年5月13日、89歳で亡くなった。

 

ムヒカさんは、2010~15年に大統領を務めた。公邸に住まず、畑の中の古屋から通い、収入の9割を貧困層に寄付、生活費は毎月約15万円相当だった。

「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれたが、来日した2016年の朝日新聞のインタビューでは、「質素なだけで、貧しくはない」と語った。

「何もかも持って満たされている人が、さらに『これが欲しい』『あれが欲しい』というのが貧しさだと思う」とも語ったという。

 

ムヒカさんの半生を描いた映画が日本で上映されたこともあり、私も観に行った。

 

「裏金」にまみれ、新人議員1人につき10万円もの商品券を配布するような総理を輩出する政権政党には、ムヒカさんの爪の垢でも煎じて飲んでほしいものだ。

 

私自身はムヒカさんの足元にも及ばないが、ムヒカさんの遺志を常に頭の片隅に置いて生きていきたい。

 

 

2025年5月11日付け京都新聞の1面「天眼」に載っていた上野千鶴子さんの「トイレに月経用品を必置に」という論稿を読み、あらためて「月経」「生理」について考えてみた。

 

まず、上野さんも冒頭で「驚いた」と書いているように、今から半世紀以上前の1973(唱和48)年に東北大学の女子学生たちがトイレに生理用品無料設置要求運動をやったということを上野さんの論稿で知り、私も驚いた。

「資料集:50年目の生理用品 東北大学生理用品無料設置要求運動の記録1973-1976」という本が出版されていることを知った。是非、読んでみたいと思った。

 

振り返ると、「月経」「生理」は、私が子どもの頃は、その言葉すら、あまり口にできないものだった。

女だけ、なぜ毎月こんなに苦しい思いをしなくてはいけないんだろうと思った。

「生理」日と試験や体育・スポーツ、旅行などに重なると、なんて不公平なんだろうと思った。

 

高校生くらいからは女友達同士の間では話題にすることはあったが、成人しても男性との間では夫以外とは話題にすることすらなかったように思う。

いわば「タブー」視するものだった。

弁護士になってからは、職業柄、労働基準法に定められている「生理休暇」の権利が取得しずらいという労働実態との関係で、「生理」を含め母性保護の講演等する機会を持ってきた。

 

コロナ禍をきっかけに、ここ数年、経済的な理由等で生理用品を購入することができない女性がいるという「生理の貧困」が社会的な問題となり、内閣府男女共同参画局や自治体のホームページなどでも取り上げられ、「生理」「月経」の話題がようやくネットなどでも割とフランクに語られるようになってきた。

「生理の貧困」が社会問題になるのは、それだけ女性が困窮していることを物語っている。

最近では駅のトイレでさえ、トイレットペーパーが備え付けられ、温水便座が設置されている。ならば、生理用品の無料設置ももっと広がってほしい。

 

とても驚き感動したのは、NHK朝ドラ「虎に翼」で主人公寅子が生理痛で大学を4日間も休む場面が丁寧に描かれていたことだ。過去のドラマで主人公の月経のことが描かれたことを観たことがなかったからだ。

 

「生理」についてフランクに語れる機会や情報発信の場がもっと広がることを願う。

 

 

 

 

 

「バリ山行」(松永K三蔵 著)を読んで

松永K三蔵さんの「バリ山行」(ばりさんこう)は、2024年第171回芥川賞受賞作品である。

 

今年直木賞を受賞した伊与原新さんのことを書いた、2025年1月26日付け当ブログでも、私はこれまで芥川賞も直木賞もいずれの受賞作品にも注目したことがなかった、と書いた。

「バリ山行」も、その描かれている題材が登山、しかも「バリ」であることから読んでみようと思ったにすぎない。

 

「バリ山行」とはバリ島の山のことではない(笑)。

「バリ」は登山用語でバリエーションルートまたはバリルートと呼ばれるもので、整備された登山道ではなく、地図上に点線となっていたり、そもそも載っていなかったりする難所ルートのことを言う。

長年登山を趣味としてきたが、私の山仲間の中にもバリルート好きがいる。

でも、私自身は、基本、地図に載った登山道しか歩かない。地図に載った登山道でも、薮が覆い繁って道が見えず薮をかき分けて進まなければならない場合もあるが、でも確かに道は存在する。バリールートはそもそも道がない所や踏み跡を探しながら歩く。

 

本書は、内装リフォーム会社に転職した主人公波多(はた)が、同僚に誘われてレクリエーションとして六甲山を歩いたことをきっかけに山に登るようになる。他方、社内では業績不振によるリストラの噂も持ち上がっている。そんな中、同じ会社のベテラン社員妻鹿(めが)が単独で毎週のように山に行きバリルートを歩いていることを知った波多は、バリ山行に興味を持ち、妻鹿に一緒に連れて行ってほしいと頼む。波多も六甲山のバリルートに挑むが・・・

 

普段は登山道しか歩かない私でも、バリルートを知らないわけではない。それは、過去、何回か道迷いをして、その時は、まさに薮をかきわけバリルートを進まざるを得なかったからだ。

作者の松永さんは登山を始めてからまだ5年程しか経っていないようだが、本書の中でのバリルートの描写はとてもリアルで臨場感があり、私自身もその場面を具体的に想像できてしまうので、読みながら恐怖感がわいてくる。

歩きながらも会社のリストラのことが頭から離れない波多に対し、妻鹿は「会社がどうなるかとかさ、そういう恐怖とか不安感ってさ、自分で作り出してるもんだよ。・・・それは本物じゃないんだよ。まぼろしだよ」「バリやってると・・・確かなもの、間違いないものってさ、目の前の崖の手掛かりとか足掛かり、もうそれだけ。それにどう対処するか。これは本物。」と言い切る。

 

きっと妻鹿は、バリルートを歩くことによって、人生の生きる意味や喜びを感じるんだろうなと思った。

 

人がなぜ山に登るのかは人それぞれに理由は異なる。

でも、山への挑み方のどこかにその人の人生観や価値観が反映されるものと思えてならない。

「登山道」は、自由気ままさと引き換えに、安全が保障された場所だ。

私は、これからも決して「バリ山行」することなく、登山道だけを歩くだろうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めての「茶摘み」

5月5日快晴。今日は、山仲間のHさん、そしてその知人の皆さんとで宇治へ「茶摘み」へ。

昨年、Hさんから「茶摘みに行った」という話を聞いて、次回は是非誘って欲しいとお願いしていた。

長年、京都に住んでいても「茶摘み」は初体験。

 

子どもたちも含め総勢9人。JR黄檗駅で待ち合わせて、徒歩で茶園に向かう。

 

茶園

 

黒い覆い(「寒冷紗」=かんれいしゃ)の下に茶畑がある。

日光を遮ることで、渋味の成分であるカテキンの発生を抑える。一方で、うま味成分のテアニン(アミノ酸)が茶葉に行き渡り、甘みとともに凝縮される。

覆いがあるので、日焼けは気にしなくてよく助かる。

茶摘み用の大きな籠と摘んだ葉を入れる網を渡されて、摘み方の説明を聞く。

柔らかい新芽だけを摘み取る、他の硬い葉は一緒に混ぜたらダメと。

うまくできるかなあ・・・

 

覆いの中の茶畑

 

作業風景

 

午前2時間(10~12時)、午後2時間(12時半から15時)。ただただ無心に摘み取っていく。葉にさわった感触で、摘むべき葉がわかる。

午前と午後の最後に、摘んだ茶葉を計量し、そのグラムに応じて、後日、作業代金が届くとのこと。

 

いやあ、ひたすら摘むべき葉を探し摘んでいく作業は、日常生活のあれやこれやを何も考えることもなく集中できて、とても楽しいひとときだった。

 

はまりそう・・・

 

4月29日さわやかな快晴の祝日。

以前から行ってみたかった桃源郷ならぬ茶源郷「和束」(わつか)へ行って来た。

 

和束町は京都府南部にあり、京都最大の茶産地。和束の茶は、鎌倉時代に海住山寺(木津川市)の高僧が鷲峰山の山麓で栽培したのが始まりとされる。

京都府は、同町を含む氏社産地一帯の世界文化遺産登録を目指している。

 

1度実際に見てみたかった茶畑の素晴らしい景観。

 

 

新茶を購入したのは勿論である。

 

和束からの帰途、久しぶりに京田辺市のカフェ「kinco-ya」に立ち寄った。

通常の火曜日は定休日だが、今日はオープンされていることをブログで確認する。

 

 

 

店内はほぼ満席状態。

きんこさんは相変わらず元気、元気。きんこ節が炸裂していた。

 

なかなかの名文?迷文?である。

 

帰宅後、早速、甘く美味しい新茶を味わったことは言うまでもない。

 

映画「侍タイムスリッパー」

3月20日、映画「侍タイムスリッパー」を観た。上映最終日に映画館に駆け込んだ。

いやあ、面白かった!

と思っていたら、なんとこれが第48回日本アカデミー賞で最優秀作品賞に輝いたとの報。

納得。

 

監督の安田淳一さんは、京都府城陽市出身とのこと。

東京の単館から自主上映で始まった映画が話題を呼んで人気を博して全国上映となり、なんと日本アカデミー賞受賞までに至ったのだから、作品が良ければ、人は観て評価してくれるということなんだろう。

 

ストーリーは、幕末、会津藩の下級藩士・高坂新左衛門が長州藩士と闘っている最中雷に討たれ、現代の京都撮影所にタイムスリップしてしまう。その後、高坂は、撮影所で時代劇の斬られ役の俳優として活躍するというお話。

 

時代劇の衰退が言われる昨今だが、侍をタイムスリップで現代に持って来るという発想の面白さ、京都撮影所があるから侍姿でも不思議ではない日常、そして、迫力ある殺陣のシーンなどなど、割と長い上映時間だったが、あきることなく楽しむことができた。

 

子どもの頃、きっと父親が好きだったのだろうが、父と一緒に毎週「水戸黄門」「遠山の金さん」「銭形平次」などの時代劇のテレビ番組を観ていた。

時代劇は勧善懲悪が多くで面白くないという人もいるが、その単純さ、結末まで安心して観られるところなどが子どもにはなじめたと思う。

最近でも、日曜朝6時台にNHKで時代劇が放映されているので、家事をしながら毎週観ている。

時代劇はこれからも続いてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

満開のミツバツツジ、大文字山2025

寒かった冬が終わって4月に入っても最初は寒い毎日が続き、最近でも朝晩と昼間との寒暖差が大きい毎日が続いている。

おかげで4月中旬になっても、まだ桜を楽しむことができている。

 

今年1月1日に初日の出を見るために大文字山に登って以来の登山。

今日4月12日朝、大文字山に登って来た。

 

本当は、愛宕山のツツジ尾根のミツバツツジを見るためJR二条駅まで行った。

ところが、早朝にJR京都駅で不審物が発見されとのことで、嵯峨野線もいつ運行が再開されるかわからない。

気を取り直して、急遽、方針変更。地下鉄に乗って、蹴上駅まで行き、蹴上(けあげ)から大文字山に登ることにした。

 

蹴上から大文字山山頂への登山道にも、ミツバツツジがたくさん咲くことは一昨年登って初めて知った。ミツバツツジは、ピンク色の柔らかい花が咲き、花が咲いた後に芽吹く葉は3枚ある。

今年は少し遅いかったかなあ、もう散ってるかなあと思いつつ登り始めたが、いやいや、すぐに満開のミツバツツジに出会うことができた。愛宕山に劣らず美しい!

愛宕山に行かれなかったことを十分補ってくれた。

土曜のせいか、登山者も少なく、のんびりと山歩きを楽しむことができた。

 

 

 

 

京都鴨川の桜2025

まだ朝晩は冷え込み、昼間との寒暖差が激しいが、京都の桜も満開となっている。

昨日は良い天気だったので、お花見をしながら鴨川の川縁をブラブラ歩いた。気持ちのいいウォーキングとなった。

 

 

 

 

清明

「清明」(せいめい)とは、二四節気(にじゅうしせっき)の1つです。

二四節気は、中国から日本に伝わった暦に由来するもので、季節の移り変わりを知るため、1年を太陽の動きに合わせて24等分して決められるようです。

清明は毎年4月5日頃から4月19日頃にあたります。すべてのものが清らかで生き生きするとうたわれています。俳句では春の季語ともなっており、入学・入社など新たな旅立ちの時期にピッタリですね。

 

ところで、これとは全く関係のない話題ですが、弁護士になったばかりの頃、確か医療過誤事件のカルテの中に「意識清明」という言葉があり、これどういう意味だろう?と思った記憶があります。

調べると、患者さんの意識がはっきりしているという医学用語であることがわかりました。ちなみに、そうでない状態のことを「意識が混濁している」と言います。

職業柄、「清明」と聞くと、医学用語の方を思い出してしまいます。

 

京都は、「花冷え」でしょうか、暖房が離せない毎日が続いています。

でも、桜は開花し始めました。

お花見で、花に酔っても、酒には意識清明のほろ酔い程度で!

 

 

 

ゲイシャコーヒー

ついにゲイシャコーヒーを飲むことができた!

 

「ゲイシャコーヒー」というのは、エチオピア原産の「ゲイシャ種」と呼ばれるコーヒー豆。日本の「芸者」とは無関係で、エチオピアの「ゲシャ」と呼ばれる地域に自生していたことが名前の由来のよう。

生産量が少ないことと、2004年に国際品評会で歴代落札価格の世界記録を更新して落札されたことが有名になったきっかけだそう。

 

私が「ゲイシャコーヒー」を知ったのは、数年前にテレビを観て。何やらブルーマウンテンよりも高級なコーヒー豆があることをその時知った。「ゲイシャ」という名前も面白いと思った。

それでも、特に飲もうと探したことはなかった。

 

「飲んでみたい」と思ったきっかけは、昨年12月に愛知県の山に登った時。

山頂はとても寒く、私たちのグループの隣では、大学生らしき若者らがドリップパックのコーヒーを飲んでいた。そして彼らは口々に「このコーヒー、美味しいなあ」と言っているではないか。

その時は、「それ何と言うコーヒー?」という質問もせず、空き袋に書かれてあったコーヒー会社らしき名前だけを記憶にとどめた。帰宅して調べてみると、それはなんとゲイシャコーヒーだったが、その会社は現在販売していないと書かれてあった。

 

そうなると、それほどコーヒーの味がわかるわけでない私でも、途端に、値段が高くても1度は飲んでみたいと思うようになった。時々ランチを食べに行くカフェの店主Yさんにもその話をしたが、彼女もゲイシャコーヒーのことは知らなかった。

 

そのYさんから、突然連絡が入った。河原町竹屋町東入の駐車場でキッチンカー「タケヤマチcoffee」でゲイシャコーヒーがなんと500円で飲めると。

そこで早速、昨日、行ってみた。

 

 

平日の午前11時半から16時までの営業。とても可愛い女性の店主さん。

ゲイシャコーヒーを本当に500円で飲めるのか?と尋ねると、高いから美味しいコーヒーを飲んでもらえないというのがイヤなんで、との返事(嬉しい!)。でも、いつまでこの値段で販売できるか・・・とも。

ワクワクしながら待つこと数分。入れたてのゲイシャコーヒーを早速飲んでみた。

最初にコーヒーの味がして、それからフルーティーな味が広がった。苦みはなく、さわやか。

 

満足した!

 

 

 

 

 

 

「ウサギの島」大久野島と毒ガス

先日(2025年2月11日付け)の新聞で、「ウサギの島」として知られる広島県竹原市の大久野島で、ウサギを蹴って死なせたり口にはさみを入れたりしたとして、25歳の男性会社員が動物愛護法違反で再逮捕されたという記事を目にした。なんとも痛ましい事件だ。

 

私は、2024年3月、愛媛の友人らと初めて大久野島を訪れたこともあり、この記事が特に目にとまった。

大久野島は、しまなみ海道からは少しはずれるが、しまなみ海道に近い広島県の島の1つである。周囲約4キロの小さな島である。

約500匹以上が生息するという「ウサギの島」として大久野島は有名で、1度訪れてみたかった。

フェリーで島に到着すると、もう、そこここにウサギがたくさんおり、観光客になれているせいかあまり逃げることもなく、触れたりもできる。

 

 

ところで、恥ずかしながら、大久野島を訪れて初めて知ったのが、実は、大久野島が毒ガス製造の島だったということ。そんな「負の歴史」があった。

昭和2年、島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となった。昭和4年には毒ガス製造が始まり、昭和20年まで続けられていたという。日本軍が毒ガスを製造していたことは、昭和59(1984)年まで日本ではほとんど知られていなかった。大久野島は、機密保持のため、地図からも存在を抹消されていた時期もあった。

 

大久野島には毒ガス資料館もあり、毒ガスの悲惨さや毒ガス製造過程で多くの犠牲者を出すに至ったという歴史などを知ることができる。

是非、行ってみてほしい。

 

では、大久野島になぜ野生のウサギが生息しているのか?

毒ガス製造実験でウサギが用いられていたようだが、それらは戦後全羽殺処分されたようである。

今生息するウサギは、観光目的で導入されたらしい。

 

 

 

 

作家伊与原新氏が2025年直木賞受賞

今まで、毎年発表される芥川賞や直木賞の受賞作品に注目したことがなかったが、今回は違う。

 

2024年10月21日付け当ブログで紹介した「宙(そら)わたる教室」の作者伊与原新氏が2025年1月、第127回直木賞に選ばれた。

私が今、一番「推し」の作家である。

 

受賞作品は「藍を継ぐ海」。

受賞作品はまだ読んでいないが、昨年のNHKドラマ放映と並行して原作「宙わたる教室」を読み、その後、F弁護士の勧めもあって、文庫本で「月まで三キロ」と「八月の銀の雪」という短編集を2冊読んだ。

 

伊与原氏は、大学で地球惑星科学を専攻した科学者で、教員になった後に作家に転向した。

そういう経歴の持ち主であるからか、どの作品も、科学と文学とが融け合っていて、とても面白い。そして、自分の専門分野ではない科学の分野についても、よく調べ、それを作品のモチーフとして人間ドラマに仕立てて書かれてあることが一層面白さを増している。

 

2025年1月26日付け朝日新聞に伊与原さんのエッセーが掲載されていたが、それを読むと、そんな伊与原さんも、編集者からの助言を受け科学などを題材にした作品を書くようになって以降も、新刊を出してもほとんど話題にならない状態が続くと、世に根強く「科学アレルギー」が存在するせいにしていたとのこと。

 

その状況が変わったのは、「月まで三キロ」を出してからだという。

「月まで三キロ」は6編から成る短編集だが、一言で科学と言っても色々な分野をモチーフとして人間模様が描かれており、どの作品も興味がわいた。

子どもの頃から、物理や化学の分野が苦手で、科学に「負い目」やコンプレックスがある私にも、本当に楽しめる作品である。

 

「藍を継ぐ海」も読むのが楽しみである。

 

 

デジタル教科書

文部科学省が、紙の教科書の「代替教材」としているデジタル教科書を正式な教科書に位置づけた上で、紙とデジタルのどちらを使うかは各教育委員会が決める「選択制」の導入を検討していることがわかった。来月中にも中間報告をまとめる予定。(2025年1月19日付け読売新聞)。

 

デジタル教科書は、紙の教科書と同じ内容をデジタル化したもので、生徒は一人1台の学習用端末で見ることができる。「当面は紙と併用」する方針を定め、2024年度から小学5年生以上の英語と算数・数学の一部で導入している。

 

しかし、学校現場では、デジタル教科書が導入された後も、ほとんどの学校は紙の教科書で授業を行っており、浸透していない。そこで、文科省は、デジタル教科書の使用拡大を図るため検討を行っているようだ。

 

学校教育法は、検定を経た紙の教科書を正式なものとし、デジタル教材は、検定の対象外で、必要があると認められる教育課程の一部に使用することができると定めている(34条)。

従って、デジタルを正式な教科書として使うには学校教育法の改正が必要となる。

 

他方、2024年10月22日付け読売新聞では、IT先進国のスウェーデンでは、2006年からデジタル教材への移行が進んだが、2023年には学習への悪影響があるとして紙の教科書や手書きを重視する「脱デジタル」に大きくかじを切ったとの記事が掲載された。スウェーデンでは近年子どもの学力を図る国際調査で成績の落ち込みが目立つようになった。子どもたちの集中力が続かない、考えが深まらない、長文の読み書きができないなど画面ばかりに目が向く弊害が生じているという。

 

デジタル教科書を正式な教科書とするには、他国での前例や研究も踏まえ、長時間かけた実証研究をする必要があることは研究者が指摘するとおりである。

くれぐれも教育現場において子どもたちがその実験台にならないように。

 

 

 

 

 

火星と花山天文台

2024年10月21日付け当ブログで紹介したNHKドラマ「宙(そら)わたる教室」は終了してしまったが、昨年放映されたドラマの中では、私の中ではダントツに感動的なドラマだった。

 

「宙わたる教室」は、年齢も異なり様々な境遇や環境におかれた4人の東新宿定時制高校の生徒たちが、藤竹先生が行った、火星の青い夕焼け(注:火星の夕焼けが青いのは事実)を再現する実験に興味を持ったことをきっかけに、科学部を作り、ついには「火星重力下でランパート・クレーターを再現する」実験に成功、日本地球惑星科学連合大会の高校生セッションで優秀賞を獲得するというストーリー。

ドラマと並行して原作本(作者:伊原 新)も読み、今まで全く関心がなかった「火星」に少し興味を持つようになった。

 

そんな折り、2025年1月6日付け京都新聞夕刊「現代のことば」の中で、柴田一成同志社大特別客員教授が「火星と花山天文台」と題して寄稿されていた。

それによると、今が火星が見えるシーズンなんだそうだ。1月上旬ころから夕方7時すぎに、東の空に赤く光っている星が見えたら、それが火星なんだそうだ。マイナス1等星くらいの明るさなので、誰でもすぐにわかるとも。

しかも、火星は、780日ごとに地球に近づき、1月12日は780日ぶりの接近で火星観測の好機らしい。

 

また、実は、京都にも天文台がある。京都大学の施設である花山天文台だ。

柴田教授は、花山天文台第3代台長を務めた宮本正太郎博士が、地球とは全く異なる火星の気象を世界に先駆けて明らかにされたことも紹介されていた。

花山天文台は、京都の東山ドライブウエイの途中にあるようだが、まだ行ったことがない。ここも火星に深く関わってきたことがわかった。是非、訪れてみたい。

 

皆さんも、冬の空に赤く光る火星を見つけてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年、大文字山山頂から見た初日の出

新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

大学生の時からずっと京都に住んでいますが、これまで京都で初日の出を見たことはありませんでした。

「1日は晴れそうなので、大文字山で初日の出を見よう」とのお誘いがあり、銀閣寺交差点に1月1日午前5時集合となりました。

そのため、大晦日は紅白歌合戦も見ず、早々に就寝しました。

1日は午前3時起床。自宅から銀閣寺交差点まで徒歩で1時間位かかるかなと思い、午前4時に自宅を出ました。午前4時40分に銀閣寺交差点に着きました。

 

午前5時過ぎ、子どもも含め総勢12名で銀閣寺登山口から登山を開始しました。まだ、真っ暗で、懐中電灯を照らしながら登りました。

 

午前6時、火床に到着。「大」の字からの夜景です。「大」の字から夜景を見たのも初めてです。美しい!

 

 

少し休憩した後、山頂に向かって一気に登ります。

 

午前6時45分、山頂着。空は次第に明るくなっていきます。それにつれて、人も増えてきました。

防寒対策はしてきたつもりでしたが、太陽がなかなか出てくれないので、寒くて寒くて仕方ありませんでした。

 

次第に、東方向の空が赤くなっていき、午前7時17分頃、とうとう初日の出が顔を出しました。大文字山山頂からは、木々があって、真正面から見えるというわけにはいきません。

 

 

人が一杯で、あまり長く同じ場所で撮影することができませんでした。寒いので、早々に下山。

 

下山は同じ道を戻りました。火床からの景色です。すっかり明るくなっていました。正面の愛宕山は、うっすら白くなっていました。

 

 

午前8時20分、銀閣寺登山口に到着。

 

今年は、もう少し訓練登山をしよう、と思った元旦でした。

 

 

今年も有り難うございました

今年も今日で終わりです。1年間、有り難うございました。

事務所の最終日の27日に、二人の元依頼者の方から電話をいただき、元気な声を聞かせていただきました。

12月28日には奈良の龍王山(585.7m)に登りました。今年最後に干支がつく山に登りました。

来年も元気で、たくさんの人との出会いや再会があるといいなあと思っています。

 

 

年末の風物詩「第九」

日本では、年末の風物詩の1つとして定着した、ベートーベンの交響曲「第九」。

 

私はレコードもCDも持っているが、これまで生の演奏を聴いたことがなかった。

そんな私が、今年年末に初めて「第九」を生で聴く機会を得た。

 

2024年12月27日夜、京都コンサートホールで開催された京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサートへ(指揮ガエタノ・デスピノーザ)。

 

 

なんとなく嬉しくて、この日は朝からソワソワ。

早朝、まだ事務所に誰も来ていないのを見計らって、CDで大音量で「第九」を聴き、すっかり自分の中では「第九」モードに。

 

開演1時間前の開場とほぼ同時に会場に入った。次第に聴衆は増えてきて、開演前にはほぼ満員。

午後7時の開演前には、オーケストラと合唱団が入場し、指揮者登場で、演奏開始。演奏時間は、休憩なしの約70分。

聞き慣れた曲だが、やはり生の演奏は迫力があって壮大だ。歌声も会場中に響き渡る。

 

「第九」の演奏は、今年、1987年5月7日のウィーンでの初演から200年を迎えた。

曲に込められたメッセージは「自由・平等・博愛」。

ベルリンの壁が崩壊した1989年12月25日には、東西ドイツの音楽家らによる演奏会が開かれたという。

 

この祈りが、未だ紛争が続く、ガザやウクライナに届きますように。

 

大阪では、毎年、1万人の「第九」の合唱が開催されるとのこと。参加者は抽選。

来年は、合唱する側に立ってみたい。

 

それはともかく、これからも毎年、生演奏で「第九」を聴くことができれば、と思った。

 

 

 

 

 

大谷がメジャーリーグであれだけ活躍しても、私自身は、野球にはとんと関心がない。

でも、もう現役選手ではないが、イチローのストイックな生き方には、以前からなんとなく気になってしまうところがある。

 

TBS系「情熱大陸」2夜連続スペシャルでイチローが取り上げられた。

年齢51歳。現役引退後も、筋トレ・ランニングそして野球練習とストイックな毎日を送る。

「いつかは無理ができなくなるから、今、無理をする」

年齢こそずいぶん離れているが、毎日ノホホンと過ごしている私には耳が痛い言葉だ。

 

2夜目。松井秀喜が「今のメジャーの試合見て、ストレス溜まりませんか?」と問うと、イチローは「溜まる、溜まる。めちゃめちゃ溜まるよ」と即答した。打順の意味が失われ、それぞれの役割みたいのがまったくないと続く。恐いのは日本が何年か遅れでそれを追っていくので危ない、と二人の会話は続く。

 

私には、あまりよくわからない会話だったが、どうやら最近のメジャーリーグは、データ重視の野球で、頭を使ってない、ということのよう。イチローは「(メンタルなど)目に見えないことで大事なことはいっぱいあるのにな」と語っていた。

 

そして、なんと、大阪の大冠高校と、我が母校岐阜高校の野球部に指導に来た場面も放映された。

イチローが11月17・18日の2日間、岐阜高校の野球部に指導に来たことは、私の年代の高校の同級生で作るメーリングリストで知っていたが、まさかそれがテレビで観られるとは・・・

自分の頭で考えること、野球をやっていたからこその出会いがありそれがのちの人生につながること・・・などなど、イチローが語るからこそ重みのある言葉だった。

 

 

 

春風亭一之輔独演会

年の瀬も押し迫った12月22日(日)、京都府城陽市にある文化パルク城陽で開催された「春風亭一之輔独演会」に行って来た。

一之輔は、テレビ「笑点」でおなじみの落語家。

会場は900人入るという1階席がほぼ満席の状態。

 

今年は、11月8日に京都芸術劇場で開かれた「一之輔・二葉二人会」にも行って来た。

別に、一之輔を「推し」ているわけではないが、中堅で、ちょっとはすかいな、でも、はにかんだところもあって、時折、社会風刺も入れるところなんかが小気味良くて好きな落語家の一人である。

 

 

これまで何人かの落語を聞いて、話の導入となる「まくら」で客を話に引き込ませていく落語家の技を感じた。

一之輔独演会でも、最初は、城陽という街が同じ京都でも京都市とは雰囲気が違い、どこまで歩いても景色が変わらないと皮肉って笑わせ、会場に50人ほど招待した子どもの話から、父親に対する子どもの駆け引きが絶妙な「初天神」へとつなげていった。

 

演目は、それ以外に「松竹梅」と「文七元結」。

大いに笑わせてもらった。

 

終了後は、人気のうどん屋「やまびこ」寺田店へ。行列ができるうどん屋なので、文化パルク城陽に行く前に店まで行くと、予想どおり行列が!それで、終了後、夕食がわりに食べることにした。

 

 

午後4時半頃に店に行くと、案の定、ほとんど客はいない。ただ、人気の牛すじカレーうどんは売り切れており、鍋焼きうどんを注文した。

 

 

アツアツで量もあって美味しくて、おなか一杯、満足した。

 

 

 

 

 

 

水俣・京都展へ行って来ました

メチル水銀によって大規模な環境汚染と健康被害が発生した水俣病。1956年、その水俣病が公式に確認されてから既に70年近くが経ちます。

京都でも水俣病訴訟がありましたが、現在も、いくつかの裁判所で「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」が闘われています。

 

1996年から全国各地で開催されてきた水俣展が、初めて京都で開かれています(2024年12月7日から22日まで、「みやこめっせ」にて)。

12月8日、名古屋で環境問題に取り組んでいる高校時代の同級生が水俣展に来るというので、私も一緒に見に行って来ました。

 

 

京都でも水俣病訴訟は起こり、事務所からは、当時、京都法律事務所に所属していた小川達雄弁護士が弁護団に加わりました。

ですから、水俣病に関する知識は一定はありましたが、その歴史や闘いも含め、詳しく勉強したことはなかったので、今回、水俣展を見て、とても理解が深まりました。

 

展示コーナーでは、写真を中心に、様々な角度から水俣病が紹介されていました。全部を丁寧に見ようと思うと、2時間位はかかります。

 

また、別室では、日替わりで、様々な企画が提供されます。

私が行った8日は、映画「MINAMATAーミナマタ」の上映とアイリーン・スミスさんのお話でした。

映画は、ハリウッドで制作され、写真家のユージン・スミスさんと同じく写真家のアイリーン・スミスさん夫妻の水俣との関わりをまるでドキュメンタリーのように描いた作品でした。

水俣の患者さんの悲惨な健康被害の状態、ユージンに対する会社からの妨害とそれに屈しなかったユージンの姿、患者さんや家族らの壮絶な闘いなど、とてもリアルに描かれていました。

 

水俣展に行き、まだミナマタは終わっていないことを痛感しました。

 

皆さんも、是非、水俣・京都展に足をお運びください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月別アーカイブ

弁護士紹介TOP