2025年5月11日付け京都新聞の1面「天眼」に載っていた上野千鶴子さんの「トイレに月経用品を必置に」という論稿を読み、あらためて「月経」「生理」について考えてみた。
まず、上野さんも冒頭で「驚いた」と書いているように、今から半世紀以上前の1973(唱和48)年に東北大学の女子学生たちがトイレに生理用品無料設置要求運動をやったということを上野さんの論稿で知り、私も驚いた。
「資料集:50年目の生理用品 東北大学生理用品無料設置要求運動の記録1973-1976」という本が出版されていることを知った。是非、読んでみたいと思った。
振り返ると、「月経」「生理」は、私が子どもの頃は、その言葉すら、あまり口にできないものだった。
女だけ、なぜ毎月こんなに苦しい思いをしなくてはいけないんだろうと思った。
「生理」日と試験や体育・スポーツ、旅行などに重なると、なんて不公平なんだろうと思った。
高校生くらいからは女友達同士の間では話題にすることはあったが、成人しても男性との間では夫以外とは話題にすることすらなかったように思う。
いわば「タブー」視するものだった。
弁護士になってからは、職業柄、労働基準法に定められている「生理休暇」の権利が取得しずらいという労働実態との関係で、「生理」を含め母性保護の講演等する機会を持ってきた。
コロナ禍をきっかけに、ここ数年、経済的な理由等で生理用品を購入することができない女性がいるという「生理の貧困」が社会的な問題となり、内閣府男女共同参画局や自治体のホームページなどでも取り上げられ、「生理」「月経」の話題がようやくネットなどでも割とフランクに語られるようになってきた。
「生理の貧困」が社会問題になるのは、それだけ女性が困窮していることを物語っている。
最近では駅のトイレでさえ、トイレットペーパーが備え付けられ、温水便座が設置されている。ならば、生理用品の無料設置ももっと広がってほしい。
とても驚き感動したのは、NHK朝ドラ「虎に翼」で主人公寅子が生理痛で大学を4日間も休む場面が丁寧に描かれていたことだ。過去のドラマで主人公の月経のことが描かれたことを観たことがなかったからだ。
「生理」についてフランクに語れる機会や情報発信の場がもっと広がることを願う。