1. 「おとなの始末」落合恵子著(集英社新書)
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「おとなの始末」落合恵子著(集英社新書)

 
落合恵子さんの著書「おとなの始末」を読んだ。
 
落合恵子さん・・・私たちの世代では「レモンちゃん」。
元文化放送のアナウンサーで、現在は作家。
そっか、レモンちゃんも、もう70歳になったんだ・・・・
 
そんな落合さんの「おとなの始末」は、「始末の仕方」のノウハウ本でない。
70代に入った落合さんが、いつか来る自分の「最期」を意識しながら、仕事や人間関係、社会、暮らしそして自分自身の「始末」についての思いをつづっている。
 
私自身も、遅かれ早かれ考えなければならない、いや、最近はいつも頭のどこか片隅で考えているテーマそのもの。
読みやすい文章なので、先日、久しぶりに福知山の裁判所に出かけた、その行き帰りの電車の中で一気に読んでしまった。
 
「おとなの始末」について、「仕事の始末」「人間関係の始末」「社会の始末」「暮らしの始末」「『わたし』の始末」の5つに分けて書かれてある。
「人間の手の大きさはひとそれぞれだが、なにかを得たら、以前得た他のなにかは指の間からこぼれ落ちていくものではないか」
「本当にかけがえのないものだけをしっかりと握りしめて、その他のものをいかに『始末』するかをこそ考えなければならない」
また、あちこちに、ジェンダーフリーを実践してきた落合さんの考えが読みとれる。
 
●仕事の始末
これまで仕事にうちこんできた人ほど、自分の仕事が減っていったり、消えることは受け入れがたい。
でも、「ずっと現役でいたい」は多くの人が望むことではあるが、現役でいる時のテンションの高さは、いわゆる「仕事」でしか実現できないとは限らない。
少し時間をかけて「わたしはいったい、なにをやりたいのか」を見つけよう。
 
●人間関係の始末
「始末」の中で最も難しいのが、人間関係の始末。
でも、人間関係の始末をしようと「決心」したのは「人生の最終章に差しかかって、これ以上我慢しているのは苦痛だ」と思えたから。
人間関係を断ち切るとなれば、相手にはもちろん、周囲からも「冷たいひとだ」と思われる場合があるが、すべての人にとっての「いいひと」でなくていい。
 
●社会の始末
原発、安保法制、改憲・・・いまという時代は、怒り心頭の声をはっせずにはいられないことばかりであるが、・・・それらの根っこを放置してきた責任は、わたしたちにある。
私の背中を押してくれるのは、私と同じように小さく弱い存在を押しつぶしていく社会に対する「怒り」。
「おかしいな」と思ったことに「おかしい」と言わなければ、将来の世代につけを回してしまう。未来に対する責任がある。
 
●暮らしの始末
年と共に「ほしい」と思う気持ちが薄まってきたことで、本来の自分の好きな「なにもない空間」をいま少しずつ取り戻しつつある。
ひとつひとつ整理していってまだ残るものがあるのなら、それはもう「しようがない」。
 
●「わたし」の始末
人生の終盤において、老いていく自分とどう向き合っていくかは避けられないテーマだ。
まずは自分の老いを「認め」て、「受け入れる」ことから、その対策は始まる。
 
●「おとなの始末」とは、・・・
カウントすることができない残された日々を充分に、充分に「生ききる約束」、自分との約束。
 
過去の自分にとらわれず、いまと未来を見つめ、カウントできない残された日々を、悔いなく生きる、そんな落合さんの思いそして言葉が、私には、とっても大きなエールのように聞こえた。
 
 
 
 
 
 
 
 

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