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2020年10月アーカイブ

池善化粧品店、2020年12月末で閉店へ

 
四条河原町の南西角。
京都高島屋の巨大なビルが建っているが、そのビルに食い込むように3階建てのビルが建っている。
そこの1画は「くぼ地」と呼ばれているらしい。
(下の写真の正面の木の左側部分)
 

 
「池善化粧品店」・和菓子店「尾州屋老舗」(2020年3月廃業)・毛糸店「新雪」(現在、休業中)の看板を掲げる3店が営業していた。
 
そのうちの1店舗「池善化粧品店」が店主高齢のため、今年12月末で閉店となるという記事が2020年10月27日付け京都新聞朝刊に載っていた。
 
京都新聞は、2018年9月4日と5日の2日間にわたり、上「京都高島屋隣の謎」・下「『池善』の歩み」と題して、この四条河原町角の小さなビルのことを特集で紹介したことがあり、私は、いつかブログに書こうと思い、この記事を切り抜いて保管していた。
 
「池善化粧品店」店主井上清次さんの話によると、戦前の1930(昭和5)年に先代が店を開けた。それまでの河原町通りの拡幅で80坪の土地が20坪になってしまったので、化粧品なら小さな場所でもできるやろと建てたそう。
 
その後、店舗を拡大していった高島屋にとっては、のどから手が出るほど欲しかった場所だろう。
しかし、不動産業者から何度も買収を持ちかけられても、「目の前に何億積まれようと、お金じゃない」。立ち退きは考えたことがないという。
四条河原町界隈には、先々代の池善金物屋やその二男の洋食器の店があったが、それも今はない。
「池善」の屋号を掲げる店は、池善化粧品店だけになった。井上さんは「だからこそ、先代が継いだ土地での商売を守りたい」と。
 
以上が、2018年の京都新聞の特集記事の中からの抜粋。
 
その「池善」の歴史が、店主の高齢化により2020年12月末で終わろうとしている。
井上さんにとっては、なんとも無念であろう。
新しいテナントが入るらしいが、井上さんの思いが受け継いでいかれるといいなあと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
短歌や俳句などの「歌」には、これまで全くと言っていいほど関心がなかった。
 
毎朝6時25分からEテレのTV体操をしているので、それが放映される前、確か日曜だったかに、短歌や俳句の番組をやっており、新聞を読みながら、なんとはなしに観ているだけ。
出演者や先生の作品に、思わず「すごい!」、どこからこんな言葉が浮かび上がるのだろうと関心しつつ、自分とは無縁の世界であった。
 
そんな私が、「歌に私は泣くだらう」という文庫本(新潮社)を買って読んだ。
著者は、永田和宏さんという京大理学部出身の細胞生物学者で、コラーゲンの生合成に関わるhsp47というタンパク質を見つけて世界的に注目された方なのだが、本を読むまでは、私は全く知らなかった。
 
本を買おうと思ったきっかけは、高校の同級生のメーリングリストの中で、同級生らが短歌を話題にしており、ある男性が、
「『歌に私は泣くだらう』という本が圧巻で、出張の新幹線で読みながら、人目を気にしながらも号泣してしまいました」
と書いていたからだった。
そこまでの本っていったい・・・?と思い、購入した。
歌人であった妻河野裕子さんが2000年9月に乳がんの診断を受け、2010年8月に64歳で逝去されるまでの、夫婦の壮絶な生活がお二人の「歌」と共に書かれ、読みながら、私も号泣した。
その本を読んで、永田さんと河野さんは、京都に住んでおられ、様々な短歌の賞を何度も受賞をされたご夫婦であること、娘さんや息子さんも歌人である歌人一家であることなどを知った。
 
ネタバレになるので、本の内容はここには紹介しないが、偶然にも、11月3日に円山公園で開催される憲法集会のメインの講師が永田和宏さんであることを知った。
講演テーマは「新型コロナが問う日本と世界」。
永田さんは、最近の、日本学術会議の任命拒否問題についてもかなり怒っておられるようで、そのことにも触れられるとのこと。
「細胞生物学者」などと聞くと、世間離れした堅物の男性をイメージするかもしれないが、本の中の永田さんはとても人間らしい方であり、11月3日の講演は楽しみである。
 
 

座りすぎで、がん死亡リスク

 
座りすぎは、がんになりやすい!?
2020年10月8日付け京都新聞朝刊の記事である。
 
厚生労働省が進めるプロジェクト「がん対策推進企業アクション」のアドバイザリーボード(助言機関)の議長でもある東京大学病院放射線科准教授の中川恵一さんは、新型コロナへの十分な注意以上にがん対策をおろそかにしないことが非常に大事と語る。
 
コロナ禍では、がん対策上、
①在宅勤務の増加による生活習慣の悪化
②がんの早期発見の遅れ
③がん治療の影響
の3つの問題があるという。
 
①について、実は最も重要なことは座り過ぎだという。
座り過ぎはがんになりやすいことが分かってきたとのことで、座り過ぎの健康リスクを帳消しにするには1日1時間以上の運動が必要とのこと。
 
米テキサス大MDアンダーソンがんセンターが8000人を対象に実施した研究では、座っている時間の長さで3群に分けて5年間追跡、がん死亡リスクを比較した。
最も長い群はみじかい最も短い群に比べ、がんの死亡リスクが8割も高かったという。
 
これは、喫煙によるリスクを上回るほど高いとのこと。
 
お薦めは、「30分に1回は立って動くこと」らしい。
 
なんとなく本当かな?って思ってしまうが、「30分に1回は立って動く」ことは簡単なことなので、とりあえずやってみよう。
 
 
 
 

北嵯峨の彼岸花

 
真っ赤な彼岸花は、とても綺麗だが、子どもの頃は、彼岸花と言うと、「家に持って帰ると火事になる」と言われていたことを思い出す。
炎のように真っ赤なことを表していたのか、あるいは、摘んで帰るふとどき者を避けるためだったかは、今から思うと謎である。
 
新聞に、奈良県の葛城古道の彼岸花の写真が掲載されていた。
真っ赤な彼岸花があぜ道に沿って綺麗に列をなし、田んぼの黄色とのコントラストがそれは見事な写真だった。
 
そこで、京都にそのような場所はないかと探したところ、北嵯峨にそのような風景が広がっていることを知った。
北嵯峨は、大覚寺や大沢池がある辺りだ。
 
裁判所前のバス停から市バス93番で行かれるので、行ってみた。
 
JR嵯峨嵐山駅前下車。
大覚寺や大沢池の東側が目的の場所のよう。
住宅街をどんどん北に歩いて行く。
そのうち田畑が広がり始め、北嵯峨高校辺りからは、彼岸花の赤が所々見えるようになった。
 
そこには、これまで京都市内では見たことがないような風景が広がっていた。
 

 
稲刈りも終わり、彼岸花も少し枯れ始めており、新聞の写真のような鮮やかさではなかったが・・・
 
でも、こんなに見事に咲いている彼岸花もあった。
 

 
田んぼにはサギもたくさんいて、本当にここが京都市内かしら?と思うような景色だった。
 

 
のどかな景色を味わった後は、隣の大沢池を1周した。
ちょうど中秋の名月の頃なので、夜のお月見観賞用の座席などが設置され、池には船も浮かんでいた。
 

 
 
 
 

オッサン達の再会をプロデュース!?

 
オッサンAは、高校と大学の同級生。但し、学部は理学部。
高校の時は、お互い知らなかったが、大学に来てから知り合い話をするようになった。
大学卒業後も、高校の同窓会でたまに会ったりしていた。ちなみにAも京都在住。
 
オッサンIも大学の同級生で、理学部。
理学部から別の大学の医学部へ行き、今は、大阪で医者をしている。
Iとは、年賀状を交換するだけで、約40年位会ったことがなかった。
 
今年2月、身内の病気のことで、どうしても相談したいことがあり、オッサンIと会うことになった。
特に約40年の空白を感じることはなく、自然に再会を果たした。
Iと話をする中で、実は、学生時代、IとAは二人とも数学を専攻し、とても仲が良かったことを初めて知った。しかし、卒業以来、会っていないし、連絡もしていないとのことだった。
私は、Aの携帯電話番号を知っていたので、教えた。
 
その後、しばらくして、オッサンIから「Aと電話で話したが、あまり会話にならなかった。やっぱりオッサンはダメや~」とのメールが入った。
私たちオバさん同士なら、いくら何年も会っていなくても、すぐに打ち解けておしゃべりするのに、なんてことだろう!とあきれた。
 
それから、また、しばらくして、またオッサンIから「Aと京都で会うことになった。コミュニケーションが取れないかもしれないから、同席して」とメールが入った。
「喜んで」と返信し、候補日を複数伝え、その時は、私は連絡を待つだけだと思っていた。
 
その後、Iから日の連絡が来たが、日と曜日が違っていたため、Iからは、再度Aに確認するとメールが来たきり、いつまで待ってもメールが来ない。
しびれを切らして、Iに連絡すると、「Aから返事がない」と。
この時点で、もう2人には任せておけないと思い、私からAにメールを入れた。
Aからは、すぐに返信があり、「知らないメルアドからのメールだったから、返事しなかった」とのこと。
そのメルアドは、Iの自宅と職場やん!
それからは、私が二人と連絡を取り合って、日も時間も店も料理も決め、当日を迎えた。
Iいわく「オレ達二人だったら、無期延期になっていたと思う」。
 
9月27日(日)正午。
私とIとは時間どおり店に到着。しかし、Aは来ない。嫌な予感・・・
電話を入れると、腰痛が痛くて、1時間位遅れるとのこと。(電話くらい、せえよ!)
午後1時、やっと、オッサン二人は再会を果たした。
 
それからは、「何がコミュニケーションが取れない」だよ!
二人で、数学の○○の定理とか統計の話から始まり、天皇史、キリスト、ローマ史などなど、私がついていけない話題を、面白がってずっと話していた。
ランチの店を出て、喫茶店に移っても、延々としゃべっていた。
割と静かな喫茶店で、オッサン2人が大きな声で小難しい話をしているんやから、きっと周囲は迷惑だっただろうと思う。
約40年ぶりでも、これだけ話が合うんやから、仲が良かったはずだ。
でも、これだけ、会話に参加できないことって、私にとっては珍しいことで、なんか理系の人は興味関心の世界が違うのかって思ってしまった。
 
でもまあ、再会が実現して、良かったよ。ホント。
 
 
 

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