1. 2015年4月

2015年4月アーカイブ

「ちはやふる」の世界~競技かるた~

 
子どもの頃、百人一首のかるたは持っていたが、本来の「かるた」遊びはせず、専ら「坊主めくり」ばかりをしていた。
せっかくそこに、いにしえの「歌」が書かれてあったのに、今から思えば、もったいない話だ。
 
依頼者の方から、面白い漫画があると言われ、かるたクイーンをめざす女子高生を描いた漫画「ちはやふる」を貸してもらって読んだ。
漫画の方は、現在もまだ連載進行中のようだ。
 
「ちはやふる」を読んで初めて、「競技かるた」の世界が私の想像を超えたものすごいものであることを知った。
百人一首の普通の遊び方は、上の句を詠んで、それにつながる下の句が書かれた札をたくさん取った方が勝ちというゲームである。
 
競技かるたは、それとは全く違う。
選手は、25枚ずつ50枚の取り札を幅87㎝の競技線内に自由に並べ、15分間で50枚の位置を暗記する。
読み手は、100枚全部を詠むため、詠まれた札が場にない「空札」もある。
敵陣の札を取ったり相手がお手つきをしたりすれば、自陣から「送り札」ができる。
そして、たくさん取った方が勝ちではなく、自陣の札が早くなくなった方が勝ちという競技だ。
 
囲碁や将棋のように「集中力」や「精神力」が必要なのはもとより、相手より速く札を取る(というより、はじきとばす)ための「瞬発力」や「体力」も求められる。
その意味で、競技カルタはスポーツかもしれない。
 
そして、私が何よりも興味を持ったのは、漫画の中に描かれている、名人ともなると最初の一文字を聞いただけで札をはじきとばすことが出来るということである。
すなわち、例えば、読み手が「か~」と詠んだ場合、最初の「か」だけを聞いて、下の句がわかる。
「か」に続く字の音の違いから、同じ「か」でも別の音に聞こえるということらしい。
それを漫画の中では「音になる前の音がある」「音の一歩先がわかる」という表現が使われている。
競技かるたでは、こういう音を聞き分ける能力を「感じ」と言うらしい。
 
面白いなあと思った。
思えば、中国語でも、「ン」という発音でも「n」と表記されるものと「ng」と表記されるものがあるが、中国人には簡単に聞き分けられるものが、私のような万年中国語初心者にとっては、その違いを聞き取ることはとても困難だ。
そんなのに似ているのかなあ・・・
 
人間の力というのは、本当に不思議でもあり、偉大でもある。
 
 
 
 

 
(女性弁護士の法律コラム NO.202)
 
4月25日(土)の午後は、京都弁護士会館で、同会と日本弁護士連合会の共催で、講演会「『積極的平和主義』を問い直す」が開催された。
 
開場時間の午後1時少し過ぎに会場に行くと、もう補助椅子を出さなければならないほどのたくさんの聴衆が来場されていた。
 
第1部は、元自衛官の泥憲和(どろ のりかず)さんの講演。
泥さんは、中卒の1969年に陸上自衛隊入隊し、三等陸曹で退官したという経歴の持ち主。
 
自公が積極的平和主義の根拠として言う「危機」や集団的自衛権行使の「歯止め」がマヤカシであることをわかりやすく説明。
フィリピンのミンダナオ島では、日本人(JICA=ジャイカ)が武装なき停戦監視で学校再建などいかに重要な役割を果たしたか、そして集団的自衛権を導入することは日本への信頼を失わせることだと強調された。
また、自衛隊の機関誌「朝雲」では、安倍内閣に「もっと冷静沈着になれ」という記事が掲載されているとのこと。
更に、元自衛隊の幹部らが、あちこちの集団的自衛権に反対する集会で発言されていること。
 
などなど、普段ではなかなか聞けない話が語られ、実に面白かったし、勉強になった。
 
 
 
 

宝塚歌劇

 
先週、大学時代の友人と宝塚歌劇を観に行って来た。
私が、最後に宝塚を観たのは、大学時代の「ベルサイユのバラ」以来だから、実にン十年振りの宝塚だった。
 
私は、関西の人間ではなかったが、西宮に叔母が住んでいたため、「ベルバラ」を観る時までにも小学生の時と高校生の時と2度観に行ったことがあった。
だから今回は4回目。
 

観たのは、花組の「カリスタの海に抱かれて」とレビュー「ファンタジア」。
トップは、男役が明日海りお、娘役は花乃まりあ。(全然知らん)。
大劇場の1階にはグッズを販売しているコーナーがあり、友人は娘のためと言って、せっせと、他の組のトップスターのグッズを買っていた。
 
客席はほぼ満席。大半が女性だが、男性もチラホラ。
 
歌劇の主な構成は、ン十年経っても、全く変わっていなかった。
ラブロマンス、そしてレビューはラインダンスあり、フィナーレは羽つけて・・・と
 

でも、その時間だけは、現実を忘れ、すっかり宝塚の夢の世界に入り込んでいた。
 
 
 
 
 
 
 

控訴審から受けた、ある離婚事件

 
(女性弁護士の法律コラム NO.201)
 
日本の裁判は、3審制で、例えば、離婚訴訟であれば、家裁→高裁→最高裁と3回裁判を受けることができます。
ただ、最高裁は、上告理由がかなり制限されていますので、事実を争うことができるのは、2審までです。
しかも、離婚事件のような場合、家裁段階で本人尋問などたいていの事実関係の証拠調べは終わっていますので、証拠書類を追加で提出することは可能ですが、高裁でもう1度本人尋問をすることは、申請しても高裁が採用してくれることはかなりマレです。
 
昨年末頃、控訴審から離婚訴訟を引き受けてほしいとの依頼がありました。
それも、夫が妻に対し離婚を求めている事案での妻側からの依頼でした。
家裁での第一審は、別の弁護士が担当し、夫の離婚請求が認められてしまい、妻にとっては敗訴判決でした。
事案は、夫との夫婦関係の悪化と言うより、長年にわたって同居してきた夫の親からのモラルハラスメントとも言えるような行為が原因での夫婦の別居でした。
 
彼女の話では、家裁を担当した弁護士は控訴審で判決を覆すことは難しいと言っているということで、私も彼女が持参した家裁の判決だけを読む限り、かなり難しい気がしました。
しかも、控訴の理由書は、控訴してから50日以内に提出せねばなりません(民訴規則182条)。
でも、彼女の必死な姿に打たれ、引き受けることにしました。
理由書提出期限がちょうど年始早々になっていたので、とりあえず期限を2月まで延期してくれるよう裁判所に上申しました。
 
次に、家裁での訴訟記録一式が手元に届いたので、早速、読んでみました。
彼女が「離婚したくない」「夫婦としてやり直したい」と言っていたからでしょうか、意外にも、家裁段階では、夫の言い分に対する詳細な反論や義親から受けた仕打ちによる彼女の苦しみがにじみ出た書面などは提出されていませんでした。
 
そこで、家裁での尋問調書を丁寧に読み、「親族の不和」を離婚理由とする過去の判例を調べ、またモラルハラスメントの本も読んで、かなり力を入れて控訴理由書を書き上げ、更に彼女の苦しくつらかった思い、夫への愛情などを書いた陳述書も作成しました。
 
予想どおり、高裁は第1回で結審しましたが、すぐその日から、裁判官を間に入れた和解(話し合い)が始まりました。
裁判官は、夫の親との関係で彼女が置かれていた状況や気持ちを理解してくれた上で、そのことを含んだ条件をつけて和解離婚を勧めました。
 
そして、彼女も離婚を決意し、和解離婚が成立しました。
 
多くのDVやモラハラ被害の女性がそうであるように、同居している時には、彼女には、自分が受けている仕打ちがモラハラであるとは思いもせず、自分を殺し「嫁」として必死につかえてきました。
彼女は、別居後、カウンセリングなどを受ける中で、徐々に、冷静になってそれまでの自分を見直すことができるようになってきたと語っていました。
 
彼女の事件は、比較的短い期間で終わりましたが、何回も打ち合わせ、高裁への行き帰りの電車の中でも色々話をしたりして、割と「濃い」時間を共有できたと思っています。
もう今の彼女は、ひたすら耐える女性ではありません。
次に会う時がとても楽しみです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

春の山へ

 
最近、天候不順が続いているが、暖かくなったので、週末、天気をみはからって午前中だけ近くの山を歩き始めた。
 
先週12日(日)は、西山へ。
阪急嵐山駅から、京都一周トレイルに入り、まず松尾山へ向かう。
途中、所々に竹藪があり、「竹やたけのこを取るな」という看板がかけてあるのは、まさに西山の雰囲気だ。
松尾山からは、嵐山の眺望が綺麗だった。
 

松尾山から苔寺方面に下り、途中から沓掛山(415M)へ向かう登山道に入った。
時々、ミツバツツジが鮮やかなピンク色の花を咲かせていた。
 

沓掛山の頂上で、昼食をとる。いつもの焼き肉と焼きそば。
その後、バスの時間に間に合わせるため、早足で老いの坂のバス停まで下山した。
 
そして、18日(土)は、大文字山へ。
登り始めると、なんとトレイルランの大会をやっており、上からランナーたちが次から次へと走り下りてくる。
なんとか火床の真ん中まで登ったが、のんびりと登ってられないので、帰ることにした。
鴨川の、わずかに咲き残っているしだれ桜の近くで焼きそばを作って食べる。
偶然、RUN中のF弁護士が通りかかる。昨年末からヘルニアらしいが、10キロは走るという。すごい!
 

健康格差

 
4月11日から13日は、4年に1度開かれる日本医学会総会が京都で開催された。
11日の開会式には皇太子が来たようで、会場の国際会議場に向かう主要道路のアチコチに警察官が立ち、ヘリコプターも長い時間飛んでいた。
 
4月14日付け京都新聞朝刊で、その総会の学術講演などで、所得や雇用形態によって生じる「健康格差」が大きな課題として取り上げられたことを知った。
データで、15歳時点の家庭の所得水準が低かったという人ほど、高齢期に自立した日常生活を送る能力が低くなりやすいことを説明。
収入の低さと病気の関わりが報告され、社会政策の充実や職場での対策を求める声が上がったとのこと。
 
現在の日本の所得格差が問題となり、それが日々の生活の格差だけでなく、子どもの教育格差までつながっていることは指摘されているが、実は、身近な健康の格差にもつながっている。
考えれば当たり前だ。
以前、所得が低い家庭の子どもは歯医者にも行けないので虫歯が多いと聞いたことがあるが、所得が低いとがん検診をはじめとする健康診断を受診する割合も少なく、「総じて所得や学歴が低いと健康水準が低い」。
 
色んな角度から日本社会の貧困格差問題を考えることはとても重要だ。
前もってテーマがわかっていたら参加したのに、残念だった。
 
 
 
 
 

友人の書道展へ

 
4月11日(土)は、午後から、滋賀県に住む友人の書道展に出かけた。
その友人が葉書に書いてくれた「書」を、時々、我が事務所の壁に飾っている。
 
私は?というと、絵を描くのは好きだが、筆で字を書くのは全く苦手。
子どもの頃、習字を習ったこともない。
だから、書道には全く興味がなかったが、数年前に、その友人の書道展に行き、まるでアートのような作品に触れ、興味を持つようになった。
 
目の前に琵琶湖が見えるオーガニックレストラン「マドカフェ」でランチした後、書道展が開かれている大津市歴史博物館へ。
 
篆書(てんしょ)やトンパ文字などで書かれている大きな作品が多数展示され、すごい技やなあと思う作品や、どうやって書いたんだろうと思う作品もいくつかあった。
もうアートそのものや!  とても面白い。
 
友人は2つの作品を出展していた。
友人自身としては、完成度がまだ納得していないということで、2つの作品のうち1つしか撮影許可が下りなかった。
まだ別のコンクールが控えているらしく、「頑張る」とはりきっていた。
 

 
私は、以前「墨絵」に挑戦して挫折しているので、そのことを友人に言うと、「いづみちゃんが墨絵を描いたら、私がそれに字を入れるから、もう1度、やってみたら?」と言ってくれた。
 
う~嬉しいお言葉・・・
 
 
 
 
 

京都地裁の桜

 
(女性弁護士の法律コラム NO.200)
 
毎年、この時期になると、京都地裁の敷地の東・南・西の3方にある「しだれ桜」が見事だ。
ただ、今年は、ちょうど満開になる頃に雨が降った日が多かったので、満開になりきる前に、たくさんの花びらが散った。
 
昨日は、関東では雪が降り、思いがけず桜と雪のコラボレーションを見ることができたようだが、京都も晴天となったが、かなり寒かった。
依頼者のIさんが地裁の桜を見たいと言われたので、一緒にランチをした後、プラプラと地裁周辺を歩いた。
 
昨日は、地裁の南側にある御所南小学校の入学式で、着物などを着て正装した、たくさんの保護者が、しだれ桜をバックに子どもらの写真を撮っていた。
桜はかなり散っていたが、それでも、まだまだ見応えはあった。
 

 
 

京大の時計台

 
京大の正門をくぐると、真正面にそびえる時計台。
京大のシンボルの1つである。
 
昨夜9時からのNHKニュースで、この時計台の時計を40年間にわたって修理保全してきた杉谷さんという男性が高齢(84歳)のため、この仕事を辞めるということを特集で報道していた。
 
京大に在学していた頃、時計台の一番上の部屋などに入ったこともなく、杉谷さんが働いていたことも全く知らなかった。
杉谷さんは、要請があればすぐに駆けつけるべく常に待機し、たとえ旅行に行っても1泊で帰って来ていたとのこと。
おかげで時計台の時計は非常に正確に時を刻んでいたそうだ。
 
そんな時計台だが、私にはさして思い出はない。
 
私が京大に入学した頃、学生運動の激しさは下火になっていた。
でも、ヘルメットをかぶった学生が校内を闊歩し、教養部にいた頃は、時々、授業も妨害された。
そして、時計台の時計の真下には、どこからでも読める大きな白いペンキ文字で「竹本処分粉砕」と書かれ、私にとっては、それが時計そのものよりも強く印象に残っている。
ノホホ~ンと岐阜の田舎から京都に来た世間知らずの18歳の私にとって、それらが初めて見た現実社会のように思われた。
 
その学生運動の象徴でもあった「竹本処分粉砕」の文字が消されたのは、いつだったのか、私が在学中か卒業してからだったのか、はっきり覚えていない。
 
でも奇遇なことに、弁護士となってから知り合った元依頼者(当時はタクシー運転手)の男性が、自分が前に建築関係の仕事をしていた時、時計台の「竹本処分粉砕」の白ペンキ文字を消す仕事をしたと語ってくれた。
もう20年以上前に聞いた話だが、いつまでも頭に残っている。
 
今、時計台の下にはお洒落なレストランがあり、京大の建物もどんどん変わっていく。
杉谷さんは、時計台のてっぺんの小さな窓から、40年も変化を見続けて来られたんだなあ。
本当にご苦労様でした。
 
 
 

タイカレーの店「シャム」

 
何ヶ月か前に、京都弁護士会広報委員会から「京都のおいしいカレー屋さん」アンケートが届いた。
 
普通のカレーなら我が家のカレーが1番!と思っているのだが、タイカレーだけは、なかなかうまく作れない。
私が今一番気に入っているタイカレーの店は、円町近くにある「シャム」。
裁判所周辺からはやや遠いので、あまり知られていないだろうと思いつつ、「シャム」と書いてアンケート用紙を提出した。
 
先週、弁護士会から会報が届き、その中に「京都弁護士会会員投票による美味しいカレー屋特集」が掲載されていた。
なんと「シャム」は堂々の3位となっていた。
なんとなく嬉しい。
ちなみに、1位は京大病院の向かいにある「ビィヤント」、2位は中京郵便局の向かいにある「カマル」、そして3位は「シャム」と京都市役所西側にある「LAPONICA」。
 
「シャム」のタイカレーについては、訪れた広報委員が会報の中で絶妙なタッチで紹介してくれている。
 
「まず、スープのようなさらっとしたルーだけを頬張る。
『・・・!』口の中に入れた瞬間に来るピリッとしたスパイス。
それも日本のカレーとはまた違うピリッと感。
そしてその後にすぐに追いついてくるココナッツ独特の甘さと香り。
その後、細くパラパラとしたタイ米であろう米にかけてもう一度頬張る。
『美味しい!』私は感動した。」
 

(上の写真は、以前に私が食べに行った時のものです)
 
ちっちゃな店で、注意して歩かないと通り過ぎてしまいそうになるが、何度も行ってみたくなる店である。
 
 

高齢者が生きづらい社会

 
(女性弁護士の法律コラム NO.199)
 
つくづく高齢者が長生きしづらい社会だと痛感した。
 
2013年4月13日付け当ブログで書いた難病を抱えた元依頼者のMさんがケア付き住宅に引っ越して丸2年になる。
京都市内中心部からは、かなり離れている場所なので、なかなか訪問することができずにいたが、数日前に久しぶりにMさんから電話をいただいたため、4月1日に会いに出かけた。
 
Mさんは、80歳。
自分で歩くことはできないが、車椅子に乗って、笑顔で出迎えてくれた。
 
別居中の夫からの婚姻費用とわずかな年金で、今の住居の費用を支払っているMさん。
そんなMさんに、この住居の保証人となってくれている子どもから、もしMさんが100歳まで長生きし、父親も死亡したりして仕送りができなくなったら、どうするんだ、自分は破産だ、他の子どもにも保証人になってもらえ、なんとかしろというような手紙が届いたという。
 
別居中の夫がいつどうなるか、Mさん自身が何歳まで生きるか、その時に子どもらはどのように対応するか、その時に今の政治や社会保障はどうなっているか、先のことなどはわからないにもかかわらず、その保証人になった子どもは心配でたまらなくなっているんだろう。
 
Mさんは、「子どもは、私に早く死ねということでしょうね」とつぶやいた。
 
今の日本の社会に、もっと豊かな社会保障制度があれば、Mさんも、また子どもも、こんな思いはしなかったはずなのに・・・
親が長生きすることは素晴らしいことであるはずなのに、それが子どもらの手かせ足かせになる・・・そんな社会では絶対にダメだと思った。
 
翌日、私の不在中にMさんから電話が入り、「とても喜んでいたとお伝えください」との伝言が添えられていた。
行って良かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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