1. 2019年9月

2019年9月アーカイブ

「新聞記者」(望月衣塑子 著)を読んで

 
前回のブログで書いた、著者望月衣塑子さんにサインをしてもらった本「新聞記者」(角川新書)。
森友・加計学園問題が発覚する中で、ネットニュースなどで話題となっている、管官房長官の定例記者会見の場で堂々と質問する望月さんって、どんな記者なのだろうかと思い、昨年、買って読んだのが「新聞記者」。
 
2019年9月21日に彼女の生の肉声を聴くことができたので、帰宅後、再度、読み返してみた。
 
これまで、作家、学者そして新聞記者の講演をいくつも聴いたことがあるが、たいていは文章は面白くても、話はあまり面白くないということが多かった気がする。
でも、前回ブログで書いたとおり、望月さんの話は、とてもわかりやすく、面白かった!
 
再度、本を読み直して、そのワケが少しわかった。
「新聞記者」には、生い立ちも書かれており、実は、望月さんは、子どもの頃から「女優になりたい」と思い、中学生から高校入学までは芸能事務所に所属されていた。
そんな才能が、彼女の話力につながっているのだろう。
 
次に、官邸から「嫌われても」「嫌われても」、信念を曲げず、パワフルに行動できるのはなぜか?
これは、講演の最後に会場から出された質問でもあった。
 
私たちは、一定の信念を持っていても、力の強い者や何らか自分に影響力を持つ者に対して、時に「迎合」「忖度」したり、あるいは「萎縮」したり「屈して」しまったりすることもある。
まして、望月さんが対峙しているのは、強大な国家権力であり、その権力側に立って彼女を批判したり圧力をかけたりする人間も少なくない。
本来、同じ側の人間であるはずの記者までもが、彼女の発言を妨害しようとする。
 
本には「頑張りたいけど意味あるのかな・・・なぜこれほど叩かれるんだろう・・・こんなことならもう会見に行くのはやめようか・・・弱気な思いが何度も頭をよぎる」と書かれていた。
 
それでも、なぜ、頑張れるのか?
 
彼女は言う。
「やはり新聞記者として、権力側が隠そうとしていることが何かを常に探り、それらを明るみに出すことをテーマとしてきたから」と。
そして、支えとなったのは、駆け出しの千葉支局時代にベテラン警部に言われた、「俺が話すかどうかは、どこの社とかじゃない。その記者がどれだけ事件への情熱を持って本気でかんがえているかどうか」という言葉だった。
 
彼女が大切にしているインド独立の父ガンジーの言葉がある。これは講演の最後にも引用された。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
これに続けて、望月さんの言葉。
「簡単には変えられないけど、私自身が環境や周りに流され変わらないためにも。自分自身が正義と信じられるものを見失わないためにも。たとえ最後の一人になろうとも」
 
では、私たちができることは何か?
 
報道の自由ひいては国民の知る権利を守り、真実を伝えるべく頑張っているジャーナリストは望月さんだけでなく、少なからず存在する。
そんな彼らに呼応して、SNSあるいはFAXや電話あるいは集会参加など、様々な形で連帯のメッセージを送ったり声を上げたりすることが大きな力となるはずだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

望月衣塑子さん(東京新聞社会部記者)の講演

 
2019年9月21日、私が2011年末まで在籍していた京都法律事務所の創立40周年記念企画として、望月衣塑子(いそこ)さんの講演「真実は現場に~私たちが変える未来~」がウイングス京都で開催されたので、参加した。
 
望月さんは、東京新聞社会部記者。1975年生。
2017年4月以降、森友学園・加計学園問題の取材チームとなり、管官房長官の定例記者会見に出席し、官邸から「嫌われても、嫌われても」鋭い質問を行っている女性記者である。
現在、彼女をモデルとした映画「新聞記者」が全国で上映されており、正に「時の人」。
 
開会時間の午後2時に会場に行くと、240名の会場はもう満席。大盛況だ。
早い人は午前11時から並んだとか。
 
講演は、今、政治(特に、安倍首相・管官房長官をはじめとする官邸)と報道の現場で何が起こっているのかを中心に話された。
いやあ、とにかく、身振り手振りも交え、早口だが、話がパワフルで、かつ、面白くわかりやすい。
国民から真実を覆い隠そうとする安倍内閣の恐ろしさ、報道の自由や国民の知る権利の危機、そしてその報道の自由を守ろうと闘う記者らジャーナリストの存在・・・
講演時間は40分も超過したが、もっと聴きたいと思う内容だった。
 

 
講演終了後にロビーに行くと、望月さんが出てこられたので、持参した彼女の本「新聞記者」(角川新書)にサインをもらう。
 

事務所の40周年にふさわしい、とても良い企画だった。
準備、大変だったと思う。
所員の皆さん、お疲れ様でした。
 

 
 
 
 
 

ラグビー

 
今日9月20日からラグビーのワールドカップ(W杯)が日本で開催される。
 
私の大学時代のクラスメートがこのワールドカップの大会組織委員会に関わっているので、数年前から日本開催のことは知っていたものの、これまでラグビーというスポーツそのものには、あまり関心がなかった。
 
でも、9月15日に最終回を迎えた池井戸潤原作のTBSドラマ「ノーサイド・ゲーム」は、巨悪うずまく企業社会、その企業の中でのラグビーと人間模様が面白く、欠かさず観てしまった。
また、昨年、NHKで放映された「不惑のスクラム」もラグビーにかける中高年のオッサンたちの熱い思いが伝わってきたドラマだった。
 
これらのドラマを通じて、ラグビーの試合終了を「ノーサイド」と呼び、それぞれのサイドで闘うが、試合が終われば敵も味方も区別がなくなるという意味があることを知った。
ノーサイドは敵意を友情に変えるのである。
単に勝敗を競うだけではない、そんなスピリットのあるスポーツは、他にあるのだろうか。
 
9月19日付京都新聞朝刊1面には、亡平尾誠二さんの記事が掲載されていた。
平尾さんは、京都市出身。伏見工業高校3年で全国高校大会優勝。同志社大学で全国大学選手権3連覇。W杯には1987年の1回大会から3大会連続で出場。4回大会は、監督を務めた。
今では当たり前になった外国人選手の起用についても、当初は反対や批判があったが、彼は意思を貫いたという。
「日本ラグビーが今、世界と渡り合えるまで成長したのは平尾の功績に尽きる」とは伏見工業高校でバックスのコンビを組んだ高崎利明さんの言葉。
 
2019年のW杯を通じて、私の中でも、もう少しラグビーが身近なものになるかもしれない。

 
書店をブラブラして、ふと手に取って買ったのが「がん外科医の本音」(SB新書)。
2019年6月初版で、買った時は、まだ出版されたばかりだった。
著者は、1980年生の若い外科医だ。大腸ガンの専門医とのこと。
 
世の中には、医師が書いた本があふれている。
健康関連の本をはじめ、ガンについては、手術や抗がん治療を否定したもの、民間療法的なものを勧めるものまで、多種多様だ。
ただ、これまで「医者の本音」を語る本はなかった。
 
中山さんは、その理由を次のように解説する。
「がんの専門家は通常、中年以降の医師で、病院でも何らかの「役職についています」「この年齢とポジションの医者で、一般の方向けに本を書く人はほぼいません」「医者としての出世には何の役にも立ちません」
しかし、中山さんは、がんの専門家であるとともに、もの書きでもあるため、「現場の人間」として「医学研究の結果+現場の経験」をわかりやすく説明したと言う。
 
この「がん外科医の本音」の中には、私たちが普段疑問に思っていることが、データとともにわかりやすく、しかもきれいごとでなく率直に書かれているところがいい。
例えば、
「医者はがんを切りたがる」は本当か?
「切れば治る」となぜ断言できないのか
がんはなぜ「再発」するのか?
「医者は自分には抗がん剤を使わない」は本当か?
「がんは放置すべきか?」現場の医者の本音は
医者は「民間療法」を腹の底でどう思っているのか?
セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか?
「医者100人がやっている」は信じていいのか?
「がんが消えた!?」トンデモ健康本はなぜ出版されるか
ネット情報はどこまで信頼できるか
先進医療は治療に必要なのか?
先進医療の特約を保険につけるべきか
等々
 
どれも日常、私たちが「どうなんかな?」と思うようなテーマについて、わかりやすく説明がなされ、また、過去に私が会ったあの医者が言っていたことはこういう意味だったんだなと思い至るところもあり、少なくとも私自身は得心できるところが多々存在した。
 
なお、この本を読んで初めて、中山さんが2018年8月に出版した「医者の本音」という本が10万部突破のベストセラーになっていることを知り、次は、これも読んでみることにした。
(続く)
 

 
今朝、古くからの友人から、突然、「NHKの、逆転人生に、いづみさん出てましたね!」というメールをもらった。
いやいや、出演してたわけではないです。
法律事務所の看板(ネームプレート)が映し出され、そこに私の名前もあったというだけ。
私もビックリでした。
 
昨夜午後10時からNHKテレビで放映された「逆転人生」は、京都で活動する全盲の竹下義樹弁護士の人生だった。
竹下さんは、私が司法試験に合格した当時、京都大学の中にあった同じ(私的な)勉強会に所属し、私が合格して2年後に竹下さんも司法試験に合格した。
司法修習生となった竹下さんは、京都修習となり、弁護修習は、当時、私が働いていた京都法律事務所に配属された。
そして、竹下さんは、1984年4月に弁護士となって京都法律事務所に入所し、1994年に彼が独立するまでの約10年間、私と竹下さんは同じ法律事務所で弁護士活動を行った。
昨夜のテレビには、竹下さんが事務所に入った頃の所員のネームプレートが画面に映し出され、私も自分の名前が出てビックリだった。
 
同じ京都で弁護士をしていても、竹下さんとは、もうずいぶん長い間、顔を合わせたり、ゆっくり話をしたことはない。
テレビに登場していた竹下さんは、若い頃よりは少し声は小さくなった(?)ものの、ユーモアとバイタリティーあふれる姿は、一緒に仕事をしていた頃と変わっていない。
 
テレビでは、柳園さんの国家賠償請求訴訟が取り上げられていたが、私には竹下さんと一緒に取り組んだ思い出の事件がある。
 
竹下さんが弁護士となった翌年の1985年に京都地裁に提訴したその事件は、自ら聴覚障害を抱えながら、昭和28年9月から京都府立聾学校の教師となった西田先生が、その障害のために、長年「助手」という地位に据え置かれ、教諭に採用されなかったという、被告京都府による聴覚障害者差別を問うものであった。
 
竹下さんは、新人弁護士ながら、弁護団会議での議論をリードし、また法廷では、あの大きな声で、裁判所や被告側を圧倒した。
 
元教え子、元同僚そして学者など、多くの支援を得て、1990年7月18日に京都地裁が下した判決は、西田先生の全面勝訴であり、京都府は控訴することなく、判決は確定した。
 
私にとっても竹下さんにとっても、初めて取り組んだ障害者差別事件だったと思う。
私の弁護士人生において心に残る貴重な事件の1つを、竹下さんと一緒に取り組めて本当に良かったと思う。
 
 

 
(女性弁護士の法律コラム NO.248)
 
9月7日土曜、35度を超える残暑厳しい京都市内で、日本弁護士連合会主催の「弁護士業務改革シンポジウム」が開催され、全国から弁護士が集まった。
場所は、同志社大学今出川キャンパス。
弁護士業務に関わる分科会が午前と午後合わせて11あったが、私は、午後2時から5時までの「『おひとりさま』支援における弁護士の役割」という分科会に参加した。
 
 

 
日本の総人口1億2671人のうち27.7%が65歳以上である(2017年)。
また、単独世帯中、65歳以上の単独世帯は、2015年現在32.6%を占めている。
私の依頼者の中にも、高齢で一人暮らしの方が少なからずおられる。
これまでのように単に「遺言」を書いて死後に備えればすむというような時代ではなく、「おひとりさま」は、今現在を一人で生きていくのに様々な問題を抱える可能性がある。
また、私自身としても遅かれ早かれ歩む道でもある。
そんな自分の人生と仕事との双方の関心から、この分科会を選んだ。
 
会場はほぼ満席。
 

 
まず、元朝日新聞論説委員の川名紀美さんから「ひとりで生きる、みんなで活きる~友だち近居、11年の現実」と題する基調講演があった。
川名さんは、一緒に住める女性を募り、集まった7人で勉強会を重ね、2008年9月から兵庫県尼崎市の新築マンションの中で「友だち近居」生活を送っている。
このことは、NHKでも放映されたことがあり、私もたまたまその番組を観ていた。
同世代の「おひとりさま」が同じマンションのそれぞれの部屋で生活し、互いに行き来したり、定期的に勉強会やイベントを開くというのは、理想的な生活のように感じていた。
但し、「互いの介護はしない」というのが約束事。
それでも、気にかけてくれる人が近くにいるというのは心強い。
健康等の理由で、互いの関係に変化があるのはやむを得ない。
 
次は、弁護士と社会福祉協議会の方からの実践報告、それに続きパネルディスカッション。
任意後見契約は、認知症等によって判断能力が低下した時点で効力が生じるものであるが、それまでの期間はどのような「見守り」契約ができるか、身寄りの無い人の入院時の身元保証契約はどうするか・・・「おひとりさま」が抱えるであろう問題点に弁護士としてどこまでどのような支援ができるか、どこの機関などと連携すれば良いかなどが紹介された。
 
とても勉強になった分科会だった。
 
 

 
今週の「なつぞら」は、主人公なつの幼なじみで初恋の人であり、なつの絵や人生に大きな影響を与えた山田天陽くんが30代の若さで死亡するというストーリー。
 
天陽くんの優しさ、子育てと仕事との狭間で悩むなつへの彼の言葉は、朝から涙、涙である。
 
そんな天陽くんのモデルは、やはり32歳でこの世を去った、北海道十勝の画家神田日勝(かんだにっしょう)と言われている。
 
北海道十勝に「神田日勝記念美術館」がある。
もうずいぶん前だが、1度、訪れたことがあった。
実は、作家内田康夫の浅見光彦シリーズの大フアンであった私は、「幸福の手紙」という作品の中で神田日勝美術館が登場していたので、北海道十勝に行った時には是非訪れてみたいと思っていた。
 
見たかったのは、未完の馬の絵。
 
天陽くんは、死ぬ前日に自分の家のアトリエに戻り、馬の絵を完成させたが、神田日勝美術館には、馬の下半身が描かれていない未完の絵が飾られている。
死後発見されたというその絵がとても印象的だった。
 
また十勝を訪れる機会があれば、もう1度訪れてみたい美術館である。
 
 
 
 

「きっぷってなに?」

 
先日、NHKの朝のテレビニュースで、最近の若者が切符を知らないという話題を取り上げていた。
ある鉄道の駅では、わざわざ「きっぷってなに?」というポスターを作成して、貼ってあるそうだ。
外国人向けではなく、日本人の若者向けということ。
 
驚いたなあ。
 
そういえば、私はよくバスを利用するが、若者や中年はカードを機械にあてるだけ、老人はバスカードを使う。私のように回数券や現金で支払う人はほとんど見かけない。
 
世の中は、気がつかないうちに、どんどん変化してる。
 
 
 
 
 

 
毎年、夏の時期になると、立命館法科大学院(ロースクール)では、、女性のための無料法律相談が開かれる。
大学院生の勉強の一環として、大学院生2人と女性弁護士とが一緒に、市民(女性に限る)の皆さんに対し法律相談を行うというもの。
弁護士が相談を聞いて学生が傍聴する日と、弁護士が横について学生が相談を聞く日とがある。
時間は1件につき1時間あるので、京都市内の区役所などで行われている通常の無料法律相談(1件20分)よりは、十分話を聞くことができる。
 
8月31日が私の担当日であった。
この日は、私が相談を聞いて学生が傍聴する日だった。
 
相談は2件。1件目は、夫と別居中の妻の婚姻費用請求の相談、もう1件は、相続の相談であった。
1件目は、家庭裁判所における調停や審判の流れあるいは調停委員の対応まで話が及び、学生にとっては、法律相談を受ける場合には、単に法律知識だけでなく実務の現状も知っていなくてはならないということが感じられたのではないだろうか。
2件目は、主に税金のことを頭に置いて相談を受けなければならなかった。税金の専門家は税理士だが、弁護士も最低知っておかなければならない税金知識もあり、相談終了後、そのことを簡単に解説した。
 
同席した学生さんたちは、次回は、自分で法律相談を担当することになる。
緊張するだろうな。
でも、実際に弁護士になって、数をこなさなければ「慣れる」ことはないだろう。
これも勉強。頑張ってください。

月別アーカイブ

弁護士紹介TOP