1. 2017年3月

2017年3月アーカイブ

面会交流事件の研修会

 
昨日3月28日、京都弁護士会で、面会交流事件の研修会が開催されました。
 

 
近時、家裁への面会交流の申立は増えており、2013(平成25)年には初めて1万件を超えました。
子どもの数の減少や父親も育児に関わることが増えていることなどから、離婚原因とも絡んで面会交流の紛争が長引くことが多いというのが実感です。
 
今回は、御池心理療法センター代表でNPO法人子どもの心理療法支援会理事長の平井正三先生に講演していただきました。
平井先生は、子どもの心理の専門家で、近畿圏内の家庭裁判所においても研修会講師をされている方です。
 

 
まず、心理療法をどのように進めていくかについて説明され、次に、これまでに実際に扱われたケースをいくつか紹介されながら、子どもが「面会」という事態に直面して、どのような心理状態になるのか等についてわかりやすく解説していただきました。
 
平井先生が強調されたのは、別居親が子どもに会いたいという気持ちはよくわかるが、しかし、何よりも、子どもの気持ちや権利を第1に考えるべきだということでした。
たとえ、子どもが監護親の気持ちを配慮して「会いたくない」と言った場合でも、それも含めて子どもの「判断」なのだから尊重しなければいけないということでした。
子どもが面会交流を楽しむようなものでないと子どもの発達に資することはない、という言葉が印象的でした。
 
今後の仕事に役立てていきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

恩師、来京

 
岐阜に住む中学時代の恩師が、3月25日に京都に来られるとの連絡をいただき、お目にかかった。
恩師ももう80歳だが、来月も大阪に旅行へ行かれるとのことで、お元気。
昨年11月の中学の同窓会で久しぶりにお目にかかり、「今度、京都に行くから」と話され、この日を楽しみにしていた。
この日の京都は、晴れてはいたが、まだ冬の寒さが残っていた。
 
ご夫婦で来京され、奥様にお目にかかるのは10数年ぶり。
 
ご夫婦共に高齢となり、恩師は「終活」に関心があるとのこと。
子どもがいないので、ご自分が先に逝った場合の残された奥様の生活が心配とおっしゃる(優しい!)。
でも、私は「先生が一人残った時の方が心配です」と申し上げると、奥様も同感。「なるようになるわよ」とさすが女性はたくましい。
話を聞くと、岐阜を中心に、色々な職業についているたくさんの教え子がいるようなので、安心した。
 
昼食を食べながら、ひとしきり「終活」などの話をした後、相国寺の承天閣美術館へ。
承天閣美術館では、現在、生誕300年記念の伊藤若冲展「後期」が開催されている。
実は、奥様は、日本画や水墨画を教えられているほどの方なので、是非、ご案内しようと思っていた。
伊藤若冲は、生誕300年ということで、テレビで何度も取り上げられ、今、ちょっとしたブームだが、承天閣美術館は、あまり混み合っておらず、ゆっくり作品を見ることができた。
何度見ても、その筆使いの技や生き物たちの生き生きとした動きの描き方は、感動的だ。
 
その後は、京都御所へ。
 
たくさん歩かせてしまって、さぞかしお疲れになっただろう。
でも、楽しいひとときだった。
 
 

 
この連休は、今冬最後のスキーをしに、岐阜県郡上市へ行って来た。
 
3月18日(土)と19日(日)は、ダイナランドと高鷲スノーパークで滑る。
このスキー場は、オリンピック選手がスノーボードの練習をしていたゲレンデとして有名で、圧倒的にボーダーが多い。
しかも、早朝午前5時からオープンするので、ホテルで朝食を食べ終えて午前9時半頃にゲレンデに出かけても、鏡のような斜面は全く期待できない。
 
3月20日(月・祝)は、朝、ウイングヒルズ白鳥スキー場へ移動。
その途中、ひるがの高原の「分水嶺」の前にある「ハム・ベーコン小舎グリュン」に立ち寄る。
 
実は、友人のMさんに岐阜にスキーに行くと話したところ、Mさんの親戚がひるがので無添加の手作りハム・ベーコンの店をしており、時々テレビでも取り上げられると教えてくれたので、今回、是非、立ち寄ってみようと思っていた。
 
「分水嶺」は、以前に大日岳に登りに来た時に見たが、今回は、すっかり雪の中に埋もれていた。
でも、グリュンはすぐに見つかった。
 

 

 
店主は、長年ハムの会社に勤められた後、退職後、ハム屋の原点に返り本物のハム作りを目指して、2011年からグリュンの店を作り、人生の再スタートをされたとのこと。
なんでも、スキーの元国体選手という経歴もお持ちとか。
 
「スキーはされてるんですか?」「今年は、半日しか滑ってないなあ」などとおしゃべりして、塩だけのロースハムとベーコンを購入する。
 
そして、ウイングヒルズ白鳥スキー場へ。
ここは、夏スキーも出来るスキー場で、大日岳への登山口の1つでもある。
 
以前、夏に大日岳に登った時に撮影した夏のスキー場。
スキー部の学生さんたちが練習していた。
 

 
冬のスキー場(普通です)
 

 
今冬は、昨年のようにケガをすることなく、無事にスキーの季節は終了した。
 

もう3月中旬なのに・・・園部は雪でした

 
昨日午前は、京都家裁園部支部で離婚の裁判。
天気予報では、日本海側は雪が降る可能性もあるとのことだったので、3月中旬であるにもかかわらず、真冬のような服装で出かけた。
 
京都市内は、小雨。
京都駅からJR山陰線に乗って園部駅まで。
亀岡辺りまでは、雪は降っていなかったが、園部に近づくにつれ、雪。
園部駅まで迎えに来てくれた依頼者の車にも雪がうっすら積もっていた。
 
ずっと雪が降りしきるというような天候ではなかったが、裁判所に着いてからも、降ったりやんだり。
 
午後、京都市内に戻ると、雨はやんでいたが、風が強く吹いて、とても寒かった。
 
この寒さも今週までかしら・・・・
 
 

青森の米「青天の霹靂」をゲットしました。

 
2015年8月11日付け当ブログで紹介した、青森県の田舎館村(いなかだてむら)の田んぼアート。
私が訪れたその年の第1田んぼアートの絵柄は「風と共に去りぬ」、そして「青天の霹靂」という文字。
 

 
最初に見た時、「青天の霹靂」って何のこっちゃ?と思ったが、それが、青森県が長年開発を続けた米の名前であることを知った。
 
東北地方は、米どころと言われるが、実は、青森県には特Aランクの銘柄の米がなかった。
そこで、青森県は10年の歳月をかけて開発し、この「青天の霹靂」がついに2014年産米の食味試験において、特Aと評価されたのである。
「青天の霹靂」という名前は、「青」は青森の青、「天」は遙かに広がる北の空、「霹靂」は稲妻。
稲に寄り添い、米を実らせ、晴れ渡った空に突如現れる稲妻のような鮮烈な存在になりたいとの思いが込められているそうだ。
 
私は、夜はほとんど米飯を食べないので、米の消費量は少ない。
いつもは、山形県産の「つや姫」を購入している。
「青天の霹靂」も食べてみたいと思っていたが、これまで京都のスーパーや米屋では見かけたことがなかった。
それが、最近、生協の共同購入のチラシで扱われていたので、買ってみることにした。
 

 
ブルーの袋も青森らしく、しかもなかなかお洒落なデザイン。
 
早く食べてみたい!
 
 
 
 
 

 
医師の早川一光(かずてる)先生は、大正13年生まれ。
長い間、京都の堀川病院で医師として活動され、その後も地域医療に携わり、「わらじ医者」と慕われている。
また、最近まで、KBS京都で毎週土曜の朝6時半からのラジオ番組「早川一光のばんざい人間」のパーソナリティーもされてきた。
歯に衣を着せない軽妙なトークは、人気だった。
 
現在は、ガン闘病中のため自宅で療養されているようだが、京都新聞朝刊に「早川一光 聞き書き こんなはずじゃなかった」という連載が掲載されている。
早川先生の話をフリーライターが「聞き取って書く」という方法で掲載されているようだが、その内容が毎回とても興味深い。
 
早川先生は、医師として、多くの人をみとり、老いや死について語ってきたはずだった。
しかし、自身が患者となり病に向き合うと一変、心が千々に乱れた。
「俺がこんな弱い人間とは思わなかった」・・・「こんなはずじゃなかった」
 
「夜が怖い」「死が怖い」
そんな本音が語られる中に、変わらない人間に対する優しさや医療への思いがあふれている。
 
2017年3月9日付け京都新聞の連載のタイトルは「熟すように老いたい」。
「さみしい。病気をしてから、僕の胸を何度もよぎる感情です。」
と書き出しは始まる。
そして、早川先生が講演でよく話されていたというネタ「知らん間に後ろから忍び寄ってきて、いきなり『おい』と肩をたたく。それが『老い』です」を「ほんまにその通りだった」と続ける。
更に、早川先生は、今までと違う角度から、老いを眺めることにした、と語る。
「しぼんでいくと思ったらあかん。枯れていくんやない。熟れていくんや。」
結びは、「できるだけ熟していきたい。常に頭を軟らかくし、たくさんの人にくらいついてもらいたい」
 
早川先生の1つ1つの言葉が深い。
私も熟女まっしぐらや!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
2016年9月20日付けの当ブログで紹介した本「下流老人」(藤田孝典著)。
その藤田さんの講演が、昨日3月1日夜、京都弁護士会主催で開催された。
 

 
開会の5分前には、会場は超満員。約200人を超える参加者と思われた。
藤田さんは、著書「下流老人」がベストセラーとなり、テレビへの出演や国会で参考人として発言するなど有名で、私も著書を読んで以来、是非、生の話を聞きたいと思い、参加した。
 

 
藤田さんは、「自分は暗い話しかしない」と言いつつ、NPO法人ほっとプラスに年間約500件も寄せられる相談など、現在、高齢者が置かれている生の現実をも交えて軽妙に語ってくれた。
 
日本の65歳以上の高齢者の5人に1人は貧困で、更に、単身高齢男性は38.3%、単身高齢女性は52.3%が貧困とのこと。
その意味では、高齢期は誰もが貧困に陥る可能性がある。
例えば、夫婦二人で年金月20万円で生活できていても、娘が離婚して孫2人連れて実家に戻ってきたら、一家5人での月20万円生活は一変に破綻してしまう。
 
しかし、日本の年金制度は、改悪される一方で、給付水準はどんどん下がっている。
 
従って、日本の高齢者は、年金だけでは生活できず、生き甲斐や楽しみのために働くのではなく、「お金」のために働かざるを得ない。
しかし、労働環境は過酷で、事故を起こしたり、労働災害にあう高齢者が増加する可能性が大きい。
藤田さんは、それを「過労老人」と呼んでいた。
 
では、下流老人問題を解決するには、どうすればよいか。
自助努力だけでは限界があり、社会を変えていかなければ本当の意味での貧困は解決しない。
あと、個人としてできることは、生活保護を受けることを自ら否定せず、また、様々な社会福祉制度を活用すること。
また、地域社会へ積極的に参加し、地域との関係性をつくることが大切。
 
今後も自分自身の問題として考えて取り組んでいきたい。
 
 

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