1. 2016年3月

2016年3月アーカイブ

 
高倉通と間之町通の間の御池通り北側歩道に、2本だけ、早咲きの桜が咲いている。
3月中旬にはもう咲いていただろうか。
枝は空に向かうようにまっすぐに上方に向かって伸び、花はとても濃いピンク。
 

 
これは、何という桜なんだろう・・・
御池通りを通るたびにそう思った。
 
安保法が施行された今日3月29日、偶然、その桜が「陽光桜」という名前で、しかも、平和の象徴であることを知った。
 
陽光桜は、愛媛県出身の故高岡正明さんという方が開発された品種。
高岡さんは、戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師をされ、日本は絶対に負けないと信じ、教え子を戦場に送り出した。
しかし、教え子が次々と戦死し、終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」との自責の念に苦しみ続けた。
そして、「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と生涯を賭けて桜の新品種開発に着手。
高岡さんは、亜熱帯から極寒のシベリアまで各地で命を落とした教え子のため、どんな気候でも咲く桜を創ろうと、私財を投げ打って、不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出したのであった。
そして、「陽光桜」が完成すると、なんと伸べ5万本にも及ぶ陽光桜を各地で無償で提供した。
世界を平和にするため、外国人にも見てもらおうと、派手な色彩とした。
この実話は、昨年、映画にもなり、各地で上映されたとのこと。
 
 

 
 
桜となった高岡さんの平和への思いは、まさに陽光のように世界を照らしている。
 
先人の思いを胸に、安保法を廃案にさせるまで頑張ろう。
 
 
 
 
 
 

 
(女性弁護士の法律コラム NO.223)
 
最近、あっちこっちで不倫が取り沙汰されている。
週刊文春に続き、本日3月24日発売の週刊新潮が、「『乙武クン』5人との不倫」と題して作家乙武洋匡氏の不倫の記事を掲載している。
 
不倫した芸能人らが、マスコミに対し、記者会見を開いて謝罪するのは、とても違和感を覚える。
貞操義務はあくまで夫婦の間の問題であり、マスコミが面白おかしく取り上げて騒いでいるだけで、世間に対し、謝罪する必要なんてない。
だから、乙武氏がホームページで早々に謝罪したことは、いくら有名人であっても変。
(ただ、記憶に新しい、宮崎元自民党国会議員の場合は、国民の代表である国会議員であり、育休宣言の裏に不倫があったり国会中にラブラブメールをしたりとか、これはダメね。謝罪は当然。彼が辞任したことによる補欠選挙に、2億円とか3億円とかかかるというから、明らかに税金の無駄遣い。)
 
ところが、それ以上に、今回の乙武氏の場合、本人の謝罪だけでなく、妻も謝罪のコメントを出している。
これは、きわめて異例。
 
「多くのみなさまにご迷惑をおかけしたことをお詫び致します」
「このような事態を招いたことについては、妻である私にも責任の一端があると感じております」
 
なんで、妻が謝るの?
妻の責任って? 夫に対する監督不行き届き?
妻は被害者じゃないの。
法律の上では、妻に責任はありませんよ。
 
乙武氏は、今夏の参議院東京選挙区に自民党の「目玉候補」として出馬予定と言われていた。
なんか、夫婦そろっての謝罪は、「自民党さん、ゴメンナサイ」と言ってるように聞こえてならない。
それとも国民向けの選挙対策?
こんなことがあっても彼は出馬するんでしょうか。
「国民の代表」としての政治家ではなく、別な道で頑張ってください。
 
 
 
 

上田正昭京大名誉教授死去

 
2016年3月14日の京都新聞朝刊で、上田正昭京大名誉教授の死去を知った。
3月13日に亡くなられ、88歳とのこと。
 
私は上田先生と個人的には面識はないが、私が京都大学1回生だった頃、1年間、上田先生の講義を受講したので、よく覚えている。
私が入学した当時、京都大学では、1-2回生は、教養部で一般教養を学んだ。
それまで受験勉強しかして来なかった女子学生にとって、大学における様々な分野の専門的な講義はとても刺激的で、必須科目の語学以外に、文化人類学、自然人類学、心理学、教育学など、合格した法学部系以外の講義もたくさん受講した。
 
その中に上田先生の講義もあった。
確か「古代史」という講義名で、内容は「卑弥呼」が中心だったと記憶している。
当時、邪馬台国が、近畿にあったのか九州にあったのかという論争もあり、上田先生の講義は私にとってはとても興味深く、真面目に(?)受講したと確信している。
 
私が大学を卒業した後も、京都新聞などに執筆されている上田先生の記事を頻繁に目にし、たった1年だけ受講した学生にすぎなかった私だが、お元気でご活躍なんだなあと嬉しく思っていた。
 
京都新聞には、上田先生の原点は、学徒動員に駆り出された「戦争」と、高校教師時代に目の当たりにした部落差別や在日韓国人・朝鮮人「差別」だったと書かれてあった。
 
もう1度、上田先生の本を読んでみたいと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 

待機児童問題

 
(女性弁護士の法律コラム NO.222)
 
「保育園落ちた 日本死ね」
子どもが保育園に入れず、国に不満をぶつけるインターネットの匿名ブログが大きな反響を呼んでいる。
 
待機児童問題が深刻であることは、私たち弁護士も身近に感じている。
夫と別居し離婚協議中の妻が、なかなか復職できないケースがある。
 
単に別居中で離婚協議しているというだけでは、なかなか保育所入所の優先順位は上がらない。
 
家裁に離婚調停が係属していることの証明書を発行してもらった。
 
それでもダメ。
 
その後、調停離婚が成立。
やっと、4月からの入園が決まり、彼女の復職も決まった。
 
共働きの普通の夫婦なら、もっと入園順位は低くなるはず。
 
大切なのは、待機児童問題は、女だけの問題じゃないってこと。
男性ももっともっと声を上げて!「保育園に落ちたのは、私だ」と。
 

84歳の依頼者宅訪問

 
現在84歳の依頼者Mさんは、夫を2014年になくし、京都市南区の自宅で一人暮らしをされている。
 
事務所で打ち合わせをする時は、バスに乗り、歩行補助車を押して来所されるが、若い頃はキャリアウーマンだったようで、物事の理解も早く、素敵な人柄だ。
かねてから1度お宅にお邪魔したいと思っていたので、先週、打ち合わせがてら自宅を訪問した。
 
Mさんは、話好きで、子どもはいないが、姪の子どもの写真や動画をスマホで嬉しそうに見せてくれた。
また、近所の美容室の方がとても親切で、何軒かのスーパーの安売り広告品を買って届けてくれたりもするとのこと。
向かいのオウチの方は、「たくさん作ったから」と意って、いつもオカズを作って持って来てくれるそう。
 
Mさんは一人暮らしでも、昔ながらの地域の住民によるコミュニティがあるんだと知って安心した。
さすが、南区やなあ。
マンションが多い地域では、こんなことなかなかできないよなあ。
でも、きっと、Mさんの人柄の賜物でもあるんだろうと思った。
 
 

 
(女性弁護士の法律コラム NO.221)
 
福島原発事故が発生して5年目となる2016年3月11日の直前の3月9日、大津地裁は、再稼働中の福井県高浜原発3・4号機の運転差し止めを命じる仮処分決定を下した。
 
翌日以降、新聞各紙が決定内容を詳細に報じているので、決定内容の紹介はしないが、とりわけ決定の中で「発電の効率性でもって、甚大な災禍と引き換えにすべきとは言い難い」と論じられているところが、すべての出発だと私は思う。
 
福島では、未だにふるさとに帰れず、否、ふるさとを失った被災者が多数存在する。
電気料金や地元経済という経済効率などと比べものにならないほどの多くのものを福島では失ってしまったのである。
 
「福島原発事故の原因究明は・・・津波を主な原因として特定できたのかも不明だ」
「災害が起こるたびに『想定を超える』災害だったと繰り返されてきた過ち」
「事故発生時の責任を誰が負うか明瞭にし・・・避難計画を含んだ安全確保対策にも意を払う必要がある」
 
この裁判の弁護団長である元裁判官井戸謙一弁護士は、「裁判所は被災者に希望を持って震災5年を迎えてほしいと信じたい」と語る(2016年3月12日付け京都新聞朝刊)。
 
この決定を書いた山本善彦裁判長は、直接、会ったことはないが、私の大学の後輩だと思う。
井戸弁護士は「裁判官の世界で無難に生きようとすれば却下しただろう。それがこれまでの体制だった。山本裁判長は正しいと思う決定を出し、批判も含め反響も折り込み済みだろう。」と続ける。
 
福島原発事故を経ても、なおも、「原発を再稼働する方針に変わりはない」と発言する政府。
原発事故後も再稼働を容認する裁判官もいる中で、勇気ある決定に大きな敬意を表したい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

春を告げる生ワカメ~3.11を忘れない~

 
あの東北大震災から今日で丸5年が経過しようとしている。
テレビや新聞などで特集が組まれているが、5年経った今も多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされているなど、その「復興」の現状にとても厳しいものを感じる。
 
このブログで何度か書いたことがある、宮城県気仙沼市のYさん。
東北震災支援プロジェクトを通じて知り合い、今でも交流が続いている。
 
そのYさんから、今週、突然、ワカメとメカブが届いた。
「春を告げる生ワカメ」
そっか、ワカメって春が旬なんだ。
年中スーパーに置いてあるから知らなかった・・・
 
早速、食べている。
 
納豆とメカブのネバネバ料理。これにとろろ芋も加える。
 

 
きゅうりとワカメと「ほぼカニ」の酢の物
 

 
 
Yさんは、昨年、震災時の住所から移転され、仮設住宅におられた両親と同居された。
Yさんの現住所をグーグルマップで調べても、地名はあるが、番地の記載はなく、新しく開発された地域なのだろうか。
 
私なんか自分ができる、ほんの小さなことしかしていないのに、まだまだ大変な生活の中でのYさんの心使いがとても嬉しい。
震災当時、小学生だった娘さんも、この4月から高校生になる。
 
東北の復興は、東京オリンピックに人手を取られ、ますます遅れるとの報道もある。
はがゆさと怒りすら感じる5年目の3月11日である。
 
 

「おひとりさまの最期」 上野千鶴子著

 
既婚であっても配偶者に先立たれることがあり、子どもがいても同居どころか近くに居住していないこともあり、現代の日本社会は、いやおうもなく、おひとりさま人口が増えるしくみとなっている。
み~んなおひとりさま時代が到来しているのである。
 
この「おひとりさまの最期」という本は、社会学者である上野千鶴子さんが出版した「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」に続くおひとりさまシリーズの第3弾。
 
私が2012年に知り合った柴田由美子さんという女性は、末期ガンのため、2013年1月に亡くなられたが、生前、柴田さんから、上野千鶴子さんとは友人だと聞いていたので、もしかしたら、友人らによるチームケアの中で亡くなった柴田さんのことも、この本の中に書かれてあるかもしれないという思いもあった(注、書かれてありました)。
 
また、以前このブログでも書いたことがあるが、一昨年、私の友人Mさんがやはりガンで亡くなったが、その時、短期間ではあったが、一人暮らしのMさんのため、私も含めた友人らが交替でMさんの日常のお世話をしたという経験を持った。
ただ、もっと私たちにできることはなかっただろうか、地域や行政などの手続きで利用できることはなかったのだろうか、という思いがずっと残っている。
 
この本には、上野さんが在宅ケアに従事されている医師などに同行し、そのシステムや当事者の思いなどが紹介されている。
また、友人などの「チーム」によるケアの実践例も。
つまり、上野さんの「在宅ひとり死」の研究レポートとなっている。
 
印象に残ったのは、次の文章。
「患者」という呼び方そのものが、医療者目線です。
ひとは患者である前に、まずひとりの生活者です。
家では誰もが生活者に戻ります。
・・・在宅では、医療職の想定を超えた「奇跡」がいくつも起きているようです。
 
だが、在宅介護そして在宅死には、いくつかの条件がととのわないと実現しない。
条件の最大公約数は、
①本人の強い意思
②介護力のある同居家族の存在
③利用可能な地域医療・看護・介護資源
④あとちょっとのおカネ
なかなか難しいが、上記の条件から、家族を引き算することはできるかもしれないし、それを実践している地域や人々が存在することもまだ現実だ。
 
自分で自分の死に方をコントロールするのは、とても難しいが、高齢化社会に徐々に足を踏み入れつつある自分自身の問題として、これからも考え続けていこうと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
(女性弁護士の法律コラム NO.220)
 
2016年3月5日、日本弁護士連合会主催で、シンポジュウム「公平な離婚給付を考える」が開催され、参加しました。
場所は、東京の日弁連会館。
とは言っても、東京まで出かけたわけではありません。
最近は、便利なもので、インターネットを通じたテレビ中継により、京都にいながら、東京のシンポジュウムを視聴することができます。
私は、京都弁護士会会館で、シンポジュウムのテレビ中継を観ました。
 
今回のシンポジュウムは、現在の実務における離婚に伴う財産分与が、本当に夫と妻との間の「公平を確保する」という要請に応えられているであろうか、という問題提起でした。
 
確かに、現在の実務での財産分与は、たとえ妻が専業主婦であっても、名義のいかんを問わず、婚姻中に形成され残っている財産について、原則2分の1での分配が認めらています。
 
しかし、例えば、夫の転勤などの理由により、やむなく妻が仕事を辞めたような場合、夫のキャリアは離婚後も継続しますが、妻の方の再就職はママなりません。
また、例えば、夫が自分の収入を自由に浪費し、他方妻が懸命にやりくりして貯蓄を作った場合、それも半分は夫に分与しなければならないのか、など、現実に離婚事件に関わっていると、単純に2分の1にするのでは納得できないケースも少なくありません。
 
今回のシンポジュウムでは、犬伏由子慶応義塾大学法学部教授による諸外国の財産分与制度に関する講演も交えながら「現実の財産分与は公平か」という問題提起がなされ、わが国の判例や学説の紹介などもありました。
 
実務の壁を破ることはなかなか簡単ではありせんが、今後、離婚事件において「公平な財産分与」という視点をもっと追及していこうと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
2016年3月5日付け京都新聞で、一条戻り橋のたもとの河津桜が満開という記事を読んだので、今週の日曜、早速、行ってみた。
 
河津桜は、伊豆の河津町に咲く超早咲きの桜として有名だが、それを京都市内で見ることができるとは知らなかった。
 
一条戻り橋というのは、堀川一条にかかっている橋で、現在の橋は、1995年に架け替えられたそうで、普通のコンクリートの橋である。
 

 
名前の由来は、918年に漢学者の三善清行が死に、紀州熊野で修行していた息子が父の死に間に合わず、一条戻り橋で葬列に出会った。
息子が祈ると、父親は一時よみがえり、父子の対面を果たしたという。
なんか、京都によくありそうな逸話やね。
 
ここの河津桜は、1本だけ。もう満開だ。
この日、京都市内の気温は、20度にものぼる暖かさで、何人もの人が写真を撮ったりしていた。
 

 
河津桜は、花がやや大きく、色も濃いピンクなのが特徴だ。
 

 
1度、河津町に行って、たくさんの河津桜を見たいものだ。
 
京都は、また今週末から寒くなる予報。
でも、春は、確実にもうそこまで近づいている。

膝の打撲

 
今週の日曜日(2月28日)の昼頃、不慮の事故により転倒し、左足の膝を強く打った。
瞬間、膝をひねったという感じもあった。
直後すぐには起きあがれなかったが、しばらくして、なんとか立ち上がることができた。
歩いて左足に重心を置くと左膝がガクンとひねってしまいそうで、おそるおそるしか歩けなかったが、足や膝そのものの痛みは感じなかった。
運良く骨折はしておらず膝の捻挫だろうと考えたが、腱が切れていないかが最も心配だった。
 
すぐにインターネットで調べると、応急処置として、次のようなRICE(ライス)の法則というものがあることがわかった。
「R」=REST(安静)
「I」=ICE(冷やす)
「C」=COMPRESSION(圧迫)
「E」=ELEVATION(患部を上げる)
それで、すぐに湿布をして横になった。
 
ジッとしていれば痛みは感じなかったが、夜中になると、支えがないと立ち上がれないようになり、壁などに寄りかかりながらトイレに行くという状態になった。
 
翌朝(月曜日)、左膝付近が腫れ、膝下の外側付近の皮膚の色が赤くなっていた。
あいかわらず、何かによりかからないと、歩くことができない。
気分的にも疲れ、仕事を休み、ずっと横になっていた。
足とは関係ないはずなのに、食欲もない。
明日は家裁での裁判の予定が入っている。
実家から持って来ていた亡母の杖があるので、それを使うしかないかなあなどと考えりたりした。
 
火曜、京都はうっすら雪化粧の朝となった。
左足は引きずるものの、ゆっくりとおそるおそる杖なしで歩くことができた。
身体というものは、良くできているもんだと感心した。
 
水曜・木曜になると、左足を引きずる程度も軽くなった。
そうなると、週末にはジムに行って、筋トレをしたくなった。
整形外科医をされている依頼者の方に事情を話し、「もうそろそろ運動しても良いでしょうか?」と尋ねたところ、「2週間は安静にしていた方が治りが早いから我慢してください」といさめられた。
ハイ・・・
 
足の重要さを痛感した1週間だった。
もう少し日にちが経過したら、頑張ってトレーニングしようと決意している。
 
 
 
 
 

佐川綾野さんの切り絵展

 
昨年3月に、朝日放送の「LIFE~夢のカタチ~」で放映された、京都在住の切り絵作家、佐川綾野さん。
それ以降、京都・大阪はもとより、東京や愛知でも、切り絵教室を開催され、大人気。
 
佐川さんのことは、このブログでも何回か書いたが、私自身、昨年3回、佐川さんの切り絵教室に通わせてもらった。
 
その佐川さんの切り絵展が、現在、京都文化博物館の1階にある「楽紙館」という紙屋さんの店舗の中で開催されており、先週、行って来た。
 
私が訪れた日、佐川さん本人はおられなかったが、店舗内のコーナーに、佐川さんの作品が何点も飾られ、絵葉書やアクセサリーも販売されていた。
あいにく撮影が禁止されていたので、その様子を写真で紹介することができないのが残念。
いつか、もう少し規模の大きな個展を開いてほしいなあと思った。
 
切り絵展は、3月6日まで。
お近くの方は、是非、足を運んでみてください。
 
 
 
 
 
 

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