1. 2012年8月

2012年8月アーカイブ

メンタルヘルス電話相談(大阪弁護士会)

 
(女性弁護士の法律コラム NO.121)
 
「大阪弁護士会がメンタルヘルス電話相談をスタート」という記事を目にした(2012年8月16日産経新聞)時、てっきり大阪弁護士会の弁護士が市民対象にメンタルヘルスの相談を始めたのかと思った。
弁護士も増え、カウンセラーなどの資格を持っている弁護士もいるからできるのだろうなどとも思った。
 
でも、違った。
 
対象は、市民ではなく弁護士。そして家族、事務所の職員。
相談を受けるのは臨床心理士。初回15分まで無料で電話相談に応じ、その後の面談予約も可能というもの。
 
社会を反映してか、弁護士もメンタルが原因で長期間休んだり、弁護士業そのものを辞めてしまう人も決して少なくない。
「えっ、あの弁護士が!?」と思うことがあるので、悩みやストレスを抱えていても、日頃は顔には出さない弁護士が多いのだろう。
 
私自身は、結構、ちょっとしたことでストレスを感じてしまう性格だと思う(友人らは、それを認めてくれないが・・・涙)。
でも、弁護士になって以来、複数の同僚がいる事務所で働いてきたので、仕事上で気にかかることや悩み・不安、愚痴に至るまで、口に出せば、誰かが適切な回答をしてくれた。
プライベートでの悩みなどは、趣味を通じて親しくなった友人らが支えてくれた。
 
私の経験からすると、ストレスや悩みがあれば、自分一人で抱え込まないで、人に話すことが大切な気がする。
その意味で、大阪弁護士会のメンタルヘルス相談が一助になればいいなあ。

やっぱり「脅し」だった!電力不足なし

 
6月に関電から送られてきた「万が一の場合の計画停電」のお知らせ。
 
もし停電になったら、法律相談や打合せは、どうしよう。電話も使えないし。
裁判所はどうするんやろ?などと、色々考えた。
(でも、なぜか、この通知は、事務所には届いたが、行政区の異なる自宅には配達されなかった。)
そんな中で、野田内閣は、福井県・大飯原発再稼働にゴーサイン。
クーラーはつけても設定温度は28度、コンセントはこまめに抜く、など例年以上に節電に心がけた。
 
ところがである。
この夏の猛暑の中、企業や家庭の節電などによって、電力需要のピーク(2682万キロワット)は関電予測の90%以下。
他方、原発以外による電力供給は関電の予測より大きく、最大2946万キロワットに。
 
大飯原発を再稼働しなくても、電気は足りたのである。
全国的にみても、この夏、大飯原発以外は1基も原発は動いていないが、原発なしで電力需要ピーク時でも足りていたのである。
 
電力が足りない、というのが「脅し」であったことがはっきりした。
 
そんな中、財界が次に持ち出しているのが「原発がないと国際競争力が低下する」。
しかし、例えば、省エネや自然エネルギーを進めているドイツなどでは新たな雇用が生まれている。
原発に頼る経済はもはや時代遅れである。
 
私たちが求めているのは、原発ゼロにすることの確認とそれに向けた道筋であり、そのためにはどんな協力でも惜しまない。
 
 
 

 
(女性弁護士の法律コラム NO120)
 
大阪の橋下市長の従軍慰安婦強制連行「証拠なし」発言(8月21日)について。
 
私は、大学生の時、当時、従軍慰安婦だった女性たちの生々しく、しかも吐き気をもよおすような体験談を本で読んで、大きな衝撃を受けた。
日本が加害者であるにもかかわらず、「(もし証拠があるなら)韓国の皆さんにも出してもらいたい」というのはなんと傲慢な発言だろう。
元「慰安婦」らの証言こそ、確かな「証拠」にほかならない。
 
戦時中、慰安所が存在していた国や地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシアなど広範な地域に及んでいた。
そして、今日までに、被害者「慰安婦」による裁判が何件も提起され、多くの裁判所の判決の中で「日本軍・政府の関与」「強制」の事実が認定されてきている。
 
(2003年7月22日東京高裁判決)
「業者らは、甘言を弄し、あるいは詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例も見られた」
 
(1998年4月27日山口地裁下関支部判決)
「従軍慰安婦制度は、慰安婦原告らがそうであったように、植民地、占領地の未成年女子を対象とし、甘言、弾圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し・・・性交を強要した」
 
また、橋下市長は、「当時の時代背景において、慰安婦制度がどういうものだったのかを真正面から議論しなきゃいけない」などと述べるが、上記下関支部判決は「いわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」「これが20世紀半ばの文明水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白」とも判示している。
 
更に、上記山口地裁下関支部判決は、日本が慰安婦原告らの被った損害を回復するための特別の賠償立法をなすべき義務を怠ったことに過失があるとして、損害賠償義務も認めた。
 
しかも、日本政府も、1993年8月4日付け内閣官房長官談話(「河野談話」)において「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかにあった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と述べている。
 
橋下市長の発言は、本当に許せない。
 
 
 
 
 
 

船窪小屋のオトキさん

 
私が船窪小屋に泊まった8月17日には、小屋には、松澤さん夫婦以外に、3人の従業員が働いていた。
 
1人目は、ネパール人のペンパさん。
3ヶ月のビザで日本に滞在し、小屋を手伝っている。
 
2人目は、到着した時、鐘を鳴らしてくれた青年。
ペンパさんが不在の時、皆は、彼がネパール人だと思っていた。夕食後、自分でも「僕は、ニセ・ネパール人です」と言って笑わせていた。
彼は、山梨に住む山好きの青年で、1週間だけ手伝いに来ていると言っていた。
 
3人目が、オトキさん。
山小屋の従業員で、こんなに綺麗な女性に会ったのは初めて。
女優に例えるなら、鈴木京香??
笑顔で夕食のおかずを1つ1つ丁寧に説明してくれるので、恐縮してしまった。
彼女は、昨年から船窪小屋で働いているとのこと。
それまでは、仕事をしながら、タイやネパールを旅行したりしていたが、昨年の震災を機に
思い切って仕事を辞め、(山は初心者なのに)山小屋で働こうと思い、偶然、船窪小屋と出会ったと語っていた。
電気も水もない船窪小屋の生活は自分にピッタリと言う。
 
若いからできるだろうか、羨ましいなあ。
私も山小屋のオバサンになりたいなあ・・・・
 
 
 
 
 
 

船窪小屋のおかあさんに会いに

 
8月17日から19日まで、北アルプスの七倉ダム登山口から入山し、針ノ木岳(2821M)まで縦走した。
 
もちろん山を歩くことが目的ではあったが、今回は、もう1つ、船窪小屋のおかあさん松澤寿子さんに会いに行くこともあった。
 
山仲間のA・F両弁護士が2009年に船窪小屋に泊まり、「この小屋はいい!」と薦められていたこと、そして昨年のテレビ番組「天空の小屋へ」で船窪小屋が放映されたこともあり、是非、船窪小屋へ泊まり、そこのおかあさんとおとうさんに会いたかった。
 
船窪小屋は、電気も水もなく、「ランプの小屋」と呼ばれ、70代の松澤さん夫婦が営んでいる。
 
船窪小屋は、七倉岳(2509M)の山頂付近にあるが、どこから入山してもたどり着くためのルートは遠くしかも厳しい。
テレビ番組では、小野寺昭と伊吹吾郎が七倉ダムの登山口から登っており、私たちもそこから入山した。標高差約1400Mの登りである。
俳優2人が登ったのだから「軽い」と思っていたのが大間違い。
急登・直登の連続で、今までの登りの中でも一番きついと感じられた。
 
やっと船窪小屋に到着すると、従業員の青年が鐘を鳴らしてお出迎え。そして、すぐに暖かいお茶を出してくれた。ホッ!
先に着いた登山者らが、囲炉裏を囲んで談笑している。
夕食は、山小屋の料理と思えないほど豪華。あざみの天ぷら、かき揚げ、生春巻き、サラダ、冷や奴と蕗味噌、みそ汁、古代米のご飯など。もちろん完食。
夕食後は、囲炉裏を囲んで、松澤さん夫婦も交じり宿泊者の自己紹介。
ほとんどの人が、おかあさん目当てで来ている。
ネパール人従業員のペンパさんがネパールティーをふるまってくれた。
船窪小屋は、来年60周年を迎え、おかあさんは喜寿になるとのこと。
 
翌朝、出発の時、おかあさんが鐘を鳴らして見送ってくれた。
あったかい小屋。リピーターが多いはず。
 
また、行きますからね。喜寿になっても元気で続けてくださいね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
昨年11月に生まれて初めて行った料理教室、「玄米キッチンsimple-lifeお料理教室」(2011年11月25日付けブログを参照してください)。
少人数で家庭的、しかも場所も近いところが気に入って是非また参加したいと思ったが、それ以後、事務所開設の準備やら開設後のバタバタやらで、なかなか行くことができなかった。
 
ようやく8月に2回目の参加が実現できた。
 
8月のメニューは、
・玄米のジェノベーゼサラダ
・トマトの冷製パスタ
・カボチャと豆腐のキッシュ
 
今回は、8名の参加者。先生の教えの下、皆で少しずつ交代で調理していく。
ジェノベーゼソースは、いつも市販のものばかり使っていたが、こうやって作るのか・・・
冷製パスタのトマトソースは甘くてスープみたい・・・
キッシュにも初挑戦。
 
地球にも人にも優しいオーガニックライフは、見たり聞いたりはするものの、実際に、先生の言葉で語られると、少しは実践してみようかなあと思うから不思議。
 
「実は、先日、京都新聞の取材があって、8月15日の朝刊に載るんですよ」と先生。
本日の京都新聞の朝刊の「オーガニックライフの魅力」という特集の中で教室の様子も紹介されていた。
 
オーガニックライフ、素敵です。

試行的面会交流

 
(女性弁護士の法律コラム NO119)
 
8月8日、京都家裁での「試行的面会交流」に立ち会いました。
 
「試行的面会交流」というのは、別居中の非監護親から監護親に対し、子どもと面会交流したいという調停や審判が申し立てられた場合、その手続きの中で、非監護親と子どもとの面会の様子・状態などを知るために、非監護親と子どもとが「試しに」面会することです。
 
試行的面会交流の方法は、外で行う方法と家裁の中で行う方法があり、いずれも家裁の調査官が立ち会います。
京都家裁には、プレイルームという6畳くらいの広さの部屋があり、そこには、おもちゃやぬいぐるみ、ゲームなどがたくさん置いてあって、子どもが遊べるようにもなっています。
そのプレイルームは、警察の取調の「面通し」の時の部屋のように、隣の部屋からガラス越しに見ることができます(プレイルームの方からは隣は見えません)。
 
私は、監護親(母親)の代理人ですので、彼女と一緒に隣の部屋に入り、非監護親(父親)と子どもとが話しながら遊んでいる様子を見ていました。
 
彼女がどのような感想を持ったか、子どもさんがどう感じたか、まだ聞いていませんが、彼女はおそらく色々な心配や不安も含め複雑な思いだったと思います。
 
また、別件でも、試行的面会交流が予定されています。
これは、子どもさんが大きいので、非監護親と子どもとが寺で会うことになっています。
 
 

「50℃洗い」に挑戦中

 
以前、NHK「ためしてガッテン」を観て、蒸し野菜は、低温(50~60℃)で作る方が野菜がシャキシャキして美味しいことを知った。
でも、なかなか低温を保つことは難しく、低温調理には興味はあったが、実行できなかった。
 
最近、書店で「50℃洗い」の本が何冊か置いてあったので、「50℃洗いのすべてがわかる本」(マキノ出版)を1冊買ってみた。
野菜から果物、肉・魚までそのほとんどを50℃のお湯で洗う。驚き!
 
本によると、50℃洗いの利点は、
①鮮度がよくなり、保存性が高まる
②アクや臭みが消え、旨味が増す
③甘味が増す
④表面についた汚れなどが落ち、色つやがよくなる
⑤肉や魚は、雑味の元である酸化物が落ちる
ちなみに、42~43℃に下がると、逆に雑菌が繁殖してしまうとのこと。
 
本には、食材別にどのように何分洗ったら良いのか書かれてあるので、とても便利。
本の付録として50℃がわかる特性温度計も付いていたが、わが家の給湯器は「50℃」という温度設定もできるので、実行しやすい条件が整っている。
 
早速、ためしてみた。
50℃のお湯であれば、素手で洗うことができる。
一番効果がわかるのは、生野菜。
本当にシャキシャキよみがえる。
 
私は始めたばかりで、未だ挑戦中だが、皆さんも是非1度試してみてください。

ねぶた祭り

 
今年も、青森では、8月2日から「ねぶた祭り」が始まった(8月7日まで)。
私は、青森県とは縁もゆかりもないが、「ねぶた祭り」と聞くと、なんとなく心がはやる。
 
実は、10数年前に青森出身の友人に連れて行ってもらい、初めて「ねぶた祭り」を見た時から、その迫力と面白さに圧倒され、これまでに合計3回も見に行っている。
「ねぶた祭り」は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐で勝って凱旋して来た時の勝利の祭りらしい。
 
初めて行った時は、青森市内の友人の親戚の家に泊めてもらい、「ハネト」の衣装を着せてもらって、「ねぶた」と一緒の列の中で、「らっせら~、らっせら~」と歌いながらハネた。
「ねぶた」の大きさと迫力に目を見張り、また参加型の祭りってオモロイなあと実感した。
 
同じ時期(8月1~7日)、弘前でも「ねぷた祭り」が開催されている。
なぜ、青森は「ぶ」と発音し、弘前は「ぷ」と発音するかはわからない。
「弘前ねぷた」は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐にでかける時の祭りということで、勝利して凱旋した時の「青森ねぶた」と比べると、やや静かであるが、その情緒がとても好きで、もし「ねぶた」に行かれることがあれば、是非、「弘前ねぷた」も見てほしい。
 
青森には、もう1つ。五所川原市に「立ちねぶた」という祭りがある。
まだ見たことがないので、これも、是非見てみたいものだ。
 
 

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