1. ブログ 歩け。あるけ。

ブログ 歩け。あるけ。

台風

天気悪い。 日弁(東京)での会議に傘を持って、うっとうしいなぁ、と思いながら出かけた。

そういえば台風が近づいてきているんだ、というくらいのいい加減な認識。
で、新幹線に乗ってから天気予報を見たら、近畿直撃予想ではないですか。 しかも、帰りにはばっちり出会ってしまうような時間帯での進路予想。
困った、これは帰れないかもしれない、と思ったけど、やむを得ない。 とりあえず、弁護士会館に行く。
夕方になり、結構東京でも天気が悪くなってきた。早めに帰った方が良さそうだ。
で、ネット情報を見ると、「米原-岐阜羽島間運転見合わせ」とある。 やば・・・・・・  
こっちで早めに宿を確保した方がいいのか、少し悩んだが(関西方面から来ている人はとりあえず帰ると東京駅へ向かった)、「運転再開」情報によりやっぱり帰ろうと、東京駅へ。
新幹線の中でも、静岡辺りで運転見合わせなどの情報が流れる。
結局名古屋で40分くらい待って、9時半頃に京都駅まで辿り着いた。待ってる頃、丁度台風の中心近くにいたようだった。
京都では雨も上がっており、最寄り駅からは傘無しで歩いて帰れた。 やれやれ。

やっと

京都の真ん中にある「御所」、結構たくさんの緑がある。 大木もある。 

オオタカの飛来もみられる(10数年間で切り株に止まっている姿を1回だけ見た)。
神社も結構ある。
そんな一角に、アオバズクの営巣する木がある。 これまで何度か探したが、1度も見つけられなかった。 それが、ようやく枝に止まる姿を目撃することがで来た。
朝、通勤途中、御所の中を突っ切るが、そのとき、ちょっとだけ回り道をしてその木を見上げると、緑の葉に隠れるように、枝に留まっていた。  スコープとかがないとはっきりとは見えないが、白と茶色のまだらのぬいぐるみみたいな姿が留まっている。 
やっと見られた・・・   翌日もう1回行くと、前日見たのとは少しだけ違うところにやっぱり留まっていた。 昼間寝ているから、目を開けているところはなかなかお目にかかれない。 スコープが欲しいんだけど、高くて手が出せない・・・

上弦の月

「上弦の月」 「下弦の月」  言葉としては、聞いたことがあるが、いったいどのような月のことをいうのか分かってなかった。

ちょっと調べてみると(不正確かもしれないが)、月が沈む頃(だいたい西の空に見える時)に上がまっすぐの線に見える状態の半月を上弦の月、 反対に、沈む頃に下が直線に見える半月を下弦の月という。 
円を半分に割ったとすると、弓のように見える。 その弦(直線部分)がある状態だから、三日月とかちょっとかけているときなどは「弦」がない、なので、そもそも半月を指す言葉だったんだ。 しらんかった・・・
昔ほど星も見えないし(視力の問題もあるが、主には光害、都市部は夜でも明るいから)、ゆっくりと空を見上げることもなくなった・・・  たまに山登りにいって、夜外に出ると、満天の星空(天の川を実感できる)に感動する。 こぐま座なんかは京都では見えた記憶がない。

はき違え

どこぞの市長が、「自由のはき違えだ。」などと捲し立てている映像が画面に繰り返し出てくる。

そのたびに、気分が悪くなる。
履き違えてるのはいったいどっちなんだ。  司法試験には、憲法という科目があったはずだから、その市長もその試験には通ってきたはずだ。 でも、試験用の「憲法」はできても、現実政治の中で生きる憲法を全く理解していなかったのだろう。  お笑い番組のネタとしてなら、眉をしかめながらも、「また馬鹿なことをいっとる」程度で済むが、市長職にあるものの市長としての発言としては、あまりに低俗だ。 それを無批判に垂れ流すマスコミも大問題だ。  本来きちんと批判すべき「機関」がその役割を果たさないから、増長するんだ。  もしかしたら分かっていってるのかもしれないけど、そうだとすると本当に悪質だ。  
せっかく食べてたお昼ご飯がまずくなってしまった・・・・・

なんとまぁ

昨日、学習会で、この前再審開始決定がでた福井女子中学生殺人事件の報告をしてもらった。

聞けば聞くほど、何でこれで有罪にするの?  と ?????マークが飛び交う。
完全な覚せい剤犯罪者の作り話。  関係者の話は、何度も内容が変わっていて、しかも、変わっていく時期が妙に重なっている。  捜査官が誘導しなければあり得ない話。  それでも、絶対にあり得ないというところが出てきて、「全員一致」にならないものだから、また変更されていく。
第1審が「無罪」としたのは、当然のことだった。  こんな証拠で「有罪」となるんだったら、誰でも犯罪者に仕立て上げられる。 この事件では、犯人とされてしまった人の「自白」はとられていない。頑張ったんだ。 それでも、こんなことになるのか。  被告人を見たら「有罪」と思い込む感覚が根強く築き上げられているんだろう。
高裁裁判官の、毒され方の凄まじさを思い知らされる。 
こんなので有罪だと主張し続けている検察官も検察官だ。  再審開始決定はでたが、検察の異議によりまだ再審は開始されていない。 1日も早く名誉回復ができることが望まれる(満期出所で既に受刑期間は終わっている)。

それでもぼくは・・・

27日の日曜日、立命館大学朱雀キャンパスにおいて、周防監督と桜井さんを招いて、裁判員裁判を考える京都の会のシンポジウムが開かれた。

周防監督は、シャルウイダンスやしこ踏んじゃった等を作成した映画監督。 「それでもボクはやってない」だけは映画館まで見に行った。 
取材が緻密で、抑え気味に表現されているところなど、見ていて身につまされる思いがしたことを思いだした。 本来あるべき裁判官像が前半に出てきて、途中から雰囲気が変わり、現実にいるような裁判官が最後を締め、客観的証拠を軽視した「有罪」判決を下す。 この10数年間に見てきたような場面が流れていく。 溜息が出てしまう・・・
桜井さんは、布川事件で、無期懲役とされながら、 半世紀近くかかって無罪を勝ち取った元受刑者である。 無実の罪を着せられ、29年間の獄中生活を強いられ、無罪が確定するまでは、いつ刑務所に戻されるか分からない「仮釈」の地位を押しつけられてきた。 
えん罪は誰にでも起こりうる。 誰もが巧妙に自白に追い詰められてしまう。 一旦自白がなされると、裁判官は客観証拠よりも「自白」を重視して、「無罪推定原則」を思い込みだけでかなぐり捨てる。
それを正すには、布川事件でさえ40年以上もの歳月を要した。 こんな過ちを犯しているのに、検察も裁判所も、謝罪もしない。 
刑事裁判に市民が関与することにより、この「有罪推定」ともいえる刑事司法を改善できるのか、3年後見直しにとどまらず、今後の改善に粘り強く取り組んでいく必要がある。 
裁判員裁判が始まり3年、いろんな欠陥もあるある意味危うさの残る制度ではあるが、これまでの職業裁判官のみによる刑事裁判よりは少しはよくなる兆しが見られるようには思う。 異論はあるとは思うけど・・・

きけん

「きけん」 といって思いつくのは、危険、棄権、気圏くらいか。  慇懃無礼にうってつけの「貴見」などもありますが、普通は、最初の2つくらいしか思いつかない。

あぶない のか やめとくのか 
いよいよ気温も上がってきた。まだまだ、朝晩は肌寒くて、半袖シャツ等で外に出るのはためらわれるが、そのまま昼を迎えると、暑くなってくる。
わんこのお散歩コースの遊歩道のようなところに、あの黄色い危険な生き物が現れるようになった。
からは小さいけど、話したら分かってくれそうな雰囲気も全くなく、 勝手に縄張りを主張する。 
1匹だけならまだいいが、 機嫌でも損ねて、 大群で来た日には逃げるしかない。 逃げても、やつの方が早いので、そう簡単に逃げ切れるものではない。 怒らせないように、そうろっと 過ぎ去るしかない。
いつもボール投げをして遊んでいるところで、ぶーーーーんとやってきたら、 いなくなるまでしばらくは休憩となる。 数が増えてきたら、早々に退散しなければならない。
まかり間違って、巣でも突いてしまおうものなら、数カ所刺されようがひたすら逃げるのみ。
スズメバチの習性って、よく分かってないんですよね。 あぶない、あぶない。 近寄るのは やめておこう (これは「棄権」じゃないなぁ)。

危険

GWをはじめ、北アルプスを中心に遭難事故が続いている。

毎年のこととはいえ、気持ちのいいものではない。 今朝(5月16日)も遭難のニュースが流れていた。
最近、山登りブームともいわれ、いろんな年代の人がいろんな山に登っている。当然、自然が相手だから事故も起きる。 そこで必ず出てくるのが、「山は危険だ」という論調がある。 それはたしかに、町中の整備された歩道を歩いているのと比べると、危険であることは間違いない。 
それは当たり前だ。 しかし、例えば、車は快適な乗り物だけれど、操作を誤れば、とたんに殺人兵器にもなってしまう。 そういう意味では危険なのだ。 だからこそ、免許が必要で、無免許での事故は、言い訳のしようが無い。 走らせるだけなら、今の車なら遊園地のゴーカートと同じく、アクセルさえ踏めば前にも後ろにも進むのだから。
車に乗るには、知識と技量が必要である。 それを満たせば、誰でも乗れる。
山登りもそれと似たようなものだ。 安全に登るには、知識と技能とそれに見合った体力がいる。 また、自分の体力を的確に判断できることも重要となる。
これを守っていれば、多くの山岳遭難は予防できる(はず)。 
怖いのは、同じ場所でも、町中と異なり、お天気次第で、楽勝コースからエキスパート向きのコースと勝手に変わってしまうことだ。 
そういう自分も、かつての体力、技量は相当程度失っているが、どの程度残っているのかを的確にはつかめていない。 もうロッククライミングもできないし、いつまでも2月に富士山に登った頃の体力なんて残っていない。 こんな程度、と慢心したときに、事故に遭うことになるのだろうか。 

水郷めぐり

近江八幡の水郷めぐりを体験する機会があった。

5月だというのに結構寒い。 舟の上はもっと寒いということで、乗る前にみんなでどてら(ちゃんちゃんこ)を借りた。 それでも、寒かった。
水郷の周りは葦が茂っており、架かっている橋も趣のある時代物(のように見える)。 そのためか、いろんな時代劇等の撮影に使われる場所なのだそうだ。 いかにも必殺仕事人なんかでは使われそうな感じがする。 実際、資料館には、水戸黄門をはじめ、いろんなドラマの撮影現場の写真が飾られていた。
その後、有名な建築家の建物を見学したり、懐かしのぱっかん(といってもわからないと思いますが・・・)を試食したり・・・  観光客もたくさん来られていて、とある神社の駐車場には他府県ナンバー(滋賀では滋賀ナンバーしかなかったはず)がずらりと並んでいた。
有名なお菓子屋さんの有名なお菓子を列が短くなってから並んで買って、お土産にした。 

GW中に変わったこと

GWの掛かりに「ぎっくり腰」一歩手前のような状態になってしまった。 それが4月28日のこと。 その後、歩くことは歩けるけど、しばらくは、コルセットのようなものを着用しつつ、立ち上がるのにも難儀した。 それが、5月6日になると、座っている状態から立ち上がるのに一呼吸おいた「決意」が要らなくなった。 小走り程度はできる状態になってきた。 いやーありがたい。

それが1つ。
もう一つ。 5月3日、帰宅する際、少しマスクを外してみた。 ものの5分でくしゃみの連発。 やっぱりまだ花粉が飛んでいた(と思う)。 ところが、5月5日、杉やひのきも混じる山道を歩く時マスクを外したところ、くしゃみは出ない。 夕方少し鼻がぐずぐず言い出したが、鼻のうがい(ぬるめにした塩水で鼻をすすぐ)をすれば、それも止まった。 ようやくマスク生活から脱出することができる。 今日もマスク無しで大丈夫だった。 
これはホントありがたい。
日にち薬、季節の移ろい を実感した今年のGWでした。
それと、もう一つ。 日本に現存する原発が全て発電を止めた。 これはホント重大なこと。
これに対して、福島原発の事故原因(何が地震で壊れ、何が津波で壊れたのか等)も何も分かっていない状況の中で、再稼働を「政治判断」しようとするどうしようもないほど低俗な人がいる。 日本列島に住む人々の安全を考えればあり得ないことだ。  「電力不足」を脅しにしている。
 しかし、事故後の時間に、再生可能エネルギー施設を充実させていれば、一定程度の電力不足不安についてはある程度カバーできたはず。それに、原発をなくすことで生じてしまう行き先を無くした労働力の新たな受け入れ先が確保できたはずである。 
 やっぱり、政府を変えないと。   4月末、野田政権の支持率が20%台になった。。。。。   

憲法とは合わないなぁ

今日5月3日は憲法記念日。

大日本帝国が突き進んだ戦争の教訓から、未来を目指した憲法が施行された記念すべき日。
憲法の目指している社会とは反対方向に突き進もうとしている民主政権のあまりのひどさに、今では政府支持率が2割台となっている(よく2割も支持するなぁという感じがしますが)。
午前中、事務所に仕事で出てきた。 通勤途中、とあるタクシー会社のタクシーが、日の丸を掲げて走っていた。
祝日だと、意味も考えず、日の丸を掲げているタクシーもあるが、今日ほど似あわない日はない。
大日本帝国が、アジアに侵略していったとき、シンボルとして掲げていたのが日章旗ではなかったのか。 
その戦争が終わり、その反省を込めて、二度と戦争はしないと誓ったのが今の憲法である。
その憲法が施行された記念の日に、大日本帝国時代からの侵略政策のシンボルでもある日の丸を掲げるというのは、どうしたものか。 
どう考えても、似合わないなぁ。

バンビ

とあるコミックに、「〇〇のバンビ」みたいな題のついた連載がある(不正確ですが)。

主人公は、新進気鋭の女医さん。 朝の連ドラの梅ちゃんではありません。
今まで、あまり気にもとめなかったが、ふと、あれっ、バンビって森の王様(雄鹿)になっていく話じゃなかったかな、と???マークが浮かんできた。
内容は、主人公が別に女性じゃなくてもかまわないような内容なので、どうでもいいと言えばどうでもいいんだけど、ちょっと気になった。
ところで、「あらしのよるに」 というアニメ映画があった。 「友達なのに、おいしそう」という漫才師?のネタにもなった話。 子どもと一緒に映画館まで行きました。 こっちの主人公、映画ではたしかやぎのメイは、男の子だと思っていたが、テレビアニメの方では女の子のような設定になっている。 
要するに、性別なんて、どっちでもかまわない、と言うことなのでしょう。 「女性らしさ」「男性らしさ」という為政者に都合のいい作り上げられてしまったイメージにとらわれなければ、それこそ、どうでもいいことなんだ。

ワンシーン

相談をしていたら、なんか下の階が騒がしい。。。  と思っていたら、ドラマの撮影の準備が進められていた。 そういえば、そういう連絡(業務?連絡)を受けていたような気もする。

地味な、こぢんまりした(儲かっていない)事務所には、うちのようなところが雰囲気が合っているらしく、実は、これまでにも何度か撮影場所として使われたことがある。
ドラマで見るうちの事務所は、なんかこぎれいになっていて、普段使っていながら、「あれっ?こんな場所あったっけ?」 と思うことがある。  撮影用に、小道具などを使って、いつもとは少し違う場所に作り上げるから、当たり前だと言われればそうなんだろうけど、ちょっとしたことで、雰囲気が変わることを実感させられる。 
以前のドラマでは、表の「京都法律事務所」の表示だけはそのままで、その他の部屋には別の名札をはっていた場面が出てきたことがある。 そんなの誰が気づくんだ、という気もするが、少なくとも、1名は視聴者が増える。
そうは言っても、相談に来られた方から、「ドラマの中で事務所が出てませんでしたか?」という質問がなされることもある。 見ている人は見ているんだ。 すごい観察力。
で、主役の方のサインが相談室にこっそり飾っていたりする。 こられた時には探してみてください。

温度差

京都市内では、昨日は、25度近くまで気温が上昇した。

ただ、昨日は、大半を建物の中で過ごして作業をしていたので、それほど「暑さ」を感じなかったが、お昼外に出た時には、ちょっと歩いただけで、汗ばんだ。もちろん上着は着ていない。
が、夜になると、かなり気温が下がり、雨も降ってきたので、それなりに着込まないと寒さが応えた。薄着で来たのを少し後悔。 歩いていても、汗ばむこともなく、雨に打たれた手が動かしづらいような感覚になった。
結構気温差があったんだろうな。
先週末、長野県(南部)に行く機会があった。山間部に挟まれたところなので、京都よりは標高が高い。そのこともあってか、朝起きると、外の気温は、マイナス2度となっている。 氷が張っていた。
京都とはえらい気温の差に驚いた。 そのときの室温は、20度を超えてましたが・・・
いわゆる「温度差」って、結構大きいものなんだ。 

ようやく杉花粉のピークが過ぎる。 毎年、杉花粉には悩まされてきた。

ところが、今年は、ひのきの花粉が大量に飛んでいるとのこと。 新たに発症する人も多数出てくる、と予想されていた。  案の定というべきか、ここのところ、杉の時期にも増して、鼻の状態が悪い。 マスクをしていても、したたり落ちる。 困ったことになってしまった・・・・
こんなことだけ、流行に乗らなくてもいいんだけどなぁ

家裁で調停が有り、控え室で外を眺めていたら、庭にそびえる高い木の枝のあたりにカラスが飛んできた。

広葉樹で、今は葉っぱが残ってないから枝しかない。 よく見ると、巣ができている。
交互に?巣の中に入っていたので、卵を抱いているか、雛がかえっているか、どっちかだろう。
こんな人のいっぱいいるところで子育てをするんだ。 まぁ、あの高さまでは、猫でもいけないと思うけど。
調停からの帰り、鴨川河川敷では、小雨の中、桜の木の下にシートを引き花見をしている団体がいくつかあった。その横のゴミ箱、カラスがつついて散らかっていた(三羽くらいのカラスがいた)。
こういうところでえさを探しているのだろうか。

先週末、うちの子の入学式が行われた。

例年より遅いとはいえ、桜も少し咲き始めた。
式場は、少し肌寒かった。
なんとまぁ、ちらちらと雪まで降ってきた。 桜の花と雪は、似合わない。 雪と言っても、ホントちらちらと降ってきただけで、それも、ほんの少しの時間だけなので、「降った」というのもはばかられる程度だが、この時期、京都で、ちらちらとは言え雪が降るなんて考えられない。
それだけ、今年は寒いと言うことなんだろう。  温暖化で夏はくそ暑くなってきているのに(冬も寒さが緩くなっているのに)、境目の季節だけは、寒い方にぶれているような気がする。 
今日は、真新しいランドセルをしょった初々しい小学生を見かけた。
ふと、福井原発の再稼働問題が頭をよぎる。 この子たちが安全で過ごせるためには、原子力発電からの脱却が必要だと思う。 未だ、福島原発の事故原因さえはっきりしないのに、とにかく原発を再稼働させろと言う嘆かわしい愚かな野田政権の姿勢を何とか変えないといけない。

晴れ着

今日は、京都市内の小学校の入学式だったのか、あっちこっちで、晴れ着を着た「お母さん」たちを多数見かけた。

もちろん、子どもにも「入学式用スーツ?」を着せている。 お母さんたちは、カラフルな着物姿。(お父さんも横にはいるが、もちろん目立ちません。)
子どもの成長は、親にとってはうれしいものだ。 ただ、ここまで「お母さん」が着飾らなくてもいいのになぁ、という気もする。 成人式とか大学卒業式以来の着物姿なのだろうか。
怪しい天気だけど(傘を差すべきかどうか悩むような雨が時々降っている)、本格的に降らなくて何よりでした。 
大学の入学式にまで親がついて行く時代。 子どもの入学式は、親にとっても”晴れ舞台”になっているんだろうな。
といいながら、明日はうちの子の入学式。 この前の卒業式は、行けなかったので、今度は参加しよう。 もちろん、普通のスーツで。 

誤判?

再審事件などをやっていると、誤判っていっぱいあるんだ、と痛感する。

それはさておき、先日、高校野球を観戦していた(もちろんテレビで)。 スクイズで、バッターは打ちに(当てに)行って空振りとなり、その投球が足にあたったように見えた。スローで見ても、打ちに行ってるよ、という感じにしか見えなかった。 
でも、判定は、死球。  高校だから、あんまり抗議はよろしくないのかもしれないが、誤りを誤りと認める、という姿勢も学ぶべきなのではないかな、と思ってしまった。その直後(本来ならスリーアウトでチェンジになっている後)にランニングホームランが生まれ、決勝点となった。 
同じ日、ホームベースを踏んでいる写真があった。 でも、踏んでいないということで、得点が認められなかった。 
審判もミスをするし、それは仕方がないかもしれないけど、アウトを宣告された方は納得できないだろう。 納得できなくても、したがわざるを得ない。 ただ、ミスが確認できたら、訂正すべきだ。 人がやることだから誤りがあるのは読み込み済でそれを前提に、審判の判断に従うようしているのだから。
大昔、サードランナーの時レフトフライを打ったので、捕球を確認してからタッチアップをしたのに、離塁が早いということでアウトを宣告されたことがある。 そのときの状況は忘れたが、納得はできなかった。 まぁ、逆のケースもあったけど。 

桜開花

桜開花の一番、という宣言が出された。

高知県だそうで、去年は静岡県だったようだ。
我が家の近くの桜の木は、結構早くから咲く。毎年、川下から川上にかけて川を遡上するように開花が進んでいく。 
高知での開花宣言がなされるより前の先週末、桜の木をよく見てみると、咲きかけているつぼみに紛れて2輪既に咲いているのを発見した。
今年は、少し遅いような気がする。 
とはいえ、2輪開花しているのを発見する前日は、薄氷がはっていたので、温かい日や寒い日がコロコロ入れ替わる。
そんなこともあり?、冬物から春物に衣替えする前に初夏が来てしまいそうだ。衣替えができないのは、毎年のことだけど。

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