1. 2013年11月

2013年11月アーカイブ

「子ども」

京都市からなにやらアンケートが送られている。保健福祉局子育て支援部 児童家庭課とある。

その封筒に「子ども・子育て支援に関する・・・」との記載がなされていた。

いつもは、京都市のやることは批判的に見るが、さすがに福祉局の子育て支援というだけあって(何をしているのかは資料がないので評価できませんが)、最低限のことは押さえているなぁと感心した。

いろんなところの表示には未だに「子供」と記載されていることが多い。 これを、子どもの未来とか、子どもの福祉とかいっているところがやっていると、ほんまにちゃんと考えてるのかなぁ、と疑念が生じる。
子どもを、独立した人格の主体とみるのであれば、「子供」と表現したらあかんでしょ。 
とりあえず、「供」の字の意味を調べてみると、「人の後に付き従っていくこと。また、主人に仕え、付き従う人。従者。」とある。
ようするにこの表現は、大人の供え物、お供という意味合いを含んでいる。「従者」である。
子どもを独立した人格主体として考えるのであれば、言葉自体がそのようには捉えているとはいえない表現は避けるべきである。 とはいえ、「こども」という言い方自体は定着しており、これを今更変えるのも困難である。 なので、そのまま受け入れた上で、記載するときは「子ども」「こども」という表現を使ってほしい。
憲法13条にも「すべて国民は、個人として尊重される」とある(憲法の中で最も大事なところ)。 「私権の享有は、出生に始まる」(民法3条1項)として、権利の主体となるためには、この世にオギャーと生まれるだけでいい。それ以外に要件はない。 性別や出身地、税金の額、思想や信条など、全く関係ない。 この世に生を得たら、それだけで、「個人として」尊重されるのである。 大人も子どもも関係ない。 
注意してみていると、本当は子どものことなんてきちんと考えていない人たちは、「子供」という表現を使っているケースが多い。
そして、自民党の改憲案、「個人」を削って、「人」にしてしまった。 本当に1人1人の人を大切にするんであれば、こんな改正はできないはずだ。 自民党のホームページには、「日本の将来を担う子供たち」とある。 やっぱりな、である。 だまされてはいけない。

ただいま当番待機中

今日は、当番弁護士に当たっているので、朝からずっと事務所で待機。

当番弁護士は、たしか1992年(大分県と福岡県で始まった2年後)に全国の各弁護士会で取り組まれるようになっています。 土日も含めて、逮捕、勾留された被疑者がいた場合、待機している弁護士が初回の接見を無料で行う(費用は弁護士会費から賄われる)という制度で、これにより、少しは不当な捜査などの人権侵害をくい止められた場面があったものと思われます。
 かつては、弁護人が接見するのにもいろんな妨害があったようですが(今も時々起こっています)、これまでの時には国賠訴訟を起こすなどの行動で、自由に会える枠がどんどん広がってきています。
 弁護士登録して2~3年の頃、土日の待機中、当番弁護士専用ダイヤルの録音を聞いて、かけ直し、用件を聞くと、法律相談だったりしたこともあり、当番弁護士はそういうことには対応できない、とお断りして怒鳴られたこともありました。 このところは、体制も変わり、直接対応することは少なくなってきたので、そういうトラブルは減ってきています。 
 最近は、犯罪数も減ってきているのでしょう。 かつては、1日3件を超えることもあった(土曜日の電話で10件を超える依頼の留守電が入っていたこともありました。)のですが、このところ、1日待機して1件もないことが増えてきました。1日の待機している弁護士の数も増えてきているので、回ってこないということもあるようですが、それを差し引いても、要請の数は減ってきている印象です。
 今日も、今のところまだありません。 このところ、多いのが、午後4時50分以降の要請です。午後5時までが待機時間なので、今日はないんだ、と思ったところに入ってくるというものです。 それが遠方だったりすると、ちょっとなぁ、という気分になってしまいます。
 それで、1時間以上かけて駆けつけたら、猫が心配だったからえさをあげたかどうか確認して?なんていう要件だと、うーん・・・ ま、不安を少しでも解消することも重要な役目だからと納得させつつ・・・ 真っ暗な帰り道、どこかでラーメンでも食べて帰るか。
特定秘密保護法が国会で議論されている。 「秘密が守られるんだからいいんじゃない。」なんて思っていたら大間違い。 誰から何を守るのか、というと、国民から国家の情報を知られないこと、要するに、国などの情報を(主権者である)国民から秘密にしてしまおうという内容だ(米国にはその情報は流すんですけどね)。
そもそも、今こんな法律は必要がない。 廃案しかないのだけれど、万が一通ってしまったらどういうことになるのだろうか。刑事弁護との関係で考えてみる。 
まず、何が秘密かが明らかにならない(「何が秘密か?それが秘密です」)という状況において、取材したり報道した内容が、秘密に該当してしまっていたら、場合によっては、犯罪となって10年以下の懲役になってしまう(これだけで萎縮してしまい、まともな報道はできなくなろう。権力監視が不可能になる)。
その裁判の中でも、何が秘密なのかは、(本人はもとより)弁護人にも一切明らかにはされない。
検察官は、秘密の内容が書かれていない起訴状を読み上げる。 そこで、弁護人から「秘密」の内容を問いただそうとしても 「特定秘密に指定されている以上、明らかはにできない」 となってしまう。
裁判所も、秘密については、指定されているかどうか以上には突っ込めないまま、「秘密であると推認できる」として有罪としてしまうことになる。
これでは、刑事弁護として何もできないことになってしまう。
刑事訴訟の大原則である「疑わしきは被告人の利益に」(いまでも機能してないが・・・)は全く殺されたも同然となる。
こんな恐ろしい法律を制定させてはならない。

こんな時に・・・

やっとで来た! と思ったのが、AM1:00  

さてこれで帰ろう、と自転車を取りに行く(ヒザ痛でジョギングにドクターストップがかかってしまったため、ここ2ヶ月は自転車通勤)。
で、こぎ出すと、なぜか重い。 尋常なく重い。 もしやと思い後輪を見ると、かなり空気が抜けている。 あかん。 こんな時にパンクかよ。 とやむなく、自転車を置きに戻る。
仕方なく、とぼとぼ歩いて帰る。 普段なら、歩くときでも1㎞10分弱のペースで歩いていたが、この前、歩いて通勤をと思ったら3㎞地点で、膝が痛くて歩けなくなった。 なので今回はゆるゆると帰る。 結局、家に辿り着いたのは、2時をまわっていた。 
娘のお下がりの自転車なので、結構タイヤにもぼろが来ている。 劣化してひびも入っている。 やむを得ないのでタイヤごと交換した。 5110円。 痛い出費。
でも、自転車をこぎ出すと、ものすごく軽く感じる。 ちょっとうれしい。 地下鉄乗って10日往復したと思ったら元は取れるか。
自転車屋さんから出るとき店員さんから一言「ブレーキパッド、かなり擦り切れてますから、交換して下さいね」  これで、チェーン、タイヤに引き続き、ブレーキまで交換か… 結構お下がりでも掛かるものだ。 

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