逮捕されたり、勾留されたりした場合、留置施設等に閉じ込められてしまう。 それでも、普通は誰でも会うこと(接見)ができる。 ところが、とにかく孤独にして自白をとりたいという捜査官は、すぐに「接見禁止」を求め、裁判官がこれまたすぐに認めてしまう。 困ったものだ。 身体拘束中に外の世界との連絡が取れないことがどれだけ人を圧迫するのか、全然わかっていない。
岡根弁護士のぼやき論壇
東京高裁で、再審開始決定が出た。
今年、5月21日は金環日食が見られた。 ただ、運悪く、九州出張中だったので、雨のため、見ることができなかった。 京都にいてたら見ることができたのに・・・ まぁ、うちの家の辺りからは「金環食」にはなりきらなかったようだけど。
名古屋高裁刑事2部が、名張毒葡萄酒えん罪事件で、再審開始を拒絶した。
今回は、大の苦手とする国語の話題を。
福岡でのことですが、拘置所で、弁護士が軟禁(監禁)されるという事件が起きています。
今週末、3月11日、京都マラソンが開催される。
このところ、最高裁の判決を見るにつけ、ゲンナリすることが多かった。 久しぶりに、よかった、とホッとする判決が出された。
ニュースを見ていたら、「アダルトサイト詐欺6億円」という表題を見つけた。
大阪の事件で、裁判進行中に、被告人が身柄を拘束されている拘置所を捜索し、弁護人とのやりとりの手紙、書きかけの手紙、尋問事項メモなどを検察が押収していったという出来事があった。
とある県の選挙管理委員会等の委員、ほとんど働きもせず、月平均2日に満たない(1.89日)会議等の出席のみで、なんと、月額報酬を20万2000円ももらっていた。
「赤切符」を切られるということは、刑事罰を受ける可能性のある処分を受けたということ。
残念ながら、日野町事件に付いてではありませんが、福井女子中学生殺人事件について、名古屋高裁金沢支部が再審開始の決定をした。
京都府には、アイドリング禁止の条例がさだめられている。地球温暖化対策条例に規定があり、自動車駐停車時にアイドリングの禁止を義務づけている。違反者には罰則もある。罰則といっても、罰金などではなく、「氏名公表」くらいだが、施行5年経っても罰則の適用はまだないようだ(京都新聞夕刊による)。
とある新聞に次のような記事が載っていた。
「法務省は3日、懲役や禁錮刑の一部を執行した後に残りを猶予する「一部執行猶予制度」の創設を盛り込んだ刑法改正案など関連法案を次期臨時国会に提出する方針を固めた。
一部執行猶予制度は、実刑と執行猶予の間の中間的な処遇として導入する。刑務所に初めて入る人のほか、3年以下の懲役や禁錮の判決を受ける薬物使用者に適用することを想定している。同省は、出所後も保護観察を続けて社会の中で受刑者の更生を図ることで、再犯防止を期待している。」
結局、「中間」といっても、宣告される側は、明らかに「実刑」なわけで、刑期の一部についてのみ執行猶予扱いになるに過ぎない。
心配するのは、これまでなら執行猶予が付いていた人について、刑期の一部については「実刑」として刑務所でのお勤めをしなければならないというケースが増えないだろうか、ということだ。
「即決裁判」(あまり利用はないようだが)ができたおかげで、これまでなら起訴猶予になっていた人が、執行猶予付きではあっても有罪として「前科」がつくようになってしまっているのではないか、という感じの、判決版という気がしてならない。
あまり好ましい制度とは思われない。
ある事件の弁護人になった。
犯罪名を見て内容を調べようと、普段使っている刑事用の簡易六法を見たが、載っていない。
それもそのはず、刑法施行前にできた法律がまだ生きている。刑法ができたのが、明治40年4月24日とかなり古い。時代も変わっていることから、その後何回も改正され、私が受験生の頃勉強していた刑法の内容とも大部と異なってきている。
明治の終わりにできた刑法。それよりさらに古い 「決闘罪に関する件」
明治22年にできたもので、当時「果たし合いは罪ならず」などといわれていたところに、一石を投じたもののようだ。
これまでほとんど使われることがなかったといわれているが、最近、暴走族や暴力団の抗争に関して刑法よりも緩やかな要件で犯罪としてしょっ引けると考えたからか、ここのところ増えてきているらしい。
ただ、刑法ができる前の法律だから、そのまま条文通りには適用できない。
これまた明治にできた刑法施行法(明治41年3月28日)によって、内容が変わっている。
科される刑罰は、「重禁固」とあるが、これは、懲役と読み替える。罰金を付加するとあるが、付加しないことにする。など。
それは兎も角、処罰しやすいからと注目されるのは仕方ないが、弁護人の立場からすれば、「決闘」の定義さえはっきりしてないのに、決闘に「挑みたる者」「応じたる者」「行いたる者」「立会を為した者」などどうやって特定するのか疑問がわいてくる。
下手をすると、喧嘩の仲裁に入っただけで、『逮捕』なんてことにもなりかねない。
罪刑法定主義という刑事事件の大原則を極めて軽視している日本の司法の下で、こんな曖昧な犯罪を実質復活させるのは、本当は危険きわまりないことなんだけどなぁ。
『公訴時効』、これは一定の時間の経過によって、その後になってようやく犯人が分かっても、処罰できなくなる制度のことを言います。
被害を受けた側からすれば、これでは被害者がうかばれない、逃げ得じゃないか、という事にもなりそうです。
しかし、逆に、10年も20年もたってから、突然「お前が犯人だ! 違うのならアリバイを証明しろ!」なんて言われたらどうしますか。全く身に覚えがない、しかし、捜査官は、「証拠がある」という。
昨日のお昼ご飯何を食べたかだって怪しいのに、20年前の1991年9月3日何をしていたのか、なんて、覚えている人はまずいないでしょう。何もやってなくても、怪しげな証拠を突きつけられれば、あっという間に冤罪のできあがりとなってしまいます。
そんな事(証拠の散逸)も根拠の一つとして、犯罪によって、一定の期間が経過すれば、捜査もできなくなる訳です(処罰できないのに逮捕・勾留などされたら大変な事ですよね)。
そんな公訴時効の制度が、殺人など一定の犯罪については、(強い反対意見があったにもかかわらず)廃止されてしまいました(期間が延長された犯罪もあります)。刑事弁護をする人がよく使っている刑事・少年事件用の六法(2010年版)にはまだ反映されていません。条文を数回読んだだけでは、何がどうなっているのか、さっぱり分かりません。
それはともかく、「改正」により、えん罪事件が増えることが無いように、例えば、いったん眠ってしまっているような事件の捜査を再開できるためには、普通なら間違いがないというような新たな証拠の存在を要件とすべきでしょう。まだその点についての立法上の対処が出来ていません。今後の課題と言えます。
「ショージとタカオ」 ドキュメンタリー映画の題名である。
アイウエオ順に、桜井昌司、杉山卓男。
44年前、強盗殺人犯として29年間服役し、その後も無期懲役囚として仮釈と言うことで社会に戻ってきた2人の社会復帰後の人生をたどったものだ。
警察や検察、さらには裁判所がきちんとしていれば、決して出会うことなどなかった人だ。そう、無実の罪で29年間、刑務所等に収容され、ようやく無実と認定され、44年かけて、ようやく普通の人の立場を取り戻した普通の人の変わった人生劇場だ。
えん罪。やってもいないのに犯人に仕立て上げられ、犯罪者としての人生を歩まされる。運良く、疑いが晴れればいいが、大半はそのままやってもいないのに犯人にさせられてしまう。
そんな疑いを払拭するのに44年の歳月が必要となった。当時20才の青年が、もう60を越えている。
刑事補償として数千万円の金が入る(予定)が、29年間も自由を奪われたいと誰が思うのか。
第2、第3の被害者を生み出す、冤罪。
この予防のためにも、最低でも、警察段階からの捜査の可視化が不可欠だ。
ぜひ一度機会があれば観てもらいたい。