1. 岡根弁護士のぼやき論壇

岡根弁護士のぼやき論壇

道路交通法 車いすの取り扱い

 自転車は、車両ですので、基本的には車道を走行しなければなりません。特に許可されている歩道以外は自転車は歩道を走れません。

 では、車イスはどうなるのでしょうか。電動の車イスでも、時速6キロ以下に制限されている場合には、道交法上は「身体障害者用の車いす」として扱われます。
 そして、身体障害者用の車いすや歩行補助車は、「歩行者とする」と定められています。 したがって、車イスで道路を通行する場合には、歩行者に対する規制が課されます。
 通行する場所は、歩道があれば歩道、歩道のない道路においては道路の右端側となります。
 また歩道においても、自転車道が設けられているところは、その部分をできるだけ避けて通行するようにしなければなりません。
 横断歩道では、歩行者用の信号にしたがうようになります。もちろん、歩行者横断禁止の場所では車道を横切ることはできません。

自転車での事故

 交通事故は減りつつある。 政府統計によると2007年と比較して2015年は57%にまで減少している。 交通事故での死亡者数も、1995年頃までは年間1万人を超えていたが、2015年では、約4000人にまで減っている。

 飲酒取り締まり強化も大きな要員だと思われるものの、飲酒とは関係のない事故も年々減少してきている。 これは非常に重要なことではある。
 ただ、自転車が加害者となる 人対自転車 という事故数は、ほとんど変化がない。 重傷事故や死亡事故に限るとむしろ増えているともいわれている。
 今朝、ワンコの散歩中、細い道から優先道路を横断する交差点で、立て続けに自転車が3台、左右確認もすることなく、減速もすることなく平然と横断していくのを目撃した。 見通しはかなり悪く、車に乗っていると、それなりに頭出し確認をしないと優先道路の右側の状況が確認できないという場所なのに、一旦停止どころか、止まろうとするそぶりも感じない。
 怖くないのだろうか?(怖いと思ってたらそんなことできないはずだから、なんとも思っていないのだろう) 
 ちなみに、自転車も、道路交通法上は立派な車両として扱われる。だから当然だけれども交通ルールは守る必要がある。 自転車の場合、被害者にならないためだけではなく、加害者にもならないためにもある程度のルールを守る意識は必要だと思う。 とりわけ、保険に入っていない自転車に乗っている場合は、なおさら加害者になるかもしれない可能性は考えた方がいい。   
 

2005年、おおよそ10年前の事件、小学生が殺害された今市事件。 許されない事件だが、その怒りは、真犯人に向けられるものである。新たなえん罪がまたつくられた。

この前、有罪判決が出されていたが、取調のビデオを70時間ほど見て、自白の任意性を認めた。
愕然としてしまう。 
70時間もビデオを見たの? というところでは、もちろんない。  
この事件、取調べは、147日間にも及ぶ。 これだけで、おおよそ自白に任意性など認めら得るはずがない。 おおよそまともな国では、警察での取調が147日なんてあり得ない。 せいぜい3日程度だろう。 日本では、身体拘束が認められる時間が あり得ないレベルで 長い。長すぎる。
体験してみなければ想像もできないのかもしれないが、アメリカだったかどこかの調査では、身体拘束を受けて2日も経てば、異常な精神状態になる割合が格段に高くなる、ということが言われている。
それが、147日である。 日本のこれまでのえん罪でも、長期の身体拘束が問題となることが多々見受けられた。  ただし、殺人事件でもわずか数時間で、やってもいない嘘の自白をしてしまうこともある。 それが、147日である。 もうこれだけで、任意性など認められ得余地はない。
そんなものすごく恐ろしい国に住んでいることをそろそろ気付いてもいいだろう。 
もちろん、この事件では、147日もの取調べで、わずか80時間しか録画された時間がない。大半が、暗黒の中の取調べであり、(自白に)「落ちた」後の姿しか録画されていない、という問題も重大な問題としてある。しかし、それ以上に、身体拘束の異常すぎる長さという問題に、裁判所も向き合わないといけない。 

斜めは危険

 サッカー 日本A代表監督が指摘する、ダイアゴナルなパスが足らない、斜めに入るパスがないということらしい。このような最終局面のパスが通ればチャンス(相手からすればピンチ)が訪れる。

 競馬でも、斜行した馬には制裁(騎乗した騎手に科されることが多い)が科され、せっかくの順位が下げられることになる。もちろんこれは、後ろから来る馬に危険が生じるから。
 要は、斜めは危険なのです。
 という前振りをしておいて、この前、歩道をゆっくりジョギングしていたら、歩道の真ん中を歩くおばちゃん(進行方向は同じ)に遭遇した。 避けようと比較的広く空いていた左側から抜こうとしたら、突然進路を左方向に斜めに移動しだした。 危うく衝突しそうになり、歩道と車道の間に設置されていたアーケードを支えるポールにしがみつくように急停止した。 ここしかないというタイミングで抜かんとするまさに直前に左に移動した。
 オバチャン(「オバハン」といいたいが)曰わく、「アーびっくりした」と怒ったように言い放ちにらみつける。
 もちろん、謝罪の言葉などない。
 そして、そのまま、横断禁止の道路を平然と渡っていった。 車が来ているのもお構いなし。
 あのね、斜めに進路をとるということは、後ろから来た人の進路を塞ぐことになるんですよ。 実際危うく車道に飛び出しそうになったんだから。まぁ、ゆっくり走ってたからポールがなくてもおばちゃんにちょっと触れる程度で止まっていたとは思うけど。
 歩道でも、車道でも、斜めに移動するということは、後続者の進路を防ぐ危険な行動を行っているということの自覚を持ってもらいたい。 だから、車線変更には、事前にウィンカーを出さないといけないし、後方確認をして、後続車がいないことを確かめてからでないと、斜めに移動してはいけない。
 そういう危険なことをして、他人の進路を塞いだのなら、せめて「すみません」の一言くらい言いましょう。 オバチャンだけの道じゃないんだから。
 

口出し過ぎ(日本のプロ野球の遅れた体質)

プロ野球の世界は今オフシーズン。 誰がいくらで契約更改したとか、そんな話しが取り上げられる。 そんなのどうでもいいじゃないかと思うけど、まぁ、一攫千金を夢見てがんばっているプロ予備軍もいるから、そういう夢のある世界であって欲しい。成果出しているのに、評価が低い、と言うのはプロの世界では良くない。

それは兎も角、この時期、特に若手の選手が髪型をいろいろいじったり、染めたりする。
それに対し、球団が”変更”を命じたり、”注意”をしたりすることが、さも当然かのごとく報道される。
しかし、選手は、球団の持ち物ではない。
どんな髪型をしようが、どんな色の髪にしようが、球団からとやかく言われる筋合いははない。
プロの世界は結果がすべて。 球団の意に沿わないスタイルでも結果を出し、ファンに答えればそれでいいのだ。その結果を評価すべきであって、スタイルなどに口出しをすべきではない。
個々の選手を大切にしない体質が、こんな所にも出ている。
報道する側も、球団側が注意したり、指導したりすること自体がおかしいのだということを理解すべきだ。 個人領域に立ち入りすぎるな!なのだ。

再審開始 確定

東住吉放火殺人えん罪事件で、大阪高裁が再審開始を支持した。

検察官からの即時抗告なのに(地裁が再審開始を決定したのに)3年も4年も待たすな!というところはあるが、再審開始を決めたことは非常に喜ばしいことだ。
決定が出される(といっても、判決言渡のようにはならずに書記官室で決定書を渡されるだけだが)のに併せて、大阪高裁まで駆けつけた。 うれしくて、涙が止められなかった。
今日が、特別抗告の最終日、報道では、検察は特別抗告はしないことにしたとのこと、これで、再審が開始され、再審法廷ではおそらく「無罪」が言い渡されることになるだろう。
26日には、刑の執行も停止されたので、2人とも社会に戻ってきた。20年ぶりだ。
20年も不当に拘束されてきた、その間、当時8歳だった息子は母親と過ごすことさえ許されなかった。
今回の事件、真犯人がいるわけではなく、事故である。事故で、娘を失い、悲しみにうちひしがれているときにその娘を殺した犯人に仕立て上げられてしまう。本当に辛かったと思う。
えん罪は、第2第3の被害者を作り出し、その家族等も巻き込んでしまう。
裁判官はもっとその事実を重く受け止めるべきだ。
単なる憶測と可能性で、人を犯人扱いすることの重大性をかみしめてもらいたい。

これぞ(で?)国営放送(NHK)

 戦争法制への怒りが渦巻いている。

 8月29日には、京都弁護士会が主催した円山公園での安保法案今国会での制定NO!の集会には4500人が参加し大成功。8月30日の全国一斉行動では、国会前に12万人もの人が集まり、全国各地1000カ所(100ではない!)以上で数十万人もの人が集まり、安保法案の廃案が叫ばれた。
 また、海外に住む日本人からも戦争法案への反対の声が届けられている。
 憲法を尊重し擁護しなければならない内閣が、憲法を無視した違憲の法案を通そうとしているこの国家の一大事に、こんなに沢山の人々が全国津々浦々で「廃案」の声を上げているにもかかわらず、NHKは、全く無視。
 マスコミは、権力を監視してこそ意味があるのに、さすがはNHKである。 マスコミの役割を全く果たさないどころか・・・  あきれ果てる。 
 衆議院において、強行採決という無茶苦茶なことをしているときも、その時だけは報道しなかった。 ヨーロッパ等のマスメディアからしたら、全くもって信じられない事態だろう。 
 この戦争法制に賛成する人からは、中国や北朝鮮の脅威への抑止力のため必要だという意見が聞かれるが、法案を見ればこれが全くのでたらめであることがわかる。 こんな重大な(政府の誤魔化し宣伝の影響であろうが)勘違いをただすことこそ、報道機関の役割であろう。 こっちに対しても住民監視が必要だ。
 

ん? 「憲法9条2項は違憲」???

ネット見ていたら、今問題となっている安保法制(戦争法制)について、『違憲、違憲』と叫んでいる人は「勉強不足です。もっと勉強してください。」と題したブログ記事が目にとまった。

違憲だという人は、「報道ステーションだけちょっと見て」内容もわからずいっているだけでしょ。

 みたいなことが書かれていた。
 その根拠がなんと、憲法「9条の2項が違憲(国連憲章違反)」だというものです。 長谷川ナンタラとかいう人ですが、自分では、とてもよく勉強している、らしいのです。 
 目が点になります。 安倍首相もこのレベルなのでしょうか。 もっと下かもしれませんが。
 憲法の成立過程にしても、本当にもう少し「勉強してください」。
 要するに、戦争法制を違憲だ、という多くの市民を批判をするには、このレベルでなければできないようです。まともに、勉強すれば、自分の書いている内容がいかにまともな議論になっていないことが理解できるというものです。 憲法と国連憲章との関係もご理解なさっていないようですので、このような批判をされても、理解ができないのでしょう。
 こんなでたらめな憲法論に立たないと合憲にならない今の戦争法制はなんとしても廃案にしないといけません。
 

「嫁・主人」は男女差別か?

タイトルのような話題が、ネット上で議論されていた。

言葉のもともとの意味からすると、男尊女卑社会の名残なので、気になる人には気になる。 気にならない人からは「拘りすぎ」「どのように呼んでもいい」という意見が聞かれるところ。 
いつも思うが、気にならない人が気にならないのはわざわざ取り上げる必要は無いが、自分が気にならないからといって、意識をする人に「気にしすぎだ」とか「拘りすぎ」とかいえる感覚には、違和感を覚える。
 個人的には、できるだけ使わないようにしている。 また、「妻」という言葉もできるだけ使わないようにしている。 書類に記載するときには、邪魔くさいが「配偶者」と記載する。 喋っているときには、できるだけそういう人称?は使わないようにするが、やむを得ないときなどは「相方」などを使うことが多いかもしれない。「神様」よりもエライということで「おかみ(神)さん」というようなこともあるが、語源からすると引っかかりも感じる。
呼ばれて嫌な言い方として、女性側は「ハニー・ダーリン」(なぜここにダーリンが連記されているのかは不明)「おかあさん」「ワイフ」「嫁」「家内」などが上がっていた。
 男性側の方は載ってなかったが、「おとうさん」とか「パパ」は嫌な気がする。 
 子ども(けっして「子供」とは書かないようにしましょう)が出来ると、子ども関係の付き合いでそういう言い方になるのかもしれないが、その人を正面から見てないような気がする。それでいい付き合いもあるので、頑なになるものではないものの、場面によっては考えた方が良いかもしれない。
 家庭の中で、親も子も含めて、名前で呼び合う家族に会ったことがある。 いいな、と思ったけど、どうも慣れてないので、自分が言われたらこそばゆいような感じになるんだろうな。

目標 〇

2月15日、京都マラソンを走ってきました。

今年の目標は、フルマラソン4時間を切ること。 走れる人から見るとちっぽけな目標ですが、一応、ランナーとジョガーを分ける指標みたいなことも言われています。
結果、3時間59分37秒。ネットタイム(スタートラインを超えてからゴールラインを超えるまでの時間)ではもうちょっとだけ早いですが、ギリギリで目標クリア。 狐坂がコースからなくなったのが大きいですね。
 鴨川河川敷では、黒柳徹子さん(何かの番組で本人が来られていたのだと思う)を発見。1~2メートル横を通り過ぎていきました。
 ゴールした直後は、足が痙りまくって2~30分着替えもできませんでしたが、思ったほどの筋肉痛にはなっていません。 2日経ったこれから出るのかもしれませんが・・・
 次は、せめてもう一回少しだけ余裕を持って4時間を切りたいですね。

高速逆走に暴行罪

高速道路を逆走するケースが増えているそうです。 2011年から13年の3年間で確認できただけでも541件になるということです。 当然重大な事故につながることもあります。 そのうち、約7割は65歳以上の高齢者で、4割近くが認知症が疑われるということです。

 去年も、11月末までに207件ということで、そのうち約1割で人身事故が発生しています。

 本人だけではなく、というよりむしろ周りの安全のためにも運転免許の返納をするべきなのでしょう。実際問題、認知症という自覚がない場合には難しいのでしょうが、制度的な対処も必要なのかもしれません。
 ただ、多くの逆走は「過失」によるものだろうとは思うのですが、意図的なもののも1~2割は見られるということのようです。 ぼーっとしていて出るべきインターを見落とした、というようなケースが報告されています。
 このような場合、分かっていて敢えて逆走をするわけですから、かなり悪質です。 そこで、そのような「悪質」という事情も考慮してか、昨年9月に起こった兵庫のケースでは、道交法違反に止まらず、暴行罪の容疑で送致されたものと思われます。
 このケースでは、たまたま人身事故にはならなかったものの、接触事故を起こしており、接触されたドライバーに衝突を避けるため急ハンドル等の回避措置をとらせたことが、暴行容疑とされたようです。
 一歩間違えれば、複数の命を奪うことにもなるわけですから厳しく対処されてもやむを得ないのでしょう。 この方向で行くと、もし人身事故を起こしてしまった場合には、傷害罪、傷害致死罪、場合によっては殺人罪が適用されることもありうるということです。 
 道路標識を見落として結果として逆送してしまうことは誰しも経験があることではないかと思うのですが、とりわけ高速道路では重大な事故に直結しやすいこともあり、慎重の上にも慎重に走行する必要があります。 それとともに、道路の管理者としては、誤りが生じないような措置をとることが不可欠でしょう。 特に間違いが生じやすいようなSAやPAでは、ゲートを設置するなどの措置も必要なのかもしれません。 

「受刑者 手錠を外して出産へ」

12月30日の東京新聞のニュース「受刑者 手錠外し出産へ」というのがあった。

 といことは、これまでは、収監されている人が妊娠をしており出産をするときには、手錠をしたままの状態だったということなのか。 記事によると、これまでは、片手に手錠をしその手錠に付けた縄を刑務官が持っていた、ということで、医師の指示により外すこともあったという。
 逃亡のおそれを過剰なまでに危惧して身体拘束をする今の司法の発想からすると、そうだったんだやっぱり、、、、というところだが、なんと異常な制度なのだろうか、とあきれてしまう。
 出産は、母子の生命の危険さえも生じかねない場面であり、逃亡どころ騒ぎではないであろう。 刑務官がついているのであれば、分娩室の外で待っているだけで、仮に逃亡を図ろうとしても対処できそうな気がする。そもそも、分娩室に入っているということはまさに出産の直前(数時間から数日かかることはあるとしても)であり、そんな出産直前や出産直後に「逃亡」などの行動がとれる状態であるとは考えられない。 まぁ、可能性はゼロではないのだろうが、そんなおおよそ考えられないような低い可能性のために、手錠をはめたままの出産を強いられるとはなんとおそろしいことか。
 これを機に運用が変更されるようであるが、遅きに失したとしか思えない。
 こんなことをしていて、本当に「更生」につながると考えているのだろうか。 それとも、今の受刑には、本人の更生や再社会化は、発想にないのだろうか。 なんと悲しい社会であることか。

目撃

22時30分過ぎに事務所を出て、ゆっくりジョグでの帰り道(ひたすら西に向かう)、信号が替わり交差点を越えて10メートルほど進んだところで、自転車が道路を横断しようとした。 交差点から少し離れたところで、交差点では北向きは赤。 

 自転車がセンターラインに至るか至らないかという辺りで、スローダウンしたように見えた。 東から西向きにバイクが交差点を通り抜けてきたので、危ないなぁ、と思っていたら、その次の瞬間、ガシャーーン という音と、西向きに火花を散らして滑っていくバイクが目に入った。
 どうも、バイクがセンタラインよりから自転車をかわしていこう(前方不注視で見てなかったのか?)としたのか、ほとんどブレーキをかけた気配もなく衝突をしたように見えた。 まぁ、暗かったので詳細は分からないが、元々は、横断禁止の場所を横断しようとした自転車が悪いんだろうけど、普通なら「邪魔だ!」と思いながらの避けていくんだろうな、と思った直後に「何で?」という感じで衝突しているところからすると、どっちもどっちという感じなんだろうな。
 多分、一番近くで衝突した瞬間を目撃してしまったこともあり、臨場した警察官に簡単な現場での説明を求められた。
 自転車に乗っていた人は、バイクが自転車の前輪辺りにあたって転んだだけで、すぐに立ち上がっていたが(大きなたんこぶを作って、少し出血はしていた)、バイクの運転者は、歩道に倒れたままで(多分道路中央辺りに倒れていたのを近くにいた人が歩道に移動させてくれた)、救急車に乗せられるときもほとんど言葉を発せられないような状況だった。 意識はあったので、大事には至らないと思うけど。 なお、2人とも(別々の)救急車で病院に運ばれていった。 すぐ近くに病院はあったんだけど、そこはその日の救急担当ではなかったみたい。
 しかし、何でバイクは、横断していこうとする自転車の進行方向であるセンターライン側から通り過ぎようとしたのだろう? 過失割合からすると、自転車の方が悪くなってしまう気もするけど、バイクが普通に注意をしていたら、十分に避けられた(のではないか)と思うだけに、バイクの方が落ち度は大きいような気がする。
 ところで、確かに間近で目撃はしたけど、衝突した位置はどこかなど点で示せ、といわれると正直よく分からない。 実況見分調書って、ほんとの位置関係は、絶対いい加減だ、と改めて感じたのでした。
 

認知の無効 (判例紹介)

血の繫がりがないのに、認知をした男が、自ら認知をしたことと相反する無効の主張をすることが出来るのか、という問題に、最高裁判所が一つの判断を示した(平成26.1.14第三小法廷判決)。

 学説では、血縁関係がない場合には認知は無効である、というのが通説。
 自分の子ではないことがはっきりしているのに、無効といえて当然だろう、とも思えるが、そう簡単ではないらしい。
 民法785条には、「認知をした父又は母は、その認知を取り消すことができない」と定めてある。 なので、騙されて認知をしてしまったら、取り消せない、ことになる。
 786条には、「子その他の利害関係人は、認知に対して反対の事実を主張することができる」とある。
 一方、婚姻中に生まれた子どもは(正確には「懐胎した子」)、たとえ本当の親子関係がなくても「夫の子と推定する」(772条)とされるから、血縁関係のない親子関係ができる。
 この辺は、親を選べない子の保護をどうするのか、という価値判断とも大きく関わってくるところだろう。また、かつてのDNA鑑定などのなかった時代に親子関係が不安定になってはならないということもあったのだろう。
 これに対して、婚姻関係にない男女間の子の場合は、少々事情が異なるようで、そこには法律上の夫婦親子関係を保護しないといけないというような考え方が働かないことになる。
 ここでは、認知をした者が一旦認知をした以上その意思を尊重し、無効の主張は認めない、とするのか、血縁関係の有無という事実関係を重視するのか、という価値判断で、結論が分かれるところだった。
 この点、最高裁判決では、(単純に言い切ってしまうと)事実関係を重視して、785条で否定されるのは「取消」であって、「無効」とは異なること、認知した者も786条の言う「利害関係人」に当たると解釈できることから、たとえ血縁上の父子関係がないことを知っていても、無効主張はできると結論づけた。
 認知するに至った事情もいろいろあるから、個別事情は個別に対応したらいいので、取りあえず、一律に無効主張は駄目とはしないようにした、ということだ。 なので、この判決が出たからといって、常に無効主張が認められるわけでもない。 結構複雑・・・
 

法廷ものを題材にするドラマも結構ある。 司法関係者が主人公になる場合、どうしても主人公の役割に光が当てられて、その他の役割はなんか悪役っぽく描かれることもこれはやむを得ない。

 ただ、それはいいとして、基本的な視点を疑ってしまうようなシーンが目に付くと、ちょっと待ってよ、という感じになる。 フェースブックなどで、このドラマを批判していた同業者の人もいて、同じように感じてたんだ、確かにそうだな、と思うこともいっぱいあった。
 最終2話は、いわゆる「えん罪」を1つのテーマにしていた。 それ(えん罪)を罰してしまったかもしれない、という元検事がえん罪を作り出してしまったことを悔やみ、検察官をやめる、というか、司法の世界から足を洗った、という設定である。
 えん罪というものは、普通、間違った逮捕から始まり、(国際的には異常に長期の)勾留期間での取調をへて、典型的には、真犯人と見誤り起訴してしまう、それを裁判所も見抜けないまま、有罪判決が出てしまう、という構造となる。
 有罪判決が確定するまでは、「無罪推定」といって、目の前の被疑者・被告人が無罪かもしれない(少なくともその可能性がある)ということを前提としてそれぞれの手続等は進められなければならないはずである。
 ところが、HEROの1シーン これから取調を始めます、という時期の検察官と検察事務官とのやりとりの中で 目の前の被疑者をとらえて 「こいつは被疑者」 と扱われていた。 えん罪を作り出したことを悔やんで、司法界から足を洗ったという人を取り扱っている同じ話の中で、間違った逮捕かもしれない(少なくともその可能性のある)、という段階ですでに「こいつ」扱いである。
 個人的には、感覚的に、有罪が確定しても「こいつ」とはいいたくないが、それはともかく、このドラマの中では、えん罪者と被疑者が完全に切り離されている、としか考えられない。 被疑者の中には、一定数はやってもいない人(えん罪)が含まれている。 たまたま後にえん罪が明らかになった人でも、以前は皆「被疑者」だったのである。
 ドラマの中では、えん罪を作り出した「反省」は全くないというしかない。
 ドラマだから、面白おかしく描ければそれでいいのかもしれない。 しかし、「被疑者」=「有罪」という思い込み(逮捕されたら一件落着、というような報道を含めて)をこれ以上助長させないことを願う。 ましてやそれを「正義」とはいってほしくない。 
 思い悩んで、司法界を去ることを余儀なくされるほど重大な問題なのだから。

高速代、割引がなくなった!!!

 毎年、はかったように祇園祭が終わると、日本一暑いのではないかと思われる「京都の夏」がやってくる。 ただ、今年は、祇園祭の「後祭り」が復活した(らしい)。 先祭りの後、一回、山鉾は解体して、再度組み立てるらしい。 その後祭りも先日終わった。 結構な人出だったと新聞で見た。

 まぁ、近くにいるとあえて行くことも少なく、今年は、1回も山鉾をみないまま、祇園祭の人混みに紛れることもなかった。 
 それでも、祇園祭が終わると、ほんとはかったかのような「夏」がきた。 気温だけを比べると、今日は大阪の方が1度予想気温は高く、京都が突出して高いことはない。 それでもそんな大阪に行っても、京都に戻ってくると「暑ぅっぅーーーーーーー」となる。 何が違うのかはよくわからない。 湿度もそれほど違うわけではないはずだし・・・・ 
 私たちがかつて経験していた「暑さ」とは絶対に異質だと思う。 熱中症で倒れるのもやむを得ない。 日本は、もう既に温帯ではなく、亜熱帯になっている(はず)。 
 こんな暑くては仕事にならない、というので、夏休みをとろうか、とも思ったが、今年から? ETCの割引率がむちゃくちゃ悪くなった。 消費税は上がるわ、ガソリン代は高騰するわ、その上高速代までえらく割高になる。 自民党政権というのは、とことん庶民の財布を狙い撃ちにする。
 レジャーどころではない。
 ところで、国内の購買力を上げなければ、日本の経済は衰退する。 多国籍企業は日本の経済には無関係。というか、悪くする方にしか作用しない。 それなのに、そんな大企業向けの法人税減税のために今度は中小企業の増税がやってくる。 要は、庶民の生活は顧みず、庶民から搾れるだけ搾ってやろうやろうというのがアホノミクスの正体。 こんなお粗末きわまりないぼんぼんに政治は任せられない。 
 

西暦は使えない?

先日、運転免許の更新手続きをしてきた。 6年ぶりに『ゴールド免許』復活。 この間2回の更新の手続きは、いわゆる「悪質者講習」だったので、2時間の講習を強いられたが、今回は30分で済んだ。

 ただ、120分の講習でも、中嶋悟や片山右京が出ているDVD等は、交通事故の訴訟で主張するヒントになったりしていたので、それはそれで、有用ではあったのだが・・・

 で、その更新手続きの最初の方に提出する書類に、「平成」と印刷されたところがあり、非国際的な「元号」は使いたくなかったので、二重線で消して「2014」と書いたら、「これではだめだ!」と言われてしまった。
 ちょっと食い下がろうかとも思ったが、窓口の人に「裁量」はないだろうから、言うだけ無駄と思って書き直して提出した。 なんか気分が悪かった。
 免許更新の手続きは、免許を維持しようと思えば避けて通れないにもかかわらず、なぜ、なぜあんな江戸時代のような、日本でしか通用しない「元号」の使用を「強要」されなければならないのだろうか。
 あんなのがあるから、年代の把握がしづらくて仕方がない。 昭和の最後が何年で、7日ほど重なっていたはずで、今「平成」で言えば何年だから、最初の年は昭和の・・・・・  大概途中でいやになって、手帳の早見表を引っ張り出すことになる。  
 国際化がどうとか言いながら、全然国際的じゃない。
 そういえば、逮捕勾留期間が23日間も認められるようなきわめて珍しい国は日本くらいしかない。
 この点でも、ものすごく「後れている」。 

下関を通過

 下関の裁判所に行く機会があった。

 新下関で在来線に乗り換えるのか、と思っていたら、新下関に止まる新幹線がほとんどない。乗換検索で見ても、一旦「小倉」にまで行ってから下関に戻るルートが表示される。 新下関から裁判所までは、だいたい6㎞、下関から裁判所まではだいたい3㎞、タクシーを使うとすると、小倉周りの方が安くつく。
 1回行くと、だいたいの地形がわかるので、2回目に行った時は、下関から裁判所まで歩いてみた。
 思っていた以上に「坂」が多い。 
 時々、携帯の地図を見ながら裁判所を目指すのだが、とある地図には「簡易裁判所」という表示のみが出ている。
 目的地は「山口家庭裁判所下関支部」なので「山口地家裁」とか「下関裁判所」ならよかったのだけど、「簡易裁判所」だと、ひょっとしたら別の裁判所を目指しているのかも? と不安になる。 
 別のアプリから別の地図を開くと、同じ場所で「山口地家裁下関支部」と表示されていた。
 まぁ、その場所は、「山口地家裁下関支部」と「下関簡裁」が一緒になっているので、どちらの表示も間違いではないが、必ずしも一緒のところばかりではないので、ちょっとあせった。
 さて、肝心の結果の方は、無事2回目で調停成立。 よかった。
 帰りに、下関に来たんだから「ふく」(下関ではそんな表記が多かった。「福」と架けているだろうな)でも、とちょっと思ったが、季節もあるし、やっぱり財政がついてこない。
 で、結局、小倉に移動してから、だいぶ遅い昼ご飯(ちょっと早い晩ご飯)を食べて、帰りの新幹線に乗り込んだ。 九州と本州って結構すぐに渡れるもんなんだ。

パソコン依存・・・

 この間仕事用に使っていたパソコンのウィルスソフトを入れ替えようと、作業を始めたら、なぜか私の使っているパソコンだけ相性が悪いのか、いろいろと不具合が生じてしまった。

 メールが初期化されてしまっている。なので過去のメールはなくなり、アドレス帳も登録なしの状態に。
 文書類を保存していたファイルが、行方不明になってこれまで作ってきていた文書類が消えてしまった。(一部は、2カ所に保存するようにしていたので、助かったものもあるが、そのファイルの場所を発見するまでにまたいろいろと長ーい時間を要することに。しかも、その作業をしていったんシャットダウンすると、また元の木阿弥状態になることを数回繰り返し・・・  結果から見ればものすごい無駄な時間を使ったことに。) 
 いくつかのソフトが消えてしまっている。
 事務所内のネットワークには入れないので印刷もできない。

 ということで、この1週間ほど、ほんと仕事になりませんでした。 パソコンに頼り切っていることを改めて痛感。
 漢字もますます書けなくなるし、「依存症」といってもいいのかも。

 そのパソコンも、数年は使ってきていたので、ここが潮時と新しくすることにした。痛い出費。
 結局、なんか変になってしまったけど、そのソフトを削って、いろいろやってたら変になった状態から少しは使えるようになったので、家に持って帰って、使うようにした。
ほんと、パソコンに使われてしまっているな、と実感した1週間だった。

巧みというべきか・・・

時間がないとき、やむなくタクシーを利用することがある。

「そこで止まって」といっても、すぐには止まらず、数メートルは先に行く。
その間に、料金メーターが カチャ っと変わる。 変わったところで止まって、高くなった料金が当たり前のように請求される。
1度や2度なら、まぁこんなこともあるか、というところだが、何度も続くと、意図的としか思えなくなる。
たとえば家庭裁判所への入り方も、手前から入ればいいものをわざわざ奥の方(といっても2~30メートルしか違わないが)から少し遠回りしてはいる。 計ったように料金メーターは、止まる4~5メートル手前で変わる。 乗ったところからすれば、ちょうどメーターの切り替わるぎりぎりの距離でもあり、敷地内に入る前に変わっていれば、しゃぁないなぁとも思うが、止まる直前に切り替わることが記憶にあるだけでも片手で足りない。
この前もやられた。 それも、メーターが変わってから1~2メートルしか進んでいない。 だいたいの目処を言っておいて、「ここでいいです」と言ってから10メートル程度進んでいる間の出来事だった。
しょうもない、みみっちい話だが、何となく気分が悪い。 消費税が上がり、それに応じて、タクシーの料金の変わる走行距離も短く設定されるようになった。 しかも、表示されている距離とGPSを使って測っていた距離がことなり、タクシーの表示している距離よりも短い距離で変わっていっていた。 タイヤのサイズを小さくしているのではないかと勘ぐってしまう。 
庶民の生活を圧迫する消費税増税に改めて怒りを感じたのでした。

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