1. 岡根弁護士のぼやき論壇

岡根弁護士のぼやき論壇

「受刑者 手錠を外して出産へ」

12月30日の東京新聞のニュース「受刑者 手錠外し出産へ」というのがあった。

 といことは、これまでは、収監されている人が妊娠をしており出産をするときには、手錠をしたままの状態だったということなのか。 記事によると、これまでは、片手に手錠をしその手錠に付けた縄を刑務官が持っていた、ということで、医師の指示により外すこともあったという。
 逃亡のおそれを過剰なまでに危惧して身体拘束をする今の司法の発想からすると、そうだったんだやっぱり、、、、というところだが、なんと異常な制度なのだろうか、とあきれてしまう。
 出産は、母子の生命の危険さえも生じかねない場面であり、逃亡どころ騒ぎではないであろう。 刑務官がついているのであれば、分娩室の外で待っているだけで、仮に逃亡を図ろうとしても対処できそうな気がする。そもそも、分娩室に入っているということはまさに出産の直前(数時間から数日かかることはあるとしても)であり、そんな出産直前や出産直後に「逃亡」などの行動がとれる状態であるとは考えられない。 まぁ、可能性はゼロではないのだろうが、そんなおおよそ考えられないような低い可能性のために、手錠をはめたままの出産を強いられるとはなんとおそろしいことか。
 これを機に運用が変更されるようであるが、遅きに失したとしか思えない。
 こんなことをしていて、本当に「更生」につながると考えているのだろうか。 それとも、今の受刑には、本人の更生や再社会化は、発想にないのだろうか。 なんと悲しい社会であることか。

目撃

22時30分過ぎに事務所を出て、ゆっくりジョグでの帰り道(ひたすら西に向かう)、信号が替わり交差点を越えて10メートルほど進んだところで、自転車が道路を横断しようとした。 交差点から少し離れたところで、交差点では北向きは赤。 

 自転車がセンターラインに至るか至らないかという辺りで、スローダウンしたように見えた。 東から西向きにバイクが交差点を通り抜けてきたので、危ないなぁ、と思っていたら、その次の瞬間、ガシャーーン という音と、西向きに火花を散らして滑っていくバイクが目に入った。
 どうも、バイクがセンタラインよりから自転車をかわしていこう(前方不注視で見てなかったのか?)としたのか、ほとんどブレーキをかけた気配もなく衝突をしたように見えた。 まぁ、暗かったので詳細は分からないが、元々は、横断禁止の場所を横断しようとした自転車が悪いんだろうけど、普通なら「邪魔だ!」と思いながらの避けていくんだろうな、と思った直後に「何で?」という感じで衝突しているところからすると、どっちもどっちという感じなんだろうな。
 多分、一番近くで衝突した瞬間を目撃してしまったこともあり、臨場した警察官に簡単な現場での説明を求められた。
 自転車に乗っていた人は、バイクが自転車の前輪辺りにあたって転んだだけで、すぐに立ち上がっていたが(大きなたんこぶを作って、少し出血はしていた)、バイクの運転者は、歩道に倒れたままで(多分道路中央辺りに倒れていたのを近くにいた人が歩道に移動させてくれた)、救急車に乗せられるときもほとんど言葉を発せられないような状況だった。 意識はあったので、大事には至らないと思うけど。 なお、2人とも(別々の)救急車で病院に運ばれていった。 すぐ近くに病院はあったんだけど、そこはその日の救急担当ではなかったみたい。
 しかし、何でバイクは、横断していこうとする自転車の進行方向であるセンターライン側から通り過ぎようとしたのだろう? 過失割合からすると、自転車の方が悪くなってしまう気もするけど、バイクが普通に注意をしていたら、十分に避けられた(のではないか)と思うだけに、バイクの方が落ち度は大きいような気がする。
 ところで、確かに間近で目撃はしたけど、衝突した位置はどこかなど点で示せ、といわれると正直よく分からない。 実況見分調書って、ほんとの位置関係は、絶対いい加減だ、と改めて感じたのでした。
 

認知の無効 (判例紹介)

血の繫がりがないのに、認知をした男が、自ら認知をしたことと相反する無効の主張をすることが出来るのか、という問題に、最高裁判所が一つの判断を示した(平成26.1.14第三小法廷判決)。

 学説では、血縁関係がない場合には認知は無効である、というのが通説。
 自分の子ではないことがはっきりしているのに、無効といえて当然だろう、とも思えるが、そう簡単ではないらしい。
 民法785条には、「認知をした父又は母は、その認知を取り消すことができない」と定めてある。 なので、騙されて認知をしてしまったら、取り消せない、ことになる。
 786条には、「子その他の利害関係人は、認知に対して反対の事実を主張することができる」とある。
 一方、婚姻中に生まれた子どもは(正確には「懐胎した子」)、たとえ本当の親子関係がなくても「夫の子と推定する」(772条)とされるから、血縁関係のない親子関係ができる。
 この辺は、親を選べない子の保護をどうするのか、という価値判断とも大きく関わってくるところだろう。また、かつてのDNA鑑定などのなかった時代に親子関係が不安定になってはならないということもあったのだろう。
 これに対して、婚姻関係にない男女間の子の場合は、少々事情が異なるようで、そこには法律上の夫婦親子関係を保護しないといけないというような考え方が働かないことになる。
 ここでは、認知をした者が一旦認知をした以上その意思を尊重し、無効の主張は認めない、とするのか、血縁関係の有無という事実関係を重視するのか、という価値判断で、結論が分かれるところだった。
 この点、最高裁判決では、(単純に言い切ってしまうと)事実関係を重視して、785条で否定されるのは「取消」であって、「無効」とは異なること、認知した者も786条の言う「利害関係人」に当たると解釈できることから、たとえ血縁上の父子関係がないことを知っていても、無効主張はできると結論づけた。
 認知するに至った事情もいろいろあるから、個別事情は個別に対応したらいいので、取りあえず、一律に無効主張は駄目とはしないようにした、ということだ。 なので、この判決が出たからといって、常に無効主張が認められるわけでもない。 結構複雑・・・
 

法廷ものを題材にするドラマも結構ある。 司法関係者が主人公になる場合、どうしても主人公の役割に光が当てられて、その他の役割はなんか悪役っぽく描かれることもこれはやむを得ない。

 ただ、それはいいとして、基本的な視点を疑ってしまうようなシーンが目に付くと、ちょっと待ってよ、という感じになる。 フェースブックなどで、このドラマを批判していた同業者の人もいて、同じように感じてたんだ、確かにそうだな、と思うこともいっぱいあった。
 最終2話は、いわゆる「えん罪」を1つのテーマにしていた。 それ(えん罪)を罰してしまったかもしれない、という元検事がえん罪を作り出してしまったことを悔やみ、検察官をやめる、というか、司法の世界から足を洗った、という設定である。
 えん罪というものは、普通、間違った逮捕から始まり、(国際的には異常に長期の)勾留期間での取調をへて、典型的には、真犯人と見誤り起訴してしまう、それを裁判所も見抜けないまま、有罪判決が出てしまう、という構造となる。
 有罪判決が確定するまでは、「無罪推定」といって、目の前の被疑者・被告人が無罪かもしれない(少なくともその可能性がある)ということを前提としてそれぞれの手続等は進められなければならないはずである。
 ところが、HEROの1シーン これから取調を始めます、という時期の検察官と検察事務官とのやりとりの中で 目の前の被疑者をとらえて 「こいつは被疑者」 と扱われていた。 えん罪を作り出したことを悔やんで、司法界から足を洗ったという人を取り扱っている同じ話の中で、間違った逮捕かもしれない(少なくともその可能性のある)、という段階ですでに「こいつ」扱いである。
 個人的には、感覚的に、有罪が確定しても「こいつ」とはいいたくないが、それはともかく、このドラマの中では、えん罪者と被疑者が完全に切り離されている、としか考えられない。 被疑者の中には、一定数はやってもいない人(えん罪)が含まれている。 たまたま後にえん罪が明らかになった人でも、以前は皆「被疑者」だったのである。
 ドラマの中では、えん罪を作り出した「反省」は全くないというしかない。
 ドラマだから、面白おかしく描ければそれでいいのかもしれない。 しかし、「被疑者」=「有罪」という思い込み(逮捕されたら一件落着、というような報道を含めて)をこれ以上助長させないことを願う。 ましてやそれを「正義」とはいってほしくない。 
 思い悩んで、司法界を去ることを余儀なくされるほど重大な問題なのだから。

高速代、割引がなくなった!!!

 毎年、はかったように祇園祭が終わると、日本一暑いのではないかと思われる「京都の夏」がやってくる。 ただ、今年は、祇園祭の「後祭り」が復活した(らしい)。 先祭りの後、一回、山鉾は解体して、再度組み立てるらしい。 その後祭りも先日終わった。 結構な人出だったと新聞で見た。

 まぁ、近くにいるとあえて行くことも少なく、今年は、1回も山鉾をみないまま、祇園祭の人混みに紛れることもなかった。 
 それでも、祇園祭が終わると、ほんとはかったかのような「夏」がきた。 気温だけを比べると、今日は大阪の方が1度予想気温は高く、京都が突出して高いことはない。 それでもそんな大阪に行っても、京都に戻ってくると「暑ぅっぅーーーーーーー」となる。 何が違うのかはよくわからない。 湿度もそれほど違うわけではないはずだし・・・・ 
 私たちがかつて経験していた「暑さ」とは絶対に異質だと思う。 熱中症で倒れるのもやむを得ない。 日本は、もう既に温帯ではなく、亜熱帯になっている(はず)。 
 こんな暑くては仕事にならない、というので、夏休みをとろうか、とも思ったが、今年から? ETCの割引率がむちゃくちゃ悪くなった。 消費税は上がるわ、ガソリン代は高騰するわ、その上高速代までえらく割高になる。 自民党政権というのは、とことん庶民の財布を狙い撃ちにする。
 レジャーどころではない。
 ところで、国内の購買力を上げなければ、日本の経済は衰退する。 多国籍企業は日本の経済には無関係。というか、悪くする方にしか作用しない。 それなのに、そんな大企業向けの法人税減税のために今度は中小企業の増税がやってくる。 要は、庶民の生活は顧みず、庶民から搾れるだけ搾ってやろうやろうというのがアホノミクスの正体。 こんなお粗末きわまりないぼんぼんに政治は任せられない。 
 

西暦は使えない?

先日、運転免許の更新手続きをしてきた。 6年ぶりに『ゴールド免許』復活。 この間2回の更新の手続きは、いわゆる「悪質者講習」だったので、2時間の講習を強いられたが、今回は30分で済んだ。

 ただ、120分の講習でも、中嶋悟や片山右京が出ているDVD等は、交通事故の訴訟で主張するヒントになったりしていたので、それはそれで、有用ではあったのだが・・・

 で、その更新手続きの最初の方に提出する書類に、「平成」と印刷されたところがあり、非国際的な「元号」は使いたくなかったので、二重線で消して「2014」と書いたら、「これではだめだ!」と言われてしまった。
 ちょっと食い下がろうかとも思ったが、窓口の人に「裁量」はないだろうから、言うだけ無駄と思って書き直して提出した。 なんか気分が悪かった。
 免許更新の手続きは、免許を維持しようと思えば避けて通れないにもかかわらず、なぜ、なぜあんな江戸時代のような、日本でしか通用しない「元号」の使用を「強要」されなければならないのだろうか。
 あんなのがあるから、年代の把握がしづらくて仕方がない。 昭和の最後が何年で、7日ほど重なっていたはずで、今「平成」で言えば何年だから、最初の年は昭和の・・・・・  大概途中でいやになって、手帳の早見表を引っ張り出すことになる。  
 国際化がどうとか言いながら、全然国際的じゃない。
 そういえば、逮捕勾留期間が23日間も認められるようなきわめて珍しい国は日本くらいしかない。
 この点でも、ものすごく「後れている」。 

下関を通過

 下関の裁判所に行く機会があった。

 新下関で在来線に乗り換えるのか、と思っていたら、新下関に止まる新幹線がほとんどない。乗換検索で見ても、一旦「小倉」にまで行ってから下関に戻るルートが表示される。 新下関から裁判所までは、だいたい6㎞、下関から裁判所まではだいたい3㎞、タクシーを使うとすると、小倉周りの方が安くつく。
 1回行くと、だいたいの地形がわかるので、2回目に行った時は、下関から裁判所まで歩いてみた。
 思っていた以上に「坂」が多い。 
 時々、携帯の地図を見ながら裁判所を目指すのだが、とある地図には「簡易裁判所」という表示のみが出ている。
 目的地は「山口家庭裁判所下関支部」なので「山口地家裁」とか「下関裁判所」ならよかったのだけど、「簡易裁判所」だと、ひょっとしたら別の裁判所を目指しているのかも? と不安になる。 
 別のアプリから別の地図を開くと、同じ場所で「山口地家裁下関支部」と表示されていた。
 まぁ、その場所は、「山口地家裁下関支部」と「下関簡裁」が一緒になっているので、どちらの表示も間違いではないが、必ずしも一緒のところばかりではないので、ちょっとあせった。
 さて、肝心の結果の方は、無事2回目で調停成立。 よかった。
 帰りに、下関に来たんだから「ふく」(下関ではそんな表記が多かった。「福」と架けているだろうな)でも、とちょっと思ったが、季節もあるし、やっぱり財政がついてこない。
 で、結局、小倉に移動してから、だいぶ遅い昼ご飯(ちょっと早い晩ご飯)を食べて、帰りの新幹線に乗り込んだ。 九州と本州って結構すぐに渡れるもんなんだ。

パソコン依存・・・

 この間仕事用に使っていたパソコンのウィルスソフトを入れ替えようと、作業を始めたら、なぜか私の使っているパソコンだけ相性が悪いのか、いろいろと不具合が生じてしまった。

 メールが初期化されてしまっている。なので過去のメールはなくなり、アドレス帳も登録なしの状態に。
 文書類を保存していたファイルが、行方不明になってこれまで作ってきていた文書類が消えてしまった。(一部は、2カ所に保存するようにしていたので、助かったものもあるが、そのファイルの場所を発見するまでにまたいろいろと長ーい時間を要することに。しかも、その作業をしていったんシャットダウンすると、また元の木阿弥状態になることを数回繰り返し・・・  結果から見ればものすごい無駄な時間を使ったことに。) 
 いくつかのソフトが消えてしまっている。
 事務所内のネットワークには入れないので印刷もできない。

 ということで、この1週間ほど、ほんと仕事になりませんでした。 パソコンに頼り切っていることを改めて痛感。
 漢字もますます書けなくなるし、「依存症」といってもいいのかも。

 そのパソコンも、数年は使ってきていたので、ここが潮時と新しくすることにした。痛い出費。
 結局、なんか変になってしまったけど、そのソフトを削って、いろいろやってたら変になった状態から少しは使えるようになったので、家に持って帰って、使うようにした。
ほんと、パソコンに使われてしまっているな、と実感した1週間だった。

巧みというべきか・・・

時間がないとき、やむなくタクシーを利用することがある。

「そこで止まって」といっても、すぐには止まらず、数メートルは先に行く。
その間に、料金メーターが カチャ っと変わる。 変わったところで止まって、高くなった料金が当たり前のように請求される。
1度や2度なら、まぁこんなこともあるか、というところだが、何度も続くと、意図的としか思えなくなる。
たとえば家庭裁判所への入り方も、手前から入ればいいものをわざわざ奥の方(といっても2~30メートルしか違わないが)から少し遠回りしてはいる。 計ったように料金メーターは、止まる4~5メートル手前で変わる。 乗ったところからすれば、ちょうどメーターの切り替わるぎりぎりの距離でもあり、敷地内に入る前に変わっていれば、しゃぁないなぁとも思うが、止まる直前に切り替わることが記憶にあるだけでも片手で足りない。
この前もやられた。 それも、メーターが変わってから1~2メートルしか進んでいない。 だいたいの目処を言っておいて、「ここでいいです」と言ってから10メートル程度進んでいる間の出来事だった。
しょうもない、みみっちい話だが、何となく気分が悪い。 消費税が上がり、それに応じて、タクシーの料金の変わる走行距離も短く設定されるようになった。 しかも、表示されている距離とGPSを使って測っていた距離がことなり、タクシーの表示している距離よりも短い距離で変わっていっていた。 タイヤのサイズを小さくしているのではないかと勘ぐってしまう。 
庶民の生活を圧迫する消費税増税に改めて怒りを感じたのでした。

袴田事件、再審開始決定!!

静岡地裁は、今日(27日)、袴田事件で、再審開始を決定した。

重要な証拠については、捜査機関がねつ造した疑いもあるとしており、また、刑と拘置の執行停止も決定し、「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」と言及した。

 これに対し、検察側は、この決定を不服として東京高裁に即時抗告をするという方針である、ということらしい。

 48年もの間、死の恐怖(死刑判決ですので)に曝し続け、検察官はこの上まだ恥の上塗りを続けるのであろうか。

 もともと、警察での自白調書は信用できないとして証拠とすることが否定されながら、たった1通の検察の調書だけで死刑判決を下した、とんでもない「欠陥」判決である。地裁でこの判決を起案したといわれる裁判官自らが無罪だと思いながら有罪判決を書かされたという曰わく付きの判決である。

 1日も早く無罪が確定し、健康状態を取り戻され、平穏な生活を取り戻されることを祈っています。

何で来ないの?

先日、天気が心配だったので(歩いていて途中で降られたくないので)、早めに最終のバスで帰ろうとバス停に向かった。 時刻表を見ると、最終の時間は、22時43分となっている。 バス停に着いたのは、22時40分。 間に合った・・・   と思ってバスを待っていた。

 ところが、異なる系統のバスは来るのに、肝心の帰宅に適したバスが来ない。 おかしいなぁ、と思いつつも、バスなんてよく遅れるし・・・ 
 しかし、夜10時くらいになると、そんなに混んだりしないし、普通はバスでもほぼ時間通りに来ることが多い(ように思う)。 しかし、その日は来ない。 最終バスが、まさか時刻表の時間よりも5分(バス停に向かう道でもそのバスには追い越されていない)以上も早く出るとは思いもしない。
 でも、やっぱり来ない。 15分ほど待っただろうか。 さすがにあきらめて、歩き出した。
 次のバス停には、バスがだいたいどこまで来ているのかを示すボードも備えられている。 で、そのバス停を通り過ぎると、待っていたはずのバスは、なんと「終了」と表示されている。

なんだ、これは! である。 
仕方なく、1時間かけて歩いて帰った。 何とか雨は帰り着くまでは降らなかったので、濡れずにはすんだ。 
しかしなぁ、こんな時刻表だったら意味がないんじゃなかろうか。 せめて最終くらい、その時間よりも早目にでるのはやめてもらいたいものだ。 

後半、やっぱり失速・・・

木津川に続いて、京都マラソンも当たってしまったので走ってきました。

前半は、何とか4時間を切るのも可能なペースで走れていましたが、やっぱりそのペースが持ったのは25キロくらいまで。
 そこからあとは、目に見えてペースが遅くなり、足が前に進まなくなってしまう。 途中の給水ポイントで、スポーツドリンクだけではなく、クリームパンやおたべ、チョコレートをいただきエネルギーの補給をするも、後半にがんばれる体力が残っていません。
 今回は、肩胛骨の外側辺りの筋肉(大円筋?)が痙ることはなかったのですが、代わりに?ヒザや腰にピリピリと電気が走る嫌な感じがしてました。 単に後半がんばれなかった言い訳ですけど。
 朝9時にスタートして、午後1時過ぎにようやくゴール。 今回もまた「4時間」の壁は切れませんでした。 しかも、去年より4~5分遅い・・・  「ランナー」の仲間入りは、今回もお預けとなりました。 
今回の記録だと、1キロについて、約20秒縮められれば4時間は切れるんですけどね。 ただ、20秒は大きいです。 
 中には50歳台で、4時間どころか、3時間を切る人もいますが、化けもんです。 体のつくりが違うとしか思えません。
 まぁ、楽しむためには、ぼちぼちが一番いいのかも・・・・・

もう動けん。。。。。

 2月2日の日曜日、木津川マラソン大会が行われた。 およそ1年ぶりのフルマラソン(1回しか走ったことないけど)。 しかも、昨年9月からジョギング禁止で、今年に入ってようやく膝を庇いながらのジョギングを再開したところ。 ヒザをまたやってしまったらとゆっくりしか走れない。 先日4~5ヶ月ぶりに10キロほど走ったが、傍目にはゆっくり走っているように見える人にもついて行けなくて、凹んでしまった。

 そんな状態で、42キロも走りきれるのか、正直不安だらけだが、エントリーしてしまったからには走っておこう、ということで朝7時半頃、木津川に向けて電車に乗り込んだ(申し込んだ時点ではまだヒザは元気で、ジョギング禁止になるなんて思ってもいなかった)。
 スタート直前には、雨が降ってきたが、すぐ止んだ。 ただ、道路は水たまりやぬかるんでいるところもある(河川敷のコースなので)。 
 最初の頃は、「4時間」のペースランナーにくっついて走っていたのだが、これが維持できたのは16㎞辺りまで。 そこから徐々に遅れだし、あと半分という頃には足が思うように動かなくなってしまっていた。 今から思うと、無謀な試みだった・・・
 それこそ25㎞過ぎ当たりからは、「苦行」となる。 脇の下辺りが痙りかけたときには、何でこんなとこが、というのと共に「もうあかん」と言う思いが頭をめぐる。 片道10㎞くらいの左右への往復コースなので、後半の往路では何度途中で引き返そうと思ったことか。
 あと500メートル、というところまで来ても、あとちょっとだからと頑張る気力が出てこない。
 ゴールまではほんと遠かった。 最後の方は、歩いているのと変わらない位だが、とにかく気持ちだけは「走って」いたのが唯一の救い。 
 なんとかかんとか、ゴールはしたものの、足はがくがく、しばらくは計測用に靴に付けていたチップも外せない。  正式タイムはよくわからないけど、腕時計だと、4時間26分くらいだった。 
 今回も「ランナー」の仲間入りはできず(4時間を切らないと「ジョガー」の域を抜け出せないらしい)。
 2日経っても筋肉痛・・・・・・・・・
 

自転車事故で5000万円近い賠償が

自転車で走行中に歩行者と衝突してしまい、その歩行者が打ち所が悪く死亡してしまったという事故が起こりました。 自転車でも結構なスピードが出ることから、凶器にも変わります。 この判決が出た件で、加害者側は支払うことができるのかなぁ、と余計な心配をしてしましました。


 自転車は、手軽な乗り物で、免許もなく乗れますし、京都市内での移動手段は場合によっては自転車が最も便利な乗り物ともいえそうです。 ただ、結構混んでいても走ってますし、ちょっとした接触事故なんかは誰もが体験しているのではないでしょうか。

 ここ数年(以前からあったのかもしれませんが)、自転車が加害者となる重大事故が起こっており、対策を講じなければならないという問題意識は持たれるようになっています。ただ、日本の道路事情からなかなかこれは!といった解決策は見つかっていないようです。 車道と歩道の他に自転車道も設けられれば、随分と自転車の事故は減るように思います。 ところが、烏丸通ではせっかく自転車専用レーンが設けられたのに、違法駐車が並んでいて「自転車専用レーン」の意味がなくなっています。

 それは兎も角、自転車で事故を起こした場合、自転車も「車両」ということもあり、車の事故と同じような責任が生じる場合があります。 高額の賠償義務を負うこともあるわけです。 ところが、自転車には、「自賠責保険」のような加入が義務付けられたような保険がありません。 万が一のために保険に入っていないと、一生債務奴隷になってしまいかねません。 このところ、専用の保険もあるようですが、保険料が高額という印象があります。 ただ、火災保険などのオプションに自転車事故もカバーできるものもあるようです。 

手帳

年が変わって、新しい手帳を手にしている人も多いことと思います。

いろんな種類があって、選ぶのにも結構時間がかかり、100%満足できるようなものはなかなか見つからないように思えます。 電子手帳やタブレットを使っている人も多くなって、手帳に手書派はだんだん少なくなっていっているのでしょうか。 その方向が強くなることに危惧感を強めてます。
ところで、ここ数年、4月から始まる手帳を使っています。 この業界の年度替わりが4月からなので、4月はじまりの方が何かと便利というか、気分的に合っているような気がします。
ただ、困ったことに、4月はじまりの手帳は、まだあまり使っている人が少ないからか、2月の半ば過ぎでないと市場に出回りません。 これは、きっと、1月はじまりの手帳をなんとしも売り切ってからしか4月はじまりのは出さないぞ、ということなんだろうと勝手に思っています。
1月はじまりだと、11月には手に入ります。 2ヶ月は重なっています。 なので、それほど困らない(といいつつしばらくは2冊持ってないと困るのですが)。
しかし、4月はじまりでは、1ヶ月ちょいしか重ならないので、1月や2月に次の期日が4月とかになると、書く欄がないという事態が生じます。 せめて4月の末までは載せておいてほしいのですが、そのような手帳はまずありません。
珍しいものとして、1月はじまりから4月はじまりに切り替えるとき、たまたま、1月からの12ヶ月分と(前の年の12月分は入っている)翌年の3月末までという16ヶ月分の欄がある手帳を見つけました。 これは(切り替えには)便利でした。 
この業界の仕事をしていると、3月から翌年の4月か5月まで書き込める手帳がほしいなぁと思います。 まだそんな種類の手帳は見たことがありませんが・・・ どこかで企画してもらえないかなぁ。それも、バーチカルタイプで。

新年・・・・・

あけましておめでとうございます。

ついこの前にも2013年を迎えたような気がして、年々1年過ぎるのが早いなぁと感じてしまいます。
年末年始は、事務所はお休みになるのですが、いろいろあってなんか休んだ気がしません。
さて、昨年末からドクターストップのかかっていたジョギングを、医師に相談無しに少しだけ再開しました。少し走ると、何となくヒザに違和感を感じ、また悪化するのが怖くて、翌日は休み、という感じで、しかも、できるだけ衝撃を与えないようにゆるゆると歩くようなスピードでしか走れません。 なのに、数キロ走っただけで体が重くなって、ペースを上げようとしても全然上がりません。 フルマラソンを走ったときよりもかなりペースが遅いのに、5キロも走れば足が前に出てこない有様です。
わずか3ヶ月、間を開けただけでこんなに体力が落ちたのか、と愕然としてしまいます。
(もともと10キロ40分を余裕で切っていた何十年前とは全く比べようもありませんが・・・)
そうこうしているうちに、2月にエントリーしている大会まであと1ヶ月を切ってしまいました。 こんな状態で、果たして42キロもたどり着けるのだろうか、といきなり弱気になってます。 でも、ここで無理をして、再発してしまえば元も子もありません。 とりあえず、2月頭の分は、試しの練習というくらいにしておかないと、精神衛生上よろしくなさそうです。 まぁ、ゆるゆるジョギングができるようになっただけでも、3キロを歩けなかった10月と比べると相当にマシな状態なので、感謝しないと・・・

鈴鹿サーキットで遅走

弁護士会の交通事故委員会にも所属していることから、交通安全研修を受けてみよう、ということになりました。 講習とかいろいろあるんだろうな、と思っていたのですが、ほとんど1日中、車に乗ってました。

往復の運転手役もしていたので、他の人よりも運転時間が長くなってます。
車の安全のためには、どうしてもに身につけないといけないのが、「止まる」技術です。 ブレーキ踏みゃ止まるやん。 と思ったら大間違い。 タイヤの状態や道路の状態(乾燥しているのか、雨模様なのか等)でも大いに異なるところですが、その状態で最も効率のいいブレーキの踏み込みを行わないと、思ったところでは止まりません。 スピードを出しすぎていれば、どんなブレーキ操作をしても「残念!」という結果になりますが、適度なスピードでも、踏み方ひとつで制動距離が数メートル違ってきます。 この数メートルが、犯罪者となってしまうか、「あぶなかった~」で終わるかの、分水嶺です。
意外とできないのが、急ブレーキといいながら、思いっきり踏み込むことができないこと。 これは、運転姿勢にもよりけりで、シートを後ろに下げすぎていたり、ふんぞり返っているような背もたれの状態にしていたら、この時点で急制動はできません。 かけているつもりでも、踏み込みの初動が遅れ、踏み込み圧も不足します。 左足で腰をシートに押しつけながら、右足でブレーキペダルを思いっきり踏み込む。 最近の車は、ABSが付いているので、とにかく踏み込むだけでもいい。 その際、ハンドルは切らない。ハンドル操作をすると、止まるまでの距離が長くなります。
ブレーキやカーブ、スラロームの練習の後、サーキットを3周だけ走らせてもらいました(講習のコースに入っている)。 もう少しスピードを出せる組に入りたかったのですが、それでも、楽しい体験でした。 サーキット内では、横転したりスピンをしたりという「伝説」は作れませんでした?が、それにしても、今の車は、無茶な操作をすると勝手に少しでも適正な動作をするように抑制をするようにできているようです。 
 自分の運転技術の未熟さを痛感するとともに、交通事故を防ぐには、とにかく予測範囲を拡げ、無茶をしないこと。 車間距離は、最低2秒。 つくづく、安全運転を心がけないと、自分だけじゃなく、同乗者も不幸にしてしまうことを実感しました。 

うわっ やってまった

先週、土曜日。 とあるところに、「秘密保護法」の学習会に出かけた。 希代の悪法といわれる法律をどうやったらなくせるのか。 どうやったら、適用をできないようにできるのか。 いろんなところで、いろんな弁護士達がこんな恥ずかしい法律を通した政府と安倍を追い詰め、いかに使いにくい法律にするのか、最終的に廃止に追い込むにはどうしたらいいのか、を考え行動している。

 そんな中、初めて行く学習会場に、地図やレジュメ、資料などを準備して、地下鉄に乗り込んだ。
 駅におりて、ちょっと場所を確認してみよう、とカバンを見ると、その資料ファイルが入っていない。 えっと思い何度も見るが、やっぱりない。 行き先も、近くまでは来ているのものの、正確な場所がわからない。電話番号も、資料の中にはあるものの、手元にはない。 どうしよう。 
うわっ やってしまった・・・・・
第二土曜は、事務所も休み。 今更取りに帰る時間もない。
誰かいて! と事務所に電話をかければ、休日出勤?をしていた彼がいた。  
おかげで、何とかレジュメもFAXで送ってもらい、何とか対処できた。 ホッと一息。 あぁたすかった。。。
資料一式は、机の上に置いたまま。 カバンに入れ忘れていた。 何しに行こうと思っていたのやら。
で、秘密保護法は、間違いなく「違憲」の法律である。 だから、違憲の法律は無効である。 いかにも、憲法を知らない安倍・自民党政権が作った法律らしい。 米国では、こんな法律を通した日本政府の質の悪化を嘆く記事が出ていた。 「愛国法」の下でよう言うわ! という気もするが、それほどレベルの低い法律が成立したということだ。 この法律の危険を伝えて、必ず廃止に追い込まないといけない。 1人でも多くの人が立ち上がれば、廃止にもできる。 「嵐が過ぎ去った」なんていってるやつには思いっきり鉄槌を食らわしてやろうじゃないですか。

道路交通法改正 自転車に厳しく

12月1日から道交法が変わったのはご存じでしょうか。 いろんなテレビ番組でも取り上げているようですが、未だに守っていない人がたくさんいるようです。

前から、自転車は、左側通行だったのですが、歩道のない道路の路側帯(歩行者の歩く部分を示すような白線の引いている道路の端側)では、路側帯部分であれば左右どちらを通ってもよかったのです。
これが、曖昧であったり、自転車は右側を通ってもいいという勘違いを生み出しており、事故の元だったので、路側帯でも左側通行を徹底しようということです。 これを守らないと、「3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金」となってしまうかもしれませんので、要注意です。
昨日の夜(既に12月になっている)、自転車で丸太町通りを走っていたら、前から無灯火で逆走してくる自転車に2台遭遇しました。 やっぱりあぶない。 
歩道から後も確認せずに車道に飛び出す自転車や(自転車通行可の)歩道を徐行ではなくすごく飛ばして走っている自転車をよく見かけます。 たまたま事故を起こしてないからいいけど、見ていてひやひやします。 
後ろを確認せずに、突然斜行する自転車もよくいて、何度急ブレーキをかけさせられたことか。 そんでもって、「あぶないなぁ」と文句を言う。 「あぶないのはおまえや!!」  事故を誘発させそうになっておいて被害者側に向かって文句を言ったらあかんよ。
車に乗りだして始めて気付く人も多いと思うけど、自転車って、車の運転手からはものすごく見えにくくて、あぶないことこの上ないんだから、自分の身を守るためには、安全運転を心がけましょう。 急いでいるとおろそかになりがちですが・・・・・・

「子ども」

京都市からなにやらアンケートが送られている。保健福祉局子育て支援部 児童家庭課とある。

その封筒に「子ども・子育て支援に関する・・・」との記載がなされていた。

いつもは、京都市のやることは批判的に見るが、さすがに福祉局の子育て支援というだけあって(何をしているのかは資料がないので評価できませんが)、最低限のことは押さえているなぁと感心した。

いろんなところの表示には未だに「子供」と記載されていることが多い。 これを、子どもの未来とか、子どもの福祉とかいっているところがやっていると、ほんまにちゃんと考えてるのかなぁ、と疑念が生じる。
子どもを、独立した人格の主体とみるのであれば、「子供」と表現したらあかんでしょ。 
とりあえず、「供」の字の意味を調べてみると、「人の後に付き従っていくこと。また、主人に仕え、付き従う人。従者。」とある。
ようするにこの表現は、大人の供え物、お供という意味合いを含んでいる。「従者」である。
子どもを独立した人格主体として考えるのであれば、言葉自体がそのようには捉えているとはいえない表現は避けるべきである。 とはいえ、「こども」という言い方自体は定着しており、これを今更変えるのも困難である。 なので、そのまま受け入れた上で、記載するときは「子ども」「こども」という表現を使ってほしい。
憲法13条にも「すべて国民は、個人として尊重される」とある(憲法の中で最も大事なところ)。 「私権の享有は、出生に始まる」(民法3条1項)として、権利の主体となるためには、この世にオギャーと生まれるだけでいい。それ以外に要件はない。 性別や出身地、税金の額、思想や信条など、全く関係ない。 この世に生を得たら、それだけで、「個人として」尊重されるのである。 大人も子どもも関係ない。 
注意してみていると、本当は子どものことなんてきちんと考えていない人たちは、「子供」という表現を使っているケースが多い。
そして、自民党の改憲案、「個人」を削って、「人」にしてしまった。 本当に1人1人の人を大切にするんであれば、こんな改正はできないはずだ。 自民党のホームページには、「日本の将来を担う子供たち」とある。 やっぱりな、である。 だまされてはいけない。

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