1. 2013年4月

2013年4月アーカイブ

この数年間、海外視察という名目での京都市会議委による海外旅行が中断していた。

これは、あまりにもお粗末な「視察目的」と「視察内容」の為に、何で議員1人当たり100万円(かつては120万円)もの費用を注ぎ込んで、海外豪遊を納税者である私たちがさせてやらねばならないのか、という疑問に答えきれなかったからである。
それが、5年ほど経ってほとぼりが冷めたら、また持ち上がってきた。
本当に必要な視察であるなら、私たち(市民ウォッチャー・京都)も非難はしない。 
議員は、毎月80万円を超える報酬の他に政務調査費として40万円、さらに各会派に調査費議員1人当たり14万円が払われている。 もちろん全部税金だ。
それでも、たしかに、まともに調査に使えば不足もするかもしれない。 しかし、市政のための調査に使っている議員は何割かしかいない。 中には、過去において、議会にほとんど出席もしない議員もいた。
今回、9月に施行予定の動物愛護管理法に対応するための視察ということらしい。
では、このために、各議委員に支払われている調査費用をこれまでどの程度活用してきたのか。何で取って付けたような理由を付けてわざわざ会議にまで行かないと行けないのか。 視察先の予定地は、ドイツやイギリス・フランスのようだ。 
財政難だからと、いろんな予算を減らしているのに、こんなところに注ぎ込む浮き世離れした議員の発想が腹立たしい。 

もう上れん

先日、日吉ダムの周りを走る、日吉ダムハーフマラソンに参加してきた。 朝からの雨模様、昨年は暴風雨だったようで、主催者あいさつでは、天気が気になって夜も眠れなかったとのこと。 天気が回復傾向にあることをいたく喜んでいた「あいさつ」だった。

時々晴れ間も出てきていたが、小雨も降る ややこしい天気と、ダムの上を吹く風が向かい風、横風(追い風の時は余り感じない・・・)とコロコロ変わり、それなりのアップダウンで結構堪えた。
半分も行かないところ辺りで、足が動かなくなってきた。 ゼッケンを見て年代がわかるようになっているが、上の世代にどんどん抜かれる。 頑張ろう、と思っても体が言うことを聞かない。
結局、1月に走ったハーフマラソンの時より2分くらい遅くゴール。 最後数百メートルは、車でもギアを1つ落として上るような坂道。 ほとんど歩くような感じでしか足が前に出ない。
もう上がれん! という辺りでようやくゴールゲートが見えた。
ただ、実際、がんばりが足らなかったのか、1月の時のような筋肉痛が起こらない。 体が楽することを覚えてしまったのか。 こまったもんだ。

新緑

桜も散ってしまった。 近所の仁和寺の遅咲き桜は、まだ咲いている(今まだ見頃?)。 花びらが散り始め、丁度葉が出てくるころの色合いが、”桜もち”の色に似ているので、「桜もちが食べたいなぁ」と思う時期もそろそろ終わる。

山には新緑が芽吹いてきた。 それはそれでいいんだけど、葉が出てくると、枝を行き来する野鳥の姿が見つけにくくなる。 今は、シジュウカラやメジロ、イカルなどがさえずっている。 もちろん、例年のごとく、この時期には、ちょっとぎこちないウグイスも囀っている。 
この木の上から声は聞こえるんだけど、姿が見えない。 双眼鏡も大体の場所の見当がつかないと枝葉しか見えない。
土日、比較的のんびりわんこの散歩ができる遊歩道では、小鳥の声を頼りに姿を探すのも楽しみの1つだ。
今日見たのは、ツグミだったのだろうか。 

憲法を知らない国会議員等

「憲法」と聞くと、小難しい話か、なんか政治的な・・・という反応が返ってくる。

弁護士でも、憲法を学んでいるはずなのに、「弁護士会が政治的な発言をしない方がいい」などと平気な顔で主張する人もいるので、やむを得ないところか。 世の中、ほとんど全て政治的なことばかりなのに、「政治」と聞くと、拒否反応を示すのは、日本の教育の最もダメな影響なのだと思う。
ま、それは兎も角、国会議員は、憲法を尊重し、擁護しなければいけないという憲法上の義務を負っている(憲法99条)。 誤解してはいけないのは、憲法尊重擁護義務は、国民には課していないということ。  これは本当に重要なところだ。
ところが、自民党の改憲案を見ると、この最も基本的なことさえ理解していないことがわかる。
憲法は、国民が、政治をして行くに当たってそれをになう国家に「義務」を課すものなので、国民の義務は、本当に必要不可欠なものだけに限られている。 
権力を持って、独裁をやりたい、好き勝手にやりたい、と思う 例えば安部のような総理には、憲法はやりたいことを制約させられるものだから、「押しつけられた」「邪魔」と感じるのだろう。
これまで、国民の間から「憲法を変えてほしい」なんていう声はない。 むしろ、憲法の定める内容を実現してほしいという願いの方が多い。 それは、今の憲法の下で、曲がりなりにも生活ができてきたからでしょう。 
憲法は、国家権力の行使を制限するもの、つまり、住民の利益を守るために権力の横暴、行き過ぎ、ほったらかしを許さない、そういうものです。 これは、人類の歴史の英知の結晶です。 これを、明治時代に逆戻りさせるような、世界に赤っ恥をさらす「改正」を許してはならない。

これまでの苦労が・・・

先日新聞で、裁判官が盗撮をしたということが話題になっていた。 裁判官は、普通は罷免されたりはしません。 行政に逆らっても、身分保障が憲法で保障されています。 ですので、憲法と自己の良心にのみ基づいて判決ができるように、憲法上はなっている。 しかし、現実は・・・ちょっとむなしさを感じつつ・・・

で、先の裁判官、「公の弾劾」(憲法78条)ということで、弾劾裁判所が「罷免」という結論を出した。「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」があったとされたわけだ。
やったことがやったことだけに仕方がないが、ほんの出来心が、何年もかかってようやく得た資格を失ってしまうなんて、何ともやりきれない思いがする。 
ところで、この弾劾裁判所の裁判員は、国会議員が勤める。 公金を適当に使って、ウソの報告をあげている議員も与党議員に限ったわけではないが、結構問題とされている。
この裁判官を罷免とするだけの、襟を正した国会議員が果たしてどれほどいることだろうか。

境界争い

建物を建てる場合、境界線から50センチメートル以上離さないといけないというルールがあります(民法234条)。 ですので、原則どおりだと、家と家の間には1メートルの空間ができるはずです。 ただ、それとは違う慣習があればそれによるのですが(236条)、どんな慣習があるのかは地域により異なることもあって正直はっきりしないことがむしろ普通でしょう。 
 京都の町並みで、そんな原則どおりに家が建っているところは返って少ないかもしれません。 
 それは兎も角、家を建て替えようとしたところ、突然境界争いが表面化することがよくあります。 実は、役所の図面でも、はっきりしていないところがかなりあります。 建築が終わってしまうと、越境していても回復することは非常に困難となってしまいます。
では、これをどうすれば解決できるのでしょうか。

 土地の境界(公法上の境界で、筆界(ひっかい)ともいいます)について争いがある場合、これまでは「境界確定訴訟」によって定めるしかなかったのですが、2005年には筆界特定制度が創設されました。 
 これは、境界紛争の当事者から申請があった場合に、各地の法務局長が専門家を筆界調査委員に任命して、法務局に新設する「筆界特定登記官」が筆界調査委員の意見を参考にしながら境界を特定するというものです。

 ただ、この「筆界特定」によって境界を特定しても、実は、新たな筆界の形成、確定までの効力はありません。 ですので、やはり従来の境界確定訴訟も必要となります。 
 実際に境界について争いが生じる場合、境界石などの目印になるものがない場合が多く、ひさしなども空間的に重なっているケースもあって、もともとどうなっていたのかよくわからないことも多々あります。 測量図や登記所の公図、古地図、土地の利用状況、昔の事情を知る近所の人の話など、いろんな資料に基づいて決めるしかありません。 ただ、一般の訴訟と違い、裁判所は争いになっている当事者の主張を無視して独自の判断で境界の位置を決めることもできます。 境界争いはまさに隣の人との争いになるので、できれば避けたいところですが、紛争を今後に残さないためにもある時期はっきりさせるようにした方がいいのかもしれません。 放っておくと、時効取得とか主張されかねませんので、権利は自分で守る必要があります。

日常的な出来事は、ブログ「歩け。あるけ。」ものぞいてみてください。

読みが

日曜日、近所の桜の名所をめぐってきた(わんこの散歩で少し遠回りしただけなんですが)。  結構温かくなると読んで、薄手の上着1枚で出かけたら、2月下旬並みの気温だそうで、帰ってきた頃には結構寒くて家ではストーブの世話になった。 

藤波君の活躍を見ていたときもこたつのお世話になっていた(電源は入れていないけど)。 
阪神打線も冷え込んでいたようで、2試合続けて投手見殺し。 いやー寒いなぁ―
途中で、今度は、夕方のお散歩に出かけたので、結果を見ていなかったが、帰ってきて確認すると、2失点(エラーのランナーだったので自責点は1)で負け投手になっていた。 去年、甲子園をわかしていたのに、1年後、プロでも通用するんだ。 すごい能力だ。 

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