1. 2026年5月

2026年5月アーカイブ

日野町事件 三者協議から透けてくるもの

5月19日(火)、大津地裁で三者協議が行われました。弁護団からは、検察官にどのような立証をしていこうとしているのかを明らかにしてほしい、と再三に亘り申し入れていました。しかし、検察とはこういうところだという予想どおり「現在検討中で答えられない」という回答に終始しました。予想できたとはいえ、「早期対応」をすると言っていてこの状況、しかも、その態度表明は、次回期日(6月19日)に「口頭」で行う、それまでギリギリまで検討したい、ということを真顔で宣っておられます。1日か2日前でもいいから書面での意思表明はできないのか、と求めても、応じようとはしません。大津地裁の再審開始決定から既に7年10ヶ月経過していてこの態度です。ありもしない抗告理由を並び立てて、再審公判の開始を妨害し続けてきておいて、更にこれから開始される再審公判でも冤罪被害者の救済を妨害し続ける、これが今の検察組織の実体です。

 この人たち(検察≒法務省)の提案する再審法改正案が、冤罪被害者の救済など欠片も考えていない、実質改悪案であることが、こういうところにも現れています。検察異議について、原則抗告禁止にしても、例外があれば、それを主張しないことなど考えられません。なので、完全に禁止でなければ意味がありません。それとも、日野町事件での抗告申立が、改正案なら申立てていなかった、つまりいい加減な根拠しかないけれど申立てていました、ということを「自白」するのでしょうか。今の検察がそんな正直に自らの悪態を認めるとは思われません。そもそも、身代わり犯人発覚のような再審請求(これは検察申立が多い)を除くと、幾多の冤罪事件の中で、再審開始が認められるケースは、数年に1度程度しかありません。それにも関わらず、再審請求審では、本当は当事者でさえない検察に異議を申し立てられることにしていること自体、本来であれば恥ずべき法律制度であることを自覚する必要があります。とある番組で元検察官が「無罪を出したがる裁判官がいる」などと発言していましたが、本当にそんな裁判官がいるのなら「連れてきてくれ!」と言いたい。そんな裁判官が1人もいなかったから、多くの冤罪被害者が泣かされ続けてきている現状を、検察官は、全く理解もできないのでしょう。

 同時に(それよりも重要かも)、再審開始を導きうる重要な課題は、捜査側の握っている税で集めた莫大な証拠を、主権者である国民に対し、明らかにすること、つまり、証拠開示を幅広く認めることです。国会審議において、議連提出法案の内容にいかに近づけるか、これが冤罪被害者の救済が期待できる改正になるのかならないのかの試金石です。

再審見直し案?

5月1日朝日新聞に「再審見直し案 妥結か断念か」という記事が載っている。法制審の再審法改正案について、自民党内での議論で異論が出ている。

再審法の改正は、死刑判決確定から44年(逮捕されてからは58年)という途方もない時間の後、再審が開始され無罪となった袴田事件を契機として、冤罪被害者の救済のためにと議論が始められた(もっと前から議論はされていたが立法化の作業までは全く至っていなかった)。冤罪に苦しめられている人を救うことこそが、改正の課題であった、ハズだった。誰かが解散総選挙をごり押ししたために廃案になってしまった議員立法法案は、まさに冤罪被害者救済のための法案となていた。

ところが、法制審という検察の別組織とでもいうべきところが作ってきたものが、今自民党内で議論のされている改正案であるが、その内容たるや、あまりにもひどすぎる。検察は、冤罪を自ら作ってきたという反省が微塵もない。無実であるにもかかわらず長年に亘り獄中に閉じ込められている人の1年や2年など考慮するに値しない、とでもいっているに等しい。自民党内で議論が紛糾するのは、ある意味当然である。

再審開始決定に対し、検察の異議申立を禁止するということについて、「安易に再審公判に移行すれば、法的安定性が著しく害される」として反対をしているとある。あきれてものが言えない。これまで、「安易に」再審開始決定が出されたことがあったのか。馬鹿も休み休みに言え、と言いたい。無罪に繋がる証拠も何年にも亘り隠し続けておいて、ようやく辿り着いた再審開始が、「安易」とは、これまでの冤罪事件を全く理解していない、理解しようともしていないとしかいいようがない。その姿勢がこの文言に色濃く表れている。

私たち(請求人、日野町事件弁護団や支援者ら)が、26年も掛けてようやく得たものが、「安易」とでも言いたいのか、死刑の恐怖に毎日毎日さらされてきた袴田さんの得た開始決定が「安易」に出されたとでも言いたいのか。確かに、検察は、恥知らずにも袴田事件の再審公判でも、「死刑」を求刑している。1年も味噌に漬かった血のりの付いたシャツの赤みが残っているなど現実的にあり得ない。捜査機関による証拠捏造で1人の命を奪おうとしていたことについて、全く反省もしないし、証拠をまともに見ようともしない。兎に角、1度出した結論は、それが大間違いであっても維持しないといけないというのが、法制審の発想としかいいようがない。

法制審の出した改正案なら、ない方が遙かにましだ。誤った判決が維持されていることが「法的安定性」に資する、とは、被害者の苦しみを全く理解もできない、理解をしようともしない、いかにも検察らしい発想ではある。おそらく、検察には冤罪という概念が存在しないのだろう。しかし、現実には、冤罪に苦しむ人が何人もいる。だから、本来の「公益の代表者」であるのであれば、救済の芽を摘むことがないことにこそ腐心すべきなのである。法制審の案は、それこそ廃案にするしかない。

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