冤罪の被害者を救済することを目的としていたはずの、再審法改正が、法務省≒検察の横やりにより、まさに焼け太りのような改悪法が成立してしまった。検察は、自己の間違いである冤罪について、全く反省もしないし、冤罪被害者を救済しなければならないという意識が微塵もないことを鮮明にしたのがこの「改正」法案であった。
これまで、少なくとも5名の誤った死刑判決についてでさえ、再審が認められ、ようやく無罪となった、それなのに、その冤罪被害者が求めるような改正が無視され、これまで通り、あるいはそれ以上に冤罪被害者の救済が困難となる「改正」再審法ができてしまった。厚顔無恥とはまさにこの「改正」を推進した法務省≒検察を表す言葉であるようだ。
できてしまった「改正」法、確かに、自民党を始め議連に加わった国会議員のそれこそ血のにじむような反撃によって、ほんの少しはましにはなっている。とはいえ、証拠リストの開示もないし、開示すべき証拠に制限が付いている(しかも、そもそも「開示」ではなく裁判所に提出をするというものにすぎない)。これでは、今までなら、当たった裁判官によってはなんとか認められてきた証拠の開示さえも認められなくなるおそれが大きくなる。税金で捜査機関が集めた証拠をなぜ独占することができるのか、なぜ最も利害関係のある冤罪被害者がその証拠に触れることさえできないのか、「検察は誤ることが無い」というそれこそ誤った検察の発想に立たない限り、捜査機関による証拠の独占が認められる理屈はない。
ようやく再審開始が決まった日野町事件では、検察は、「有罪主張はしない」とはいうものの、「無罪の論告はしない」という態度を頑なに崩さない。それなら、真っ白な無罪のために、その手の中に持っていて隠し続けているであろう証拠を出すように迫っても、迅速な再審公判に反するというような理屈にならない理屈で開示を拒んでいる。開示に時間がかかるのは、検察がどの証拠なら開示をしてもいいのか等を検討するからであって、既に何十年も検討の期間のあった手元にある証拠を全部出すのなら、迅速な裁判に反するような時間を要するはずが無い。開示さえしてくれるのなら、どの証拠を出すのか出さないのかは、弁護団で早急に対処をしますよ。
そこまで頑なに拒むのは、判明すれば検察にとってやばい証拠があるから ではないのかと、真面目に勘ぐってしまう。ただ、本当にそのような証拠があるのであれば、本当に公益の代表を自覚するのであれば、その証拠を出した上で、その問題点を明らかにすべきことがその役割にかなうはずである。
何にせよ、再審法の「改正」についての5年後の(真の)改正に向けて、地道に活動をしていかなくてはならない ことだけは確かなようです。