1. 小笠原弁護士の“知っ得”

小笠原弁護士の“知っ得”

集団的自衛権についての権力者の”嘘”~その16

 防衛省ホームページのトップページから「防衛省の取組」、「防衛省の政策」、「防衛政策」そして「防衛政策の基本」へと開けてみてください。

  防衛政策の基本には「3 その他の基本政策」として次のような記載があります。

 わが国は、憲法のもと、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い・・・

 そして、専守防衛については、次のとおり説明されています。

 専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいいます

  つまり、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使するのが専守防衛政策であり、これまでの政府の公式説明です。

  ですから、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、自衛の措置として武力行使が許される、との閣議決定による今回の姿勢は、専守防衛政策の転換です。

 
 ところが、権力者は、専守防衛は不変、今後も専守防衛を堅持すると言います。

 嘘ではありません。本当にそう言うのです。

 
  頭がおかしくなりそうですね。

            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の”嘘”~その15

 前回の続きで、もう少し説明しますね。

 権力者は、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、ぎりぎりの自衛措置の範囲内として武力行使が許されると強弁しました。

 つまり、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、自衛の措置として武力行使が許される、というわけです。

 明白な危険があれば武力行使が許される、というわけですから、わが国に対する武力攻撃を想定した場合、現に攻撃が発生していなくても、その武力攻撃の発生前に、明白な危険があると判断できるし、武力攻撃の発生を待たなくても、個別的自衛権の行使として武力行使ができて当たり前、こういう論理につながるのです。

  権力者が、集団的自衛権の行使が許されるとする、9条を無視した屁理屈を追求していった結果、とうとう先制的な武力行使まで今の憲法9条の下でも許され得るという、普通の国の姿へと変貌させ始めたのです。

 徹底した平和主義とか、平和国家日本とか、軍隊を持たない日本とか、戦争を徹底して放棄したとか、日本の平和ブランドを捨てさせた権力者。

 世界の人々から、日本は戦争をしない国だという安心や信頼を失わせた権力者。

  国民に嘘を吐いてまで、憲法を蹂躙してまで、戦争体制を築こうとする権力者。

  安倍内閣は売国的権力者である。

            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その14

 いわゆる限定容認論、厳格な縛り論は、限定にも厳格な縛りにもなっていない、新三要件の有無は政府の総合的判断によるというわけだから、集団的自衛権を行使するかどうかについて、権力者にフリーハンドを与えるものだと書きました。

 
 この点に関連して、もう一つ、個別的自衛権の行使に関しても、新三要件が権力者の権限行使を緩める効果があることに気づきました。

  従来の個別的自衛権の行使第1要件は、

 
 外国の武力攻撃によって、国民の幸福追求権が根底から覆されるという、急迫、不正の事態への対処であること

でしたね。外国からの武力攻撃の発生という明確な要件が、権力者への縛りになっていました。

  ところが、閣議決定以降の、自衛隊法改正論議に関し、現に外国からの武力攻撃を受けていなくても、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときは、個別的自衛権の行使も許されるという議論が始まりました。

  その背景には、アメリカの先制的自衛権論(やられる前にやっつけてしまっても自衛だ)がありますが、それだけではありません。

 権力者は、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、ぎりぎりの自衛措置の範囲内として武力行使が許されると強弁してきました。

 その論理の延長として、個別的自衛権の行使要件も、たががはずれた、たがをはずしたのです。

            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その13

 権力者が、憲法9条の重大な解釈変更であるにもかかわらず、基本的な考え方は変わっていない、解釈の整理に過ぎない、憲法の改正も必要ではない、というあからさまな嘘を吐いていることは何回も書きました。

 もうひとつ、権力者にとって重大な嘘は、新しい3要件が憲法上の明確な歯止めになっている、限定的である、国会によるチェックの仕組みもある、という嘘です。

 新しくなった三要件のうちの、集団的自衛権に関する部分は

 ①わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

  ②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

  ③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

です。

  権力者は、集団的自衛権の行使を限定するために、「おそれがあること」から「明白な危険があること」へと縛りをかけたのだといいます。

  しかし、他国に対する武力攻撃によりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があると認められるのかどうかは政府の総合的な判断によるとするのが、政府の説明です。

  存立が脅かされるとか、権利が根底から覆されるとか、明白な危険があるとか、厳格で限定的な要件だといいますが、要するに、その時々の政府の裁量で判断するというわけですから、フリーハンドを与えていると同じです。

  権力者は、自分の手足が縛られるのを嫌がるわけですね。

 

            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その12

 7月12日付の毎日新聞(朝刊)に掲載(25面)された「15歳のニュース」は大変わかりやすい内容でした。

 この間、権力者の嘘で書いてきた、これまでの憲法解釈を変えたのか、変えていないのかについても、端的に「180度の大転換」とあります。

 以下、大野記者の説明です。

 

  歴代政府が「憲法上許されない」と言ってきたことを「憲法上許される」とする国の方針の180度の大転換なのですから、本来は憲法改正のはず、安倍首相も当初はそのつもり、そのために憲法96条の改憲手続のハードルを下げようとした、しかしうまくいかないので憲法解釈の変更という手軽な道に走った

 しかも「憲法解釈の再整理、一部変更」と言い張る、憲法9条の解釈を抜本的に変更しており、むしろ9条改正に等しいこと(解釈改憲)を行った

  96条の問題の時は「ゲームで思うような結果が得られないから自分たちに都合のいいようにルールを変える動き」と書いた、今回は「ルールを変える」のではなく、そんな手間は掛けず「『そもそも自分たちに都合の悪いルールではなかったんだ』と言いくるめる動き」といえる

 

  もっと、もっと、強調しましょう。

 今回の閣議決定で、安倍内閣は、これまでの解釈を180度大転換させた、抜本的に変更した、と。

  変えたのに変えていないと嘘をつく安倍内閣は信用できない、と。
                                              

            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その11

  安倍内閣は、今回の閣議決定は、憲法解釈の変更ではない、解釈の整理に過ぎない、基本的な考え方は変わっていない、表現もほとんど変わっていない、という丸わかりの嘘をつき続けますから、見ててくださいね、と書きました。

 
 その第一弾というか、内閣官房のホームページに、今回の閣議決定についての一問一答が掲載されました。

 一問一答形式による、国民に対する公式の説明と言うことでしょうね。

  その中の問4、なぜ憲法改正しないのか、との問いを立てて回答しているのは次のとおりです。
    
       
 「今回の閣議決定は、国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るために必要最小限の自衛の措置をするという政府の憲法解釈の基本的考え方、何ら変えるものではありません。必ずしも憲法を改正する必要はありません」

  政府の憲法解釈を「変えた」から、これまで、憲法9条の下では行使できないとする立場だったのが、これからは憲法9条の下でも行使できるとする立場に変わったわけですよね。

  前に書いた例でいうと、これまで暴走を繰り返して他人に被害を与えてきた運転経歴から、原付しか運転できないと決まりを定められて縛られてきたのが、四輪車ではなくて二輪車ならいいという「基本的な考え方」から、これからは1200ccのバイクも二輪車だから運転できる、交通環境事情の変化に過ぎず、二輪車は運転できるというこれまでの考えは変わりません、決まりは変えなくてもいいと言うことです。

 
 権力者の嘘、わかりますよね。

            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その10

 自民党および安倍首相は、同じ政権与党である公明党への配慮そして国民からの批判を回避するために、たいへん気になる言い方をしています。

 というか、ほんとうに丸わかりの嘘をついています。

 それは、これまでの政府の憲法解釈との比較で、今回の閣議決定は、憲法解釈の変更ではない、解釈の整理に過ぎない、基本的な考え方は変わっていない、表現もほとんど変わっていない、という嘘です。

  ですから、解釈改憲であることを前提とした質問に対して、異常な反応で、解釈改憲ではない、これまでの憲法解釈の基本的な考え方を変えていない、解釈を整理しただけだと説明するのです。

  みなさんもご存じのとおり、自民党と公明党は、一緒に政権を担当する際に政策合意をしています。

 その合意内容に、集団的自衛権の行使容認は含まれませんでした。

 正確に言えば、自民党・安倍首相は、当時、すでに集団的自衛権の行使容認に向けて積極的な発言を繰り返していました。

 これに対し、公明党は、集団的自衛権の行使に反対するという立場を明確にしていました。

 この政策課題について、自民党と公明党は異なる立場を国民の前に示していたわけですから、政権合意がどうなるのか、注目されていたわけです。

 結論は、盛り込まれなかった。

  憲法9条の下で集団的自衛権の行使は「許されない」とする立場から「許される」とする立場に「なる」わけですから、それだけで、この「なる」の意味が「変わる」という意味だと、小学生でもわかることです。

 今回の閣議決定にいたる経過を見れば、その「変わる」ことが極めて重大に「変わる」ことであることも明らかです。

  権力者は、これからも、この嘘ははっきりとつき続けます。見ててくださいね。

 

            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その9

 7月1日に閣議決定された「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(以下、7/1閣議決定と言います)の集団的自衛権に関する部分(3項の「憲法9条の下で許容される自衛の措置」の箇所)は、6月27日発表の閣議決定案とほとんど変わりませんし、閣議決定案は高村試案とほとんど変わりません(内容上の小さな違いは後述します)ので、高村試案に対するこれまでの説明は、そのまま7/1閣議決定にも当てはまります。

 つまり、7/1閣議決定も、高村試案と同じように、1972年政府見解との間に論理的整合性がない、基本的な論理の枠内にもない、論理的な帰結として導かれる関係にもない、ということです。

  しかし、安倍首相は、閣議決定後の記者会見の冒頭で、次のように言いました。

 「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません」

  また、北海道新聞の宇野氏からの質問に、次のように応答しました。

   「今回の新3要件も、今までの3要件と基本的な考え方はほとんど同じと言っていいと思います」

   「繰り返しになりますが、基本的な考え方はほとんど変わっていない、表現もほとんど変わっていないと言ってもいいと思います」

  えっ、何? 集団的自衛権の行使は許されないというこれまでの憲法解釈を、今回の閣議決定で変えたのでは? 

 基本的な考え方が変わったのでは?

            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その8

  1972年政府見解は、「憲法は、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じていない、しかし、平和主義を基本原則とする憲法が自衛の措置を無制限に認めているとは解されない、それは『3要件』(外国の武力攻撃によって国民の幸福追求権が根底から覆されるという急迫、不正の事態 国民の幸福追求権を守るためのやむを得ない措置 急迫、不正の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲)の場合に限られる」。

 そうだとすれば「憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」から、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」、と論理展開したことは、これまで述べてきました。

  その上で、1972年政府見解が「平和主義を基本原則とする憲法」を論拠に自衛の措置を制限して『3要件』を提示しているのに対し、高村試案は、安全保障環境の変化を理由に『3要件』の内の第1要件(わが国に対する急迫、不正の侵害)がなくても自衛の措置として武力の行使を認めるものである、1972年政府見解に示された自衛措置の制限根拠に触れず、安全保障環境の変化(その変化から集団的自衛権を認めるに至る必要性も、その必要性を基礎づける事情も極めて抽象的で説得力はありませんが)だけから『3要件』を変更するわけですから、1972年政府見解と高村試案との間に論理的整合性はない、と説明してまいりました。

 
 高村試案は、1972年政府見解の基本的な論理の枠内にはなく、枠外にありますし、論理的な帰結として導かれる関係にもありません。

 
 それでも、権力者は、論理的整合性があり、論理的帰結だと言うのです。

  ああっ、恥ずかしい!

 
            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その7

 高村試案は、1972年政府見解の3要件について、憲法の基本原則である平和主義に立ち戻って論理を展開していない、単に安全保障環境が変わったという理由で変更し、新しい3要件を示しました。

 憲法9条の下で許される自衛の措置とは何か、その解釈を変更するわけですね。権力者の嘘をじっくり見破りましょう。

 憲法の基本原則である平和主義は、前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「この憲法を確定する」と宣言しているように、日本の政府が二度と戦争をしないように定めた基本原則であることは明らかです。

 そして、9条は、1項で戦争と武力の行使を放棄し、2項で陸海空軍その他の戦力を持たない、交戦権は認めないと定めて、非武装平和主義の立場を選択しました。

 120年前に帝国主義国家であったわが国は、日清戦争から太平洋戦争までのいわゆる50年戦争を遂行し、侵略と領土拡大を推し進めました。

 広島、長崎の被爆を契機に敗戦を迎え、新しい日本国憲法は、二度と戦争はしないと誓いました。

 加害者としての経験と被害者としての体験をしたわが国は、また、軍隊は住民の命を守らないことを沖縄戦で痛切に学び、戦争や武力で国際紛争の真の解決をはかることはできないことを知り、発達した現代化学兵器の前に人類はその生存自体を脅かされる現実を認識して、単に戦争放棄を宣言するだけではなく、戦争の手段である軍隊その他の戦力を持たないと決断しました。

 戦争をしようとする政府の手足を完全に縛ったわけですね。

  この平和主義に立ち戻って自衛の措置がどこまで許されるかを考えたとき、高村試案にあるような新しい3要件を導くことができるでしょうか。

 少なくとも、平和主義に立ち戻らず、単に必要性だけを論拠とする議論に、論理的整合性はありません。
 

    弁護士 小笠原 伸児

 

  昨日、これまでの憲法9条と集団的自衛権に関する政府の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する内容の閣議決定がされました。

 これほどはっきりと、憲法を尊重し、擁護すべき義務(憲法99条)に反する行動に出たわけですから、内閣を構成するすべての大臣は速やかに退陣すべきです。

 なぜなら、内閣およびその構成員であるすべての大臣は、憲法規範上、憲法を尊重し、遵守すべき存在として想定されており、安倍内閣はその憲法規範上の資格をみずから放棄したからです。

  京都でも、全国からも、日本を戦争する国にしない、安倍は今すぐ辞めろ、の声が挙がり続けました。当然のことです。

  憲法解釈を誤っている閣議決定は、憲法の最高法規性から無効です。

 また、閣議決定だけで自衛隊が集団的自衛権を行使することはできません。自衛隊法その他の法的根拠が必要です。

 与党は、閣議決定をもとにした各法律案(改正案を含む)を国会へ提出し、衆議院および参議院での数の力を背景に、強行採決を狙っています。

 国会で憲法破壊の法律を強行採決させないのは、主権者国民の力しかありません。

  閣議決定全文は、これまで指摘してきた高村試案をベースにしていますので、引き続き、権力者の嘘を明らかにしていきます。

  安倍首相の記者会見、権力者の嘘だらけでしたね。

 これまでの3要件と新3要件、基本的考え方は変わっていない、表現もほとんど変わっていない、という説明、答弁では、えっ、何っ、嘘っ、って感じで、安倍首相の厚顔無恥さには本当に呆れてしまいました。

 騙されないぞ。みんなも騙されるな。

    弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その5

  わかりやすくなるかどうかはわかりませんが、たとえ話をします。

  1972年政府見解は、卑近な例でいうと、自動二輪車の運転(自衛の措置)は禁止していない、しかし、これまでの暴走経験(平和主義を基本原則とする憲法)から無制限には認められない、あなたには原動機付き自転車のみの運転(3要件を満たす自衛の措置)が認められる、だから1200ccのバイクの運転(集団的自衛権)は認められない、ということです。

 

  これに対し、高村試案は、自動二輪車の運転(自衛の措置)は認められている、変化する公共交通環境を踏まえると、原動機付き自転車だけではなく、500ccのバイクも、1200ccのバイクも運転できるとすべきである、ということです。

 そして、500ccであれ、1200ccであれ、自動二輪車であるから、その運転を禁止していないとする従来の政府見解の論理の枠内である、交通環境の変化に応じて解釈を再整理しただけである、というわけですね。

 
 論理的整合性を求めようとするのであれば、これまでの暴走経験から運転できる自動二輪車を原動機付き自転車に制限した、という論拠に立ち戻る必要があります。

 どうして暴走したのか、どうして制限されたのか、省みるということです。

 しかし、そうした暴走経験に立ち戻るのではなく、公共交通環境が変化したことを理由に、運転できる自動二輪車の範囲を拡大するわけです。

 そして、同じ自動二輪車じゃないか、これまで自動二輪車はよいと言ってたじゃないか、交通環境が変化し、原付だけでは不便になったんだ、これまでの見解の枠内だ、というわけですね。

  暴走経験によって制限されたことへの反省のないことがよくわかります。

    弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その4

 1972年政府見解を下敷きにした問題の高村試案は、次のように述べます。

     
 政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる

 したがって、従来の政府見解における憲法9条の解釈の基本的な論理の枠内で……論理的な帰結を導く必要がある

 (1972年政府見解)の基本的な論理は今後も維持されなければならない

  冒頭のこの部分は、政府の憲法解釈のあり方(私自身は、これまでの政府の憲法解釈は誤っていると考えていますが、それをここでの主題にしていません)としては、法解釈論としても、立憲主義の観点からしても、当然のことです。

 問題は次です。

  1972年政府見解は、自衛の措置も、平和主義の基本原則から、3要件によって制限される、と論理展開しました。

 これに対し高村試案は、安全保障環境が変化したから、3要件よりも緩やかな自衛の措置(わが国に対する武力攻撃が発生しなくてもよい)が許されると論理展開しました。

 
 これは論理の枠を越えて、必要性だけから結論を変更する手法です。

  論理的整合性を求めるのであれば、憲法の基本原則である平和主義が論拠となって3要件を満たす自衛措置しか認められない、という論理に対し、憲法の基本原則である平和主義の考え方からいっても3要件より緩やかな自衛の措置まで認められると論理展開しなければなりません。

 つまり、1972年政府見解の論拠とされる平和主義の考え方に立ち戻って、論理を立てなければ整合性はないのです。

 ここに、論理的整合性があるとする、権力者の嘘があります。

    弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その3

 1972年政府見解は、わが国も集団的自衛権を有しているとした上で、憲法上、その行使は許されないという、従来の政府の一貫した考え方を解説しました。

 

  では、どういう論理で集団的自衛権の行使は許されないとしたのか、ですね。

  まず、9条の戦争放棄、戦力の保持禁止を指摘した上で、平和的生存権や幸福追求権を論拠、わが国の平和と安全を維持し、わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁止されていないと解釈します。
    わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置は許されるというわけですね。

  その上で、しかしながらと展開し、平和主義を基本原則とする憲法が、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないとして、わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置は限定されると解釈します。

 

  ここが大事な論理です。わが国の存立に必要な自衛の措置なら何でもできるというわけではない、平和主義の基本原則から自衛の措置も制限されるというわけです。

 そこから、次の3つの要件を満たす自衛の措置のみ憲法上許されると解します。

  第1は、外国の武力攻撃によって、国民の幸福追求権が根底から覆されるという、急迫、不正の事態への対処であること

  第2は、国民の幸福追求権を守るためのやむを得ない措置であること

 第3は、第1の急迫、不正の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきこと

 

  もうおわかりですね。

 集団的自衛権は、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容にしていますから、第1の要件を満たさないので憲法上許されないという結論になるわけです。

 

    弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その2

 与党協議によって合意をはかろうとしている内容は、協議会の座長をしている高村正彦自民党副総裁の試案です。

 そして、この高村試案は、1972年10月14日、参議院決算委員会へ政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」をベースにしています。

  高村試案では、憲法9条の下で許される武力の行使について、これまでの政府の見解、基本的な論理は、この1972年見解にあると言い、1972年見解の基本的な論理は、今後とも維持しなければならないと言い切ります。
 
  もともと、憲法9条の解釈として集団的自衛権の行使が許されるのかが問題ですから、従来の解釈を変更して、行使が許されるというのであれば、論理的整合性をもたせた条文の解釈論を展開しなければなりませんね。

 今回も、政府は条文の解釈論として展開することはありませんから、そもそもおかしな議論です。

 まあ、その点は差し置くとしても、解釈を変更するのであれば、従来の政府の見解との間に論理的整合性が必要であることは言うまでもありません。

 そこで、権力者の嘘を見破るために、1972年見解をきちんと理解したいと思います。

 

    弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の”嘘”

 政権与党である自民、公明は、これまで認められないと解釈してきた集団的自衛権行使につき、遂にと言うべきでしょうか、認められるとする解釈を打ち出します。

 法解釈変更の可否について、法律の解釈は、明文の範囲を逸脱しない限り、一定の価値判断のもとに変更されることは可能です。決しておかしなことではありません。
 
  政権与党は、この一般論を強調して、日本の安全保障環境が激変しているため、日本の安全保障の実効性を高める必要があるとの価値判断のもとに、今回の解釈変更も当然のことだと主張します。

 解釈の変更は一切ダメという硬直的な発想はどうかなあ、限定的に縛りを掛けて認めるならいいかも、という世論の空気を読んだ、この権力者の主張に、私たちはだまされてはなりません。

 集団的自衛権の行使が認められるとなれば、日本社会のあり方を根本から変更することになります。

 ここはひとつ、ブログを更新して発言します。

    弁護士 小笠原 伸児

「集団的自衛権」行使へ安倍政権が暴走 その3

特別対談

京大人文研所長・山室信一 x 「憲法9条京都の会」事務局長・小笠原伸児

 
96条先行改正捨てていない

小笠原
 参院選を前に安倍首相は当初、憲法改正発議要件を3分の2から過半数へ緩和する96条改正を先行させるもくろみでした。ところが、従来の改憲派の人たちからも「近代立憲主義を理解しない暴挙」と批判され、現時点ではとん挫しかけています。

山室
 世論の支持が得られないと判断して、争点隠しさえ図りましたね。逆に、国民の間に立憲主義についての理解が広がるという効果がありました。参院選では憲法改正に必要な3分の2に達せず、集団的自衛権の行使容認という解釈変更による実質的な改憲をめざす動きを本格化させました。

小笠原
 はい。しかし、自民党は依然として96条先行改正を捨ててはいません。明文改憲と解釈改憲の動きは同時並行と見るべきだと思います。

山室
 今月の月刊誌「世界」(10月号)に、憲法を骨抜きにする一連の言動や動きについて、「『崩憲』への危うい道」と題して一文を寄稿しました。私が対外的に発言する時は、世の中があまり良くない時ですが(笑)、今の事態を見過ごしたら取り返しがつかない。

小笠原
 「憲法9条の思想水脈」の出版は、第1次安倍内閣の時でしたね。

山室
 「世界」に書いた文書の最後に、ナチスの軍人ヘルマン・ゲーリングの言葉を引用しました。彼は国民を戦争に引きずり込む手法について、「簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国家を危険にさらしていると主張する以外には何も必要がない」と語っています。

小笠原
 北朝鮮の核開発や中国、韓国との領土問題を抱える今の日本の状況と重なるものがありますね。

山室
 集団的自衛権行使をめぐる一連の法整備の問題は一般の人には分かりにくいし、一方で耳に入りやすい俗論もあります。今何が起こっているのかを丁寧に情報提供することが必要だと思います。

小笠原
 本当にそうですね。集団的自衛権の行使が容認されてしまうと、9条そのものがあってなきが如き状態になってしまいますので、9条を守り生かすことを一致点にしている「憲法9条京都の会」としても、集団的自衛権の行使容認を許さない運動に正面から取り組みたいと思います。

東北アジアの非核地帯化を

小笠原
 日本国憲法が立憲主義の観点から一番縛りたいのは政府が戦争を起こすことです。これは前文の制定目的からもはっきりしています。それは、1人ひとりの人権を最も蹂躙じゅうりんするものが戦争だと考えているからです。「個人の尊重」を定めた13条の思想からも9条が導かれていると思います。

山室
 憲法9条があったことで、日本は戦後68年間、1人の外国人も殺さず、1人の戦死者も出さなかった。これは立派な日本の伝統です。この伝統を生かす方法を考えないといけない。ASEAN(東南アジア諸国連合)が加盟国を中心に東南アジア友好協力条約(TAC)を締結して、域内での戦争を回避しようとしているように、日本は東北アジアを非核地帯化する努力が求められています。

小笠原
 日本は日米軍事同盟(安保条約)に固執して、今度は集団的自衛権行使に踏み切ろうとしていますが、世界的に見れば軍事同盟は解体、機能停止に陥っているのが実態です。

山室
 ANZUS(アンザス条約)やSEATO(東南アジア条約機構)、ワルシャワ条約機構などは廃止されました。紛争の平和的解決のために地域の安全条約をつくることの方が重要になっているにもかかわらず、日本は逆行しています。

小笠原
 翻って、今の憲法がどうやって平和を構築しようとしているのか、安全保障を図ろうとしているのかを考えると、その鍵は前文が掲げる平和的生存権にあると思います。「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ」るために国際貢献することを求めています。

「諸国民」と連帯し人間の安全保障

山室
 ええ、日本国憲法は「国家の安全保障」ではなく「人間の安全保障」という概念を先駆的に取り入れました。ちなみに、「恐怖と欠乏から免れ」という言葉は、「タイムマシン」や「透明人間」などのSF小説で知られるイギリスの作家H・G・ウェルズが1940年に提唱したものです。いわば、人類的課題を日本は引き受けているのです。

小笠原
 戦争や内戦の原因となる飢餓や貧困をなくすために日本にできることがあるはずです。NGOのレベルでも、医師の中村哲さんを先頭に、アフガニスタンで医療支援や水源確保のための井戸を掘る活動を続けているペシャワール会などがあります。こうした貢献を通じて、世界から信頼される国をつくる、攻められない国をつくることが基本ではないでしょうか。

山室
 その通りです。前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、大事なのは「諸国家」ではなく「諸国民」という点です。どんな国であっても平和を愛する人々は必ずいるはずで、こうした人々と連帯して戦争を防ぐ努力をしようと憲法は言っています。戦力放棄や交戦権否認は危機に対して無策なのではなく、むしろこうした平和構築の方策を問い掛けているのです。一国平和主義ではありません。

小笠原
 国際関係が複雑になっても、人と人とのつながりをどうつくるかが鍵ですね。

山室
 実は、「憲法9条の思想水脈」はハングル語訳されていて、今度中国語訳も出版される予定です。歴史認識の問題をめぐって、政府間がまともに対話できないもとで、日本人にも9条に結実した平和運動や非戦思想の伝統があることを知ってほしいからです。

小笠原
 なるほど。これもひとつの「人間の安全保障」ですね(笑)

やまむろ・しんいち

 1951年、熊本市生まれ。東京大学法学部卒業。衆議院法制局参事、東京大学社会科学研究所助手、東北大学助教授などを経て、京都大学人文科学研究所教授。今年4月から、同所長。専門は、法政思想連鎖史。著書に、「法制官僚の時代」(木鐸社)、「思想課題としてのアジア―基軸・連鎖・投企」「日露戦争の世紀」(岩波書店)、「キメラ―満洲国の肖像」(中公新書)、「複合戦争と総力戦の断層」(人文書院)など。

 

おがさわら・しんじ

 1955年、長野県生まれ。立命館大学法学部卒業。91年、弁護士登録し、京都法律事務所入所。京都弁護士会副会長歴任(2005年)。市民運動として、定住外国人の地方参政権をめざす市民の会事務局長、守ろう憲法と平和きょうとネット代表幹事、STOP!イラク派兵・京都共同代表を歴任。08年から「憲法9条京都の会」事務局長。

 

(「週刊しんぶん京都民報」2013年9月22日付掲載)

「集団的自衛権」行使へ安倍政権が暴走 その2

特別対談(2)
京大人文研所長・山室信一x「憲法9条京都の会」事務局長・小笠原伸児

 
過去の事例は自衛と無関係

山室 
第1次の安保法制懇では、集団的自衛権が行使できる4類型(注4)を答申しましたが、今回は類型化ではなく全面的に認める答申を出すとされています。

小笠原
既に北岡(伸一・国際大学学長)座長代理が「情勢が以前より切迫している」として、示唆する発言を行っていますね。

山室 
そもそも、集団的自衛権行使を容認する立場の有識者だけを10数人集めた私的諮問機関の答申で、憲法解釈のみならず国家の存亡に密接に関わる安全保障の根幹までが決定されてしまう事態には根本的な疑問を感じます。
  
小笠原
 「集団的自衛権は国連憲章で権利として認めているのに行使できないのはおかしい」という俗論がありますが、国連憲章は原則として武力行使を違法としています。それを例外的に安全保障理事会が決議して、集団安全保障の措置をとるなかで軍事的行動がありうるというものです。そして、安保理がそういう措置を行うまでの間に個別的・集団的自衛権を認めることを国連憲章51条(注5)で定めている。個別的自衛権であっても本来は非常に制約的な内容です。

山室
同盟する権利を保持しながら永世中立を堅持するスイスという国もあるように、法律論として何の問題もありません。そういう俗論を振りまく政治家や専門家の見識を疑います。とにかく、集団的自衛権そのものが元々、アメリカや旧ソ連が軍事同盟の存在を前提に国連憲章に盛り込んだものです。過去の事例を見れば、自衛とは無関係のものばかりです。

小笠原
アメリカによるベトナム戦争や旧ソ連のチェコ侵攻、近年では、アフガニスタンへの「報復」戦争など侵略戦争・軍事介入の口実にされてきたのが実態ですね。

専守防衛放棄する海兵隊化

山室
本来平和憲法を持つ日本が最も反対の声を上げなければいけないはずです。今回憂慮すべきことは、安保法制懇の「行使容認」の答申を見越して、「防衛大綱づくりに向けた中間報告」(注6)では、戦後維持してきた専守防衛という原則から外れる海兵隊機能の確保などが掲げられています。

小笠原
ええ、防衛省は年末に策定する新しい防衛大綱を先取りするように来年度概算要求で自衛隊の”海兵隊化”と敵基地攻撃能力の保有を進める大軍拡の内容を盛り込みました。具体的には、米海兵隊が使用する水陸両用車両や長距離攻撃と爆撃能力を持つ最新鋭のF35戦闘機の購入などです。もはや専守防衛の大義名分を投げ捨てています。

山室
集団的自衛権行使に向けた動きと新防衛大綱、防衛省の概算要求は一体のものです。しかし、1つひとつの動きは9条の明文改憲のように目立つものではないだけに、今の憲法体制をなし崩し的に変えてしまう施策に警鐘を鳴らさなくてはいけません。

安保条約での従属性強まる

山室
先ほど小笠原さんがおっしゃった「アメリカと一緒に戦争する」ということの中心には当然、日米安保条約の体制があります。湾岸戦争以来、アメリカは日本に対して米軍の軍事的行動の一端を担えという圧力をかけ続けています。一方で安倍首相は、集団的自衛権を行使できるようになって初めて日本は安保条約における「片務性」を解消し、米国と「対等」の関係に立つことができると主張しています。しかし、日本は基地の提供をしており、この理解は根本的に間違っています。
  
小笠原
その通りですね。「アメリカと一緒になって」とは、まるでそこに日本の主体的、自主的な判断があるかのようですが、実際はアメリカの世界的な軍事戦略の中に自衛隊が組み込まれていく従属関係です。

山室
ええ、集団的自衛権行使を容認することで「片務性=従属性」はいっそう強まりますよ。果たして、これによって沖縄の米軍基地を全部撤去せよと主張できるのでしょうか。

小笠原
沖縄県民の総意を無視してオスプレイを強行配備し、今、京丹後市経ヶ岬に近畿初の米軍基地(Xバンドレーダー)を設置する動きもあります。平和憲法と両立しない安保条約の問題は常に問い続けなければいけない問題です。

山室
沖縄の怒りは頂点に達しているのに、安倍首相はアメリカに行って辺野古での新基地建設を約束してくる。国民の声を聞かずにアメリカばかり向いている。しかし、オバマ政権は日本の軍事的役割の拡大を求める一方で、東アジアの緊張を激化させる動きには慎重な姿勢も見せています。

小笠原
中国を刺激したくないという”苦慮”が垣間見えますね。いずれにせよ、軍事同盟が20 世紀の遺物となったもとで、日米軍事同盟を強化し、東アジアに緊張をもたらすようなやり方は時代逆行です。

 

【注4】(1)公海上で米艦船が攻撃され、自衛隊が反撃する(2)米国に向かう可能性がある弾道ミサイルを日本が撃破する(3)国連平和維持活動(PKO)で他国部隊が攻撃され、自衛隊が反撃する(駆けつけ警護)(4)PKO等で自衛隊が外国軍隊を後方支援する―第1次安保法制懇は、これら4類型について自衛隊が対応できるようにすべきと答申しました。

【注5】自衛権について規定。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」としています。

【注6】今年7月に防衛省が発表。日本の軍事政策や軍事力の規模を決める「防衛大綱」策定に向けて、北朝鮮を念頭に戦闘機やミサイルなどで敵の発射基地を攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有の検討や「島しょ部攻撃への対応」を口実に、自衛隊の「海兵隊的機能」の整備などを求めています。

 

(「週刊しんぶん京都民報」2013年9月15日付掲載)

「集団的自衛権」行使へ安倍政権が暴走~京大人文研所長の山室信一さんと「憲法9条京都の会」事務局長を務める小笠原伸児弁護士との特別対談が、「京都民報」9月15日付け、22日付けに掲載されました。全文を3回にわたってご紹介します。

 

 特別対談 その1

 安倍政権は歴代政権が憲法上、許されないとしてきた「集団的自衛権」の行使(注1)に向けて暴走を始めています。集団的自衛権行使の狙いは何か、憲法9条の価値をどう広げていくか――京都大学人文科学研究所所長の山室信一教授(法政思想連鎖史)と「憲法9条京都の会」事務局長の小笠原伸児弁護士が対談しました。

「法の番人」から「内閣の番犬」に

 

小笠原伸児さん(小笠原)  

はじめまして。2008年に京都憲法会議や自由法曹団京都支部が共催した「憲法記念春の集い」で講演を聞きました。
  
 

山室信一さん(山室) 

そうでしたか。前年(07年6月)に出版した「憲法9条の思想水脈」についてお話ししましたね。この本を出したのは、第1次安倍内閣で憲法改正手続きを定めた国民投票法が国会提出されたことがきっかけでした(07年5月成立)。
  

 小笠原 

いわゆる改憲手続き法ですね。政府は「単なる手続き法」と強調しましたが、あくまで狙いは9条改憲でした。
  

山室 

その通りです。昨年の総選挙の結果、再び安倍政権が誕生し、「憲法改正は私の歴史的使命」とまで述べて、改憲に意欲に見せている、その手法に危機感を抱いています。

 

小笠原 

同感です。今、焦点は「集団的自衛権」行使に向けた激しい動きです。狙いの本質は、アメリカと一緒になって戦争する国にすることにあると思います。17日には「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇、注2)が行使容認に向けた議論を再開しますし、何より極めて乱暴なのは、従来の政府解釈を変更するために内閣法制局長官を「行使容認派」の人物(前駐仏大使・小松一郎氏)に強引にすげ替えたことです。
  
 

山室 

彼(小松氏)は第1次安倍内閣の時の安保法制懇で事務方を務めた人物です。狙いははっきりしています。政府が提案を予定する「国家安全保障基本法案」(注3)は集団的自衛権の行使を前提にしていますので、従来の法制局見解では9条に抵触して提出できないからです。この人事で内閣法制局の存在理由は大きく変わりました。内閣法制局は護憲の府ではありませんが、「法の番人」から、「内閣の番犬」になります。法治国家として、将来に禍根を残すでしょう。

歴代の長官が異例の「異議」

 

小笠原 

小松氏は長官就任後、メディアのインタビューなどで集団的自衛権行使について、「隣家に強盗が入って殺されそうだが、パトカーがすぐ来ないかもしれないので隣人を守る」という例示で正当化していますね。おかしな理屈です。
  
 

山室 

ええ、実際の国際関係で、”隣家に強盗が押し入る=他国が何の前触れもなく攻撃してくる”なんていう状況がありえるでしょうか。事前に何らかの紛争があって、それにどう対処するかという問題です。現実を見ない俗論です。
  
 

小笠原 

山室さんは衆議院法制局での勤務経験があると聞きました。
  
 

山室 

70年代後半です。衆院各党が提案する修正案や議員立法の審査が主な内容ですが、「とにかく憲法に違反してはいけない」と言われながら仕事をしたのを覚えています。結局、ここで働いたことで明治憲法下で法制局長官を務めた井上毅こわし(1844─1895)に興味を持ち、研究の道に進むきっかけになりました。
  
 

小笠原 

そうだったんですか。今回の事態で特徴的なのは、歴代の長官経験者が「国会の憲法論議の蓄積を無視していいのか」「解釈変更はできない」など相次いで異議の声を上げていることです。内閣法制局は戦後の自民党政権のもとで、憲法学界の多数説では違憲とされる自衛隊を「戦力」ではなく「自衛に必要な最小限度の実力」であるという理屈で合憲と解釈するなど悪い役割を果たしてきた面がありますが、そうした立場からも認められないほど無理な解釈だということです。

96条先行改正に通じる邪道

 

山室 

法制局が戦後一貫して憲法9条と相容れない安保条約の体制をさまざまな理屈をつけて承認してきたことは事実です。結局、9条のもとで自衛隊の存在や海外派遣も許容してきたけれども、最後の守るべき一線まで来てしまったということでしょう。それが集団的自衛権行使なんです。これを許したら9条そのものが瓦解します。
  
 

小笠原 

まさに9条の有名無実化です。また、時々の政権の意思で憲法解釈の変更を可能とするなら、憲法への国民の信頼は揺らぎ、法治国家の土台を崩します。立憲主義を無視した96条改憲にも共通する姑息こそくで邪道なやり方です。(「週刊しんぶん京都民報」2013年9月15日付掲載)

【注1】 

自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利。日本政府は、集団的自衛権は憲法9条が許容する「自衛の必要最小限度」を超えるものであり、行使できないとしています。

 

【注2】 

集団的自衛権の行使を全面的に可能にすることを検討する安倍首相の私的諮問機関。委員は13人で、座長は柳井俊二元駐米大使。第1次安倍政権期の07年5月に発足し、翌年集団的自衛権の行使を求める報告書を提出。今年2月に再開しました。

 

【注3】 

自民党が政権復帰前の昨年7月に法案を決定。集団的自衛権の行使を解禁する内容になっています。

ペットフード安全法 その7

 先日、とある事件が解決した後の打ち合わせで、依頼者の方から、おもしろい本をいただきました。犬を母親と間違えて育つ捨て猫の様子を、写真と一緒に細やかに記載した代物で、犬も可愛いけれど、猫も可愛いなあと思える本です。

 さて、今回も、前回に続いて、飼い主のためのペットフードガイドラインの概要についてお話しします。

■  ガイドラインの概要~最初に知っておきたいこと・その2

  犬は、1日分の量を1回で食べることができるほどの大きな胃をもっ
ていて、目の前にフードがあると、お腹一杯になるまで食べてしまうそ
うです。ですから、1日に2回ないし4回に分けて与えるのがいいよう
です。
 
 猫は、昼夜を問わず、頻繁に、少量ずつ食べる習性があるそうです。ですから、1日分を2~3回に分けて与えるか、腐る危険の少ないドライフードを置き餌として使ってもいいようです。もちろん、清潔にしておくことは当然です。

  人間と同じように、犬や猫にも、好きな食材、嫌いな食材があります。それが絵図にして紹介されています。

  最後に、人間の食べ物でも、犬や猫には害を及ぼす食材があります。与えることは避けたい食材(タマネギとかブドウなど)や注意が必要な食材、与えすぎないほうがよい食材などをていねいに紹介されています。
 たとえば、犬にチョコレートを与えると、テオブロミンが原因で、嘔吐、下痢、発熱、けいれんの発作などを起こすそうです。

■  ガイドラインの概要~市販のペットフード

  市販のペットフードには、製品の形状や与える目的によって、様々な種類があります。目的別の分類(総合栄養食、間食など)、タイプ別の分類(ドライタイプ、ウェットタイプなど)、ライフステージ別の区分(哺乳期、離乳期、成長期など)について紹介されています。

  また、市販のペットフードのパッケージやラベルには、そのフードを与えるペットの種類や目的、原材料、与え方、賞味期限などが表示されています。その見方についても紹介されています