1. 集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その8
小笠原弁護士の“知っ得”

集団的自衛権についての権力者の”嘘” ~ その8

  1972年政府見解は、「憲法は、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じていない、しかし、平和主義を基本原則とする憲法が自衛の措置を無制限に認めているとは解されない、それは『3要件』(外国の武力攻撃によって国民の幸福追求権が根底から覆されるという急迫、不正の事態 国民の幸福追求権を守るためのやむを得ない措置 急迫、不正の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲)の場合に限られる」。

 そうだとすれば「憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」から、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」、と論理展開したことは、これまで述べてきました。

  その上で、1972年政府見解が「平和主義を基本原則とする憲法」を論拠に自衛の措置を制限して『3要件』を提示しているのに対し、高村試案は、安全保障環境の変化を理由に『3要件』の内の第1要件(わが国に対する急迫、不正の侵害)がなくても自衛の措置として武力の行使を認めるものである、1972年政府見解に示された自衛措置の制限根拠に触れず、安全保障環境の変化(その変化から集団的自衛権を認めるに至る必要性も、その必要性を基礎づける事情も極めて抽象的で説得力はありませんが)だけから『3要件』を変更するわけですから、1972年政府見解と高村試案との間に論理的整合性はない、と説明してまいりました。

 
 高村試案は、1972年政府見解の基本的な論理の枠内にはなく、枠外にありますし、論理的な帰結として導かれる関係にもありません。

 
 それでも、権力者は、論理的整合性があり、論理的帰結だと言うのです。

  ああっ、恥ずかしい!

 
            弁護士 小笠原 伸児