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2014年7月アーカイブ

集団的自衛権についての権力者の"嘘"~その16

 防衛省ホームページのトップページから「防衛省の取組」、「防衛省の政策」、「防衛政策」そして「防衛政策の基本」へと開けてみてください。


  防衛政策の基本には「3 その他の基本政策」として次のような記載があります。


 わが国は、憲法のもと、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い・・・


 そして、専守防衛については、次のとおり説明されています。


 専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいいます


  つまり、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使するのが専守防衛政策であり、これまでの政府の公式説明です。

  ですから、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、自衛の措置として武力行使が許される、との閣議決定による今回の姿勢は、専守防衛政策の転換です。

 
 ところが、権力者は、専守防衛は不変、今後も専守防衛を堅持すると言います。

 嘘ではありません。本当にそう言うのです。

 
  頭がおかしくなりそうですね。


            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の"嘘"~その15

 前回の続きで、もう少し説明しますね。


 権力者は、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、ぎりぎりの自衛措置の範囲内として武力行使が許されると強弁しました。

 つまり、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、自衛の措置として武力行使が許される、というわけです。

 明白な危険があれば武力行使が許される、というわけですから、わが国に対する武力攻撃を想定した場合、現に攻撃が発生していなくても、その武力攻撃の発生前に、明白な危険があると判断できるし、武力攻撃の発生を待たなくても、個別的自衛権の行使として武力行使ができて当たり前、こういう論理につながるのです。

  権力者が、集団的自衛権の行使が許されるとする、9条を無視した屁理屈を追求していった結果、とうとう先制的な武力行使まで今の憲法9条の下でも許され得るという、普通の国の姿へと変貌させ始めたのです。


 徹底した平和主義とか、平和国家日本とか、軍隊を持たない日本とか、戦争を徹底して放棄したとか、日本の平和ブランドを捨てさせた権力者。

 世界の人々から、日本は戦争をしない国だという安心や信頼を失わせた権力者。

  国民に嘘を吐いてまで、憲法を蹂躙してまで、戦争体制を築こうとする権力者。


  安倍内閣は売国的権力者である。


            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その14

 いわゆる限定容認論、厳格な縛り論は、限定にも厳格な縛りにもなっていない、新三要件の有無は政府の総合的判断によるというわけだから、集団的自衛権を行使するかどうかについて、権力者にフリーハンドを与えるものだと書きました。

 
 この点に関連して、もう一つ、個別的自衛権の行使に関しても、新三要件が権力者の権限行使を緩める効果があることに気づきました。

  従来の個別的自衛権の行使第1要件は、

 
 外国の武力攻撃によって、国民の幸福追求権が根底から覆されるという、急迫、不正の事態への対処であること


でしたね。外国からの武力攻撃の発生という明確な要件が、権力者への縛りになっていました。


  ところが、閣議決定以降の、自衛隊法改正論議に関し、現に外国からの武力攻撃を受けていなくても、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときは、個別的自衛権の行使も許されるという議論が始まりました。

  その背景には、アメリカの先制的自衛権論(やられる前にやっつけてしまっても自衛だ)がありますが、それだけではありません。

 権力者は、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、ぎりぎりの自衛措置の範囲内として武力行使が許されると強弁してきました。

 その論理の延長として、個別的自衛権の行使要件も、たががはずれた、たがをはずしたのです。


            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その13

 権力者が、憲法9条の重大な解釈変更であるにもかかわらず、基本的な考え方は変わっていない、解釈の整理に過ぎない、憲法の改正も必要ではない、というあからさまな嘘を吐いていることは何回も書きました。


 もうひとつ、権力者にとって重大な嘘は、新しい3要件が憲法上の明確な歯止めになっている、限定的である、国会によるチェックの仕組みもある、という嘘です。


 新しくなった三要件のうちの、集団的自衛権に関する部分は

 ①わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

  ②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

  ③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

です。


  権力者は、集団的自衛権の行使を限定するために、「おそれがあること」から「明白な危険があること」へと縛りをかけたのだといいます。

  しかし、他国に対する武力攻撃によりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があると認められるのかどうかは政府の総合的な判断によるとするのが、政府の説明です。

  存立が脅かされるとか、権利が根底から覆されるとか、明白な危険があるとか、厳格で限定的な要件だといいますが、要するに、その時々の政府の裁量で判断するというわけですから、フリーハンドを与えていると同じです。


  権力者は、自分の手足が縛られるのを嫌がるわけですね。

 

            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その12

 7月12日付の毎日新聞(朝刊)に掲載(25面)された「15歳のニュース」は大変わかりやすい内容でした。

 この間、権力者の嘘で書いてきた、これまでの憲法解釈を変えたのか、変えていないのかについても、端的に「180度の大転換」とあります。

 以下、大野記者の説明です。

 

  歴代政府が「憲法上許されない」と言ってきたことを「憲法上許される」とする国の方針の180度の大転換なのですから、本来は憲法改正のはず、安倍首相も当初はそのつもり、そのために憲法96条の改憲手続のハードルを下げようとした、しかしうまくいかないので憲法解釈の変更という手軽な道に走った


 しかも「憲法解釈の再整理、一部変更」と言い張る、憲法9条の解釈を抜本的に変更しており、むしろ9条改正に等しいこと(解釈改憲)を行った


  96条の問題の時は「ゲームで思うような結果が得られないから自分たちに都合のいいようにルールを変える動き」と書いた、今回は「ルールを変える」のではなく、そんな手間は掛けず「『そもそも自分たちに都合の悪いルールではなかったんだ』と言いくるめる動き」といえる

 

  もっと、もっと、強調しましょう。

 今回の閣議決定で、安倍内閣は、これまでの解釈を180度大転換させた、抜本的に変更した、と。

  変えたのに変えていないと嘘をつく安倍内閣は信用できない、と。
                                              


            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その11

  安倍内閣は、今回の閣議決定は、憲法解釈の変更ではない、解釈の整理に過ぎない、基本的な考え方は変わっていない、表現もほとんど変わっていない、という丸わかりの嘘をつき続けますから、見ててくださいね、と書きました。

 
 その第一弾というか、内閣官房のホームページに、今回の閣議決定についての一問一答が掲載されました。

 一問一答形式による、国民に対する公式の説明と言うことでしょうね。


  その中の問4、なぜ憲法改正しないのか、との問いを立てて回答しているのは次のとおりです。
    
       
 「今回の閣議決定は、国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るために必要最小限の自衛の措置をするという政府の憲法解釈の基本的考え方、何ら変えるものではありません。必ずしも憲法を改正する必要はありません」


  政府の憲法解釈を「変えた」から、これまで、憲法9条の下では行使できないとする立場だったのが、これからは憲法9条の下でも行使できるとする立場に変わったわけですよね。

  前に書いた例でいうと、これまで暴走を繰り返して他人に被害を与えてきた運転経歴から、原付しか運転できないと決まりを定められて縛られてきたのが、四輪車ではなくて二輪車ならいいという「基本的な考え方」から、これからは1200ccのバイクも二輪車だから運転できる、交通環境事情の変化に過ぎず、二輪車は運転できるというこれまでの考えは変わりません、決まりは変えなくてもいいと言うことです。

 
 権力者の嘘、わかりますよね。


            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その10

 自民党および安倍首相は、同じ政権与党である公明党への配慮そして国民からの批判を回避するために、たいへん気になる言い方をしています。

 というか、ほんとうに丸わかりの嘘をついています。


 それは、これまでの政府の憲法解釈との比較で、今回の閣議決定は、憲法解釈の変更ではない、解釈の整理に過ぎない、基本的な考え方は変わっていない、表現もほとんど変わっていない、という嘘です。

  ですから、解釈改憲であることを前提とした質問に対して、異常な反応で、解釈改憲ではない、これまでの憲法解釈の基本的な考え方を変えていない、解釈を整理しただけだと説明するのです。


  みなさんもご存じのとおり、自民党と公明党は、一緒に政権を担当する際に政策合意をしています。

 その合意内容に、集団的自衛権の行使容認は含まれませんでした。

 正確に言えば、自民党・安倍首相は、当時、すでに集団的自衛権の行使容認に向けて積極的な発言を繰り返していました。

 これに対し、公明党は、集団的自衛権の行使に反対するという立場を明確にしていました。

 この政策課題について、自民党と公明党は異なる立場を国民の前に示していたわけですから、政権合意がどうなるのか、注目されていたわけです。

 結論は、盛り込まれなかった。


  憲法9条の下で集団的自衛権の行使は「許されない」とする立場から「許される」とする立場に「なる」わけですから、それだけで、この「なる」の意味が「変わる」という意味だと、小学生でもわかることです。

 今回の閣議決定にいたる経過を見れば、その「変わる」ことが極めて重大に「変わる」ことであることも明らかです。


  権力者は、これからも、この嘘ははっきりとつき続けます。見ててくださいね。

 

            弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その9

 7月1日に閣議決定された「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(以下、7/1閣議決定と言います)の集団的自衛権に関する部分(3項の「憲法9条の下で許容される自衛の措置」の箇所)は、6月27日発表の閣議決定案とほとんど変わりませんし、閣議決定案は高村試案とほとんど変わりません(内容上の小さな違いは後述します)ので、高村試案に対するこれまでの説明は、そのまま7/1閣議決定にも当てはまります。

 つまり、7/1閣議決定も、高村試案と同じように、1972年政府見解との間に論理的整合性がない、基本的な論理の枠内にもない、論理的な帰結として導かれる関係にもない、ということです。


  しかし、安倍首相は、閣議決定後の記者会見の冒頭で、次のように言いました。

 「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません」


  また、北海道新聞の宇野氏からの質問に、次のように応答しました。

   「今回の新3要件も、今までの3要件と基本的な考え方はほとんど同じと言っていいと思います」

   「繰り返しになりますが、基本的な考え方はほとんど変わっていない、表現もほとんど変わっていないと言ってもいいと思います」


  えっ、何? 集団的自衛権の行使は許されないというこれまでの憲法解釈を、今回の閣議決定で変えたのでは? 

 基本的な考え方が変わったのでは?


            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その8

  1972年政府見解は、「憲法は、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じていない、しかし、平和主義を基本原則とする憲法が自衛の措置を無制限に認めているとは解されない、それは『3要件』(外国の武力攻撃によって国民の幸福追求権が根底から覆されるという急迫、不正の事態 国民の幸福追求権を守るためのやむを得ない措置 急迫、不正の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲)の場合に限られる」。

 そうだとすれば「憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」から、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」、と論理展開したことは、これまで述べてきました。


  その上で、1972年政府見解が「平和主義を基本原則とする憲法」を論拠に自衛の措置を制限して『3要件』を提示しているのに対し、高村試案は、安全保障環境の変化を理由に『3要件』の内の第1要件(わが国に対する急迫、不正の侵害)がなくても自衛の措置として武力の行使を認めるものである、1972年政府見解に示された自衛措置の制限根拠に触れず、安全保障環境の変化(その変化から集団的自衛権を認めるに至る必要性も、その必要性を基礎づける事情も極めて抽象的で説得力はありませんが)だけから『3要件』を変更するわけですから、1972年政府見解と高村試案との間に論理的整合性はない、と説明してまいりました。

 
 高村試案は、1972年政府見解の基本的な論理の枠内にはなく、枠外にありますし、論理的な帰結として導かれる関係にもありません。

 
 それでも、権力者は、論理的整合性があり、論理的帰結だと言うのです。

  ああっ、恥ずかしい!

 
            弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その7

 高村試案は、1972年政府見解の3要件について、憲法の基本原則である平和主義に立ち戻って論理を展開していない、単に安全保障環境が変わったという理由で変更し、新しい3要件を示しました。

 憲法9条の下で許される自衛の措置とは何か、その解釈を変更するわけですね。権力者の嘘をじっくり見破りましょう。


 憲法の基本原則である平和主義は、前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「この憲法を確定する」と宣言しているように、日本の政府が二度と戦争をしないように定めた基本原則であることは明らかです。

 そして、9条は、1項で戦争と武力の行使を放棄し、2項で陸海空軍その他の戦力を持たない、交戦権は認めないと定めて、非武装平和主義の立場を選択しました。


 120年前に帝国主義国家であったわが国は、日清戦争から太平洋戦争までのいわゆる50年戦争を遂行し、侵略と領土拡大を推し進めました。

 広島、長崎の被爆を契機に敗戦を迎え、新しい日本国憲法は、二度と戦争はしないと誓いました。

 加害者としての経験と被害者としての体験をしたわが国は、また、軍隊は住民の命を守らないことを沖縄戦で痛切に学び、戦争や武力で国際紛争の真の解決をはかることはできないことを知り、発達した現代化学兵器の前に人類はその生存自体を脅かされる現実を認識して、単に戦争放棄を宣言するだけではなく、戦争の手段である軍隊その他の戦力を持たないと決断しました。

 戦争をしようとする政府の手足を完全に縛ったわけですね。


  この平和主義に立ち戻って自衛の措置がどこまで許されるかを考えたとき、高村試案にあるような新しい3要件を導くことができるでしょうか。

 少なくとも、平和主義に立ち戻らず、単に必要性だけを論拠とする議論に、論理的整合性はありません。
 


    弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その6

  昨日、これまでの憲法9条と集団的自衛権に関する政府の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する内容の閣議決定がされました。

 これほどはっきりと、憲法を尊重し、擁護すべき義務(憲法99条)に反する行動に出たわけですから、内閣を構成するすべての大臣は速やかに退陣すべきです。

 なぜなら、内閣およびその構成員であるすべての大臣は、憲法規範上、憲法を尊重し、遵守すべき存在として想定されており、安倍内閣はその憲法規範上の資格をみずから放棄したからです。

  京都でも、全国からも、日本を戦争する国にしない、安倍は今すぐ辞めろ、の声が挙がり続けました。当然のことです。


  憲法解釈を誤っている閣議決定は、憲法の最高法規性から無効です。


 また、閣議決定だけで自衛隊が集団的自衛権を行使することはできません。自衛隊法その他の法的根拠が必要です。

 与党は、閣議決定をもとにした各法律案(改正案を含む)を国会へ提出し、衆議院および参議院での数の力を背景に、強行採決を狙っています。

 国会で憲法破壊の法律を強行採決させないのは、主権者国民の力しかありません。


  閣議決定全文は、これまで指摘してきた高村試案をベースにしていますので、引き続き、権力者の嘘を明らかにしていきます。

  安倍首相の記者会見、権力者の嘘だらけでしたね。

 これまでの3要件と新3要件、基本的考え方は変わっていない、表現もほとんど変わっていない、という説明、答弁では、えっ、何っ、嘘っ、って感じで、安倍首相の厚顔無恥さには本当に呆れてしまいました。

 騙されないぞ。みんなも騙されるな。


    弁護士 小笠原 伸児

 

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その5

  わかりやすくなるかどうかはわかりませんが、たとえ話をします。


  1972年政府見解は、卑近な例でいうと、自動二輪車の運転(自衛の措置)は禁止していない、しかし、これまでの暴走経験(平和主義を基本原則とする憲法)から無制限には認められない、あなたには原動機付き自転車のみの運転(3要件を満たす自衛の措置)が認められる、だから1200ccのバイクの運転(集団的自衛権)は認められない、ということです。

 

  これに対し、高村試案は、自動二輪車の運転(自衛の措置)は認められている、変化する公共交通環境を踏まえると、原動機付き自転車だけではなく、500ccのバイクも、1200ccのバイクも運転できるとすべきである、ということです。

 そして、500ccであれ、1200ccであれ、自動二輪車であるから、その運転を禁止していないとする従来の政府見解の論理の枠内である、交通環境の変化に応じて解釈を再整理しただけである、というわけですね。

 
 論理的整合性を求めようとするのであれば、これまでの暴走経験から運転できる自動二輪車を原動機付き自転車に制限した、という論拠に立ち戻る必要があります。

 どうして暴走したのか、どうして制限されたのか、省みるということです。

 しかし、そうした暴走経験に立ち戻るのではなく、公共交通環境が変化したことを理由に、運転できる自動二輪車の範囲を拡大するわけです。

 そして、同じ自動二輪車じゃないか、これまで自動二輪車はよいと言ってたじゃないか、交通環境が変化し、原付だけでは不便になったんだ、これまでの見解の枠内だ、というわけですね。


  暴走経験によって制限されたことへの反省のないことがよくわかります。


    弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その4

 1972年政府見解を下敷きにした問題の高村試案は、次のように述べます。

     
 政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる

 したがって、従来の政府見解における憲法9条の解釈の基本的な論理の枠内で......論理的な帰結を導く必要がある

 (1972年政府見解)の基本的な論理は今後も維持されなければならない


  冒頭のこの部分は、政府の憲法解釈のあり方(私自身は、これまでの政府の憲法解釈は誤っていると考えていますが、それをここでの主題にしていません)としては、法解釈論としても、立憲主義の観点からしても、当然のことです。


 問題は次です。

  1972年政府見解は、自衛の措置も、平和主義の基本原則から、3要件によって制限される、と論理展開しました。

 これに対し高村試案は、安全保障環境が変化したから、3要件よりも緩やかな自衛の措置(わが国に対する武力攻撃が発生しなくてもよい)が許されると論理展開しました。

 
 これは論理の枠を越えて、必要性だけから結論を変更する手法です。

  論理的整合性を求めるのであれば、憲法の基本原則である平和主義が論拠となって3要件を満たす自衛措置しか認められない、という論理に対し、憲法の基本原則である平和主義の考え方からいっても3要件より緩やかな自衛の措置まで認められると論理展開しなければなりません。


 つまり、1972年政府見解の論拠とされる平和主義の考え方に立ち戻って、論理を立てなければ整合性はないのです。

 ここに、論理的整合性があるとする、権力者の嘘があります。


    弁護士 小笠原 伸児

集団的自衛権についての権力者の"嘘" ~ その3

 1972年政府見解は、わが国も集団的自衛権を有しているとした上で、憲法上、その行使は許されないという、従来の政府の一貫した考え方を解説しました。

 

  では、どういう論理で集団的自衛権の行使は許されないとしたのか、ですね。

  まず、9条の戦争放棄、戦力の保持禁止を指摘した上で、平和的生存権や幸福追求権を論拠、わが国の平和と安全を維持し、わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁止されていないと解釈します。
    わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置は許されるというわけですね。

  その上で、しかしながらと展開し、平和主義を基本原則とする憲法が、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないとして、わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置は限定されると解釈します。

 

  ここが大事な論理です。わが国の存立に必要な自衛の措置なら何でもできるというわけではない、平和主義の基本原則から自衛の措置も制限されるというわけです。

 そこから、次の3つの要件を満たす自衛の措置のみ憲法上許されると解します。

  第1は、外国の武力攻撃によって、国民の幸福追求権が根底から覆されるという、急迫、不正の事態への対処であること

  第2は、国民の幸福追求権を守るためのやむを得ない措置であること

 第3は、第1の急迫、不正の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきこと

 

  もうおわかりですね。

 集団的自衛権は、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容にしていますから、第1の要件を満たさないので憲法上許されないという結論になるわけです。

 

    弁護士 小笠原 伸児

 

略歴

長野県下伊那郡阿智村で出生し、その後、熊本県八代市そして愛知県豊明市と引越をし、名古屋市立向陽高校を卒業の後、立命館大学に入学して、以降京都在住。立命館大学法学部卒業。

1991年
弁護士登録(43期)して京都法律事務所へ入所

2005年
京都弁護士会副会長
市民運動として、定住外国人の地方参政権をめざす市民の会事務局長、守ろう憲法と平和きょうとネット代表幹事、STOPイラク派兵・京都共同代表を歴任。

2008年
憲法9条京都の会事務局長

一般民事事件、不動産取引関係、借地借家関係、交通事故関係、損害賠償関係
破産、債務整理、個人再生、強制執行、執行保全
遺産紛争、相続、遺言、離婚事件、親族間紛争、親子養子関係
労働事件(解雇、雇い止め、未払賃金、未払残業、労使紛争)
刑事事件、少年事件、行政訴訟その他

弁護士の業務は法律相談から始まります。相談を聞く際には、相談者の願いや要求あるいは悩み等を受けとめて、その上で、 法律家として、プロとして、最も良い解決方向を考えるようにしています。法律解釈だけでは、本当の紛争解決にならないこともあることを肝に銘じながら、身近な人たちの感覚や感性、気持ちの持ち方、常識を大切にしたいと考えています。
また、関与している社会的な活動分野は、主に憲法平和問題や教育問題、参政権問題等です。