1. 空飛ぶ弁護士のフライト日誌─DAY10:教えるということ 機長:古川美和
空飛ぶ弁護士のフライト日誌

 私はグライダーの世界において,単なる技術や知識にとどまらない,何か私という一人の人間の核とも言うべきものを獲得してきた。そしてその多くは,自分自身のフライトではなく,「教える」ことによって得られたように思う。
 グライダーに限らず,飛行機の操縦を他人に教えるときには,「操縦教育証明」という国家資格が必要だ。私は大学5回生のとき,この操縦教育証明(滑空機上級)を取った。全国で数百人いる(といってもおそらく300人前後だと思うけれど)同学年の航空部員のうち,この資格を取るのは10人にも満たない。
 資格を取得した人にはライセンス番号が付く。これはこの資格制度が発足した戦前から通算して取った順に振られている番号だけど,私の番号は802。同じように登録順に割り振られる弁護士の登録番号だって,私が32150だからそれだけの人が弁護士資格を取って来たのだ。いかに「操縦教官」という人種が希少種かよくわかる(難しいというより,マニアックなだけですが)。まあ,私だってこれを取るためにわざわざ1年留年したくらいだし,簡単には取れない資格であることは間違いない(自慢)。
 空を飛ぶという技術は,歩くことのように,人間に元来備わっているものではない。訓練生(学生)は,それこそ赤ん坊のように少しずつ,飛ぶことを覚えていくのだ。教えるときは,2人乗りグライダーの前席に訓練生が座り,後席に教官が座って飛行する。操縦桿は,前後席が連動していて,どちらでも操縦できる。最初は教官に全て操縦してもらい,自分は座っているだけ。その後上空の操作から少しずつ練習して,上空である程度グライダーを操れるようになったなら,徐々に離着陸も操縦桿を持たせてもらうようになる。一通り自分で飛べるようになって,教官のOKが出たなら,いよいよ初ソロ(単独飛行)だ。

 最初はいつも練習に使っている2人乗りのグライダーに一人で乗って飛ぶのだが,教官からの技量チェックを繰り返し,少しずつ難易度の高い高性能の単座機(1人乗りグライダー)にステップアップしていく。

 ちょっと考えたらわかってもらえると思うけれど,教官の責任はとても重い。だって,その機体を一人で乗りこなす力のない訓練生にGOサインを出したなら,下手をすれば死亡すらしかねない事故に繋がるんだから。

 私が所属していた日本学生航空連盟の東海・関西支部には,K教官という大教官がいた。同志社大学の航空部OBで,昭和9年生まれ。幾多の学生を育て,滑空界の栄枯盛衰,すべてを見てきた教官の中の教官だった。親分肌で,気にくわない教官は一言で首,出入り禁止にする気性の激しい人だったが,私は学生の頃から本当に可愛がってもらった。私が教官になってからは,「他の子には内緒やぞ。やきもち焼くと困るからな」と言いながら,先斗町の「山とみ」や丸太町の「八起庵」によく連れて行ってくれた。シャンソンが好きで,食事の後は「巴里野郎」というお店によく聞きに行ったものだ。ご自宅にお邪魔して,お屠蘇と奥様お手製のおせち料理を頂戴したことも,K教官が綺麗に手入れをされている竹林を散歩したことも,幾度となくあった。

 そのK教官が,いつも私に言っていたことがある。「教官は,自分の訓練生が上手くなった,と思ったらあかんのや。自分の教え方が上手いと思いたいから,すぐに『ああもう,この子はできるようになった』と思ってしまうけど,それは自分のエゴちゅうもんなんですよ。そう思とったら,訓練生を死なす。」その長いグライダー人生の中で,幾人もの学生の死に立ち会ってきた─偉大なことに,K教官の責任で死んでしまった学生は一人もいないのだけれど─教官の,血を吐くような言葉だった。

 他にもK教官に教えてもらったことは数え切れないけれど,この教えのエッセンスは,私の中のしかとした背骨のようなものになっている。だから私は,自分が伝えたつもりのことが,即座に相手に伝わったとは思わない。「自分が」言いたいことをどう話すか,という自分中心の視点ではなく,「相手が」どれだけ理解しているか,相手により理解してもらうためにはどのように伝えるか,という相手側の視点に立って物事を進めていく。そしてそのことは,弁護士という今の職業においても確実に役立っていると思う。

 K教官は,一昨年に亡くなった。その1年ほど前に,私は自分の結婚のことでK教官の怒りを買い(というのも変な話だけれど,それだけK教官は親身になって私のことを心配してくれていたのだ),絶縁状態になっていた。そのために,私はK教官の死を,数ヶ月後になるまで知らなかった。入院されていたK教官は,私が病の床に駆けつけて謝罪するのを或いは待っていたのではないだろうか。両親とともにご自宅にお邪魔し,お線香を上げながら,あんなに可愛がってもらったのにと涙が止まらなかった。