1. 2012年2月

2012年2月アーカイブ

角淳一さんとトークショーしました

2/19、京都弁護士会の裁判員シンポジウム「裁判員制度の未来~なにわの裁判、みやこの裁判~」が成功裏に実施されました。

「ちちんぷいぷい」でおなじみの(昨年ご卒業されましたが)関西の午後の顔、角淳一さんをゲストにお招きし、京都弁護士会の辻副会長&私が聞き役となって、裁判員裁判についてトークショー。

「京都人と大阪人の違いは裁判に現れるか?」というお題自体に無理があったため(笑)、違いはでなかったかもしれませんが、角さんのお人柄もあって、和やかに話を進めることができました。

アンケート結果を見ると、ご来場の方には楽しんで考えていただけたようで、一安心。

ていうか、こういうのは事前にアップして宣伝しないといけないのに、今頃事後報告してる私です(反省)。

でも、角さんはホント、テレビよりずっと人柄のあったかい、誠実な方でした。テレビだとわからないことって多いですね。

選挙後、脱力

昨日、京都市長選が終わりました。

同じ弁護士仲間の中村和雄さんをホント~~に応援してたんだけど、残念な結果になりました。

なんか、脱力です・・・・

投票率の低さは、政治への不信感。「どうせ変わらない」というあきらめ。私自身も、司法試験受験を始めるまでは、空ばかり飛んで政治無関心なワカモノだったから、よくわかる、気もする。

でも、ほんま勿体ないと思う。1票というスゴイ力があるのに、使わないのは。為政者にとってイチバン都合が良い状態は「無関心」だと思う。

・・・っていうことが、伝えきれなかった。反省。

かくなる上は、当選された市長が良い政治を行ってくれるよう、祈りつつ監視していきたい。

  先週末,久しぶりに懐かしい人たちと会った。私が1回生のときの4回生の先輩,そしてオーストラリアで飛んだときの先生。十数年ぶりなのに,会うと何も変わっていない。

 以前に,私が4回生のとき1回生だった後輩男子の結婚式があったときも,そうだった。久し振りに見る後輩たちは,数年間の社会人経験を経て「それなり」の顔つきをしていたけれど,その奥に,ちっとも変わらない油まみれ,泥まみれの幼い顔が見える。集まれば一瞬にして,あのころの空気がかえってくる。

 空の仲間ってやっぱりいいなあと思う。

 

 さて,その結婚式のときの話。新郎の同期が作成したスライドショーを見ていたら,懐かしいクラブBOXの写真があった。そのとたん,私の耳には,あの明道館の夜明けのラッパの音が聞こえてきた。

 明道館(めいどうかん)。某O大学の部室,クラブBOXが集う前時代の建物。壁全面に,「産学共同体制粉砕!」といったペンキ文字が大書されている。正面向かって右側入口付近の壁にすべてが─コンクリートの壁も床も鏡もかつては白かった便器も─灰色のトイレがあり,トイレのすぐ左手奥のドアが「航空部/自動車部」の部室である。グライダーやレーシングカーの絵が陣取り合戦のように貼り付けられた汚いドアを開けると,マンガがぎっしり並べられた戸棚が部屋の真ん中に仕切り板のように置かれており,右半分が自動車部,左半分が航空部になっている。
 自動車部(通称「シャブ」)に比してわれらが航空部部室の優れた点は,何と言っても「畳の床がある!」。もともとは壁も床も天井もむき出しのコンクリートに囲まれた箱状の部屋なのだが,過去の偉大な先輩方が,部屋の真ん中と玄関に当たる入口部分を除いて,どこから集めてきたのか空のビールケースを床に敷き詰めた。その上に,これまたどこからともなく運び込まれた畳を敷き詰め,真ん中の空いた四角い部分にコタツ机を置けば,あらあら,掘り炬燵のある素敵な居間のできあがり!
 玄関側の端には,もちろんテレビも置いてあり,ファミコン,スーパーファミコン,当時で言えばセガサターン・プレイステーションなどのゲーム機及びゲームソフトが多数完備されている。湯沸かしポットもありますので,お茶も飲めます。畳があれば,当然のことながら布団も欲しい。
 こうして,虫やブラックホール(みかんの皮やカップラーメンの蓋,割り箸,吸い殻,様々な動物の死骸などあらゆるものを吸い込む畳の穴),何かに(恐らくダニ)刺された跡やかゆみや,雑多なものの複合臭などなど・・・さえ気にしなければ,快適な住環境ができあがる。

 こうなれば,当然予想されるのはBOXの「住人」の出現である。滋賀県から2時間かけて通学している先輩などは,夜ドアを開けると大抵「いた」。夜明けの3時,4時といった時間でも,BOXから誰もいなくなるといったことはあまりなかった。
 かく言う私も,ご多分にもれず幾夜もBOXのお世話になった。女の子は危ないから帰りなさい,と言われることも(最初のうちは)あったが,当時の私にはそんなの関係ねえ!である。BOXが,大好きだった。

 壁にはグライダーのカレンダー,天井からぶらさがっている模型グライダー,黒板には下級生向けの学科の跡で翼型の断面図が残り,数々の大会の賞状やトロフィー,積み上げられたアルバムには代々の航空部員たちの汗と涙と夢が眠っている。
 なかば前衛芸術と化した「なんでも帳(通称「でもちょう」)という雑記帳には,部長の似顔絵や部内の勢力図,ときにはポエム,ぱらぱらマンガやグラビアアイドルの切り抜きが。
 4人集まると,「打ちますか」と始まる麻雀の音。「チー!」「啼きますか,啼かれますか」「そう来ましたか,・・そう来られたらこう来なしゃあないわなあ」延々続く意味のない会話。
 「ピコーン!キュルルル・・」傍らで始まる「マリオカート」の対戦。寝ころんで「スピリッツ」を読む先輩。隣の部屋からは「ダートがどうした」「サス(ペンション)がこうした」と言う会話。夜も更けて,だいぶ静かになった明道館に響き渡る軽音ジャズサークルの一員と思しきサックスやピアノの音・・

 夜8時には商店街(という存在すらほとんどない)が真っ暗になるような,一番近いコンビニまで車で8分かかるような,田舎の町から出てきた私にとって,この光景は衝撃だった。そこには確かに,自由の空気が,新しい世界の臭いがあった。
 両親は,私が夜中に電話をかけても帰っておらず,「BOXにいたの」と話すことに心配して,田舎から何度か偵察に来た。案内した明道館は,23時過ぎにもかかわらず多数の学生が出入りし,バンドの練習をしていた。この「眠らない」大学の様子に心底驚いている両親の姿を見て,「ああ,遠くに来たんだな。両親の世界と,私の世界は隔たってしまったんだな。」と,寂しいような,放たれたような感慨を,しみじみ感じたことを覚えている。

 
 今から思えば,無責任で気楽な学生時代。でもそれなりに,小さな世界なりに,切実な苦悩があり,喜びがあり,広がりがあった。私にとってクラブBOXは,あのころの開放感,万能感を呼び起こしてくれる象徴的な存在なのである。