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畑地弁護士の「考える」

  
            

「一般人」って誰やねん?

 砂川市政教分離訴訟の最高裁違憲判断を考える(その2)  確かに、神社などで行われるお祭りなどは、宗教色があまり濃くな く、地域の親睦などの意味合いを込めた「世俗的な行事」という側面 もあります。「神道を信じていないならお祭りに参加しちゃいけない」 なんてことはまずないでしょう。  この事件の神社施設を支えていた氏子集団の方々にしても、自分た ちの宗教が行政から特別扱いされているという意識はほとんどなかっ たのではないでしょうか(氏子たちの神道に対する帰属意識もそんな に高くないかも知れません)。  しかし、憲法は少数者の権利こそ擁護しなければなりません。  この事件の原告の1人はクリスチャンとのことですが、クリスチャ ンという日本社会の中では必ずしも多数派ではない信仰をお持ちの方 がこのような問題提起をしたことは、重く受け止める必要があるでし ょう。  圧倒的多数の人にとって違和感がなくても、それに反する特定の信 仰を有する方の存在を見過ごすことはあってはならないからです。  その点で、本判決が「一般人の目から見て、市が特定の宗教に対し て特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得 ない」・・・云々とあって・・・だから「違憲状態」だとする、その 判断のプロセスには違和感を覚えます。  「一般人」って具体的にどんな人なのでしょうか?  仮に、この「一般人さん」が、「こうした神社施設は宗教的な意味 合いは薄いし、地域親睦にも一役買ってることだし、世俗的な施設に すぎないでしょう」と評価すれば、結論は全く逆になります。  この神社施設を支えてきた氏子集団も、その地域ではある意味「一 般人」と言える存在かも知れません。もしかしたら、「一般人」って 多数の人たちの意見・・・!?   このように、本判決が示した判断基準は、「一般人」の照準いかん によって結論が左右される、ものすごく危ういものだと思うわけです。  この種の違憲訴訟における従来の判断枠組みも似たようなものでし たが、果たしてこんなんで少数者の人権はきちんと護られるんかいな あ・・・と1人の新人弁護士は思うのです。  弁護士 畑 地 雅 之 No.1:砂川市政教分離訴訟の最高裁違憲判断を考える(その1)



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