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畑地弁護士の「考える」

  
            

ちゃんとされてる? 政教分離

 砂川市政教分離訴訟の最高裁違憲判断を考える(その1)  今年1月20日、最高裁は、北海道砂川市が神社施設の敷地として市有地を 無償で使用させていることに対して、「特定の宗教(神道)を援助していると 評価されてもやむを得ない」として違憲の判断をしました。  日本国憲法第20条は、国や公共団体が宗教的活動をしたり、特定の宗教が 国から特権を受けたりすることを禁じています。また、第89条では、宗教団 体へ公金を支出したり、公の財産を利用させたりすることを制限しています。  これらは「政教分離」原則と呼ばれるもので、かつて「神道は宗教にあらず」 として、絶対主義的天皇制を精神的に支え、他の宗教を丸め込んだり、はたま た迫害したりもした戦前の国家神道体制の反省から、「信教の自由」を広く保 障するために生まれたものです。  問題となった施設は、町内会館と一体化しつつも、鳥居や「神社」との表示、 ほこらの存在などの外形から、神社施設にほかならないものです。また、この 施設で催される「祭事」も神道の形式に則っている以上は宗教的な行事だとい わざるを得ないものです。本判決は、これらの事実を認定したうえで違憲判断 をしました(ただし、結論は原告の請求どおりにはならず、高裁に差し戻され ました)。  このように公有地上に存在する宗教施設は全国にたくさんあるようで、この 最高裁判決によって、国や各地の自治体は対応を迫られることになりそうです。 戦後60年以上が経っているにも関わらず、政教分離原則に反した違憲状態を 放置し続けてきたことは、行政の怠慢でしょう。  一方で、こうした状態が長年続いたのは、私たちの宗教に対する意識や感覚 も少なからず影響しているのではないでしょうか。元来日本人は宗教意識が希 薄な方で、私たちの多くは、初詣やお祭りなど特別のことがない限り「神道」 や「神社」的なものを意識することはあまりありませんし、「クリスマス」 「仏式のお葬式」など、私たちの文化にはいろんな宗教が混在していますし、 宗教的な色彩を帯びつつも、宗教的な意味合いに乏しい、かなり世俗化された 行事も少なくありません。  特に神社などは、地域社会にうまく溶け込んでいますし、その敷地が公有地 かどうかなんて、パッと見ではわかりません。  恥ずかしながら、私も、この訴訟についての報道に接するまでは、こういう 問題があることを知りませんでした。             (つづく) 弁護士 畑 地 雅 之



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