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黒澤弁護士の"知ってますか"


   

シベリア抑留国賠訴訟弁護団結成

 去る10月2日京都弁護士会にて、シベリア抑留国賠訴訟弁護団結成会が開かれました。 今後、京都弁護士会の有志12名と原告候補者約50名で年内提訴に向けての活動を開始 することとなりました。そこで、今回は我が国史上最大規模の日本人捕虜が抑留・強制労 働を強いられた歴史的事件であるシベリア抑留問題について取り上げてみたいと思います。 1.はじめに  1945年8月日本が無条件降伏をした際、満州等に駐留していた日本軍のうち、60 万人余の日本軍将兵がソ連軍の捕虜となりシベリアに連行されほとんどの人が2〜4年間 悲惨な強制労働生活を送り、約6万人以上が悲惨な死を遂げた。シベリアでは、日本から 何の支援もなく、強制労働を生き延びてようやく祖国に帰国した後は「シベリア帰りはア カ」といった差別と生活苦が待っていた。今日に至るも日本政府からの補償も謝罪も一切 なされていない。 2.国体護持の犠牲に  敗戦間際、日本政府は天皇制国家を維持することを最重要課題としていた。実際、敗戦 間際に作成された「和平交渉の要綱」では、「海外にある軍隊は現地に於いて復員し、内 地に帰還せしむることに努むるも、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむる ことに同意す」「賠償として、一部の労働力を提供することには同意す」とされていた。 また、関東軍が極東ソ連軍の最高司令官にあてた陳情書では「満鮮ニ土着スル者ハ日本国 籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」とされていた。すなわち日本政府と関東軍は武装解除さ れた日本軍将兵と民間人をソ連軍の労働に従事させるよう申し出ており、満州に残留する 日本人の国籍変更についてまで認容していたのである。そしてこうした日本政府や関東軍 の方針に従って、敗戦前後に関東軍首脳と軍幹部家族らは開拓団員をはじめとする一般の 居留民を置き去りにしていち早く帰国をしてしまった。置き去りにされた一般居留民は残 留孤児となり、ソ連軍に連行された将兵はシベリアで過酷な強制労働を科せられることに なった(中には開拓団員として満州に配置され現地で根こそぎ動員された一般人も多数含 まれていた)。 3.過酷な強制労働  日本政府の発表とソ連側報告書で数字の食い違いはあるものの60万人余の日本人が強 制労働を科せられ、約6万人以上が零下40度を超える極寒、飢餓、重労働で死亡するに 至った。 4.シベリア抑留帰還者に対する冷たい対応  シベリア抑留を受けた日本人は、いわば政府の国体護持の方針の犠牲となった人たちで あるが、過酷な強制労働を生き延びた人たちは帰還後さらなる冷たい仕打ちを受けること になった。日本への帰還は1946年末に始まり、1950年4月にほぼ終了したが、こ の間に米ソ冷戦状況が極めて深刻化し、日本は急速に右翼化の道を歩み始めていた。過酷 な強制労働を生き延びてようやく祖国の土を踏んだ彼らに対して「思想調査」が行われた。 また、当時は「シベリア帰りはアカ」といった風潮が社会の隅々にまではびこり、言われ 無き差別を受けることになった。ここには中国で養父母に育てられた残留孤児達が中国で は敵国日本人の子として非難され、永住帰国後、日本語が話せないことから中国人と言わ れ言われない差別を受け続けてきたことと極めて類似した構造が見て取れる。 5.日本政府の対応  現在まで、日本政府はシベリア抑留者の強制労働に対する国家補償を一切拒否している。 在外原爆被爆者、従軍慰安婦、中国残留孤児らに対する国家補償を一切拒否し続けている ことと全く同様である。捕虜の待遇に関する1949年のジュネーブ条約は、捕虜の未払 い労働賃金を補償する責任は捕虜の所属国、つまり本国が負うことを義務づけている。実 際、米国、英国、オランダ、オーストラリアなどにより南方地域で抑留された日本人捕虜 は、帰国後、抑留中の強制労働に見合った賃金を全額、日本政府の負担で受領しているが、 シベリア抑留者だけがそうした補償を今日なお受けていない。ジュネーブ条約を日本が批 准したのは原告らが帰国した後であり、適用がないという形式的な理由である。 6.最後に  日本政府がさまざまな戦争被害者に対する国家補償を拒んでいることは、日本政府が侵 略戦争の責任を認めることをかたくなに拒んでいることと強く関連している。中国残留孤 児も多くが高齢化し早期解決が必要不可欠の問題であるが、シベリア抑留者は、敗戦時に 既に成人であった人たちであり、より一層時間的余裕がない。彼らのほとんどの思いは最 近の急激な日本政府の右傾化の中で日本政府が国民を棄民・棄兵した事実を後世に伝えな ければならないという使命感によるものである。私たち戦争を知らない世代はこうした方 達の犠牲の上に現在の生活を維持できていることを認識し、その思いを受け止めていかな ければならない。また、そうした出来事を私たちの次の世代にも引き継いでいくことが私 たちの果たすべき役割である。    弁護士  黒 澤 誠 司



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