1. 2011年4月

2011年4月アーカイブ

暗いコンビニ

週末は,1泊2日で東京出張だった。

ここ数年,法廷弁護技術の研修で,ときどき講師をさせていただいており,今回は法テラスのスタッフ弁護士向け研修の講師を担当した。全国各地の法テラス事務所から,後輩激励のために贈られた地酒が勢揃いしていて,楽しい(おいしい)思いをさせていただいた。中でも,「千両男山」だったか,被災した宮古市(「陸前男山」だったとしたら,気仙沼市・・・?)で廃業される蔵元の最後のお酒は,「お,おいしい・・・・」思わず涙がにじむほど美味しかった。

のは良かったのだが,3・11後初めての関東入り。話やニュースには聞いていたけれど,コンビニなど店の電気が一部消されているのには改めて驚いた。

消費マインドの落ち込みによる景気悪化が懸念されているが,実感としてよくわかる。照明が薄暗いと,なんだか「買いものしていいのかな?不謹慎ですみません・・・」という消極的な気持ちになってしまうのだ。

戦後まもない頃も,おそらく街は暗かっただろう。でも,これからの新しい日本をつくっていく,というエネルギーに,街の経済の息吹に満ちていたのではないか。

節電・自粛ムードの中でも,いかに「みんなでやっていこう」と顔を上げ,前を向いた姿勢に国民全体がなれるか,そういう姿勢になれない先行き不透明感にこそ,問題があると思う。

 

 春ですね!寒さはまだまだ残っていても,空の霞み具合や陽のゆるみに春を感じると,それでなくても旅に出たくなるものですが,私にとっては特に,春といえば遠出の季節。
 日本,特に本州では春先が一番グライダーにとって好条件なので,いろんな大会が重なるんですね。3月上旬に日本学生グライダー選手権,いわゆる全国大会があって,続いて七帝戦(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州の7つの旧帝国大学の対抗戦),Ka-8コンペ(Ka-8という4,50年前に設計された機種だけで競われる,実にのんびりした競技会),そして締めくくりは宿敵名古屋大学との対抗戦=名阪戦と,全国大会強化合宿も含めると,2月20日ころから4月15日ころまで,ほとんど丸々2ヶ月間続くのである。しかも全て,板倉(いたくら・群馬県の渡良瀬川河川敷),妻沼(めぬま・埼玉県の利根川河川敷),関宿(せきやど・千葉県の利根川河川敷)等,関東で行われるんですね。つまり2ヶ月関東をうろうろするわけ。
 機体はといえば,板倉→妻沼なんかは直線距離で20Kmちょっとだから,空輸,つまり空を飛ばして移動しちゃうんだけど,妻沼→関宿,関宿→妻沼,それからもちろん大阪と関東との間は,バラして(分解して)トラックで運ぶ,いわゆる「陸送(りくそう)」です。
 この陸送が,めちゃくちゃ楽しいんだな。機体を運搬するトラック,略して機トラ(きとら,古墳みたいですが)と,そのすぐ後ろについて機トラに異常がないか確認したり,機トラの走行を助けたりする伴走車,機材や人を運ぶ機材車数台と,「トラック野郎ご一行様」という感じでみんなでわーっと行く。高速道路の途中,サービスエリア=SAごとに止まって機体の係留に異常がないか確認したり,ドライバーを交代したりするんですよね。ああ,名神・東名高速を何十回往復したことか…。大津・多賀・養老・上条・浜名湖・富士川・足柄・海老名・関越道に入って佐野…今でも目を閉じると上条のカレーや海老名のドーナツや雪の足柄(この話はまたの機会に),各SAの名物や風景がまざまざと目に浮かびます。
 特に一番最後,名阪戦を終えて帰るときなんて無茶苦茶ハイテンション。2ヶ月間,22時消灯6時起床,よくても23時消灯7時起床の集団生活だったわけですよ,SAの雰囲気だけで「シャバだぜ,おい!」とゾクゾクするような高揚感。それでまた,関東には大学で所有している3機か4機のグライダーを全部持って行くんですが,機トラには最大2機のグライダーしか積めないんですよね。そこでどうするか。往復するわけですよ,2回。人はこれをW陸送=「W陸(ダブリク)」と呼びます。

 例えば,ある年のスケジュールをご紹介しましょう。4月14日の金曜日に名阪戦が終わり,昼ごろに表彰式とか閉会式とか終わる。それから順次ご飯を食べながら急いで機体をバラしたり機材を積み込んだり,そりゃもう,怒濤のように撤収します。早くて16時,遅ければ18~19時くらいに,体は疲れているけど目はギンギンの状態で妻沼を出発。足柄にはお風呂と仮眠施設があるので,その日のうちに何とか足柄SAまで行っちゃおうと,23時とか24時くらい。それで車の中でぐーぐー寝て(お風呂とか仮眠施設はお金がかかるので,合宿費でお金を使い果たした哀れな貧乏学生にはそんな余力はありません。お風呂はともかく仮眠施設で寝るなんていう贅沢者は20人強の部員のうち1人か2人くらいなのです,うっうっ。),翌朝6時前に起きて朝焼けの中を出発,ナビ=ナビゲーター(助手席に座っている人。その任務は,道案内と,ドライバーを絶対に寝させないことであり,巧みな話術が求められる。だがしかし実際は,ナビが寝てしまうこともあり,「使えないナビ」となじられる。)にガムなどをもらいながら何とか眠気をしのいで大阪へひたすら走る。
 15日土曜日の昼過ぎ,ようやく大阪に着いたー!と思うと,何とその日は新入生へのクラブ勧誘の日なんですね(わかっていたけど)。持って帰ってきた機体のうち一番かっこいい機体1機を急いで中庭に運んで組み立てて,機体展示。「見てってくださいよ~」と新入生を誘う航空部員たちの目が心なしか淀んでいるのは気のせいではありません。そして,そこで部員は二手に分かれて,部の認定ドライバー資格を持たない人を中心とした部員は機体展示の撤収のため後に残り,ドライバーたちはもう一度出発するんですよね,妻沼に。
 さっき来た道をたどり,夜遅く,再び足柄SAに到着。車中泊して,翌16日の日曜日朝に足柄を出発,10時ころ妻沼に着いたら残っているグライダーを急いで分解し,機トラに積み込みます。もう,なんか朦朧としているんだけど,機体は落としちゃいけないし,慎重に。で,昼過ぎに妻沼を出発して,関越道とか環八とか走って,東名に入ります。でもこの下道が混んでるんだなー,日曜日の夕方で。渋滞なんかすると泣きたくというか,眠りたくなるんだなー。そこを何とかクリアして,東名に入ると,今度は足柄までとは言わず,行けるところまで行っちゃおう,という感じで走ります。だって翌朝は月曜日で,授業があるから。ううう。
 浜名湖とか上条とかで「もう限界」,となり,また車の中で少し寝ます。お風呂入りたいなどと言ってる場合ではありません。そして翌17日月曜日早朝,そうだなー,5時くらいだったかな,起きて走り出すわけですね。ここまで来るとドライバーはみんな「車を走らせるマシーン」みたいになってます。そして9時過ぎに,大学に生還。まさに「生還した~」という感じです。太陽が緑色に見えます。途中で電話して集合をかけたW陸不参加の部員を中心に(ドライバーはぐったりしているから),持ち帰った機体を積み下ろして格納庫にしまい,「家に帰るまでが合宿です。お疲れ様でした。したっ!」と最後のミーティングをしたら,ようやく長い長い遠征生活の終了。

 今から思うと「よくやってたよなあ」と思う春の遠征&陸送ですが,当時は何とかなってたんですよね,若いから。みんなで行くのが楽しかったし,途中で他の大学の一行と合流したり,そのときは機トラの窓からナビがお尻を出し合ったり(法律家になった今になって考えると,あれは「公然わいせつ」ですね),このままみんなで,どこまでもどこまでも,日本中走って行けそうな気がした。世界へだって,飛び出して行けそうだった。そのときの微熱みたいなものが今でも体に残っていて,春になると,「遠くへ,もっと遠くへ!」ってうずくんですね。
 今年の春は,久しぶりにどこかへ行きたいな。小さな子どもも一緒だから,あのころのような無茶はできないけれど。

大事件ファイルその1・大股割れ

本日,大事件が起こってしまった。

朝,車に乗り込むとき,「ん?なんか,『ビリッ』って聞こえたような・・・」と思った。自分の服をあちこち確認してみるが,特に異変はないよう。「???」そのまま車を運転して,保育所に子どもを預け,遠くの警察署に接見に行って,待ち合わせた司法修習生と一緒に事務所に来て,お昼の会議に出る前にお弁当を買おうと,徒歩で近くのお弁当屋さんに。いつものように行列に並んでいると,後ろの女性からおそるおそる声がかかった。

「あのう・・・ズボンのお尻のところが,破れてますけど・・・」

はっとお尻に手をやると,!!!ぱっくり割れてました・・・。

お礼を言って何気なく事務所に戻りましたが,どうしよう!とパニック状態。お昼の会議は欠席してずぼん買いに行こうか,あっ,でも1時から相談の予約が入っている,間に合わない・・・とおろおろしつつも「でもネタとしては最高」などと思う辺りが関西人魂か。

結局,幸いにも担当事務局Tさんがお尻まで隠れるロングカーディガンを着ていたので貸してもらい,会議には何気ない顔をして参加(しかし,実はカーディガンの下はパンツ丸見え状態である)。1時からの相談もお聞きし,2,3電話などもし,悠々と(?)ズボンを買いに行って履き替えたのでした。

いったいいつの時点から,ぱっくりしてたんだろう・・・。そして何名の方が,この恥ずかしい状況を目撃してたのだろう・・・。特にカツカツと大股でK警察署を歩いて出てきた自分の後ろ姿を思うと,嗚呼恥づかしい。

ちなみに,タイトルを「大事件ファイルその1」としたのは,きっとこれからもこんな大事件が起こりそうだからです。

 

斉藤和義,やるなもし

斉藤和義といえば,私にとっては「歌うたいのバラッド」なんだけど,最近よく聞くのは「ずっと好きだった」。確かどこかの化粧品か何かのCMソングだったよね?(違うかな・・)昔好きだった女子が,同窓会で会っても相変わらず綺麗だな,っていうアレです。

その替え歌で,斉藤和義本人が歌う,「ずっとウソだった」。↓

ステキ過ぎるので,もう結構皆さん知ってるんだろうけど,ご紹介です。

 

http://www.veoh.com/watch/v20903929fEBfp4MB

『ずっとウソだった』

この国を歩けば、原発が54基
教科書もCMも言ってたよ、安全です。
俺たちを騙して、言い訳は「想定外」
懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨。
ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です。
ずっとウソだったんだぜ
ほうれん草食いてえな
ホント、ウソだったんだぜ
気づいてたろ、この事態。
風に舞う放射能はもう止められない
何人が被曝すれば気がついてくれるの?
この国の政府。
この街を離れて、うまい水見つけたかい?
教えてよ!
やっぱいいや…
もうどこも逃げ場はない。
ずっとクソだったんだぜ
東電も、北電も、中電も、九電も
もう夢ばかり見てないけど、
ずっと、クソだったんだぜ
それでも続ける気だ
ホント、クソだったんだぜ
何かがしたいこの気持ち
ずっと、ウソだったんだぜ
ホント、クソだったんだぜ

  今日、事務所で「故あって」パソコンのシリアルナンバーを読み上げる機会があった(決して、パソコンを叩き壊してリカバリーディスクを買わなければならなくなったから、なんてそんな愚かなことではありません、ええ、ありません)。ところがこれが、読み上げると大変わかりにくい。「QQ9W3-4QH1I」などというようなナンバーを「キューキューきゅう、あ、これは数字の9です、で次はアルファベットに戻ってダブリューでえ、次は数字の3、ハイフンで、・・・」ややこしいことこの上ない。そこでつい、昔取った杵柄で「ケベック・ケベック・ナイン・・・」とやったらすかさず「何ですかそれは」と笑われた。確かに呪文のようだが、これは立派な航空用語、というか無線用語なんである。
 何を隠そう、私は「陸2(りくに)」=「第2級陸上特殊無線技士」、「航特(こうとく)」=「航空特殊無線技士」の2つの無線資格を持っている。グライダーには無線を積んでるから、本気でフライトしようとする人は、まあ取った方がいい資格なんである。で、そのギョーカイでは日本語の通信は「朝日のア、イロハのイ、上野のウ・・・」なんて具合だし、アルファベットの通信は下の表のようになるのだ。

●欧文通話表

   A=アルファ B=ブラボー C=チャーリー D=デルタ

  E=エコー F=フォックストロット G=ゴルフ H=ホゥテル

  I=インディアー J=ジュリエット K=キロー L=リマー

  M=マイク N=ノゥベンバー O=オスカー P=パパー

  Q=ケベック R=ロゥメオ S=スィアラー T=タンゴ

  U=ユーニフォウム V=ヴィクター W=ヴィスキー

  X=エックスレイ Y=ヤンキー Z=ズゥルゥー

 

 つまり、「sky clear(スカイ・クリアー、すなわち雲一つない晴天のこと)」と通信しようと思うと、「スィアラー・キロ・ヤンキー・チャーリー・リマ・エコー・アルファ・ロゥメオ」という具合。この呼び方は世界各国共通なので覚えてみてもいいかもしれない(何の役に立つかわからないが)。
 で、航空部業界の人には大体においてこれが通じる。慣れてみると、意外と便利である。
 横幅の広い滑空場では一つの河川敷に何本も並行にランウェイ(滑走路)を取っていて、大抵は端からABC・・と名前が付いている。着陸するランウェイの指定も、単に「ランウェイB(びー)へ」とか言われるよりも、「ランウェイブラボー」と言われた方がピンと来る。
 機体の愛称というか識別符号も、「WW」とか「M2」とかアルファベットか数字2文字の組み合わせが付いていることが多いんだけど、これも「ウィスキー・ウィスキー」「マイク・ツー」と読む。
 間違いがなくてわかりやすい。そこで日常生活でも、例えば電話口でメールアドレスを伝えるときなどつい使いたくなるのだが、(あっ、ギョーカイの人じゃないとわからないんだった)と残念なのである。

 他につい出てしまう業界用語と言えば、「了解」。航空部は軍隊チックなところがあるので、指示が出たら必ず復唱了解、つまり指示を繰り返した上で、「了解」と言うのである。「古川、そこのP(ぴー)ちゃんとりあえず人係(じんけい)しといてー(翻訳:古川くん、そこにあるPW-5という機体を人で係留、すなわち君が手でしばらく押さえておいてくれたまえ)」「とりあえずじんけいりょうかーい!」、「阪大、したっ!(ごちそうさまでした)出発6時30分!」「6時30分りょうかーい!」という調子。「了解」は今でも本当につい出てしまって、ともすれば右手も額の前でびしっと揃えてしまいそうになるので、「おっとっと」と押さえないといけない。
 それから絶対に便利なのが「交代」。人から人に物を手渡すときに、「確かに受け取りましたよ」という合図で「こうたーい」と言うのは鉄則である。航空部では、機体の一部とか部品とか、絶対に下に落としてはいけないものをやりとりすることが多いので、こういうルールは必須なのだ。今でも自宅で電球の交換をする際など、配偶者が脚立に乗って外した電球を私が下で受け取るときに、ついつい「こうたーい」と言いたくなるし、言ってしまう。

 でもこういう「その業界では当たり前なんだけど、他の人にとってはなじみのない言葉」には功罪があるんですよね。
 同じ業界、集団に属する人ばかりのときには、話が早かったり、連帯意識、帰属意識を感じられていいんだけど、その言葉がわからない人が混じっていると、逆に疎外感、自分はそこにいる資格がない、という感じを受けてしまう。
 最近、とある業界の専門用語を「当然知ってるよね?」という感じで使われて、「えっと、それってどういう意味ですか?」とは聞けなかった経験から、そういうことって気をつけないといけないな、と思ったのでした。